激動の世界情勢と新しい時代のリーダーシップ / 2001年10月(シンクタンク藤原事務所主催 秋季講演会) 激動の世界情勢と新しい時代のリーダーシップ 藤原 直哉 氏 みなさん、こんにちは。今日はお忙しいところ、ありがとうございます。五時ぐらいまでになりますが、みなさんと一緒に勉強できればと思っています。 二十一世紀最初の年ということですが、非常にいろいろなことが起きました。例のテロは一ヶ月前のことなのです。一ヶ月前までと今とでは全然様子が違っていて、一ヶ月でこうも変わるのもかなとつくづく思います。 まず最初にみなさんにお伺いしたいのですが、みなさんの経営されている会社、勤めている会社で、今年が増収増益の方はいらっしゃいますか? はい、ありがとうございます。 いらっしゃるのです。日本全体が終わっているわけではないのです。世界が終末を迎えているわけでも何でもなくて、要するに新しいやり方でちゃんと成功されている方はちゃんと出てきているのです。 そういうことを考えてみたときに、やはり我々が今やらなければいけないことというのは、どういう変化が起きていて、どうすれば成功できるのか、これを頭と腹にしっかりと入れることが今いちばん大事なことではないかと思うのです。 <激動の世界情勢> 「90年から2001年までの12年間の停滞が終わった」 お手元の資料の(1)をご覧いただけますか? そこに二枚のグラフが出ています。このグラフは日本銀行が行っている短期経済観測、日銀短観というもののデータです。これは企業の経営者に、今景気は良いですか、悪いですかとアンケート調査をするのです。そして良いと答えた人のパーセンテージから悪いと答えた人のパーセンテージを引いたものはこのグラフなのです。上が製造で下が非製造業です。それぞれ大企業、中堅企業、中小企業と三本線が並んでいます。真中に線が入っていて、そこがゼロです。それより上はプラス、すなわち良いと答えた人の割合が高い時、下がマイナス、すなわち悪いと答えた人の割合が高い時なのです。 このグラフは一九七三年からずっと出ています。上の製造業を例にとってざっと振り返ってみます。 一九七三年から一九七五年まで急降下していますが、ここは例の円高と第一次石油危機があった時です。銀座で夜の電気が消えたりした時です。日本が最初のひどい不況に陥ったのがこの時です。この時、これを克服するために政府もいろいろと政策を考えました。 この石油危機というのは当時深刻に捉えられていて、当時の大蔵大臣の福田さんが、「石油危機は全治三年の病である」という話をしました。実際には三年よりもうちょっと時間はかかったのですが、このグラフを見ていただきますと、一九七八年、第二次石油危機の直前には既に製造業のグラフはプラスに転じているのです。ですから実際には五年ぐらいでプラスに転じていると思うのです。 一九七八年からプラスに転じた理由はみなさん記憶しておられますか? 何が理由でプラスになったか? これは製造業ですから、省エネ投資が実を結んだのです。どうやったら石油を使う量を減らすことができるか、どうやったら合理的にものを作れるかという新しい製造プロセスの研究と投資が一九七〇年代に非常に盛んになりました。 例えばアメリカなどは当時そういうことをあまりしなかったのです。一九七〇年代、石油危機の上にドルが暴落してしまったり、ベトナム戦争で負けたりということがあり、アメリカの企業は一九七〇年代に投資をすっかり手控えてしまったのです。ヨーロッパも同じような感じでした。 先進国の中では日本だけが非常に活発に投資をし、一九七八年に盛り上がった時というのは、いわゆる省エネで日本の製造業の強さが増していった時期なのです。 そしてずっと上がっていくのですが、今度第二次石油危機というのが一九七九年に勃発しました。この時は実は第一次石油危機の時以上に厳しかったのです。そして景気は再び下降線をたどるのです。 今度一九八四年ぐらいからプラスになっていくのですが、これは何だったか覚えておられますか? 一つはこの時、為替レートが随分円安だったのです。まだレーガン政権の始めの頃で、為替レートが一ドル二〇〇円台の円安で、輸出に結構追い風が吹いていたというのがあります。 もう一つは、ちょうどスランプだった時期、一九七〇年代にさまざまな新製品を特に電機メーカーが開発していました。そういう新製品が一気に市場に出てきて、人々の関心を集めて盛り上がったのがこの時なのです。携帯電話の一号機が出たり、家庭用VTR が出たり、今我々が何気なく使っている様々な日常の新製品、家電関係の物が出たのが一九八〇年代のごく初期です。そういうものをネタにして、一九八〇年代に景気が盛り上がったのです。 実はこの時の盛り上がりこそ、ある意味で言えば今の不況の原因なのです。どういうことかと申しますと、この時盛り上がった日本の経済力、製造業の力というものが実はアメリカを抜いていたのです。そのため日本がこうやって盛り上がった時に、その反対側でアメリカはものすごい貿易赤字を抱えてしまったのです。 ですからこの時に初めて日本とアメリカの間で、とてつもなく巨額のお金の不均衡が生まれたのです。日本はすごい黒字、アメリカがすごい赤字。実はこの時に生まれた不均衡こそ、今に至るすさまじい破壊の最初のさざ波みたいなものだったのです。相当大きな黒字と赤字でしたが、今から見ればさざ波みたいなものだったのです。 しかしこれも一九八五年に急激にマイナスに転じます。これは覚えておられますか? これこそまさにプラザ合意の反動、円高なのです。一ドル二〇〇円台の為替が一〇〇円台になるのです。輸出に急ブレーキがかかるのです。そして悪いことに、日銀はそれを見て本当に景気が悪いのだと思ってしまったのです。そのためにものすごい金融緩和をやったのです。すなわち円高不況克服ということで、ものすごく金利を引き下げたのです。 しかし今から考えれば、それはとてつもなく間違った政策だったのです。実は日本の競争力はちっとも衰えていなかったのです。衰えていないどころか、ますます強くなっていたのです。円高になっても日本の強さは衰えない。日本製品に対する需要は世界的に強いままなのです。 そこへもってきて、今度は無茶苦茶やった金融緩和で国内の需要に火がつきました。株も不動産も上がったのですが、それと同時に国内の人の購買意欲にものすごく火をつけたのです。これで製造業はものすごい活気を呈し、ここにあるように戦後最大のプラスに転じます。大企業の方はプラスの五〇パーセントぐらいまで持ち上がっていくのです。 今申し上げましたように、一九八〇年代までの日本経済の流れを見てみると、好況にはちゃんと理由があるのです。今までと同じようにやっていて神風が吹くとか、相場の風が吹いて何となく上がったということはないのです。必ず上がる理由があったのです。そしてそれまでに上がるにふさわしい変化をやっていたのです。 ところがこれを見ていただくと、一九九〇年に株が暴落を始めます。製造業の短観では、一九九二年ぐらいから基本的にはゼロから下の領域にずっといっぱなしです。 一九九六、一九九七年、あるいは二〇〇〇年から二〇〇一年のように、若干プラスになっている時期もあります。一九九六、一九九七年というのは、例の榊原円安というのがあった時です。アメリカと日本が話をして、為替を少し円安に戻すということをやったのです。これでちょっとプラスになりました。そして二〇〇〇年、二〇〇一年は例のIT バブルで、ちょっとプラスになりミニバブルになりました。 一九九〇年代というのはIT 関係の登場というのはあるのですが、結局日本経済を変化させる大きな構造転換というのがないままに終わってしまうのです。そのため製造業を見ても、一九九二年以降というのは基本的にはずっとマイナスの領域です。中小企業を見るとずっとマイナスです。短観を見ると、中小企業は一九九二年を最後に一度も景気が良いと言う人が過半数を超えたことがないのです。 これはすごいことだと思います。不況だ、不況だという声をよく聞くのですが、十年も不況をやっていればこれが当たり前になってしまうようなところがあります。大阪では「儲かりますか?」と挨拶しますが、こういうのを見ると「儲かります」というのが申し訳ないような話になっていて、儲からない、不況だ、当たり前だというような感じになっているのです。 この十年、特に製造業では合理化が進みました。しかし新しい質的な変化、今まで日本がやってきたような、新しい時代の突破口を開くような変化というのがなかなか行われなかったのがこの十年間ではないかなと。一九九〇年から来年ぐらいまで入れればだいたい十二年ぐらい、それぐらいの時間ではなかったのかと思うのです。 その下の非製造業を見ると、今言ったようなことは極めて顕著です。非製造業は一九九一年、一九九二年をピークに急激なマイナスに転じます。以降、大企業でも上に出たためしがありません。一回ちょっと出ただけで、ずっと不況なのです。 こういうのを見る限り、もう不況だと言っている時代ではないのです。世の中が景気が良いとか、世の中が景気が悪いという話をすれば、ずっと景気は悪いのです。しかし次の時代を創る会社というのは必ずあるはずです。世の中は景気が悪くても自分たちはうまくやっている、自分たちのやり方で成功しているという会社は間違いなくあるはずなのです。 今お手を挙げていただいたように、今年増収増益の会社は複数ちゃんとあるのです。 そう考えてみたときに、問題は経済全体が良いとか悪いとか言っている場合ではなく、自分がどうするかだということがはっきりと言えるのだと思います。 不況と好況、デフレとインフレということを少し図式的に考えてみたいと思います。このように景気の波があったとします。上を向いているときがインフレ。成長率が上がっている、所得が上がっている、物価が上がっている。そして下がっていくときがデフレ。物の値段が下がる、経済が縮小する。そしてまたインフレ。デフレ、インフレ、デフレ。 経済だけではなく、あらゆる自然現象というのは、このように振動しているのです。基本的に、定規で引いたみたいに一方的に上がり続けたり、一方的に下がり続けたりということはないのです。大きなトレンドとしてそういうものがあることはあっても、基本的には上がったり下がったりを繰り返しているのです。デフレが永遠に続くということもないのです。大体インフレに転じるのです。そしてインフレが永遠に続くということもないのです。やがてデフレに転じるのです。 インフレの時に起きる現象というのは量の拡大なのです。インフレはやはり量が問題になる時です。成長といったときも、どんな産業をやっているかではなく、いくら儲かったか。どうやって儲けたかではなく、何パーセント儲けたか。何を売ったかではなく、何本売れたか。量がものすごく重視されるのがインフレだと思うのです。 ところが量を重視するという時代は、一つの機械、一つのシステムをフル稼働させることによって量を生むわけですから、そのシステムや機械が時代に合わなくなってきたら、いくら機械を回しても物が余るばかりで、誰も買ってくれなくて、やがて行き詰まり迎えます。 そうすると時代はデフレに転じます。デフレに転じる時、つまり不況の時、この時やることというのは簡単に言えば量の反対で、質の転換なのです。機械をどれだけ速く回せるかではなく、どんな機械を作るか。システムをどれだけ効率的に回すかではなく、どんなシステムを作るか。これを考えて模索するのがこのデフレの時、不況の時なのです。 実は不況というのは非常に大事な時なのです。今までの量の拡大が止まった以上、機械やシステムを全部入れ替えなければならない、見直しをしなければならないのです。つまり今までの機械やシステムでは世の中のニーズを満たしきれなくなったという、まさにその現実が世の中をデフレに転じさせたわけです。だからここで大きく質の転換をしなければ、世の中始まらないのです。 ここで質の転換をすると、やがて何か転じてインフレが始まります。そうすると今度、量の拡大が始まります。そしてやがてまたデフレに転じて質の転換。 経済の上がったり、下がったり、好況、不況というのは基本的にこんな感じで動いているのだと思います。 非常に不幸なことに、この一九九〇年代の日本というのはこの質の変化を極めて嫌がったのです。すなわち質を変えないで、ゲリラ戦法的に今までのシステムをもう少し動かしてみて、何か儲かることはないか、みんなここに神経がいったのです。質を変えず、やり方を変えずに、システムを変えずにどうやって儲けるか、これを十二年試したわけです。 そしてはっきり言って失敗したのです。 そう考えてみると、失われた十年とよく言われますが、今回のこの事件というのはその直前のインフレがあまりにも峰、頂上が高かったので、この時に生まれた成功体験というのが相当な邪魔をしてしまったのだと思います。この成功体験があったために、自分のシステムが悪いのではない、自分の機械が悪いのではない、自分の考え方が悪いのではない、悪いのは世の中だという頭に自然になってしまったのがこの十二年間だったように思うのです。 しかしそこで、いやそうではないかもしれない、確かに世の中も大変だけれども、自分がもっと変われば次の時代が生まれるかもしれないと思ってこの十二年間いろいろ勉強し、いろいろトライをして、そして成功した会社は今本当に芽を出し始めているのです。これはすごいことだと思います。 今日のレジュメで「停滞が終わった」という表現をしています。いよいよこれが下に来たのだと思います。我々の乗った飛行機は、足を出しているか出していないか分からないのですが、滑走路の直前までくると思います。足を出さないまますってしまと、しりもち事故となってしまうし、あるいは叩きつけられてしまうと爆発炎上してしまうので、それだけは勘弁してほしいなと思うのですが、タッチアンドゴーのいちばんギリギリの所を我々はもうすぐ通過すると思います。 もう滑走路は見えていて、みんな「あー!」と叫んでいるわけです。近づいている。やばい。足は出ているのか。つまりセーフティネットみたいなものです。下についたときに壊れないための仕組みはしてあるのか。あるいはもう一回飛び立つための、エンジンをふかすための燃料は入っているのか。あるいは操縦士はちゃんといるのか。 こういうことを考えていったときに、セーフティネットは国にはもうない。燃料はあるのか。燃料は山のようにある。ただしエンジンをふかした時にエンジンが爆発しそうだ。エンジンのコントロールがどうもうまくいっていない。そうすると、ドーンといったはずみにハイパーインフレになる恐れがあるのです。インフレになった瞬間にハイパーインフレが始まってしまう恐れがあるのです。その話はおいおいしたいと思います。 インフレの頂点が一九八九年から一九九〇年、そしてデフレの底が二〇〇二年の一月から三月だと思います。ここで大体これが終わるのだと思います。ここがすぐに上がるかどうかというのはいろいろ議論がありますが、私は結構早く次にインフレがきてしまうと思うのです。 デフレの谷があまり深いと、ここで大体事件が起きるのです。つまり飛行機が下に行くときに、あまりスピードが速くて足を出していないと、滑走路に這うのです。要するにこの時に事件が起きるわけです。どうも事件が起きるような気がしてしょうがないのです。 今週号の週刊ダイヤモンドをご覧になりましたか? 例の倒産三十社リストが出ているのです。びっくりしました。よく言われている、危ない会社三十社です。A、B、C、D と書いてあるのですが、主要銀行や株価が書いてあるので、名前は誰が見ても一目で分かるのです。 ああいうのが出ると、大丈夫だと思っていた人も危ないと思うわけです。実際にああいうのを見て取引を控える人がいれば、まともにいっているのもまともにいかなくなるのです。 債権総額が二兆五千億円ぐらいあります。UFJ を筆頭にしまして、各主力銀行グループ、みんなすごい不良債権を抱えることになります。 一方で金融庁は特別検査をやると言っています。ペイオフ前に不良債権をもう一回よく調べてみると。そして株価はずっと下がったまま、不動産も下がったまま、アメリカの株も下がったまま。ドルはちょっと安くなっている。 さあ、何か潰したくてやっているみたいです。テロのようです。今回アメリカのビルに飛行機が突っ込みましたが、今の金融の様子を見ていると、わざと墜落させたくて誰かが操縦しているような気すらします。別に外国人がやっているというわけではなくて、日本人が自分たちの総意でやっているのです。不思議なことが起こるものです。みんなで突っ込んでいく、一億特攻みたいになってしまって、これはすごい事件だなと思うのです。 今回のワールドトレードセンタービルの事件を見ていると、どんな事件なのか、何となく想像がつくと思います。一一〇階建てのビル、四〇〇メートルのワールドトレードセンタービルに飛行機が突っ込みました。最初は倒れず、中で燃えていたのです。しかし一時間ぐらい燃えたところで、鉄がついに溶けてしまったのです。インシュレーションが剥がれて燃えてしまって、鉄が溶けたのです。鉄が溶けると上の階が下にドンと落ちます。その時の衝撃でその下の鉄がまた折れる、そしてまたドンと落ちます。そしてその衝撃で下がドンと落ちる。こういう形で一つひとつ順番にダダダダと崩れてしまったのです。あれは一瞬でした。ちょっとトイレに行って戻ってみたらビルがない、そういう世界でした。 私はあれは本当に象徴していると思うのです。私が一九九三年にソロモンを辞めた話はみなさんご存知だと思いますが、何が怖かったかって、こういうことが起きるのではないかというのがすごく怖かったのです。あまりにも変なデリバティブズを、デリバティブズの構造をよく分からない人たちにとにかく売りまくるのです。これはもたない。一旦おかしなことが起きたら、誰も始末をつける人がいない。 アメリカの金融機関という所は、景気が良くて、相場が上がっていって儲かる時は、金が稼げるのでみんなやって来るのです。しかし相場が反転したらみんな辞めてしまうのです。仕事ができる人から先に辞めていきます。 相場が反転して下がりだしたら何が起きると思いますか? いちばん物事が分かっている人はもういないのです。はっきり言ってあとの人たちは烏合の衆なのです。どうしていいか分からない。そして、ますます「俺も辞めよう。長居は無用だ」と思うわけです。残念ながらそういう世界がウォール街なのです。 そうするとこの最後に起きる事件というのは、一気にデリバティブズが瓦解することではないかと思うのです。大体今デリバティブズの残高が想定元本で八千兆円あると言われています。実際にはそれ以上に届けの定義に入っていないデリバティブズというのがあるので、ものすごく量は多いのだと思うのです。 私が一九九二年にソロモンにいた時に、ソロモンの幹部が言っていたのはどういうことか。ソロモンのバランスシートの資産の部が七千億円あったのです。これはバランスシートを見れば分かります。ところがこの下に、デリバティブズが百兆円あったのです。一九九二年の段階です。これは簿外資産で出てきません。 そしてニューヨークから来る幹部が酒を飲みながら自慢気に言うのです。「俺たちの会社はいくら資産があると思う? 一兆ドルだ。」最初はすごいと思いました。日本の一年間の一般会計予算が八十兆円ですから、それを上回る金額、百兆円あるわけです。 しかもこの百兆円というのは現物で持っているわけではなく、この百兆円の資産と負債をコンピュータで全部管理しているのです。毎日の株価や金利や為替レートを全部入れて、計算式を使って全部時価を出し、両方ポジションを調整して、百兆の資産と百兆の負債の差額、ほんのわずかな何億、何十億、せいぜいいって何百億ぐらいを稼ぐためにものすごく緻密なトレーディングを毎日、簡単に言えば二十四時間繰り返しているわけです。東京、ロンドン、ニューヨークと時差が回る中で、二十四時間ブックを回しながら、コンピュータで管理しながら、この百兆と百兆のほんのわずかな部分をプラスにするようにオペレーションをやっているのです。これは一九九二年の話です。 ですから、はっきり言ってこの世界というのは、上がりそうだから買って持っているというのとはまったく違うのです。よく個人投資家の方がなさるように、これから株が上がりそうだから、何かの株を買って持っている。そして上がって儲かったというのとは全く違う世界なのです。簡単に言えば、金融資産というのはコンピュータの上に乗っている一本の計算式なのです。計算式そのものが金融資産なのです。 もちろん契約書というのもあるのですが、契約書というのはたいしたことは書いていなくて、いちばんのポイントは計算式、一本の式なのです。いろいろなパラメーターに係数を入れると、値段がいくらとポンと出てくるのです。 これが全てなのです。これを操っているわけです。ですから手作りで何か物を作っている世界と、完全オートメーションでやっている世界との違いぐらいのものがあるのです。 しかし考えたらすごいことなのです。今言った計算式というものは関数になっているのです。ちょっと難しい話になってしまいますが、この関数式の中にいわゆる微分が出てくるのです。微分というのは、ほんのわずかに動いたときにどれぐらい動くかという計算式のことなのです。実は微分が入っているということに大変な意味があります。値段の動きとかボラティリティー、変化率が常に連続して動いていなければならないのです。連続というのはジャンプしてはいけない、あるいは発散していはいけないということです。突然値段が大きく動いたり、あるいは値段が極端な上下を繰り返したりすることがあっては計算ができないのです。そういうことがないという前提で微分は行われるのです。 工学の方もいらっしゃると思いますが、構造物でも何でも微分を使って式を使って物を作りますが、実際には連続でないことも起きます。例えば風の流れ方などで連続でないことがあります。その場合には安全係数といって、想定外のことが起きた場合にも多少はもつように、安全ののりしろみたいなものを少し余分にとっておくのです。 ところがこの金融の世界というのはみんな欲が深いのです。だから安全ののりしろをほとんどとらないのです。 飛行機だって安全だと言うけれど、安全を守っている最大の理由は、ものすごい暴風には突っ込まないことです。これ以上ひどい風のときには墜落する、空中分解するということが分かっているので、そこに突っ込まないということがいちばん安全な秘訣なのです。突っ込んでしまったら、どんな飛行機だって空中分解してしまうのです。 ところが金融の世界というのはそういうことをやる人があまりいないのです。どういう状況になったらこのオプションは破綻するとかいうことを研究している人はいないことはないのですが、実際にそういうものを使ってデリバティブズの安全運行を心がけているトレーダーなんて一人として見たことがありません。これはすごいものがあります。おそらく工学、飛行機、船などの運行の現場に携わっている人が見られたら、何をやっているのかと腰を抜かすと思います。瀬戸大橋だって、風があまり強くなったら通行止めになります。ああいうことをしないのです。この世界、むしろ風が吹くと、これは稼げる、チャンスだと思って出てくる人の方が多いのです。ちょうど操行のないゼロ戦みたいなもので突っ込んでいくのです。そしてボーンと破裂するわけです。 ですから過去デリバティブズが破綻して大騒ぎになるのは、たいてい値段に極端な上下動、あるいは不連続が生まれた時なのです。一九八七年のブラックマンデーがいちばん初めです。あの時も起きたのです。それから一九九三年のメキシコの危機の後、一九九五年のオレンジ郡、一九九八年のロシア危機の時のLTCM、みんな値段が極端な上下動、あるいは不連続を起こした時に起きたのです。 今回はちょっとやばいと思うのです。デリバティブズ金融というのはとにかくコンピュータの上で動いているのです。コンピュータの数式が全てなのです。私が昔勤めていたソロモンはビルが全部崩壊しました。なくなったのです。ワールドトレードセンターの七号館というビルで、テロから八時間後に倒壊しました。さあ、あれで何本の計算式がなくなったのだろうなと思うのです。 今、金融の裏側では何をやっているかというと、計算式が分からなくなってしまったり、あるいはいくら預金があっていくら借金があるか分からない人が結構出ていると見えて、やはり決済できない所があるのです。すると、FRB、中央銀行がそういう所に無制限にお金を貸してあげているのです。払いができないと、さっと中央銀行が出てきて金を立替払いしているのです。これを日本でもアメリカでもずっとやっているのです。 日銀へ貸し出す過剰な供給量が、日本の場合はテロ以降二倍、アメリカは約二十倍と言われています。これはどういうことかというと、資金繰りに詰まっている所があるのです。 つまり金に困っている所がかなり出ているのです。これはいろいろな理由が重なっていると思うのですが、金融は今かなりストレスがかかった状態です。 しかしこういう一時的な立替払いというものも決算期までの勝負です。決算期はやはりまたぐことはできません。仮払い、借受はちゃんと計上しなければいけません。さあ、そのときにどんな決算が出るかです。 一発目、CS ファーストボストンが出ました。しかし今出せるということはまだ被害が少ないからだと思うのです。 実は今から数年前に一度潰れたスイスのUBS は、SBC と合併する前にデリバティブズで巨大な損失が出て、結局決算をやらないまま合併したのです。決算ができなかったのです。 SBC がスイスバンクコーポレーションと合併したのは五年ぐらい前だと思いますが。この時に実はUBS はデリバティブズで巨額な損失を計上してしまったのです。あまりの損失の大きさに決算できなかったのです。そして決算する前にSBC に吸収合併してしまったのです。そういうことがあったのです。 ですから今回も、舞台裏では多分いろいろなことが起きていると思います。彼らの決済は三ヶ月毎です。前は九月で今度は十二月です。ですから十二月までに金融界には非常に大きな動きが起こると思います。 実はもちろんそういう損失を飛ばすこともできるのです。またデリバティブズを使って飛ばすことができるのです。飛ばそうと思えば飛んでしまいます。しかしこれは政府の関与が必要です。政府の関与、すなわちFRB とか様々な金融当局が認めない限りこれはできません。彼らが認めてやれと、一九九〇年代の日本の金融当局のように、損失を表に出すな、健全を装えと言い出せば話は別ですが、そうなる可能性も半分はあると思うのです。 しかし飛ばした損失はまたいずれ出てくるので、これは相当大きな事件になると思います。そのときにいちばん怖いのは、デリバティブズが六千兆円とか八千兆円とか言われていて、これも資産と負債のツインタワーになっているわけです。まさにツインタワーなのです。資産、負債、二本の巨大なタワーになっているのです。資産の部でも負債の部でも、どこか一ヶ所破綻が起きると、すなわち資産の部で言ったら、当てにしていた金が入ってこない、負債の部で言ったら、この負債が払えないというようなことが一ヶ所でも起きると、連鎖的に破綻をして次々資金繰りが困って、全部決済不能という事態になるかもしれないのです。 日本だったら、いわゆる先物市場に解け合いというのがあります。決済不能に追い込まれると最後のギリギリに解け合いというのがあり、行司みたいのが出てきて「もう取引やめい」と。そして最後裁いて終わりにしてしまうのです。そういう解け合いができれば別ですが、かなり厳しいことになるなと思います。 問題は八千兆のツインタワーの差額の決済は、これを現金でやっている所が大変なのです。これは子供銀行券とか、未来の手形とか未来の株券でやっている分には問題ありません。「お遊びでした」で終わってしまうのですからで済むのですが、この差額の決済を現金でやるのです。ですからここで現物経済ともろにつながっているのです。現物の資金繰りと実際の銀行経営とここでもろにつながっているのです。だからこれはなかなか大変です。 解け合いだって、日本の先物市場みたいに日本人だけで小さくやっているからできるのです、株式市場ではもうできません。これはもう完全にインターナショナルなわけですから、おそらく解け合いはなかなか難しい。 さあ、何が起きるのだろうか。私はずっと見ています。アメリカでそういうことが起きれば、はっきり言ってニューヨーク発の世界恐慌です。再びニューヨーク発なのです。二度目の世界恐慌もおおいに可能性はあるのです。 そうなってきた場合、日本にもヨーロッパにも非常に急速に波及すると思うのです。ですからそういう事件をきっかけに、日本も最後の金融の大掃除がこれから始まるのではないかという感じがしているのです。 そういうことがあれば、この十二年の停滞はやっと終わりを迎えます。銀行の問題に最終的にけりがつく、これで峠を越えれば、日本的には半分は終わりができたことになります。 そして銀行を整理すれば当然財政がもたなくなります。すなわち銀行に国債を買ってもらって政府は動いているので、銀行を整理したら国債を買ってくれる人はいなくなるので、政府も機能不全に陥ります。政府が機能不全に陥れば、今度国がやっている様々な事業が全部機能不全に陥ります。そうすると国の整理、官の整理になります。官が整理されたら、官に頼っている民間はやっていけません。官に頼っている民間も整理になります。 ですから銀行が片がつけば、次は官なのです。そして官が片付けば最後民なのです。ここまでいくと、一応デフレの大底なのです。そこがデフレのいちばんの大底なのです。 本来は今言った終わりということを、ここで一気にやるのではなく、この十年間で自分たちの手でやっていくべきだったのです。市場がぶっ壊しにくるのを待って見ているのではなくて、自分たちの手でやっていけばよかったのです。しかしそれをやらなかったのです。自分でやらないから天が代わりにやってしまうわけです。自然がやってしまうわけです。 でもやってしまえば、終わりは終わりなのです。そうするといよいよ次のインフレです。 ただ今度インフレというときによく気を付けてください。さっきも言ったように、インフレは構造変化、質的変化をやった人からやってきます。インフレで儲かる、インフレで利益が出るのは、構造変化が終わった人だけです。つまり次の成長にいくには、パスポートに一つハンコが要るのです。このハンコがないと次の時代が来ても上には上がっていけないのです。 このインフレの入り口に検問所みたいな所があるのです。そして一人ひとり、あるいは企業ごとにパスポートみたいに見せろと言われるのです。あるハンコが押してあるか、押していないか。押してある企業、押してある人、押してある不動産、押してある株は上がっていきます。押していない人は押してもらうまで、そのハンコをついてもらうまで、もう少し戻って努力してくださいと言われるのです。努力して、構造変化が終わった、新しい時代に対応できるシステムになった、新しい時代にふさわしい知識や実力を得たというところまで自分で努力していただいて、ハンコをもらってもう一回来てくださいということになります。 ですからその変化が遅くなればなるほど、時代はどんどん前に行ってしまうのです。しかしここから先、一歩も進めないのです。これがインフレの本当の姿です。 今までは、特に昭和の時代はいろいろな事情があり、遅れている人もかまわず前に押し出してしまったのです。良い意味でも悪い意味でも、国家総抱え、家族みたいにやっていたのです。しかし未来永劫そういうことになるとはあまり思いませんが、今目の前に来ているインフレは、今までのインフレとは違います。みんな一緒には上がれません。 一九九〇年代、我々が意図せずしてやっていた変化があるのです。意図してやる変化はあまりないのですが、意図せずしてやってしまった変化があるのです。なぜかと言うと、俺さえ良ければいいというやり方なのです。別の言い方をすれば個人責任、自己責任です。 自分の力で未来を切り開くのだ。この常識が一九九〇年代、意図する、意図せざるに変わりなく日本の中にもすごく浸透したのです。 だからここで一人ひとりパスポートを見せなければいけないのです。あなたはハンコがありますか? これが必要になってくるのです。こういうことを一回ぐらいやると、これはあまり大変なことだから、もう少しやり方を変えようということで次はまた別のやり方があるのではないかと思うのですが、残念ながら今回だけはそうです。 一九九〇年代に我々がやった結果として見たときに、ちょっと変な形での個人主義を入れてしまったのです。リーダーシップのない個人主義なのです。チームワークのない個人主義を入れてしまったのです。だから単にバラバラに壊しただけだったのです。だからこれが要るのです。 企業でいったら、インフレ率と同じぐらい利益が出る会社だけがインフレで良い時代だと言います。個人であれば、インフレ率と同じかそれ以上のスピードで賃金が上がる会社、自分の働く賃金が上がっていく人だけが良い時代だと思えるのかもしれません。不動産であれば、インフレ率と同じかそれ以上のスピードで賃料を上げられる不動産が良い不動産、つまりこのインフレで追い風を受ける不動産。株であれば、その会社がインフレ率と同じか、それ以上のスピードで利益を伸ばしている会社、そういう会社が発行している株だけが上がってくるのだろうと思うのです。 今回は日本まとめてではないのです。一人ひとり、企業ごとに、構造変化済みというハンコがついているかどうかが試されてしまうのです。ですからここは本当に頑張らなければだめなのです。 この十二年間に、とりあえずそういうことをやってきた人だけがこれに入ってきます。 だから今そういうことがない人がだめだというわけでは全くないのです。そういうことはないのです。やっていけば、インフレというのはどうやればうまくいくのかという姿が見えてくるのです。 今年増収増益の会社ということで手を挙げていただきました。しかしどういう会社なの かは今お聞きすることもありませんし、どういう会社で増収、増益になっているか、これが正当なやり方だということを我々はまだ知りません。まだ日本全体で意見はまとまっていません。しかしこういうのが長く続いていけば、これが成功のやり方なのだというのが必ず出てきます。その時代にふさわしい成功企業というのが目に見えて、こういうものだと分かります。 そうすると、まだパスポートにハンコをついてもらっていない人も、非常に早いスピードで、とりあえずハンコをつくところまではできるようになります。すなわちもう迷う必要がないからなのです。いろいろ模索する必要がないのです。これをやれば成功するのだと分かれば、それ一点に絞って変化をやって勉強していけば、一応パスポートにハンコはもらえるのです。 ですから最後までみんなが取り残されるということはありません。そういうのが出てくれば、どんな人でもここから上がっていきます。 しかし大事なことは、その時に、最初に階段を上がっていった人はもうこの辺にいるということです。みんなが分かって、これが成功の仕方なのだと全員がその一つのやり方を真似したとき、先頭にいる人はもう大体その次に降りているのです。そういうものなのです。 今でも本当に不思議に思うのですが、シアトルのワシントン大学で初めてリーダーシップ研修をやった一九九九年秋、帰ってきてから私は大学に問い合わせをしました。今、アメリカでも日本でもIT が流行っている。だからIT に詳しい先生の授業を聞きたいけれどどうか、という質問を一九九九年の九月か十月に出したのです。どういう答えが返ってきたと思いますか? 一九九九年だからまだ株が暴騰する直前です。何という答えが返ってきたか。 実はドット・コム・カンパニーは一社も残らないかもしれない。だから今いる先生たちが話をしたのでは間に合わないかもしれないから、外部から先生を連れてこなければいけないかもしれない。こういう答えが返ってきたのです。 シアトルはまさにインターネットの世界の最先端の一つです。マイクロソフトもあるし、アマゾン・ドット・コムもあります。そこの大学の人がそう言っていたのです。株が暴騰する前なのです。つまりもうドット・コムは終わりだとはっきりと言っていたのです。 みんなIT の周りでうろうろしているのです。しかし先端を行っていた人たちはもう降りようとしていたのです。どうやって降りようか、もう考えていたのでしょう。降りてしまったら話を聞けないから困ったなと。 だから非常に親切で、証券会社の営業みたいなことはしなかったのわけです。非常に親切にしてくれて感謝をしているのですが、そういうものなのです。先頭と最後はすごく違うのです。 先頭の人は未来永劫先頭かというと、それは保証はできません。また下がっていったときに、先頭にいた人でも、ここで構造転換をやらなければまたビリになります。 後でやりますが、今回のリーダーシップ研修でありました。構造変化が苦手な会社の多くは、過去に成功体験のある会社だという分析があったのです。 新しく会社を創る人のことを考えてみてください。お客さんの注文には全部フレキシブルに答えようとします、そうでないと注文を貰えません。どうしてお客さんの注文を断るのか、どうして世の中が変化しても俺は関係ないと言い出すのか。それは自分に成功体験があるからなのです。企業の人たちが成功体験を持っているから、今までのやり方で成功したから、もう変化する必要はないと言い出すのです。 ですからここで先頭を駆け上がっている人でも、今度時代のやり方が変わってきたときに、この成功体験が邪魔をしてビリになる可能性はいくらでもあるのです。ですから一刻たりとも油断はならないのです。生きている限り、一刻たりとも油断はならなくて、常に勉強していかない限り時代の先端というのは踏むことはできません。ですからここで先頭を上がる人が未来永劫先頭であるということは全くないと思います。 しかしとにかく時代はそんな感じですから、なるべく早くこの階段を上がってしまうことです。なるべく早くこのハンコをもらうことです。それがいちばん肝要だと思うのです。 具体的に何をすればそのハンコをもらえるか。そのハンコというのは、世の中の本を見れば収益還元法が分かって、時価会計法が分かって、例えばIT が分かって、バイオが分かって、いろいろとあります。しかしその中でもあまり役に立たないものもあると思うのです。あるいはその一つがなかったので、他は全部勉強したのだけれど、何も身にならなかったということもあると思います。 私はここを上がるときにいちばん大事なのがリーダーシップ理論だろうと思うのです。 ハンコはついて上がれるのかもしれませんが、成功したと思えるのかもしれませんが、新しい時代のリーダーシップ、この一点を逃すと、あとどんな主要末節をやっていても決して時代についていけないと思うのです。何かそういう秘密のタネみたいなものがあるという感じがするのです。 それは少し長い目で見てみれば当然なのです。この前の時代はみんなバラバラになっていた時代なのです。だから次の時代の成長は、バラバラにした人を集めるところから始めるに決まっているのです。だから集め方が分かっている人が成功するに決まっているのです。少し長い目で見てみれば、簡単な理屈なのです。バラバラになってしまった人を集めてくる力を持っている人。これが少なくともこの時代の先頭を創る人だろうと思うのです。 そういう技術が分かれば、その技術は常に応用していくことができる技術です。 戦争など、世の中いろいろ変な事件が多いです。しかし直接それに関わっている人を別にすれば、今大事なのことはここです。ここでよくいちばん大事なことを勉強するということが何にもまして大切です。 いちばん意味がなさそうなのは、明日銀行が終わるか、あさって銀行が終わるか、これだけ考えてブルブルしている。これがいちばんよくありません。過去十二年間の日本と全く同じです。潰れる、いや、まだ大丈夫。潰れる、まだ大丈夫。これを十二年間やってきたわけです。もうこれから先、そんなことをやっている時間は多分ないと思います。 「テロ報復戦争の状況」 さあ、それで少し目の前の話に戻します。いよいよテロの報復戦争の話です。これは非常に深刻な話です。昨日ある会があって行きましたら、一人ひとり話をしていて、自分の親族が自衛隊に入っているという人がいきなり泣き出してしまったのです。「悔しい。どうしてこんなことのために行かなくてはならないのか。」自衛隊は今そんな感じなのです。 この間赤坂オープンランチをやっている時も、ある一人の初老の男性がいらっしゃったのです。「会員ではないのですが、行ってもいいですか?」という電話がかかってきて、「どうぞ、おいでください」ということでおいでになられたのです。座ってずっと聞いておられました。 最後、「感想、ご意見ごさいますか?」とおうかがいしたら、やっと口を開かれました。 「今は別の会社にいるのですが、私はついこの間まで、自衛隊の情報学校で副校長をやっていたのです。」すごい人が来たなと、自衛隊の情報学校の副校長さんが一体何のご用でいらっしゃったのかなと思いました。いろいろ聞いてみると、悔しくてしょうがないらしいのです。「何の国益で俺たちは行くのだ? 国益も何もないではないか。何しに俺たちは追いやられるのだ?」とおっしゃるのです。 中曽根さんの時以来、空軍と海軍、空事と海事はアメリカの言いなりになってしまっている。毎年毎年ハワイでアメリカの国防会議みたいなのがあり、日本側に買い物リストが陸・海・空と三本来る。中曽根さん以来、海と空はそのリストそのまま買い物をすることになっていて、陸だけは言うことを聞かないで、自分たちでやることだけやっているのだけれど、海と空はそんな調子だと。今回もその海と空は行くわけです。 「今の小泉さんに何点つけますか?」と聞くと「三十点」とおっしゃいました。要するに国益も分からず、軍事も全く分からず、人を動かすということは何事ぞと。あれは相当怒っておられるような感じでした。こういう所に来て自分の出身を明かすぐらいですから、相当怒っているということです。 今週、来週でこの法案がどうなるかが決まるのです。大変なことになると思います。おそらく行くという話になると思います。行くという決断をした理由はただ一つしかないと思います。私も友達が役所や永田町にいるので分かるのです。理由はただ一つです。それはアメリカとヨーロッパが作った世界の序列の中で、日本の地位を上げたいのです。それだけなのです。世界秩序の中で日本の地位を上げる、序列を挙げるということが最大の目標なのです。 これが日本の未来を創るのだと真剣に信じている人もたまにはいるのです。しかしそれは分からないけれど、とにかくアメリカについていくのがいいことだとそれだけ信じている人もいます。その方が多いかもしれません。そんな感じなのです。 実は日本にとっても戦後最大の危機なのです。場合によっては自衛隊は大変なことになります。どこに銃口向くか分かりません。いよいよとなったら、どこに銃口が向くのか分からないことになります。 「オサマ・ビンラディンの開戦演説」 お手元の資料の(2)にオサマ・ビンラディンの開戦演説が出ています。オサマ・ビンラディンの開戦演説はCNN に出ました。もう片一方でブッシュ大統領の開戦演説もあるのですが、ここには載せていません。なぜならば、ブッシュ大統領の開戦演説は非常にひどい開戦演説だったのです。何のために戦争をやるのかということが文章の中で何回か変わるのです。また、戦争の目的が極めて曖昧に書いてあるのです。非常にひどい開戦演説でした。ですから開戦演説を見る限り、どう考えてもオサマ・ビンラディンの方がこの戦争をしっかりとやっているはずです。 どうしてそんなことになったのかという話は後でちらっとしたいと思いますが、驚いてはいけません、ビンラディンの演説に日本が出てくるのです。日本を攻めると書いてあるのではないのです。どう書いてあるか。上からざっと見ていきます。 「神様の教えに従って」という話から始まるのです。ブッシュ大統領もそうです。「神様 の教えに従って」と。 そうそう、自衛隊の副校長はこう言っていました。今回テロの後、戦争をやることになって、「ブッシュ大統領は神のご加護あれ」と言っていた。確かアイゼンハワーも昔そう言っていた。大体ああいうことを言うのは、心の中でやましいことをやると思っているから言うのだと言っていました。お互い自分の所の神様に必勝祈願をしているのです。さあ、みなさんにうかがいます。 ブッシュの拝んでいる神様は誰ですか? それからビンラディンの拝んでいる神様は誰ですか? 実は同じ神様なのです。キリスト教とユダヤ教とイスラム教というのは同じ神様なのです。預言者が違うのです。これは実に珍妙なる戦争なのです。一人の神様に、「俺を勝たせてくれ」と言ってお互い必勝祈願しているのです。こういう戦争というのは面白いなと思います。どうしてこういうことになっているのかなと思います。 とにかくアメリカをやっつけろと書いてあるのです。上から三つ目のパラグラフです。 「アメリカはテロでやられて苦しんでいる。この様子はイスラム教徒の人たちが何十年にもわたって受けてきた苦労のほんの一部なのです。我々は過去八十年間、こういう苦悩を味わっている。」 さあ、みなさんにうかがいます。八十年前というのは何があった時ですか? 一九二〇年です。つまり第一次大戦の後のいろいろな仕組みができた時なのです。イスラエルの建国ということが認められ、つまり第一次世界大戦後の世界分割なのです。あの時以来と言っているのです。ですから相当根の深い話をしているのです。 あとずっと下にいきます。「今、イラクでは毎日罪のない市民や子供たちが殺されている。こういう状況なのに、自分たちのイスラム教の聖職者から宗教上の命令が全く出ない」と書いてあるのです。すなわち無実の同朋が殺されている。これを救えとか、これをやっつけろというような宗教的命令をどうして出さないのだと非難の刃をイスラム教の聖職者に向けているのです。 アメリカが攻撃しているのをまず真っ先に非難しています。そして同じように、どうしてアメリカに対して戦うと言わないのかとイスラム教の聖職者にも矛先が向いているのです。 それではみなさんにうかがいます。どうして言わないのですか? 一番の理由は、イスラム教自身も欧米の世界秩序の中で平和に暮らしたいからです。日本と同じなのです。「日本は、日本は」と世界に誇示して自分一人でやるよりは、世界の秩序の中で平和に暮らしたいのです。イスラム教の人たちも大半はそうなのです。今さら戦争などをやって全部お膳をひっくり返して、「俺たち、俺たち」とやるよりも、今の秩序で平和があるなら、この秩序の中で平和に暮らしたいと思っているのです。 これはある人たちから見れば大変な堕落なのです。堕落であり、未来を潰すことであり、いつも虐げられている境遇を自分で選択することになるのです。 そういうことを言っているのです。聖職者にも向けられています。 そして中で下から四つ目のパラグラフです。「実は日本でも何百人、何千人も殺された。しかしこれは犯罪ではない」と書いてあります。これは太平洋戦争の時の原爆の話をしているのです。「原爆で殺されたのに、アメリカは罰せられていない。」どういうことですかと日本人に言われているのです。日本人に、「あんたたち、いいの?」という話なのです。 「どうしてアメリカに犯罪だと言わないのですか? いいのですか?」という話をしているのです。 そして同じようにイラクに関しても言っているのです。「同じようにイラクでも人が殺されている。イラクの人たちはアメリカはけしからんと言っていますが、他の国の人たちはイランはけしからんと言っている。」 これはすごい開戦演説だと思うのです。リーダーシップ理論の中で最大のものは、異なる考え方、発想を持った人たちを集める重要なポイントは、何のために集まるのかという目標なのです。ミッション、バリュー、ビジョンとよく言いますが、どうしてこうやってお互いに違いを超えて集まるのか、違いを超えて一つの目標のために共同して働くのか。なぜチームワークを組むのか、その目標、目的、これが非常に重要なのです。 頭で分かっているだけでは中途半端なのです。みんながなぜこういうことを一緒にやるのかということを腹と心で分かった時に、ものすごいチームワークがわいてくるのです。 ですからミッション、バリュー、ビジョンにしろ、あるいはこの開戦演説にしろ、人の気持ちと腹に響いたものが勝ちなのです。ものすごい力がわいてくるのです。 これはすごいことを言っているのです。すなわちこういう話をされたら、まずアメリカはたじたじです。日本の話をされているのです。原爆を落としたのはアイゼンハワーです。彼は生前、お前だけは天国に行けないとずっと言われ続けました。半分ジョークで半分本気なのですが・・・。なぜならお前は人類最大の罪を犯したからだとずっと言われ続けたのです。アメリカはそのことを言われているのです。 これは反論できません。彼らは「戦争を終わらせるためだ」といつも言うのです。しかし戦争を終わらせるために何をやってもいいのかとなると、今は違います。核爆弾はだめだし、生物兵器もだめだし、核兵器もだめだし、いろいろ禁じ手があります。そのことを言われたらアメリカは反撃のしようがないのです。アメリカ人もこれを直接言われたら困ってしまいます。この話は「いやー」としか言いようがありません。 ここまで言われれば、今度はイラクの側もイスラムの側もよく分かるわけです。敵はアメリカだけではない、確かに無実の民も殺されているなと。どうしてうちの宗教の指導者は悪いと言わないのだろうか。これは非常に簡単な表現で、自然にそう思えるでしょう。 こういう演説は頭と心と腹に響くのです。こういう話になると非常に大変なのです。 いちばん最後の所、もっとすごいことが書いてあるのです。「今、アラビア半島に向けて変化の風が起こったところだ」と書いてあります。 みなさん、これ見てちょっと奇妙だと思いませんか? 戦争はどこでやっていますか? アフガニスタンでしょう。あれはアラビア半島ですか? 違うのです。アラビア半島ではありません。風はアラビア半島に向かって吹いていると書いてあるのです。アラビア半島というのは何がある所ですか? サウジアラビアがある所です。サウジアラビアの中にメッカがあります。つまりイスラムの一番の聖地がある所です。サウジアラビアと言っているのです。 つまりここの最大のポイントは、イスラムの中でいちばん堕落しているのがサウジアラビアなのです。サウジアラビアの王家がいちばん堕落して、アメリカとつるんで石油の利権を売り渡し、自分たちは金をしこたま貯め込んでいるのです。だから今非常に見苦しい姿になっているのです。そこを非難しているのです。 要するに全イスラム言ったときに、ビンラディンは非常に気をつけた表現をしているのです。イスラム教の今いる聖職者、政府のトップまで含めて一緒にやろうという話をしているのではないのです。彼が言っているのは、アメリカにしろ、イスラムにしろ、今のトップにいる連中はけしからん。だからイスラムの下にいる連中で一緒にやろうという話をしているのです。 こういうのを聞けばサウジアラビア政府だって、インドネシア政府だって、中国政府だって、ロシア政府だって、イスラム教徒が国内にいるのですからびびり上がります。いよいよイスラム過激派は横の連帯で攻めに来たということです。そういう話なのです。 しかし彼はこの戦争演説で、どうやったら戦争が終わるかもちゃんと書いているのです。 戦争というのは始まりがあれば必ず終わりもあるのです。この終わりが大事なのです。どうやって終わるかが非常に大事になります。 それが最後のフレーズです。この我々の土地というのは、戦争を呼びかけている人たちが住んでいる場所ということでしょう。「我々の土地、それからパレスチナで平和がくるまで」と言っているのです。 ということは、ここからアメリカが出て行くまでということなのです。つまりアメリカが出て行って、ヨーロッパが出て行って、自分たちで支配し、自分たちの政治、社会ができるまでという意味なのです。 この最後のフレーズは、ここには出していませんが、タリバンの総帥のオマルという人の開戦演説ではもっとはっきり書いてあります。あの人の開戦演説を見ると「アメリカがイスラムの地から出て行くまで」と書いてあります。 だから戦争の終わり方をちゃんと言っているのです。どうやったら矛を収めるか、どうやったら刀を引くという話を彼はちゃんとしているのです。 これはすごい開戦演説だと思いました。極めて短いのです。しかも極めて簡単な英語で、ちょっとブロークンな部分もある英語を使っているのですが、ものすごい開戦演説です。 こんなのを相手に戦ったら、はっきり言って勝てません。 少しでも物事を分かった人なら、こんなのが出てきたら即和睦です。第三者を中に入れるのです。みなさんだったらこの中で誰を第三者に入れますか? 今世界で誰を入れますか? この開戦演説の中で唯一第三国に入っているのが日本なのです。日本しかないのです。 つまり日本が「アメリカも許すし、お前も許す。退け」と。こういう可能性はあります。 スイスという話もしていないのです。ビンラディンは唯一日本と言っているのです。ここは非常にポイントなのです。 ですから今回の戦争というのは非常に大変な戦争なのです。決して他人事ではないのです。恐ろしいことです。 「『文明の衝突』と近代の終焉」 それでは次の(3)を見てください。こういう話になってくると、いつも出てくるのが文明の衝突という話です。そこに書いてあります。 ポスト冷戦の世界では、イデオロギー対立に代わり文明の対立が紛争の主要因になるとする仮説があります。ハンチントンという教授が一九九三年に発表したのです。これはものすごい批判を浴びました。世界の八つの文明があります。そして最終的に西欧型社会と非西欧型社会の激突が起こるだろうと書いてあるのです。 今回も西側諸国はアメリカを盟主として、基本的には集団的自衛権を行使しています。つまりアメリカに対するテロは自分たちに対するテロと同じだとみなし、各国政府が手段的に戦おうとしています。 しかしこれがイスラムに起きたら何が起きると思いますか? 今、アフガニスタンは叩かれています。フィリピンやインドネシアも叩くと言われています。あれは本拠地を移すからなのです。アフガニスタンがどんどん叩かれるでしょう。そうすると彼らは本拠地を移すわけです。その移した先を爆撃するぞと言っているのです。 そうすると、イスラムの世界も集団的自衛権という考え方があるのです。これがジハード(聖戦)なのです。ジハードにもいろいろなジハードがあるのですが、ジハードの中の一つは集団的自衛権なのです。これは暴力団や暴走族が、仲間がやられたらみんなでやり返しに行くのと全く同じ発想なのです。 彼らがこれを発動し、イスラムの聖職者が集団的自衛権を言い出したら、もう地獄です。まさに正真正銘の文明の衝突です。まさに第三次世界大戦です。これは大変なことになります。 この数日間、そんな話になりつつあるのです。サウジアラビアがイギリスのブレア首相の訪問を断って追い返したのです。エジプトにも行ったのですが、アメリカの特使は釘を刺されているのです。要するにイスラム教に対する攻撃ではないかという声が多い。それでアメリカは「これはイスラムの対する攻撃ではない」と必死に言っているのです。パキスタンでも話が出ています。パキスタンではついに同朋を助けに行くという義勇兵が出てきました。 さあ、大変です。実際にはイスラムの側も集団的自衛権ということになってきているのです。そうすると集団的自衛権と集団的自衛権の激突という話になりつつあるのです。これは大変です。 そうしたら日本だって、ここから先分かりません。内堀通りから中にはしばらく入らないほうがいいと思います。 貿易センタービルのテロは、無実の一般市民がと言われますが、私はそうは思いません。 私は軍人がやられたのだと思います。あの貿易センタービルで働いていたのは軍人です。私がアメリカの金融界に勤めていて感じた実感で言えば、彼らにとってみれば鉄砲弾とお金は同じものなのです。同じものの裏と表なのです。金を入れる。そしてその国を支配する。彼らが昔からやっていることです。 イギリスがエジプトに金を貸し、金を返せないという状況に追い込んで保護国にしてしまう。日本だってそうでしょう。金を貸して金を返せない。リップルウッドなんかにとられてしまったでしょう。韓国だってそうでしょう。 金と鉄砲弾というのは同じなのです。金は平和な場所に突っ込めるのです。そして鉄砲弾は紛争が起きている場所に突っ込めるのです。平和か平和でないかによって突っ込む弾が裏か表か違うだけで、あれは同じものなのです。 今時ウォール街のあんな所で働いているということは、もうアメリカの国益の鉄砲弾として働いているようなものです。よくあんなことをやっていると思います。どうしてもっと早く逃げなかったのか、どうしてもっと早くやっていることの意味が分かって辞めなかったのか、その方が不思議だと思います。 今回国防総省と貿易センタービルの両方に突っ込みました。あれはアメリカが世界に伸ばす腕なのです。同じ腕なのです。同じ人なのです。ある時は鉄砲弾、ある時はお金、両方ともアメリカが世界に伸ばす腕なのです。ここをやられたのです。 日本だったらどこをやられると思いますか? この腕ですか? 自衛隊? しかし自衛隊は行きたくないわけです。一般の市民を殺しますか? この開戦演説を見る限り殺せません。そんなことをやったら自分も同じ犯罪者です。やるとしたらここです。腕の部分です。腕を決めた頭の部分です。非常に危険なのです。だから近寄らない方がいいと思います。 私は昔イギリスで爆弾テロに遭ったことがあります。三〇〇メートル前にドーンときたことがあります。爆弾というのはすごいのです。もう血の海になります。 それから昔、わが社に勤めていたアルバイトの人が地下鉄サリンに遭ってしまったことがあるのです。乗っていた電車にサリンを撒かれてしまい、来た時は何ともなかったのですが、帰ってから視野が狭くなり大変なことになってしまったのです。 テロというのは遭ったらおしまいなのです。銃の乱射なら、一発銃声を聞いた時に伏せるとか逃げるとか、まだ余裕があるのです。爆弾や化学兵器というのは瞬間に答えが出てしまうのです。ああいう所は危険ですから、戦争が終わるまで寄らない方がいいのではないかと思うのです。 「武器の売買はマネーロンダリングにならないのか」 資料の(4)です。「Opium Income Still Founds Taliban」と書いてあります。このタリバンはアフガニスタンにいますが、資金源の一つが大麻の栽培、麻薬なのです。麻薬というのは非常に危険なもので、世界中で大体どこでも禁止されています。麻薬を売った資金を動かせばマネーロンダリングなのです。 しかしこのタリバンのところをイギリスに換えたら、このopium は何に変わると思いますか? 「○○ Income Still Founds UK and US」となったら、同じような文脈でopiumの所に何が入ると思いますか? これは武器なのです。 タリバンは依然として麻薬を売って金を儲けている。まだこんなことをやっている。西洋人は決して言いませんが、アメリカやイギリスやヨーロッパは依然として武器を売って儲けているのです。 武器の売買はマネーロンダリングにならないのです。テロリストが武器を買えば、テロリストはマネーロンダリングになるのです。しかし武器商人そのものはマネーロンダリングの対象者には入らないのです。ものすごいダブルスタンダードなのです。 刀狩ではありませんが、武器をなくせば戦はやむのです。そう考えてやる刀狩というのがあります。刀狩をやろうとしないのです。たまにチラッとやることがあるのです。ほんのお気持ちばかり・・・。しかし刀狩はやるのですが、こちらでどんどん刀、武器を売っているのです。だから古い武器を捨てさせて、新しい武器を買わせるわけです。これは完全なダブルスタンダードなのです。 よくこういうふうに記事を書くなと思うのですが、タリバンの側、つまり今のテロリスト、アンダーグラウンドの連中、アウトローの連中はまず一つ麻薬なのです。こういうダーティーな部分があります。そして支配者の人たち、アメリカやヨーロッパですが、彼らの中には武器の売買というのが非常に大きな資金源として入っているのです。この欧米の世界の書いた構図というのはすごいものです。 私はスイスの銀行と付き合いがありますが、あの銀行は女王陛下のお手元金の御用をやっている銀行なのです。いろいろ話を聞くと、彼らのやっていることというのはやはりすごいです。何と言うか、完全なダブルスタンダードです。 「今回の事件の黒幕はイギリスか」 それから(5)を見てください。そこに一つ地図が出ているのですが、これは実は九月十四日のフィナンシャルタイムズの記事なのです。テロ後に出た地図です。これからアメリカが攻撃しそうな場所を書いた地図なのです。これは非常に面白いのです。パキスタンが対象に入っているのです。 すなわちこれはイギリスの新聞が出したものです。あのテロがあったときに、誰がいちばん最初にこれはテロリストの仕業だと言ったかご存知ですか? イギリスなのです。イギリスのどこかの通信社が、そういう情報を未確認の情報として流したのです。 どうしてアメリカが情報を流さなかったかというと、びっくりたまげていたのです。アメリカ政府は、テロが起きた直後はとにかくびっくりたまげて大混乱状態だったのです。 イギリスが最初にさっと流したのです。 私は今回の事件はイギリスが黒幕だと思います。アメリカとヨーロッパ、ユーラシアと二股をかけて、連中が描いた絵だと私は思うのです。 非常に面白いのは、パキスタンをアメリカが叩くとイギリスの新聞に書いてあるのです。そしてパキスタン政府は最後、必死に寝技を使ってアメリカに寝返ったのです。しかしパキスタンの国民は、あまりの急激なことにそこまで頭が追いつかない。だから依然としてタリバンを支持しているのです。これはすごいことです。パキスタンがいちばん危険な場所なのです。 でもこういうのを見ると非常に奇妙です。始めからちゃんとどこを攻めるか絵が描いてあったような感じがするのです。注意深くちゃんとターゲットが選んであって、その中にパキスタンが入っている。だからもしパキスタンがアメリカ側に寝返らなければ、インド洋にイギリスの島があるのですが、ここからまずパキスタンを叩きに行ったのではないでしょうか? パキスタンを確保しないとその先アフガニスタンには行けませんから、まずアフガニスタンへの交通路を確保するために、パキスタンを叩きに行ったのでしょう。そこがあっさりアメリカに寝返ったので、とりあえずパキスタンは兵を進めたわけです。ところが今はパキスタンの中で義勇兵が出る騒ぎになってしまって、怪しくなっているわけです。 これは非常に貴重な地図です。つまりまだ開戦する前に、イギリスはパキスタンを攻めると言っているのです。このあたり、今回のこの戦争がどうなるのか、よく分かるような気がします。 「戦争がグローバル化した経済に及ぼす影響」 さて、戦争の話はそれぐらいにして、何せ戦争経済なので経済は本当に大変です。次の資料(6)です。大体今の時代の経済、戦争で景気が良くなるという時代では全くないのです。朝鮮戦争や冷戦の時代であれば、戦争によって経済が持ち上がる、特需があるという話もあったかもしれません。しかし今や武器は世界中に余っているのです。 それと同時に、平和であるからできるビジネスも非常に多いのです。例えば国際分業という言葉がよく言われます。世界中で分業して一つの会社が仕事をしていきましょうということです。ある部品はオランダで作る。ある部品は中国で作る。ある部品はインドネシアで作る。そして最終的にインドで組み立てる。そしてそれをアメリカとヨーロッパで売るというようなことを世界中の人々はやっているのです。すなわち、安全というものがあるからこれができるのです。 しかし戦争であの国は危ないとか、あるいは飛行機が危ないというようなことになると、こういう分業というのが成り立たなくなります。今こういう時、とにかく昔と同じようにどんどん飛行機に乗って世界中に行けとは言えません。飛行機がいつ落ちるか分からない。テロがあるかもしれない。今日なんか、聞きましたか? 二、三日以内に重大なテロがあるかもしれないなんてアメリカ政府が言っているのです。みなさん社長だったらどうしますか? 今日これからニューヨーク出張があるという人に、「行け」と言えますか? お前の責任だといっても業務命令ですから、悩んでしまいます。 こういうことになると、やろうとしていた仕事がどんどんキャンセルになるし、経済はどんどん落ち込んでいってしまうのです。アメリカでは五日間飛行機が止まりました。五日間飛行機が止まったために、アメリカ国内でも製造ラインが止まってしまった所が結構多かったのです。 アメリカも今や、製造業ではトヨタのカンバン方式をみんな取り入れているので、工場の中に在庫がほとんどないのです。つまり必要な時に必要な部品がさっと届くような配送体制を組んでいるのです。ですからこんな感じでアメリカ全体の飛行機の輸送が五日間も止まってしまうと、部品がなくなってしまうのです。一つでも部品がなくないと、例えばホイールがないと車は出荷できません。ホイールは後から送りますというのでは出荷にならないでしょう。そうするとやはりラインが止まってしまうのです。製造業などでもこういうことが五日間の間に起き、大変なことになってしまったのです。 今や国際分業が進み、非常に効率的な交通に頼った製造業になっていると、戦争の時代に栄えていくということはなかなか難しいものがあります。ですから一刻も早く戦争が終わってもらうしかないのです。 今さら昔の冷戦時代のように戻るわけにはいきません。世界の人たちは世界を知ってしまいましたから、今さら下に戻ることはできません。あの冷戦というのはその前の時代、人々が世界を知らないからできたのです。壁の向こう側、西側の人たちはとにかくみんな失業してしまってひどい生活をしている。社会主義こそこの世の楽園だと言われて信じていたのは向こう側を知らなかったからです。今さらここまで世界中のことをみんな知ってしまったところで、あいつらはおかしいとか言って壁を設けようといったってそれは通用しません。 やはり早く戦争を終わらせる以外、世界に道はないと思います。しかしアメリカ政府はずっとやると言っています。終わりを言わないのです。正義が実現するまでやると言うのです。こんな曖昧な戦争は聞いたことはありません。「正義が実現するまで」なんてどういうことでしょうか? 冷戦だって、悪の帝国はソ連だと言っていたのです。だからソ連が終わった時に終わりになったのです。正義が実現するまでなんて、それは自分の精進という意味です。自分の国が精進していくというような意味ですから、これは終わりがない。こんな戦争を本気でアメリカの政府がやるなんて信じがたい話だと思うのです。 「出口が完全にふさがれた日米経済」 (6)、日経平均株価が出ています。ひどいものです。世界がこんなザマですから、ここまで来ますと何も森さんや小泉さんだけの責任とも言えないのです。日経平均はそんな感じで、一時一万円を割れました。二万円から一万円割れまで一年半です。速いです。一年半で半分です。 それからヨーロッパやアメリカも似たような感じなのです。ヨーロッパやアメリカもこの一年で四割から五割落ちているのです。アジアもそうです。全世界がこの一年ぐらいで株価が大暴落しているのです。さあ、これははっきり言って世界同時株安なのです。一日一日で見れば、多少上がったり下がったりはあるのです。しかし一年ぐらいのスパンで見たら、この一年間で世界中株価が半分になってしまっているのです。 少なくともこの十年、二十年の間に、こんなことはついぞなかったと思います。例えばブラックマンデーというのがありましたが、あれはすぐ戻りました。こうやって一年か一年半かけて、ズルズルと半分ぐらいまで世界同時に下がってしまったというのは初めてです。 これはすごいことです。世界中どこへ投資しても損をするのです。昔は金融の世界はよく分散投資と言って、日本とアメリカとヨーロッパ、三つに置いておけばどこかは大体プラスになると言われていました。不景気な国があっても他の国は景気が良いから、三つのうちどこかに置いておけば大体大損はしないというような投資の原則が一九八〇年代まではあったと思います。ところが一九九〇年代に世界経済が全部横につながってしまってしまったために、景気が良くなるのも一緒、悪くなるのも世界一緒なのです。だから今や株なんかでは逃げ場がないのです。何を買っても下がってしまう。 もちろん個別銘柄で上がる所はあります。しかし数は限られているので、巨額な世界中の金融資産の運用はとてもできないわけです。 世界同時不況です。株が下がっているのでデフレです。いちばん下、底をついたときに何か起きます。ドーンと何か起きて、システムにも何か大きな問題が起きて、そこから先いろいろあるのではないでしょうか。 毎日毎日の動きではなく、この一年か一年半で、世界中株価が半値になっているのです。これはすごいことです。今、同時不況、株安です。今度はいよいよ恐慌です。恐慌の時というのは、決して新聞で「恐慌」とは書きません。週刊誌は書くかもしれませんが、政府は大変だとは言っても、恐慌だとは言いません。しかも大変だとは言っても、「投機筋が拡大しているからだ」と言うのです。「実態経済に合わない」と必ず言うのです。非常に急激に良くない方向に動いたときに、政府は必ずそう言います。必然的だとは絶対に言わないのです。「これは市場が間違っている」、「投機筋のいたずらだ」、「悪い奴がこんなことをやっているのだ」と必ず責任を転嫁させるのがこういう時の政府なのです。ですから、事件が起きている真っ最中というのは、そんなにすごいことだと思わない人が多いのです。しばらくたってみて、後から「あれは実は・・・」という話になるわけです。 ですから世界恐慌、世界恐慌と言葉が一人歩きしていますが、「新聞でもテレビでも政府も言わないじゃないか。だから恐慌ではない」と言う人がいます。しかしそんなことはないのです。恐慌という言葉は全部一件落着してから、歴史家や経済学者が「あれは恐慌だった」と言うのです。 ちょうど地震の名前が地震の後につくのと全く同じなのです。地震の最中はそれどころではありません。名前なんて言っている場合ではないのです。そういうものなのです。これはただ事ではありません。 それから(7)です。「Fed supports banks’ moves on liquidity」と書いてあります。これはさっき申し上げたところです。FRB が流動性を供給しています。流動性というのは決済に必要な現金という意味です。決済に必要な資金をどんどん供給していますということです。 すなわち決済ができない所が多いのです。銀行自身がそうかもしれない、あるいは銀行が付き合っている巨大な会社、銀行が取引している先が、普通の会社が資金繰りに困っているかもしれない。 ですからそういう所に、銀行を通じてFRB がどんどん金を流してやっているのです。資金決済が滞らないように、どんどん金を流しているのです。今アメリカはそれを一生懸命やっているところです。 ですから今回のテロは、言ってみればテロリストの思いどおりになったのです。大変なゴタゴタになってしまったのです。そしてまだ最後の決着はついていないのです。ですから今みんな仮受け、仮払いで処理しているはずなのです。これを借入金に入れてしまったり、償却ということになると、決算書にすごいダメージが出てくるわけです。それをまだ株式市場は十分に織り込んでいないのです。そこがいちばん怖いところです。 それからその下(8)です。今、エコノミストたちは世界同時不況、世界同時景気後退は避けられないものだと見始めているということです。 これに関してはみなさんあまりご異論はないと思うのですが、とにかく本当にどこまでいくか分からない。今全体が不況です。 しかしいちばん最初に申し上げたように、不況だからといってみんな悪いわけではないのです。今年増収、増益の会社は、今お手を挙げていただいたようにありますから・・・。ここがポイントなのです。さっきお手を挙げていただいただけで五人ぐらいいらっしゃいました。この中で五社は今年増収、増益なのです。ですからもう既にこういうリセッションから抜けられる何かが終わっている会社です。パスポートにハンコをついている会社がちゃんとあるのです。そういうふうに物事を考えないとまずいです。 「デフレからインフレに」 さあ、そして次のページ、(9)です。ついに日銀総裁がハイパーインフレを言い出しました。画期的な発言だったと思います。「大量な流動性供給、いずれ何かを景気にインフレ起こりうる」と言っています。 「速水日銀総裁は、これだけ大量の流動性供給をしていると、いずれ何かを契機にして、インフレに火が点くことも起こりうる、と述べた。」参議院で質問に答えたもの。「物価下落について、『物価は世の中にある財・サービスと流動性の交換比率で決まる。流動性を増やし続ければ、必ず流動性過多になりインフレになる時期が来ることは間違いない。』」流動性というのはお金のことです。いいですか? もう一度読みます。流動性をお金に言い換えると、「お金を増やし続ければ、必ずお金が多くなり過ぎてインフレになる時期が来ることは間違いない。」日銀総裁はこう断言しております。 「だが、いつ来るかはこの時点でみることは難しい。」これは本当にそのとおりなのです。いつ来るかは分からないのです。すなわちガスが充満すれば、このガスはやはり燃えるのです。インフレは来るのです。いつ火が点くかは何とも分からないのです。 なぜ何とも分からないかというと、火が点く要因のほとんどは経済外的要因なのです。普段の経済指標の連続的な変化ではないことが多いのです。 例えば今回アメリカでは、テロの後一時的にガソリンの値段が三倍から四倍に上がったのです。ガソリンはちゃんとあったのです。飛行機は止まったけれど、タンカーはちゃんと動いていたのです。国内のタンクローリーの輸送もちゃんとあったのです。ところがガソリンの値段が跳ね上がったのです。 要するにパニックなのです。パニックがいちばん怖いのです。パニックとか政治の要因とか軍事の要因とか、何かそんなものがひどいインフレに火を点ける、あるいは金融の大破綻、日本で言ったら昭和時代の敗戦とか、ああいうことがきっかけになることが多いのです。 ですからいつインフレになるのか、いつ着火するのか、いつ点火するのかというのはなかなか分からないのです。統計指標だけ見ていてもなかなか分からない。随分充満してきた、ガスの濃度が濃くなってきたということまでは分かるのです。 「そのうえで、速水総裁は、『私の戦中、戦後の経験からみても、これだけの大量の流動性供給を続けていると、いずれ何かを契機にしインフレに火が点いて、スピード早く燃え広がることも起こりうる』とし、『このような懸念も十分頭においておくのが、中央銀行の責任である』と語った。」 だったら早く金を出すのを減らせよ、と思うのですが・・・。分かっていたら早く金を回収してインフレを止めろ、と思うのですが、今そういうことはできないのです。もっと金を出せ、もっと金を出せと、昔の陸軍みたいな感じに、政治も官僚も全部一体になって言っています。どんどん金を出し、どんどん金が充満し、速水さんとしては切羽詰って、「だから大変だと言ったでしょう」と後から言うつもりなのでしょう。そういうことをここでひとつ述べているのでしょう。そんな感じです。 今度くるインフレは、ここまでマネーが出てしまって、しかも金融の破綻や政治の瓦解ということを睨んでいるので、インフレもただのインフレではないのです。いわゆるハイパーインフレです。何パーセントになるかはまだ分かりません。昭和二十年から二十五年までが約一万パーセントなのです。百倍です。それから一九七三年、第一次石油危機の直後が卸売物価で一年間で約三〇パーセント。それから第一次大戦後のロシアが一兆二千億倍。ですから百兆パーセントです。いろいろなケースがあるので何とも分からないのですが、とにかくインフレですから物の値段が上がるわけです。これに追いついていくという のは生易しいことではないのです。 もう一つインフレの時に気を付けなければならないのは、インフレになったら良い物はないのです。これはよく覚えておかなければなりません。インフレになったら良い物は売ってくれなくなります。物がなくなってしまうのです。 前から申し上げているように、激しいインフレが来ると、良い友達と良いネットワークを持っておかないと食うにも事欠いてしまいます。 一九九三年か一九九四年に米不足がありました。あの時はスーパーなどで米の袋が全部消えてしまいました。しかし米はちゃんと米屋にあったのです。普段から付き合いのある所だけにはちゃんと米を売っていたのです。だから普段付き合いのない人は米を買えなかったのです。米がなくてもパンがありますから飢え死にすることはないのですが、米は買えなかったのです。 激しいインフレになればなるほど、生活必需品から最初に物は消えると思います。ですから今いちばん大事なことはやはりネットワークなのです。ネットワークというのは別にネットワーク活動という意味ではなくて、いろいろな人を知っているということなのです。友達です。とにかく友達を増やしておかないと、このハイパーインフレは容易には超えられないと思います。 友達というときに、気の合った人、それから本当の狭い意味での友達なら、みなさんいらっしゃると思います。しかし年配の方がいちばん大変なのです。年配の方で一人暮らし、自分の財産だけで暮らしているというのがいちばん大変です。現金だけ持っていて、お年寄りが一人が暮らしているというのは大変です。なかなか物が買えません。若い人が走り回るので、お年寄りなんか吹き飛ばされてしまいます。それは本当に大変です。だからお年寄りこそ本当に良いネットワークと友達を持っていないと、このインフレの時代は大変です。 この友達も、実は狭い意味での友達から、今まであまり会ったこともないのだけれど、やっていることも違う、違う場所に住んでいるのだけれど、友達になろうというやり方が、簡単に言えばチームワークとリーダーシップなのです。会社というのも、簡単に言えば理論に従って動いているうちはまだ入り口なのです。本当にあの理論が効いてきて、全く考え方の違った者同士が一つの目的に向かって本当に一致結束してくると、友達みたいになっていくのです。ですから簡単に言えば、ああいうリーダーシップやチームワークというのは人工的に友達を作る型の第一歩なのです。 このネットワークをとにかく作っておくことが、ハイパーインフレをくぐり抜ける最大のポイントだと思います。 ネットワークというのは必ずしも打算だけでもないのです。つまり役割分担のきちんと決められたものというわけでもなく、やはり何か引き合うものがあるのです。価値観みたいなものが大体共通してくると思うのです。おそらく同じ価値観を持っている人同士の中で役割分担をしていくという姿になるのだろうと思うのです。価値観そっちのけで能力によって役割分担ができるのは、おそらく友達というものではないと思います。これはなかなか難しいと思います。最高の能力を持った人を集めてきて、ネットワークだというのは一応形、あるいは会社は整いますが、非常にもろいと思います。 やはり価値観が合った人同士で集まって役割分担をするというのが最後まで強いのではないかと思うのです。ですからさっきパスポートにハンコをつくという話をしました。パスポートにハンコをつかれた人同士が友達になりながら、あるいはまだパスポートにハンコをついていない人を入れながら、みんなでネットワーク、友達を作っていく。これは潜り抜けることができます。そんな感じがします。 ハイパーインフレになったら、物も情報も人脈からしか流れません。株式投資もそうだと思うのです。私もソロモンにいて、公開マーケットの様子はあまり 美しいものに思えないのです。これから良い会社であればあるほど、その会社の株式というのは公開のマーケット、上場市場には流れないと思います。関係者の中だけにしか流れない。全部相対できます。だから良い会社に投資しようと思ったら、公開市場なんて見ていても一つもないと思います。 やはり株主はリスクを負う義務があるのです。だから会社がおかしくなったら助ける義務を負うのです。そういう助ける義務を負うということをちゃんと得心している人以外からは、良い会社はおそらく金を借りないでしょう。集めないでしょう。金の金額さえ集めれば速くできますが、速くやるということさえ諦めれば、そういう難しい金を集めなくて済むのです。ゆっくりやっていく分には金はあまり要らないのです。 ですからゆっくりやりながら、本当にリスクを負ってくれる人を気長に探していて、それで会社を少しずつ大きくしていくというのがおそらく成功のやり方だと思うのです。ですからそういう会社でないと、これからなかなか伸びないと思うのです。 だから成功している会社に投資をするというのは、何が良いかを探すといってもなかなか難しいと思うのです。東証一部千何百社あって、世界に何百社、何千社と上場会社があります。ハイパーインフレの時代というのは、あれを見ていても、成功している会社というのはすぐ失敗してしまって浮き沈みが激しいと思うのです。良いという話があると、他に良いものがないからみんな一斉に来てしまうのです。だから突如株価が十倍になる。しかし過剰期待ですぐ下がる。ハイパーインフレの時には、ITバブルの比ではない、ものすごいことが個別株ベースで起こるのではないかと思うのです。 こういうのが本当に好きな人がいて、金を持ってやって来る。だから百花繚乱の状態になります。だから良い会社を見つけるとか、良い会社に投資するというのはなおさら難しくなるのと思うのです。 最終的には、そういう意味でも、非常に友達が重視される時だろうと思います。みなさん、ここを外さないようにこれから仕事をなさることが大切だと思います。 「『あり得ないこと』を想像する」 (11)です。これはアメリカですが、アメリカでも失業の新規申請が九年ぶりの高さになったということです。 日本でもやはり失業の問題が出てきます。国があまり失業に対して積極的救援をしないので、地方自治体が痺れを切らし、地方自治体独自の失業対策をやるという記事が新聞に出ていました。 日本国憲法には基本的人権ということがちゃんと書いてあります。何人も健康で文化的な生活を営める権利を持っているのです。どうしてみんなあれをよく読まないのでしょうか? 今朝もJR 常磐線で飛び込み事故がありました。八時半に事故が起き、十一時過ぎまで電車が止まっていたのです。どうしてあんなことになっているのかよく知りませんが、東京におりますととにかく人身事故の多いこと、多いこと・・・。どうしてお金を借りているのに死ななければならないのでしょうか? 本当にみなさん憲法をよく読めばいいのです。多重債務者で借金を返せない人にも、ちゃんと健康で文化的な生活を営む権利があるのです。死ぬ必要なんか全くないのです。あんなに憲法にはっきり書いてあるのに、なぜそれが分からないのか。本当に不思議です。 そういう場合は、実は金を貸した方が悪いのです。金を貸す方に全て責任はあるのです。そういう人に金を貸してはいけないのです。金を貸すからそういう境遇に陥るのです。すなわち人に金を貸すというのは簡単にできることではないのです。めったやたらに金を貸してはいけないのです。それが最後の答えなのです。めったやたらに金を貸してはいけないのです。 万が一、金を返せなくても死ぬ必要はないのです。返せないと手を挙げればいいのです。そこで法律によってそういう請求はできなくなります。死ぬ必要はないのです。 失業もそうです。どの会社からも就職を断られる。でも死ぬ必要なんか全くないのです。誰か助けにいかなくてはならないのです。これは簡単に言えば日本人の義務なのです。それは憲法に書いてあるのです。 そういういちばん基本的なところをみんな忘れていて、イギリス法の悪いところをみなさんよく真似しています。イギリスのお金の文化のいちばん悪いところです。お金と命、鉄砲弾とお金は同じものなのだという、イギリスの悪い文化をみんなよく覚えています。 そんなことはないのです。この国はそんなことにはなっていません。ですから人が死ぬことだけは早く止めてほしいなと思うのです。だから金を貸す方が悪いのです。その原則をどうしてみんな気がつかないのかと思います。 失業の問題、借金を返さない。答えは一つなのです。どんなに採算が悪くても、健康で文化的な生活水準をやる必要があるのです。この金は社会で何とか調達する必要があるのです。 そこさえ押さえておけば、あとは時間をかければ何とかなるのです。時代もまた上向いてきます。ハイパーインフレでも何でも進んでくれば何かチャンスは生まれてきます。だからそこだけ、これ以上は下に落ちないようなものだけ作っておけばいいのです。そういうものだと思うのです。 そこからどうやって浮かび上がるかは自助努力というか、自分で勉強したり、自分でチャンスをつかむとか、自分で努力をすればいいのです。少なくとも死んでしまうことぐらい止めないと、到底文化的な国とは言えません。 よくイスラム教の人たちは大変だと。若い人、子供、赤ちゃんが死んでかわいそうだと言います。日本なんかもっとかわいそうです。いい大人が家族を残して死んでしまうのですから・・・。自分で死んでしまうのですからすごいものがあります。何か事情があると言っても、ただ金の事情なのです。金が払えないから死んでしまうわけです。どちらが悲惨かと私は思います。 それは本当に単なる誤解なのです。見栄を捨てて、ちゃんと憲法に従ってやっていけばこんなことにはならないのです。非常に不思議なことが起きています。 (10)です。小泉さんもここまで来ると、「国債の発行はフレキシブルにやる」とついに言い出しました。国債の発行については、大胆かつ柔軟にやると言いました。しかしこの言葉、昔ワールドレポートにも書いたと思います。小泉さんは今初めて、国債の発行について大胆かつ柔軟にやるといったのですが、実は五月にこの人はある所でこういうことを言っているのです。そうです。同じ言葉を五月に、ブッシュ大統領に向かって言っているのです。そのことがちゃんと日本の新聞にも報道されているのです。愚かな話です。アメリカから、そんなことをやって経済がもつのかと言われて、「いや、大胆かつ柔軟にやります」と答えているのです。そしてそのとおりになっているのです。二枚舌と言いますか、どういうことなのかと思います。 それはともかく、「柔軟に」というのは、もっともっと金を出すということです。特に日本の銀行などはこのままでは格好がつきませんから、どんどん整理、統合させて公的資金を入れるしかないのです。もう国有銀行にするしかないのです。他に道はありません。国有銀行にして百の銀行を一つにする。地域に六つも七つもあったのを全部潰して一つにする。全部解雇してしまい、あとは基本的人権で守るだけにして、とにかく銀行のシステムそのもの、人も完全に減らす。そして潰れない銀行にして、資金決済が何億円でも何百億円でも安全にできる環境を作る。そこまでやらない限り、この国はどうにもなりません。 そのためには何十兆円の金が要るのです。百兆円以上の金が要ります。同じことを生保にもやらなければいけません。生保だって破綻ということになればカットになります。しかし突っ込まなければならない金がまだ要るのです。 ですから生保も銀行も、いくらか知りませんが金を突っ込んで、整理を全部やって、とにかくここなら絶対に潰れない、何百億円の資金決済でも安全にできる、あるいは自動車事故が起きたときにも保険金が必ず払えるという所をちゃんと作る。そこまで国はやらないとどうにもなりません。 それにものすごい大金をドンと出して、これで終わりです。そこまで来たら、一応金融の整理は全部完結します。おそらく半年ぐらいの間にそれをやらないと間に合いません。 来年四月からペイオフです。もうペイオフ待ったなんてできません。テレビを見てください。ペイオフが始まったらどうなるということをついにワイドショーが始めたでしょう。ワイドショーが始めたら、奥さんが分かるのです。 最近ワールドレポートの読者の中に主婦の方が多いのです。あの本をお読みになった方も主婦の方が多いのではないかと思うのです。主婦がこういう話をし出したらもう止められません。いつもそうです。主婦が動いたら我が国の経済は動くのです。ペイオフは止まりません。 ということはペイオフを前提にもう泳ぎ切るしかないのです。私はやった方がいいと思うのです。今朝のラジオでもちょっと言ったのです。銀行の頭取を一人ずつ呼ぶのです。そして「四月以降、取り付けを起こさないで経営する自信がありますか?」とはっきりと目を見据えて聞くのです。自信があると言ったら、どうぞとやってもらうのです。自信がないと言ったら、俺に任せろと全部合併統合です。 みなさんも企業を経営されているからお分かりだと思います。社長自身が自信がなかったら、だめだと思ったら会社はだめです。銀行だって全く同じなのです。来年四月からすさまじい自由化が始まるのです。社長自身が大丈夫だと思わない限り、絶対に乗り切れません。周りで監査役とか税理士、弁護士が大丈夫だ、大丈夫だといくら言っていたって、社長が「これはだめかもな」と思っていたのでは会社はだめです。 そのいちばん肝心なところが分かっていない。金融庁も特別検査をするとか言って、国会でも良いとか悪いとか、格付機関がいろいろな話をする。社長自身はどうなんだ? こんな話は一つも出てこない。社長がだめだと思ったらだめです。合併でも国有化でも何でもするしかない。一人ひとり頭取を呼んで、単調直入に聞けばいいのです。「お前、自身があるのか?」と。自信があると言ったら、次は助けてやればいいのです。我々ができることをやってあげたらいい。 こういう時に自信があるのですから、あっぱれなものです。このすさまじい、泥の海みたいになった金融の状況で、来年の四月から自由化をやっていく自信があるというのだから、これはあっぱれなものです。これはいくらだって助けてやったらいいと思います。それだったら国民も納得するでしょう。しかし嘘をついている自信はだめです。 そういうところ、いちばん肝心要のポイントが政治家も分からないのです。しかしもう半年。もうもたない。半年の間に何とかしないともうもちません。 そして国債がどんどん出る。金融の整理がつけば、国債の大量はできなくなる。そうすると来年の予算は急激な収縮をせざるを得ません。国債の発行が予定どおりできなくて、場合によっては来年度の予算執行にも支障が出るかもしれません。そうすると国債の金利が急騰してしまうのです。国債の売れ残りが出てしまうのです。入札でやってもみんな応札しないのです。すると困るので金利を上げてしまうのです。金利を上げて有利だから買ってくださいという話をするようになります。そうすれば多少みんな買うわけです。しかしそれをやっていくとどんどん金利が上がって、ますます不景気になってしまうのです。財政の中で、毎年払う利払い費がどんどん上がってしまうわけです。そして財政はいよいよ格好がつかなくなります。 これは国と同時に地方もきます。ですから銀行の整理の次は国の整理です。国の整理が行われれば、国に依存している企業の整理になります。ここでそこまで見込んで自分独自の道を開いていくしかないのです。自分の力で何ができるだろうか。自分一人では無理かも知れないけれど、いろいろ仲間を募って、今言った真っ先に倒れそうな所、銀行、役所、あるいは役所に連なっている直属の会社、この三つが崩壊したときに巻き添えを食わないようなポジションに自分たちの仲間と一緒に早く移動することです。そこでとにかくこれ以上悪くはならないという最適な体制をしっかりと固めることです。 とにかくもうそういう所であれば、三年ぐらいサバイバルに徹するしかありません。サバイバルに徹し、ひっくり返る時に巻き添えを食わないように、死なないように最低限のサバイバルを固めて、その中でチャンスを探すというところでしょう。そんな感じだと思います。 こういうことは世の中にそう何度もないのです。今日の資料の中にはないのですが、最近フィナンシャルタイムズを見ていたら面白いことが出ていました。ハーバード大学で最近の若い人たちが生まれて初めて遭遇する危機だと。危機を知らないやわな世代と言われた人たちが、生まれて初めて危機に遭遇して、俺たちも何かしなければいけないと思っているという記事が出ていました。 そうなのです。過去五十年ぐらい日本は何もありませんでした。いよいよ本格的な危機なのです。こういう時に何をするかで未来が決まるわけです。 <新しい時代のリーダーシップ> 「未来を創るリーダーシップ」 次の(12)です。「未来を創るリーダーシップ」と見出しが出ています。 「一番理想的な形を考えるならば、リーダーシップとは現代の組織を成功させ、効率的に運営するための燃料を与える何かである…」 「最も効率的なリーダーとは、人の持つ才能や潜在能力に手を触れ、みんなで一つの目標を追いかけているのだと思える企業文化を作り出す人である… 」 さあ、これを全部反対語で言ってみましょう。これだけ言うときれいごとに聞こえてしまいますから、この反対を考えてみましょう。そうするとどういうのがいけないのかということがよく分かります。 最も効果的ではないリーダーとは、つまりいてもいなくても同じリーダー、あるいはいるとかえって物事を悪くするリーダーとは、人の持っている才能や潜在能力に手を触れることなく、目の前の能力、表に出ている能力だけを見て、あるいは能力を全く見ないで、みんなバラバラの目標を追いかけさせる、そういう企業を創っている人です。そして文化にほとんど気を使ってない人です。 ちょっと雑な表現になりましたが、これがその反対語です。この全部反対を言ってみれば、才能や潜在能力ではなく、まず才能を見ない。今、目の前に見える、その人のやっていること、技術だけを見ている。そしてみんな別々の目標を追いかけさせてしまう。一つに目標を合わせることをしない。それから企業文化を創らない。これがいてもいなくても同じリーダー、あるいはいるとかえっておかしくなるリーダーです。 あえて反対語を言えばこういう形になります。するとどういうふうにすればいいかというのが大体分かってきます。 「彼らは一生懸命に『達成文化』を創っていく。」すなわち何かを達成しようというものに向けてみんなを頑張らせる、引っ張っていくということです。 今日はあまり詳しくやりませんが、達成文化というのは目の前の数字を達成するというような簡単なものではないのです。例えば世の中に平和をもたらすとか、ブッシュ大統領が言っているような、正義が実現するまでやろうというのも、ある意味で言ったらこの達成文化なのです。今すぐ手を出しても届かないもの、そこに向かって行こうというのです。 なぜ手を出して成功できるものに対するものは達成文化と言わないか、分かりますか? 手を出してつかめるものだったらみんながすぐにつかんでしまえるので、別に潜在能力も何も要らないのです。パッと手を出せばつかめるのです。チームワークにならないのです。 自分で手を出せるものをみんな手でつかむだけなのです。会社はバラバラのままなのです。みんなそれぞれ手を伸ばせば届くところに数字の目標を与えます。みんなその目標を達成するだけなのです。だから会社はバラバラなのです。数字の目標を作った人は一つにするつもりで作っているのです。全部整合的に作るのです。しかし手を伸ばす目標は今の自分の能力だけでやるわけですから、あとは他に何も必要ないので、社員そのものは実はみんなバラバラなのです。 だから達成文化の「達成」というのは、目の前ですぐ手を出せば届く目標ではないのです。みんなで何とかしないと分からない目標なのです。 例えばヒューレット・パッカードの話があります。ヒューレット・パッカードという会社は一九七〇年代の末にヒューレットさんとパッカードさんという創業者一族が退いて、外部からはじめて経営者が来たのです。その時に、これから十年ヒューレット・パッカードを率いていくための目標が必要になったのです。新しい達成すべき目標がないと会社がバラバラだと。当時ヒューレット・パッカードはあまり業績が良くなかったのです。要するに低迷していたのです。みんなの目標がないとみんなが一致結束して働かない、会社がバラバラになる、業績も伸びない。 そして新しいミスターヤングという経営者が、お客さんや従業員に聞きまわってある一つの目標を考えたのです。それは、客先に据え付けた後の機械の補修費用を十年で十分の一にしようというものでした。 この目標の決め方そのものはいろいろありますが、いちばん面白いと思うのは、社長さんが十年で十分に一に補修費用を下げようと目標を作ったのはいいのです。その時にみんなが言ったのです。「それはすごい。それではどうやってやるの?」そうしたらミスターヤングは言ったのです。「俺は知らない。それは我が社の優秀な社員が考えることなのだ。」 この言葉にこそ、達成文化の本当の姿が入っています。 つまり社長自身は手が伸ばせるところ、やればできるというところがあって、これをやるためにどういうふうにやらせるかと言ったら、これは潜在能力でも何でもないのです。 いちばん肝心要の社長自身の潜在能力が発揮されていないのです。社長自身は自分の目標管理をするだけなのです。部下はそれに向かってやっていくでしょう。しかし社長さん自身は、今ある所から先がないのです。 本当にすごいリーダーというのは、やはりリーダーの背中が人を引っ張っていくわけです。リーダー自身が頑張っている姿を見て、俺もやらなくちゃと思うわけです。しかし社長自身が手に入れられる目標を設定すると、社長にはそういう姿はないのです。どこまでできたかと上から見ているわけです。 ミスターヤングのすごいところは、「俺も分からない。だから俺もみんなと一緒にやらなければここに行けないんだ」という話を、ヒューレット・パッカードみたいな大きな会社で堂々とできたところです。これはすごいと思います。それが達成文化というものなのです。 みんなで潜在能力を出してぎりぎりまでやってみないと、それから場合によっては必要な才能はよそから持って来ないと、育てないと達成でない。こういうものを考えてやるということが本当の達成文化なのです。だから求心力というのができるのです。 「そこではメンバーは物事を上手にこなし、挑戦的な目標を達成することに焦点をあて、組織が持つ義務を達成するために、適切なリスクを進んで取ろうとする。」 「同時に最も効果的なリーダーは、人としての成長、プロフェッショナルとしての成長、個人としての向上、組織としての向上、さらには常に学び続けることを強調することによって、組織の未来を創る人である。」 「リーダーシップは常に成功しつづけるために欠くことができない要素である」 右側にいきます。「リーダーシップは常に成功しつづけるために欠くことができない要素 である」 「リーダーシップとは、人々に心の底からわき出してくるような目的意識を与え、その目的を達成するために個人の持つ能力を自ら進んで提供しようと思わせ、またみんなで共同して仕事をしようという努力を自ら進んで行おうと思わせるようなエネルギーを、人々に与える過程のことである」 この中で私がいちばん大事だと思うことは、自分がいないとこの組織も世の中も成功しないのだということを、みんなにちゃんと納得させるというところだと思います。これがこの話の中で一番の要諦だと思います。 つまり俺がいなくてもこれはうまくいくとみんなが思っている限り、決して人は自ら進んで努力しようとしないと思うのです。お分かりになりますか? 別に俺でなくても、誰か他の人がやれば成功するのだろうと思っている限り、その人は自分から進んで何か挑戦的なことをやろう、自分の潜在能力をここで発揮させようと努力することはないと思うのです。 いちばんすごいリーダーというのは、社員全員にそれを思わせることができるリーダーだと思うのです。どんな人にでも、「俺がいなくては成功しないのだ。成功するということはすごいことなのだ。俺が何かするとすごい成功ができるのだ」ということを社員全員に思わせることができる。これが理想的な最高のリーダーでしょう。 それはある意味で言うと、誤解を恐れずに言えば、これが本当の愛というものだと思うのです。つまり要らないという話がないのです。全員が要るのです。これを設計図を描いて要ると言っているのではなくて、本人が心の底から思う。そう思わせることができる。押し付けではなく、心の底から思わせるような環境と状況をつくってやる。これがいわゆる愛というものだと思うのです。これをリーダーが創っていくというところが一番のポイントだと思うのです。 お分かりいただけますでしょうか? これを全員が感じると、放っておいたってその人は頑張ります。つまり自分のためというよりも、何かもっとすごいもののためにある。そして自分がいないとだめなのだとみんな思うわけなのです。自分があるから組織があるのだ、みんな成功できているのだということを、良い意味でみんながそう思える。そうなってきたら、こんなに強いものはありません。百人力になります。 それはある意味で言うと愛情なのです。どうやったら活かすことができるのか。それをよく考えて戦略的に配置する。そしてその配置するときに、今の持っている能力で配置してはだめなのです。 つまりちょうど植物の種を蒔くときと同じで、根が出て大きくなると思えば、大きくなるときに備えて置いておくわけです。それからいくつも作物が欲しかったら、一つの作物だけ全部蒔いてはだめで、いろいろな作物の種を蒔かなければならないのです。種を蒔いておけば今はただ一面の畑だけですが、時間が経てばそれが伸びてくるわけです。伸びてきたときの様子を考えて種を植えるわけです。伸びてくればくるほど、「俺も必要だったのだ。なるほど」と思わせるようなものを創るわけです。これはすごいです。 ですからこのいちばんすごいリーダーの理想形を言うならば、それを全ての社員に感じさせることができるリーダーだというわけです。ここまでくるとほとんど神様の世界ではないかというような話だろうと思うのです。 「リーダーシップは組織の上から下までどの部署においても感じることができる。リーダーシップがあることによって仕事に一定の速度とエネルギーが生まれ、人々に働く能力と元気が与えられる。」 ちょっとここで描きますと、今まで昭和の時代というのは会社で働いている人、世の中の人が一つの方向性、一つの価値観をみんな持っていたと思うのです。こういう日本になりたい、貧しいところから豊かになっていきたい、あるいは日本はもっと成長していくべきだというような、一つの方向性、価値観を大体みなさん持っていたと思うのです。あるいはこういう一つの価値観があるから、必ずその正反対があったのです。 実はこれは同じエネルギーなのです。向こうに向かうというエネルギーがあるから、これを止めようというエネルギーが出てくるわけで、これは作用と反作用です。右翼と左翼は同じエネルギーなのです。あるいは成長重視と反成長というのは全く同じエネルギーなのです。成長しようという力があるから、全部そこからきているのです。ですから、人に対して何か同じ力が働いていたのです。 それから昔の社会主義国に行きますと、みんな同じように言っていました。やがて形だけになりますが、社会主義をやっていけば成功するのだと素朴に信じていた時代がありました。まだ一九八〇年代の早い頃です。しかしやがてみんなそれを疑い出すのですが・・・。 こういうのを見ていると、この時代はある意味で言うとエネルギーの風が吹いていたのです。もともと人というのは別々のことを考えているのですが、風が吹いていると一人ひとり多少バラバラな人がいても、大体において同じ方向を向くのです。多少ずれるぐらいで大体同じ方向を向くのです。 しかし平成に入ってこの風は止まったのです。社会全体に吹いてくる風がパタッと止まったのです。ですから社会は非常に自然な状態に戻ったのです。ですから今日本で成功している会社というのは、こういう状況の中でこういう人たちを一つに集めることに成功している会社なのです。みんなバラバラになっていく中で、それでも一つに集めることに成功する会社、これが今、そしてこれから成功していく会社なわけです。 これがリーダーシップ理論のポイントなのです。みんなをただ集めるだけではだめなのです。集めて考え方を一つに動かせるのです。このいろいろなテクニック、やり方、心の持ち方というのがリーダーシップ理論なのです。 しかし、これがさっき言った十二年の停滞が終わったら次にどうなるかというと、今度ここにまた風が吹き出すということなのです。今度こういうふうにしよう、ああいうふうにしようという風が吹き出すのです。まだ凪なのです。しかしこの風は新しく成功した会社が作るのです。社会が壊れる時に、こうやれば成功するという風が吹いてくるのです。 そうするとみんな何となくそっちの方向に向いてくるのです。そうしたら新しいこういうリーダーシップを作るのはもっともっと簡単になってきます。 初めから結構揃っているわけですから、風が吹いてきて大体同じ方向を向いているので、今度集めるのは昔ほど苦労しなくてもどんどん集まるようになってきます。勢いが増してきます。これが成功すればもっと強い風が吹きます。そうすると疾風のごとく風が吹いて、みんな同じ方向に向かってダーッといきます。大体インフレの後半になってくると、ワーッと一生懸命走るのです。 だから今がいちばん大変なのです。風が吹いていないところで何とかみんなで前に進もうとしますから、今がいちばんもがきどころなのです。でもここの部分が本当の実力の部分なのです。追い風が吹いていくのは、後になればなるほど簡単なのです。だからあまり難しいことを考えなくても前に前に進んでしまうのです。今がいちばん難しいのです。社会全体に吹く風がないのです。こうやればいい、こうやれば成功するのだ、こうあるべきだという風は今ないのです。みんなただバラバラになっているだけだから、ここで合わせるのがこの世界の一番のプロです。 だからここが本当の努力のし場所だと思うのです。これは大変なはずです。風が吹いていない所にヨットを走らそうというわけですから、風が吹いていないのに風鈴を鳴らしてみようというわけですから、これはなかなか大変です。 ですからここで、「リーダーシップは組織の上から下までどの部署においても感じることができる」というのは、結果的にみんなが同じ方向を向いているのだ、自分も合わせているのだということがみんなお互いに顔を見合わせながら分かるわけです。こういうことです。つまり誰か一人、俺は知らない、くっついているのだというのではなく、みんなでリーダーシップが分かるということは、みんなで同じ方向を向いているのだとお互いに横を見ながら分かるということです。そういうふうにならなければだめなのです。 つまりこのリーダーシップの力というのは、今何ができるかではなく、それも必要なのですが、未来が見えるということなのです。未来の何か達成できるものを見て、同じ達成できるものに向かっている。それがお互いに横を見てわかる。どの部署でも分かる。このようになっていなければだめなのです。ある一部分だけ、企画部だけそれを持っていたって、周りは動かない。 「リーダーは非常に広範囲にわたって分散した役割と責任に焦点をあて、調整し、統合する。そして相乗効果を創りだし、みんなで責任を共有しているのだという思いを作り出す…」 「…そしてリーダーシップがあることによって組織の誰もが、自分も組織の成功に貢献できたのだ、自分がいたからその分組織の成功の度合いが高まったのだ、と思えるようになるべきなのである。」 これがさっき申し上げたことです。一人として無駄な人はいない。一つとして無駄な命はない。ですから何か役割があるのだ。すごいものの役割のために自分はいるのだとみんなを思わせたら、こんなすごい会社はありません。ですからそれが一番の理想のリーダーということになります。 「その結果、そういう組織では組織横断的な統合が行われ、組織に独創力が生まれ、また組織のあらゆるレベルで変化を考え出し、それを管理していくことができるようになる。」 「人が違いを作る」 次の(14)にいきます。「人が違いを作る」です。実際にはそういう会社をどうやったら創ることができるかといったときに、真っ先に出てくるのがこの「教育型リーダーシップ」というものです。これは実はアドバンスコースで使った資料です。 教育型というのは、まさに潜在能力を開花させるための努力をいつもやっているということなのです。今できることで、今できる能力で、今持っている資源をどう配置すればいちばんうまくいくかという考え方がこれと正反対の考え方なのです。教育型というのは、今あるのではなく、潜在能力、育っていった場合にどんな枝ぶりになるのかを考えて配置して育てていくというのが教育型のリーダーシップです。 つまりそれは何のことはない、本人に成長のチャンスを与えて、そして成長すればするほど、なるほど、自分もその一人だ、みんなと同じ方向を向いていると思わせるということなのです。 これをやるとやる気があって責任感を持てる従業員が出てきます。そうすると、その結果としてロイヤリティーが高くて満足した顧客がもたらされます。そうすると持続的で利益の出る成長ができるのです。 つまりお客さんのロイヤリティーを上げるためには、やはり従業員自身がやる気がなければだめなのです。責任感がなければだめです。よくこれを、こんなことをしてはいけない、あんなことはしていけないと「べからず集」で教えるのです。これは今の能力、今の状況にフォーカスしているということなのです。 それはやれば確かに形どおりできるのですが、形どおりまでなのです。もっと良いところまでなかなか覚えないのです。ここまでやれば怒られないと、怒られない最低水準ができてしまうのです。そうすると大阪のリッツ・カールトンホテルのような、業界最高のビジネスはできないのです。本当にすごいビジネスはできないのです。真似はすることはできても、最先端を走ることは決してできません。 最先端を走るというのは何も、ノーベル賞を集めてくればいいというものではないのです。ノーベル賞を集めてくるとかえって大破綻を起こすということは一九九〇年代によく分かりました。ああいうのを入れたって始まらないのです。いてだめだというのではないのです。ノーベル賞だけいてもだめなのです。一人ではないのです。要するにみんなの力を合わせるということなのです。これがポイントなのです。ここで頑張れば自分も成長するし、自分が成長する中で何か自分の成長とみんなの成長がマッチしているのだ、俺は何かすごいことができているのだとみんなに思わせるということが最大のポイントなのです。 「昭和時代のリーダーと新しい時代のリーダー」 (15)です。ここでもう一回あらためてリーダーシップモデルの絵が出てきています。この絵の中でいちばん左側の所に、「個人の資質と才能」と書いてあります。 ・誠実で何事も首尾一貫していること ・人を尊敬し、大事にすること と以下ずっとあります。 残念ながら今の日本のリーダーシップ理論のほとんどは、この「個人の資質と才能」に終始しているのです。この理由というのを私は最近感じるのです。どうしてこれだけで今までリーダーシップが務まってきたのか。今日本で売っているリーダーシップ理論の本のほとんどはほとんどこれだけです。資質が良いとか、あるとかないとか、この資質が大事だとか大事でないとか、そんなことばかり書いてあるのです。どうしてこれだけでリーダーシップ理論を完結してきたか。 あまり難しい理由はないと思います。こういうことだと思うのです。今まで日本は昭和の時代、風が吹いていたのです。非常に強い風が吹いていたので、人々はみんなと同じ方向を向いているわけです。そして同じ価値観でほぼ同じ能力を持った人を大量に揃えるということが学校教育の一番のポイントだったのです。特別な天才を育てない。何か変わった考え方をする人も育てない。結果として同じ考え方で、大体同じような能力を育てることに一生懸命だったわけです。ちょうど田植えの時期に農協から来る苗みたいなもので、同じ品種で同じ長さでズラッと並んでいます。簡単に言えば、あの田植えの時に来る苗を作るみたいなものが日本の学校教育だったのです。 同じ品種で同じ長さの苗がズラッと来る。企業はそれを一本一本田植えをしていくわけです。はい、あなたはここ、あなたはここというように・・・。基本的にはどこへ植えても同じわけです。文科系の方ならよく分かるでしょう。どこへ行っても同じわけです。理科系の方はちょっと違いますが、営業だろうが企画だろうが、サラリーマンというのはこういうものでという話で、大学でやっていたことと全然関係なくて、とにかく入ればいい、田植えみたいな感じで、どこに植えられるのか分からないということです。 入ると、企業というのは煙突になっているのです。一旦下から入ると上からしか出られない仕組みになっているのです。毎年毎年一つづつ上に上がっていくのです。今年作ったもの、去年の苗、その前というように、一つずつ下から上に上がっていくのです。そして嫌だと言っても、下から押されていくわけです。先輩、先輩といって毎年毎年、下から押し上げられていきます。そして六十歳や六十五歳になるまでずっといるわけです。ここまで来ると定年退職で外に出ていくわけです。 これは何も企業だけの話ではありません。地域社会だってそうです。地域に認められた人としてある。そうすると基本的にずっと地域にいるわけです。 あるいは日本という国もそうです。日本人たるものはとか言って日本の中でずっと暮らして、二十三歳で就職して、二十八歳で結婚し、三十歳で係長、三十五歳で家を持って、四十歳で課長になって・・・というライフスタイルというか煙突みたいなものがあって、四十五歳ぐらいになったら、証券会社で少し株ぐらい買わないとだめよとか変な話になり、ずっといくわけです。 そういうのが日本全体にもあったわけです。いろいろな意味でトンネルになっていたのです。 でもたまに横を向いている人がいるのです。草取りとかいって出されてしまうのです。あいつはだめだとかいってのけ者になってしまう。 しかしこれだけだと社会にあまり活力が生まれないので、ここに大ピラミッドを作るのです。つまりピラミッドは上に行くほど狭くなるのです。同期でいつも競争させるのです。 同期の競争、同じ歳の人同士の競争なのです。誰がピラミッドの中に残り、誰が外に出るかという競争がずっと続いていくのです。 ピラミッドの外に出て行っても死にはしないのです。ちゃんと生活はできるのです。しかし考える部分から少し離れていくということなのです。物を決める人と、決めたとおりやる人という違いが、このピラミッドの中と外という違いなのです。決められたことをやる人、何をやるかを決める人、ものを決めるという部分に近い、遠いがピラミッドの中と外のいちばん大きな違いなのです。 もちろん生活水準というのもあるかもしれませんが、別にピラミッドの外に行ったからといって死ぬわけではないのです。つまり関係会社とか、地域の少し小さい会社とか、何か生活する場所はあるのです。外に出してしまうということはないのです。そしてこれでずっといくのです。 この中でリーダーというのはピラミッドのいちばん上に座っている人のことなのです。これがこの時代のリーダーです。この人というのは実はある意味で毎年代わる人です。下から順番に来ます。もちろん毎年代わるかどうか分かりませんが、何年かに一回代わるわけです。 この人のいちばん大事な仕事は、ピラミッドの中と外の人の出入りを調整すること、つまり人事です。人事権を握っていて、誰が中に残って誰が外に出るか、この最終決定を行うのが大事な仕事なのです。 煙突同士の競争というのもあります。これが一つの企業、一つの町。他の企業、他の町、他にも煙突があります。煙突同士の競争というのは当然あるはずなのですが、実際には煙突同士の競争は談合や規制によって、基本的には非常に小さな競争だったのです。ですから取って食う、食われる、騎馬戦みたいなことは基本的にやっていないのです。あんたはここ、俺はここ、大体縄張りが決まっていて、自滅したりするとき以外は、大体その縄張りの中で適当にやっていれば済むのです。煙突同士の競争というのはあまりないのです。 ですから目はどんどん中にいくのです。中にいてやることといえば調整です。しかもこのリーダーがいなくてもこの煙突はあるのです。これは別にこのリーダーが作った煙突ではないのです。リーダーは競争に最後まで残った人なのです。リーダーが作った煙突ではないのです。ですから煙突は未来永劫続くのです。昔からずっとあるのです。私は今たまたまやっています。二年毎に代わる税務署長みたいなもので、俺が作った税務署ではない。 未来の時代を担うわけでもない。たまたま俺はそこにいる。そういうリーダーなのです。 こういうリーダーに必要なのがこの資質だと思います。馬鹿にされないこと。彼が決めることなら文句を言えない。彼が決める人事なら文句を言えない。これがまさにこういう時のリーダーがいちばん問われる資質だと思うのです。彼の決める人事であればみんな納得するということです。 だから資質論ばかりだったのではないかと思うのです。つまり攻めがないのです。この煙突を維持する力強さが全くない。というか要らないのです。かえって邪魔になるのです。 そんなことをやっていると、自分の好き嫌い、勝った負けたで人を選ぶようになります。 大きなピラミッドになればなるほど、これはかえって見苦しいものがあるのです。ですから資質と才能だけで何百回も何百回も同じようなことを繰り返すわけです。 ですから昭和時代のリーダーシップ理論なんて、はっきり言って今はほとんど役に立たないと思います。何が変わったかというと風が止まったのです。風が止まって、みんなバラバラな時代になってしまったのです。 今の時代のリーダーというのはまず第一に、人を集めてこなければなりません。設計図を描くのです。会社の設計図を描かなければいけません。どういう能力を持った人が何人、どういう能力を持った人が何人、潜在能力も含めて設計図を描くのです。そして、こういうことをやろうよ、ああいうことをやろうよとみんな集めてくるのです。 集めてきたら、集めて座らせるだけではまだだめなのです。会社は動きません。IT やバブルの時代によくあったではないですか。大手の商社でIT のすごい子会社を創る、事業部を立ち上げると各部署から精鋭を集めてきた。我が社の未来を担う子会社ができましたとかいって華々しくやっていました。 確かに各部署から精鋭はやって来るのです。よそから精鋭を呼んでくるのです。しかし精鋭というのは大体みんな違う価値観を持っているのです。興味を持つところが大体違うのです。精鋭と言われれば言われる人であればあるほど、自分独自の価値観を持っているのです。それを並べればうまくいくと思ったのです。期待することは儲かること、というわけです。やってもらうとみんなバラバラです。一年も経たないうちに内輪でケンカが始まって、会社は開店休業。そのうちみんな辞めてしまったということがよくありました。 ですからリーダーシップの最大のポイントは、みんなのやる気を一つに集めることです。これがリーダーシップです。 さあ、みなさん見てください。この平成型のリーダーシップ。というかこれが自然な姿なのです。この煙突の世界というのは極めて特殊な時代です。こんな時代は歴史上極めて特殊な時代だったと思います。普通はこんな時代はありはしません。普通はこういう時代です。これがごく普通の状態です。ごく自然な状態におけるリーダーシップにおいて、リーダーというのはどこにいると思われますか? この絵ではリーダーはここにいました。ここではリーダーシップはどこにいると思われますか? この絵で、ここにいるリーダーシップのことをよくカリスマと言います。カリスマというのは自分の魅力で人を集める人のことです。ここに立っているリーダーをカリスマと言います。 ではカリスマでないリーダーはどこにいると思われますか? どこにいてもいいのです。ここにいてもいいし、ここにいてもいいし、ここにいてもいいのです。外にいてもいい。つまりリーダー自身が問題ではないのです。リーダーが作り出すリーダーシップが問題なのです。この一本一本の線がリーダーシップなのです。この一本一本の線を誰が作るかが問題ではないのです。その人がどういうポジションかは問題ではないのです。このリーダーシップの一本一本の線があることが大切なのです。 だからいちばん良い形を言うのであれば、みんながリーダーシップになっていくことなのです。自分自身でみんなを、周りを巻き込みながらこういう一本の筋を作れる。例えば大きな会社であれば、上は取締役から、下は社員がパート、アルバイトを使って仕事をしています。いちばん序列の下にいる社員がパート、アルバイトを使って仕事をする場合であれば、この人のリーダーシップがお客さんに対する満足度を決めるのです。パート、アルバイトもお客さんに接するわけでしょう。すると彼らを束ねる序列のいちばん下にいる社員のリーダーシップが会社の業績、会社の評判、会社のロイヤリティーを決めてしまうのです。だからいちばんリーダーシップ能力の高い人をいちばん下に配置しておかないと大変なことになります。 よくそれをやっていない会社があります。上のリーダーシップは強いと言うのだけれど、末端に行くほどリーダーシップのない人がいるので、彼らが使うアルバイト、パートは最悪で、お客さんがカンカンに怒るということはよくあります。そういうことをよく考えないといけません。 ですからこの(15)の絵を見ると、リーダーシップの技術、リーダーシップのプロセスという部分書いてあります。資質と才能以外に、技術とプロセスが書いてあります。この部分というのが、実はリーダーシップの一本一本の線を作るやり方、テクノロジー、サイエンスなのです。 まずこのサイエンス、形から入っていって、何とかこれを作りましょうということで、今みんな頑張っているわけです。 どうしてこんなのをアメリカに学びに行くのかという話になると、昭和時代はこういう自然な姿ではなかったから、昭和時代のリーダーシップではこの部分がないのです。みんなを集めてくるという部分がないのです。昔から煙突があり、ちょんと乗っかっていればいいだけの話なので全然通用しないのです。だから悔しいけれど学びに行くしかないわけです。連中の姿は自然です。ワイルドです。大自然です。そして学びに行くと、このやり方というのは日本人が聞いても決して不自然でないやり方が多いのです。 テクノロジーはやはり入り口なのです。といろいろやっていくと、技術、プロセスとあって、「一に信頼、二に信頼」と書いてあるでしょう。簡単に言えばだんだん話が神がかってくるのです。こんなことを言うと怒られてしまいますが、だんだん神がかってきて、愛とか友情とか、そういう話にくるのです。 そこまできたらこの昔のリーダーシップの姿とあまり変わらないのです。本当に素晴らしいリーダーというのは、昔も今も多分変わらないのでしょう。そう言うことができるのだと思います。しかしそういう人はあまりに数が少ないのです。松下幸之助や本田宗一郎とか、すごく数が少ないのです。そんなほんのわずかな人たちだけに頼ってやるにしては、我々は数が多すぎるのです。企業の数があまりに多すぎるのです。 ですから我々普通の人間が、そういう神様までとはいかなくても、神様のちょっと次ぐらいまではいかないと、もう風が止まってしまっているわけですから社会が変わらないわけです。次の風が吹くのを待っていたって、誰かが風を起こさないと風なんか吹くわけがないのです。よそから変な風が吹いていたって、それは一時的な突風です。特需だとか何とか言いながらただの突風なので、そんなことをやっていたらどんどん混乱するだけなのです。 一つ成功事例を作って、風を少しずつ作っていかなければならない。だからどうしてもここで何か良いリーダーシップの姿を作らないと、風も起きないし何も始まらないのです。神様みたいな人であれば一発でできてしまう話なのですが、我々普通の人がやるわけですから、最初はテクノロジーから入って、型から入って、これができるようになって、それでやっていくと、神様というかそういうすごい人たちの世界が何となく見えてきて、それに向かって精進しようと、こういう話なのです。それがこのリーダーシップ理論のポイントなのです。 「具体的に成功とは何かを自分で定義しなければならない」 それとこの(15)の図でもう一つ強調したいのが、「成功を達成すること」といちばん右側に書いてあります。英語ではMeasured Success と書いてあるのです。Measured というのは測られたという意味です。測られた成功という意味です。 これはどういう意味かというと、具体的に成功とは何かを自分で定義しなさいという意味なのです。これはすごいことを言っているのです。成功するとよく言います。会社が成功する。人生が成功する。具体的に成功とは何かを自分で定義しなさいという考え方がここに入っているのです。 自分で定義するから、どこまで成功したかが分かるのです。ただ漠然と成功したいと言ったときに、実際には何をやっていいかほとんど分からないのです。 話好きな営業マンであれば、注文がとれなくてもお客さんと長く話をしていることで成功と思うかもしれない。お金を稼がなければと思っている営業マンであったら、話をすることではなく、どれだけ注文がとれたかが成功と思うかもしれない。人は成功と言うことに関して、放っておけばいろいろな価値観を持っているのです。悪いことではありません。 しかし組織、会社としてやるのであれば、何をもって成功となすか、何をもって成功と我が社では定義するか、これを決めなければいけないのです。 これは一つである必要はないのです。いくつもあってもいいのです。これを決めないとリーダーシップがなかなかうまくいかないのです。 つまり今成功しているのか、失敗しているのかが分からないのです。成功に近づいているのか、失敗に近づいているのかも分からないのです。何かいつもものさしを決めておいて、成功に近づいているか、成功から離れているかを見ているから、どういうふうに修正したらいいかが分かるのです。どんどん状況が変わっていったときに、これがないとどうしていいか分からないのです。このままやっていけばいいのか、変えなければいけないのか。測っているからどちらにいけばいいのか分かるのです。ですから最初から何をもって成功とするかを定義しておきなさいという話です。 組織が動いていけばいくほど、これがないと結局見失ってしまうのです。目の前の適当な所、居心地の良い所だけ選んでいってしまうのです。ですからいつのまにか思っていたことと違うことが会社の中でどんどん実現してきてしまうのです。何をもって成功とするのか。それを定義しなさいということです。 「変化を拒む会社とは・・・“非適応的”な文化の源泉」 それから次の(16)「“非適応的”な文化の源泉」です。さっき申し上げましたように、変化を拒む会社というのがあるのです。 新しく会社を創ったときに変化を拒むということはまずありません。会社を創って最初の注文をとるときというのはなかなか大変です。ですから最初の注文がとれそうになったら、お客さんの言うことは何でも聞こうと頑張るわけです。極めて適応的なのです。 ところが最初の注文をとる。また注文をとる。どんどん注文がとれる。どんどん利益が出る。すると今までやってきたことと違うことを言ってくるお客さんには、「いいです。お帰りください」と言うようになってしまうのです。これが度が過ぎると、人の話を全く聞かなくなるのです。「俺たちはいつもすごいのだ」と信じるようになってしまうのです。そうすると変化に完全に遅れて、突然危機が襲ってくるのです。 ですからこの表で言いたいのは、そうやって時代に乗り遅れて、時代の変化を受け入れることがなくて失敗していく会社の多くは、かつて成功を体験した会社だということが言いたいのです。 さっきMeasured Success と言いました。成功します。次が大変なのです。成功すると、かなり支配的な地位を市場で確立しています。そして組織は成長と利益という観点で多大な成功を経験しています。そのために、いちばん右、マネジャーは自分たちが最高であり、彼ら特有の伝統が非常に優れたものであると信じ始めます。彼らはより傲慢になり、トップマネージメントもこの傾向を止めることがない。世の中で金融機関でもメーカーでも、この会社はすごいとはやされる会社があります。社長自身はそう思っていなくても、中にいるマネジャーは社員はそう思ってしまうのです。 「俺はすごい会社に勤めているんだぞ」という感じで、社員の方がそう思ってしまうのです。管理職までそう思うようになり出したら、会社はいよいよ大変です。 トップはやばい、大変だと危機感を持っている。ところが社員は昔の成功を知っているので、特に部課長クラスが「俺たちは成功したんだ」と思ってしまったら大変です。非常に傲慢になります。 ところが社長もそれを頭ごなしに言うことができないのです。かつて成功した実績があるわけですから、実態をよく分かっているわけですから「うん、そうだな」しか言えない。ですから彼らの傲慢は直すことはできない。「お前たち、それは違うんだぞ」と言うのはものすごく大変なわけです。 でも答を最初に言うならば、それができなければこの文化から決して脱することができないのです。そこをクリアしない限り、この悪循環から決して脱することはできないのです。 「プレッシャーは主に組織の中から来る。官僚機構を作り、人員を配置することで成長に対応することがいちばん大きな課題である。トップマネージメントは人々に外部の利害関係者の大切さを思い起こさせることがほとんどない。」 ですから内部の調整に明け暮れてしまうわけです。今の日本政府みたいなものです。アフガンに行けばいいのか悪いのかという問題ではなく、今の日本の法律の中で何ができるかできないか、内部の話だけで一生懸命になってしまうのです。 そしていちばん左、「組織はリーダーではなくてマネジャーを必要とし、雇用し、昇進させる。」 リーダーとマネジャーと書いてありますが、マネジャーというのは言われたことを正しくやる人、リーダーというのは何をやることが正しいかを示す人とよく言われます。 ここでリーダーではなくマネジャーを必要とするというのは、何が正しいかという議論がなくなるという意味なのです。そんなことは議論する必要はない。とにかく今やっていることの延長線でどれぐらい利益がでるのか、もっと早く仕事ができるのか。これだけを考える人をどんどん昇進させていくということなのです。 言っては悪いけれど、今の銀行がそうです。銀行の未来なんて考えている人はいないのです。どれだけ早く定期が売れるか。例えば本部が貸し出しを減らせと指示すれば、どれだけ早く減らすことができるか。こういう能力のうまい人がどんどん支店長になり、部長になり、出世していくのです。 そうなってくると、銀行はどうなるだろうかと考えている人は、恐ろしいことに誰もいなくなってしまうのです。周りはみんな、「銀行さん、大丈夫なの?」と思っているのです。しかし中の人はこういうことを考えている人は一人もいないのです。考えている人は全然昇進されないのです。考えれば考えるほど自分が嫌になってしまうから、辞めて去っていってしまうのです。こういう形でどんどん内部へ内部へ目が向いていってしまうのです。 そしていちばん下、「強力で傲慢な文化が創られていく」のです。これではどうにもなりません。 これを直すためにはまず、大体何か危機を利用するのです。何か危機だということを使って大胆な発想の転換を迫るのです。つまりそれは自ら作るというよりも、例えば何かやっていけば必ず一つのやり方が失敗を迎えることがあるのです。一つのやり方が必ず限界を迎える時があるのです。 すなわち毎朝毎朝、十キロ走っている人も、あるところまで歳がくれば疲れたとか、どこか痛いとか変化がきます。そういう時を利用するのです。 つまり一つのやり方が限界を迎える時に、何か兆候が出てくるのです。だから素晴らしいリーダーはこの兆候を見逃さないのです。こういうのを使って「やばい、変えよう」という議論を起こさせるのです。 これをやるためには、いわゆる達成文化というのがないとだめなのです。それがないと、今を満足させるもっと目の前の数字をクリアすることだけになってしまうのです。そして最悪の場合、消極依存文化というのですが、問題を避ける、問題を口にしないという文化になってしまうのです。こういう問題が起きているということ自身、みんなが気にしなくなってしまうのです。誰も議論しなくなってしまうのです。 すると山一や長銀ではないですが、ある日プッツリ歴史が終わってしまうのです。突然倒産してしまうのです。怖いのです。 成功する会社というのは初めのうちは良い文化を持っているのです。だから成功するのです。これを最後まで維持しなければだめなのです。ということは、上がっているときにもっと上に上がろうという目標ではなく、次の成長を考えていなければだめなのです。達成文化というのは手の届かないところの文化なのです。ですからもっともっと上に上げようと、今の延長線上ではないのです。次を考えなければだめなのです。次をどうしようか。 こういうのを考えていれば、ここに来たときにみんな「はい、こっちに行こう」と言い出すわけです。だからドット・コムだって、「こんなのはいい。次を」と言い出すわけです。だから株が暴騰する前にみんな辞めて、次に行こうと言い出すわけです。好きな奴に株を売ってしまえと次に行き出すのです。 だからもう次の山、また次の山、もっと先を考えていないと、どうやっても死のサイクルに入っていってしまうのです。ですから常に未来、未来、未来志向で、人が成長し、企業が成長するということをいつも考えていないとうまくいかないのです。 「なぜ国鉄改革は成功したのか」 (17)にいきます。次、次と見ていくときに、今日はイタリア料理、明日は中華料理というように、全くメニューを変えて次をやるということもあるかもしれません。しかしそんなことをやっていると、実際に強みがあまりないことが多いのです。いろいろなことを挑戦していくときに、強みを生かすということはすごく大切だと思います。 特にこのデフレの時、下に落ちていく時に、強みというものを残さないでかまわず会社を切っていってしまったら、良いところも何も全部ばらけてしまいます。 この(17)の話は以前にもやったかもしれませんが、旧国鉄が解体になった時に、JR 東日本の最初の社長になった人のことを書いた本の一説です。 後半の部分です。「国鉄改革を推進し、JR 東日本の初代社長を務めた住田正二氏は、その著書『鉄路に夢をのせて』の中で、「国鉄はいろいろな土台が腐っていたが、一番大事な支柱は腐っていなかった。この一番大事な支柱というのは、大きな赤字を出している時も、正確なダイヤを維持してきたことだ。ダイヤが維持できていなかったら、果たして民営分割はうまくいったかどうか疑問だといえる」と述べている。さらに住田氏は、正確なダイヤを維持してゆこうとすることは、日本の鉄道の原点であり、それが守られてきたことが、民営分割を可能ならしめた基盤の一つである。」 なぜ銀行改革は国鉄みたいにうまくいかないのか。ここがポイントだと思うのです。正確なダイヤみたいなものがないのです。柱がないのです。自分たちが守っているものがないのです。お客様も捨ててしまったでしょう。お金の精密な勘定というのも捨ててしまったでしょう。全部捨ててしまったのです。烏合の衆でしかないのです。こうなると下に入っていった時に全部空中分解してしまうのです。 柱が残っていれば、他は全部切る。債務も切る。見栄も切る。面子も切る。正確なダイヤだけある。それを使ってJR 東日本は一応立ち直っています。 だからその柱というものがないと、下がっていく時が見えなくなってしまうのです。柱を折ってしまうと、あとは空中分解、バラバラで雲散霧消になってしまうのです。 なぜ国鉄改革は成功して、なぜ同じようなことを銀行でやっても成功しないのか。そこだと思うのです。柱がないのです。いちばん大事な、いちばんコアの部分がないのです。コアの部分をなくしてしまってはだめなのです。コアはいつも守らなければならない。ということは、コアが何かということを分かっていなければだめなのです。会社全体がいつも分かっている。それを守っていなければだめなのです。だからいざという時にそれを守れるのです。 だから会社というのは常にコアは何なのか、自分たちの一番の中心は何なのかを忘れていては、特にこのデフレになった時に、雲散霧消して次はないのです。そういうことになっているという感じです。 「態度や価値観で採用するときに聞く質問事項」 (18)をご覧になってください。今日は是非みなさんにお土産としてお持ち帰りいただきたいのがこの(18)なのです。 実は今みたいに風が吹いていない時代というのは、ものすごく人の価値観がまちまちです。この時に、やはり会社によっては教育や価値観を合わせるということに時間を割けないケースがあります。 例えばリッツ・カールトンホテルやスターバックスコーヒーなどは、人を採用するときに能力ではなく価値観の部分にすごく重点をおいているのです。スターバックスコーヒーの人は、「能力は教育できるけれど、価値観は教育できない」とはっきり言っていました。 そんなこともあり、自分の会社の持っている価値観に合う人をどうやって採るかということが非常に大切なのです。これはすごいなと思うのですが、この例を見てください。 1. 顧客のニーズにこたえるためにあなたはどんなときにルールを破りましたか? 「あなたはどんなときにルールを破りますか?」という質問ではないのです。過去の経験を振り返って、あなたが何をやったか言ってくださいというのです。 2. たとえそれを認められることなく、あるいはそれでお金がもらえたわけでもなくても、どんなときに仕事だからという以上のものであなたは同僚を助けましたか? 以下九つ並んでいます。例えば 8.あなたはどのように極端に難しい同僚といっしょに仕事をしましたか? あなたはそれをどのように扱いましたか? 「扱いますか?」ではないのです。過去形で聞いているのです。これはシビアです。藤原学校のある方が「こんなのを聞いたら、応募者は全部逃げてしまう」と言っていました。シビアです。今アメリカの会社はこういうことをやっているのです。べき論は聞かないのです。べき論はみんな大体アンチョコを覚えてきてしまうわけです。優秀な模範解答があるわけです。そんなのを聞いても始まらないのです。過去の話を聞き、一つひとつ検証していくのです。これが価値観による採用のときの一つのやり方なのです。 ものすごいものがあります。 これは自分自身に対する質問と書いてありますが、さっきあったリーダーとしての資質の中で、首尾一貫していることと書いてありました。顧客重視とか、助け合えとか社長が言ったときに、これを自分でやってみるのです。例えば顧客重視といったときに、今までお客さんのことを全然考えたことがない、お客さんのことを考えるのは社員の仕事で俺の仕事ではないと思っていると、社長の心の鏡を見てもお客さん重視ということが出てこないのです。そういうことがあるのです。だから自分でやってみないといけないというわけで、自分自身に対する質問となっているのです。 「業績の高いチーム」 次に(19)「業績の高いチームワーク」です。これはその部署で最低六ヶ月から八ヶ月ぐらい間をおいて、自分自身で五段階評価でセルフアセスメントをしてみると面白いと先生が言っていました。 チームへの高い期待に対する共通の合意が自分の職場にあるかどうか。あれば五、全くないと思えば一。五段階評価をやってみるのです。 別にそれで最終的に評価するというのではなく、それをまじまじと自分で見て、お互いにそれを見せ合うわけです。そして「さて、どうしようか」ということなのです。これはチームワークワークとかやる気とかがあるかどうかを、お互いに自分たちで確かめ合うための質問、アンケートなのです。最低六ヶ月から八ヶ月おいてやってみると効果があると先生が言っていました。もしよければ使ってみてください。 「多様性を認める学校と、価値観を絞る企業との新しい関係」 そして次の(20)から(22)の所です。さっき教育型という話をしましたが、その教育のポイントがここに書いてあります。英語なのですが、(20)から順番に読んでいきます。 今、知識経済と言われます。お金があっても知識がなければ会社は成功しない。知識があればお金がなくても会社は成功する。なぜかと言えば、知識にお金は集まってくるから。よくこう言われます。つまり自分に資本金がなくても、知識さえあればお金を持っている人が資本家としてやってきてくれるから会社が創れる。金がいくらあっても知識がないと何も営業できないし、何の仕事もできないからお金だけあっても会社はできない。最近よくそういうことが言われます。 ・情報化時代は、教育やトレーニングの需要をどんどん増大させます。 ・二十一世紀に働く人たちに必要とされる技能は何なのかをここで再評価する必要があります。何を知っていれば成功するのか、何ができれば成功するのか、これを改めて再検討する必要があります。 ・その結果によってカリキュラムを変えていかなければなりません。 ・その結果として産業界、そして教育界、政府も仕事のやり方を変えていかなければなりません。 ・全ての人たちに教育の機会を提供していかなければなりません。 このように書いてあります。 その下、「現在の教育の危機」です。今世界中で起こっていることは、教育システムが社会から切り離されてきているということだというのです。社会の動き、経済の動き、技術の動き、そして文化の変化はものすごく大きなものです。しかもものすごくスピードが速いのです。そのため教育のシステムが追いつかないのです。ですから現在の教育のシステムというのは、もはや存在しない社会のために作られたシステムなのだということが書いてあるのです。 いいですか? 現在の教育システムというのは、今の社会のために作られたものではない。だから今の教育システムで勉強しても、今の社会では全然成功しないということが書いてあるのです。 なぜそんなことになってしまったのか。あまりにも変化が激しかったから、教育のシステムの変化が追いつかなかったからということなのです。 これは私自身、大学で教えていたときにいつも感じることです。大学に真面目に来て、いつも前の方に座って、試験でいつも良い点をとる。彼らが成功するという保証は全くないのです。 どうやって学生を動機付けさせるか。一つしかありません。面白いと思わせることなのです。直接的に教えていることがそのまま役に立つ、自動車教習所みたいな話はもうできないのです。これを知っていればああいうときに役立つという話は、学生だってそれは嘘だと直感で分かっているので、面白いと思わせるのが関の山なのです。これは大学ではなくてエンターテイメントです。テレビと一緒です。 「Paradigm shifts」はちょっと抜かします。 「Learning in the 21st Century」です。人の絵が描いてあります。猿から始まって、人間はだんだん二足歩行するようになりました。ところが最近人間はまた腰がまがってきているのです。人間もいろいろな進化を遂げています。直立歩行が人間だというのは古いパラダイムなのです。最近賢い人ほど、知識のある人ほど直立に立っている時間が少ないのです。知識がある人ほど猿みたいに背中を丸めているというわけです。 右上です。勉強のパラダイムシートです。昔は勉強があって、トレーニングがあって、仕事があって、リタイヤメントがありました。全部直列でつながっていました。 しかしこれからは全部並列にならなければいけません。教育とトレーニング、見習の期間、実際にプロとして仕事をするとき、それからリタイヤメント、これが並列になっていて、上から下に行ったり来たりするわけです。 何か仕事をやってみて、何か疲れたら完全に辞めてしまう。あるいはまた学校に戻る。そしてトレーニングをする。仕事をする。この並列に並んだところを自由に行き来できる人でないとうまくいかない。 こういう時代になってきたときに結局何がいちばん大事かというと、いちばん右下です。 “Learning”Society と書いてあります。つまりこういう時代でいちばん成功する社会というのは、何ができるかではなく、何を知っているかではなく、学ぶことができる社会、学ぶことができる人なのです。 これができる、何か一つ手に覚えた職があれば成功できるという仕事は非常に限られてきてしまっているのです。○○を知っているというのも非常に難しいのです。 みなさん驚くかもしれませんが、私はサン・マイクロシステムズのサーバーのシステム管理者の資格を持っています。ただし、今は全く役に立ちません。なぜならば私が取ったのは一九九〇年、十一年前なのです。十一年前のサーバーのシステム管理者の知識は何の役にも立ちません。今のサーバーははっきり言って言葉も分かりません。 ですから今何を知っているかという問題は、今はいいかもしれませんが、さっき言ったように潜在能力といったときにはあまり関係ないのです。あえて言えば、もう一回同じようなマニュアルを勉強して、同じような知識を身に付けていく気力があるかどうかが、システム管理者としては大事なわけです。また難しいことを書いてあるマニュアルを、また一から読んで、また資格を取る元気があるかどうか。これが学ぶことができる能力、意欲というものです。 こういうものを常に持っているということが、今何を知っているかということよりももっと大切なことなのです。これが次の時代のいちばん大事なことなのだということがここに書いてあります。 これからの時代は、企業と学校の関係というものが非常に面白くなると思うのです。元々人というのはこういうふうに自由にものを考えています。いろいろな価値観を持っています。それに対して組織というものは、あるいはネットワークというものは一つの方向に全部集まっているのです。集まる程度にもよりますが、組織やネットワークというのは、それが有機的に働けば働くほど価値観は一つに集まってくるのです。 これを簡単に企業と考えます。企業だけではなく、ネットワークもそうです。それから非営利団体もそうです。役所もそうです。地域もそうかもしれません。しかしそれを代表して企業と考えれば、企業と学校というのはこれからの時代、相互に補完関係にあるのです。企業というのは合わせないと始まらないのです。しかし学校というのは合わせてはいけない場所なのです。学校というのは一人ひとり持っているものを伸ばしてやる場所なのです。そして絞るのが企業なのです。 ですからいろいろな企業ができてくるのです。こっちに合わせる会社ができます。あるいは人を集めてこっちに価値観に合わせる企業、団体、ネットワークも出てくるでしょう。 つまりどこに合わせるか、いろいろな合わせ方があるのです。まさに社会にはいろいろな組織ができるのです。 教育の段階は合わせてはいけないのです。教育の段階はみんなが持っているものを自由に伸ばさせてあげればいいのです。そして教育というのは、時間をかけてこのベクトルを変えるチャンスを与えてやる場所でもあるのです。一つの価値観だった人が別の価値観に移動する。そのチャンスを与えるのが学校でもあるのです。学校というのは合わせてはいけない場所なのです。 ですから学校と企業というのは本当に補完関係にあるのです。学校は自由にやらせて価値観を伸ばす場所、企業は揃える場所なのです。この補完関係が上手にいったときに、いよいよ二十一世紀型の企業と学校の学ぶこと教育と社会は、上手に歯車がかみ合うようになるのです。 今はここがまだ全然そうなっていないのです。企業は混沌、学校は田植えの苗みたいなことをいまだにやっているのです。だから全然合わない。しかし目指すはここです。大体もう姿は見えているのです。あとはどうやってやるかだけなのです。 「巨大な変化に直面したときの三つのフェーズ」 最後のページにいきます。悩む人が出ております。悩んで、悩んで、悩んで、最後今日みなさんお帰りになる時に、答えは何だったのか。いや、悩むことだということになってしまうのですが、その左側に一つ図が出ています。 こういう巨大な変化に直面したときに、人は心理的にどんな変化を感じるのかということが書いてあります。ちょっと長々書いてあるので、要約して申し上げます。 人が巨大な変化に直面したときに、三つのフェーズがあるのです。まず最初に終わりを感じる段階というのがあります。終わりを感じる段階というのは、今までのやり方がうまくいかなくなるということが随所に見え始めてくる段階なのです。勘が狂ってしまう段階です。勘のとおりにいかないのです。今までやっていたやり方でうまくいかないことがポツポツと出てくるのです。これが終わりの段階なのです。 それと同時に、この終わりの段階というのは次の予感も感じる時なのです。例えば次はIT 革命だという声もチラッと聞こえてくる。うまくいかないと同時に次の声もチラッと聞こえる。そしてIT 革命を試してみる。パソコンを買ってインターネットをやってみる。見えた。早合点をするのもこの終わりの時期なのです。自分は何も変化しなくても、新しい技術や新しいやり方もちょっとやってみたらうまくいった。俺はやらなくても大丈夫だと早合点をしやすいのもこの時期なのです。 しかしやがてここでも大事件が起きるのです。もう元に戻れないという時が来るのです。そうするといよいよ暗中模索の段階に入ってきます。この大事件というのは結果的に来てしまうこともあるのですが、人によっては自分で作り出すこともあります。すなわちもう戻れないのだということを自分に納得させるために、大リストラを断行するとか、会社の給与システムを全部変えてしまうとか、元には戻れないということを大事件として示すのです。 これがないといつまで経っても人はいつでも戻れると思ってしまうのです。今の銀行みたいなものです。「昔に戻れるさ」とまだ思ってしまうのです。前に戻れると思っているうちは、どんなに暗中模索でも出口はこっちに来るのです。先に行かないのです。 そこで大事件を持ってきて、戻れませんよということをやるのです。これは何かお葬式みたいなものです。もう前には戻らないのだとみんながはっきりと分かるための儀式が必要になります。 暗中模索をやっているとやがて光が見えてきて、新しい始まりが見えてくるのです。この新しい始まりというのは、多くの人は新しい技術の到来、新しいやり方の到来だと言うのですが、実際には違うのです。 新しい始まりというのを正確に言えば、終わりの時代と暗中模索のこの苦労がものすごくひどくて、苦労した中でものすごく新鮮に見えた瞬間、これが新しい始まりという意味なのです。新しい技術が来たからといって、新しい始まりになるということは全くないのです。 これが次の時代なのだと言われても、普通の人は「そう?」と言うだけなのです。これが二十一世紀だよと言われても「へー」と言うだけなのです。新しい時代というのは、自分がそうだと思って一歩も二歩も足が出て初めて新しい時代だと言えるのです。これが新しい時代だと、自分で本当に納得できて人にも説得できて、社員について来いと言うものが来て初めて、新しい時代がその人に来たことになるのです。全く目新しいものが来ても「へー」と思っている限り、その人、その会社には新しい時代は来ていないのです。 この新しい始まりというのは、この終わりの時期、暗中模索の時期を真面目に苦労して初めて来るのです。私なども戦後世代なので、戦中の苦しい時を知りません。だから昔からよく言われました。「食い物はいくらでもある。残したって平気だ。昔は食い物がなかったんだぞ」とよく怒られたものです。そういう苦しい時期を知っていれば、新しい時代を新しいと思えるわけです。しかし私にしてみれば近代文明の終わりのイメージなわけです。 なんかこんなことをしていていいいのだろうかと思えてしまうわけです。ですから自分の体験、あるいは自分がどう思うかによって全然違うのです。 新しい時代というのは何かが起こればすぐ新しい時代になる、棚ボタ式に来ると思ったら大間違いなのです。そこが一番のポイントなのです。自分で戻れないという時期を経験して、暗中模索を経験して初めて出てくるのです。 ですから今真面目に悩まないとだめなのです。今真面目に悩まないから、いくら何が来たって新しいと思えないわけです。他人事みたいに思ってしまう。だからいろいろなものを試してみるのです。これが良いというまで、あれが良いというまで、どんどんショッピングアラウンドして、一つとして自分に身につくものがない、一つとしてリーダーシップの種にならないのです。だから実もできないのです。ですから真面目に悩むことが大切なのです。 この中で、暗中模索の賢い過ごし方、この時期に道に迷わない賢いやり方という話が出ています。それが(23)のいちばん上のところです。 「定期的に反省する場所と時間を用意しなさい」と書いてあります。これは私で言ったら週一回書いているあのレポートがそうなのです。あのレポートはもう八年やっていますが、あれは私にとってまさにこれです。 ある意味で、もう八年前から私は暗中模索です。ソロモンにいて、これはもうだめだ、もう戻らないとソロモンを辞めた時期が大事件です。このままでいったら日本も世界もおかしい。しかし次はまだ見えない。八年間どうやって過ごしてきたかというと、ああやって毎週レポートを書いて過ごしてきたのです。これを見たときハッとしました。ああ、自分にとってあれがそうだったのか。八年間何とか来られたのは毎週レポートを書いていたからだ。 要するに自分の思いをそのまま書き、自分で読むのです。だから自分の意識、あるべき姿と自分の考えていることを一致させるのです。こう考えなければいけないというものと本心が離れれば離れるほど、暗中模索の時代というのはおかしなことになっていってしまうのです。こう考えなければいけない、こうあるべきだと思っていると、本心がずれればずれるほど、この暗中模索は危険な時代に入ってくるのです。ものすごく恐ろしくなってしまうのです。 それを合わせていけばいいのです。合わせていけば人間はあまり苦悩はないのです。そしてやがて見えてきます。 例えばみなさんだったら、週に一回でも社長のメールマガジンを書かれたらどうでしょうか? 社長発メールマガジンを週に一回でも書いて、社員の方や取引先に送ってみたらどうでしょうか?企画部に書かせてはだめです。自分で書かないとだめなのです。そういう試みというのはやってみて初めて分かります。なるほど、というものがあります。 ですからそういう意味では、今まさに暗中模索、人によっては新しい始まりを感じられているかたもいらっしゃると思います。そういう意味で、この暗中模索の時期を迷わずに進んでいけば、自然と新しい始まりは誰にでも来るものです。そこのところが一番のポイントだなと思います。 みんな悩むのを嫌がっていますが、真面目に悩んだ人が勝ちだということです。これは人間の真実みたいなものをついているかなという感じがします。 「新しい時代が始まります」 そんなことで、世の中いろいろ大変ではあるのですが、もう既に今年増収増益という方もいらっしゃるのです。成功のやり方を何となく実感されている方も既にいらっしゃいます。時代はもう既に先に進んでいます。十二年間の停滞がいよいよこれで終わります。次の成長、新しい時代が始まりますので、是非それに向かって頑張ってやっていただきたいなと思います。 成功している方でも安住は厳禁です。安住すると、さっき言った非常に恐ろしい次の文化に入ってしまいます。その次を考えてやっていくということです。生きていくのは大変なことだなという気がするのですが、そういう時代かなと思います。 長時間お疲れさまでした。どうもありがとうございました。
激動の世界情勢と新しい時代のリーダーシップ / 2001年10月(シンクタンク藤原事務所主催 秋季講演会) 激動の世界情勢と新しい時代のリーダーシップ 藤原 直哉 氏 みなさん、こんにちは。今日はお忙しいところ、ありがとうございます。五時ぐらいまでになりますが、みなさんと一緒に勉強できればと思っています。 二十一世紀最初の年ということですが、非常にいろいろなことが起きました。例のテロは一ヶ月前のことなのです。一ヶ月前までと今とでは全然様子が違っていて、一ヶ月でこうも変わるのもかなとつくづく思います。 まず最初にみなさんにお伺いしたいのですが、みなさんの経営されている会社、勤めている会社で、今年が増収増益の方はいらっしゃいますか? はい、ありがとうございます。 いらっしゃるのです。日本全体が終わっているわけではないのです。世界が終末を迎えているわけでも何でもなくて、要するに新しいやり方でちゃんと成功されている方はちゃんと出てきているのです。 そういうことを考えてみたときに、やはり我々が今やらなければいけないことというのは、どういう変化が起きていて、どうすれば成功できるのか、これを頭と腹にしっかりと入れることが今いちばん大事なことではないかと思うのです。 <激動の世界情勢> 「90年から2001年までの12年間の停滞が終わった」 お手元の資料の(1)をご覧いただけますか? そこに二枚のグラフが出ています。このグラフは日本銀行が行っている短期経済観測、日銀短観というもののデータです。これは企業の経営者に、今景気は良いですか、悪いですかとアンケート調査をするのです。そして良いと答えた人のパーセンテージから悪いと答えた人のパーセンテージを引いたものはこのグラフなのです。上が製造で下が非製造業です。それぞれ大企業、中堅企業、中小企業と三本線が並んでいます。真中に線が入っていて、そこがゼロです。それより上はプラス、すなわち良いと答えた人の割合が高い時、下がマイナス、すなわち悪いと答えた人の割合が高い時なのです。 このグラフは一九七三年からずっと出ています。上の製造業を例にとってざっと振り返ってみます。 一九七三年から一九七五年まで急降下していますが、ここは例の円高と第一次石油危機があった時です。銀座で夜の電気が消えたりした時です。日本が最初のひどい不況に陥ったのがこの時です。この時、これを克服するために政府もいろいろと政策を考えました。 この石油危機というのは当時深刻に捉えられていて、当時の大蔵大臣の福田さんが、「石油危機は全治三年の病である」という話をしました。実際には三年よりもうちょっと時間はかかったのですが、このグラフを見ていただきますと、一九七八年、第二次石油危機の直前には既に製造業のグラフはプラスに転じているのです。ですから実際には五年ぐらいでプラスに転じていると思うのです。 一九七八年からプラスに転じた理由はみなさん記憶しておられますか? 何が理由でプラスになったか? これは製造業ですから、省エネ投資が実を結んだのです。どうやったら石油を使う量を減らすことができるか、どうやったら合理的にものを作れるかという新しい製造プロセスの研究と投資が一九七〇年代に非常に盛んになりました。 例えばアメリカなどは当時そういうことをあまりしなかったのです。一九七〇年代、石油危機の上にドルが暴落してしまったり、ベトナム戦争で負けたりということがあり、アメリカの企業は一九七〇年代に投資をすっかり手控えてしまったのです。ヨーロッパも同じような感じでした。 先進国の中では日本だけが非常に活発に投資をし、一九七八年に盛り上がった時というのは、いわゆる省エネで日本の製造業の強さが増していった時期なのです。 そしてずっと上がっていくのですが、今度第二次石油危機というのが一九七九年に勃発しました。この時は実は第一次石油危機の時以上に厳しかったのです。そして景気は再び下降線をたどるのです。 今度一九八四年ぐらいからプラスになっていくのですが、これは何だったか覚えておられますか? 一つはこの時、為替レートが随分円安だったのです。まだレーガン政権の始めの頃で、為替レートが一ドル二〇〇円台の円安で、輸出に結構追い風が吹いていたというのがあります。 もう一つは、ちょうどスランプだった時期、一九七〇年代にさまざまな新製品を特に電機メーカーが開発していました。そういう新製品が一気に市場に出てきて、人々の関心を集めて盛り上がったのがこの時なのです。携帯電話の一号機が出たり、家庭用VTR が出たり、今我々が何気なく使っている様々な日常の新製品、家電関係の物が出たのが一九八〇年代のごく初期です。そういうものをネタにして、一九八〇年代に景気が盛り上がったのです。 実はこの時の盛り上がりこそ、ある意味で言えば今の不況の原因なのです。どういうことかと申しますと、この時盛り上がった日本の経済力、製造業の力というものが実はアメリカを抜いていたのです。そのため日本がこうやって盛り上がった時に、その反対側でアメリカはものすごい貿易赤字を抱えてしまったのです。 ですからこの時に初めて日本とアメリカの間で、とてつもなく巨額のお金の不均衡が生まれたのです。日本はすごい黒字、アメリカがすごい赤字。実はこの時に生まれた不均衡こそ、今に至るすさまじい破壊の最初のさざ波みたいなものだったのです。相当大きな黒字と赤字でしたが、今から見ればさざ波みたいなものだったのです。 しかしこれも一九八五年に急激にマイナスに転じます。これは覚えておられますか? これこそまさにプラザ合意の反動、円高なのです。一ドル二〇〇円台の為替が一〇〇円台になるのです。輸出に急ブレーキがかかるのです。そして悪いことに、日銀はそれを見て本当に景気が悪いのだと思ってしまったのです。そのためにものすごい金融緩和をやったのです。すなわち円高不況克服ということで、ものすごく金利を引き下げたのです。 しかし今から考えれば、それはとてつもなく間違った政策だったのです。実は日本の競争力はちっとも衰えていなかったのです。衰えていないどころか、ますます強くなっていたのです。円高になっても日本の強さは衰えない。日本製品に対する需要は世界的に強いままなのです。 そこへもってきて、今度は無茶苦茶やった金融緩和で国内の需要に火がつきました。株も不動産も上がったのですが、それと同時に国内の人の購買意欲にものすごく火をつけたのです。これで製造業はものすごい活気を呈し、ここにあるように戦後最大のプラスに転じます。大企業の方はプラスの五〇パーセントぐらいまで持ち上がっていくのです。 今申し上げましたように、一九八〇年代までの日本経済の流れを見てみると、好況にはちゃんと理由があるのです。今までと同じようにやっていて神風が吹くとか、相場の風が吹いて何となく上がったということはないのです。必ず上がる理由があったのです。そしてそれまでに上がるにふさわしい変化をやっていたのです。 ところがこれを見ていただくと、一九九〇年に株が暴落を始めます。製造業の短観では、一九九二年ぐらいから基本的にはゼロから下の領域にずっといっぱなしです。 一九九六、一九九七年、あるいは二〇〇〇年から二〇〇一年のように、若干プラスになっている時期もあります。一九九六、一九九七年というのは、例の榊原円安というのがあった時です。アメリカと日本が話をして、為替を少し円安に戻すということをやったのです。これでちょっとプラスになりました。そして二〇〇〇年、二〇〇一年は例のIT バブルで、ちょっとプラスになりミニバブルになりました。 一九九〇年代というのはIT 関係の登場というのはあるのですが、結局日本経済を変化させる大きな構造転換というのがないままに終わってしまうのです。そのため製造業を見ても、一九九二年以降というのは基本的にはずっとマイナスの領域です。中小企業を見るとずっとマイナスです。短観を見ると、中小企業は一九九二年を最後に一度も景気が良いと言う人が過半数を超えたことがないのです。 これはすごいことだと思います。不況だ、不況だという声をよく聞くのですが、十年も不況をやっていればこれが当たり前になってしまうようなところがあります。大阪では「儲かりますか?」と挨拶しますが、こういうのを見ると「儲かります」というのが申し訳ないような話になっていて、儲からない、不況だ、当たり前だというような感じになっているのです。 この十年、特に製造業では合理化が進みました。しかし新しい質的な変化、今まで日本がやってきたような、新しい時代の突破口を開くような変化というのがなかなか行われなかったのがこの十年間ではないかなと。一九九〇年から来年ぐらいまで入れればだいたい十二年ぐらい、それぐらいの時間ではなかったのかと思うのです。 その下の非製造業を見ると、今言ったようなことは極めて顕著です。非製造業は一九九一年、一九九二年をピークに急激なマイナスに転じます。以降、大企業でも上に出たためしがありません。一回ちょっと出ただけで、ずっと不況なのです。 こういうのを見る限り、もう不況だと言っている時代ではないのです。世の中が景気が良いとか、世の中が景気が悪いという話をすれば、ずっと景気は悪いのです。しかし次の時代を創る会社というのは必ずあるはずです。世の中は景気が悪くても自分たちはうまくやっている、自分たちのやり方で成功しているという会社は間違いなくあるはずなのです。 今お手を挙げていただいたように、今年増収増益の会社は複数ちゃんとあるのです。 そう考えてみたときに、問題は経済全体が良いとか悪いとか言っている場合ではなく、自分がどうするかだということがはっきりと言えるのだと思います。 不況と好況、デフレとインフレということを少し図式的に考えてみたいと思います。このように景気の波があったとします。上を向いているときがインフレ。成長率が上がっている、所得が上がっている、物価が上がっている。そして下がっていくときがデフレ。物の値段が下がる、経済が縮小する。そしてまたインフレ。デフレ、インフレ、デフレ。 経済だけではなく、あらゆる自然現象というのは、このように振動しているのです。基本的に、定規で引いたみたいに一方的に上がり続けたり、一方的に下がり続けたりということはないのです。大きなトレンドとしてそういうものがあることはあっても、基本的には上がったり下がったりを繰り返しているのです。デフレが永遠に続くということもないのです。大体インフレに転じるのです。そしてインフレが永遠に続くということもないのです。やがてデフレに転じるのです。 インフレの時に起きる現象というのは量の拡大なのです。インフレはやはり量が問題になる時です。成長といったときも、どんな産業をやっているかではなく、いくら儲かったか。どうやって儲けたかではなく、何パーセント儲けたか。何を売ったかではなく、何本売れたか。量がものすごく重視されるのがインフレだと思うのです。 ところが量を重視するという時代は、一つの機械、一つのシステムをフル稼働させることによって量を生むわけですから、そのシステムや機械が時代に合わなくなってきたら、いくら機械を回しても物が余るばかりで、誰も買ってくれなくて、やがて行き詰まり迎えます。 そうすると時代はデフレに転じます。デフレに転じる時、つまり不況の時、この時やることというのは簡単に言えば量の反対で、質の転換なのです。機械をどれだけ速く回せるかではなく、どんな機械を作るか。システムをどれだけ効率的に回すかではなく、どんなシステムを作るか。これを考えて模索するのがこのデフレの時、不況の時なのです。 実は不況というのは非常に大事な時なのです。今までの量の拡大が止まった以上、機械やシステムを全部入れ替えなければならない、見直しをしなければならないのです。つまり今までの機械やシステムでは世の中のニーズを満たしきれなくなったという、まさにその現実が世の中をデフレに転じさせたわけです。だからここで大きく質の転換をしなければ、世の中始まらないのです。 ここで質の転換をすると、やがて何か転じてインフレが始まります。そうすると今度、量の拡大が始まります。そしてやがてまたデフレに転じて質の転換。 経済の上がったり、下がったり、好況、不況というのは基本的にこんな感じで動いているのだと思います。 非常に不幸なことに、この一九九〇年代の日本というのはこの質の変化を極めて嫌がったのです。すなわち質を変えないで、ゲリラ戦法的に今までのシステムをもう少し動かしてみて、何か儲かることはないか、みんなここに神経がいったのです。質を変えず、やり方を変えずに、システムを変えずにどうやって儲けるか、これを十二年試したわけです。 そしてはっきり言って失敗したのです。 そう考えてみると、失われた十年とよく言われますが、今回のこの事件というのはその直前のインフレがあまりにも峰、頂上が高かったので、この時に生まれた成功体験というのが相当な邪魔をしてしまったのだと思います。この成功体験があったために、自分のシステムが悪いのではない、自分の機械が悪いのではない、自分の考え方が悪いのではない、悪いのは世の中だという頭に自然になってしまったのがこの十二年間だったように思うのです。 しかしそこで、いやそうではないかもしれない、確かに世の中も大変だけれども、自分がもっと変われば次の時代が生まれるかもしれないと思ってこの十二年間いろいろ勉強し、いろいろトライをして、そして成功した会社は今本当に芽を出し始めているのです。これはすごいことだと思います。 今日のレジュメで「停滞が終わった」という表現をしています。いよいよこれが下に来たのだと思います。我々の乗った飛行機は、足を出しているか出していないか分からないのですが、滑走路の直前までくると思います。足を出さないまますってしまと、しりもち事故となってしまうし、あるいは叩きつけられてしまうと爆発炎上してしまうので、それだけは勘弁してほしいなと思うのですが、タッチアンドゴーのいちばんギリギリの所を我々はもうすぐ通過すると思います。 もう滑走路は見えていて、みんな「あー!」と叫んでいるわけです。近づいている。やばい。足は出ているのか。つまりセーフティネットみたいなものです。下についたときに壊れないための仕組みはしてあるのか。あるいはもう一回飛び立つための、エンジンをふかすための燃料は入っているのか。あるいは操縦士はちゃんといるのか。 こういうことを考えていったときに、セーフティネットは国にはもうない。燃料はあるのか。燃料は山のようにある。ただしエンジンをふかした時にエンジンが爆発しそうだ。エンジンのコントロールがどうもうまくいっていない。そうすると、ドーンといったはずみにハイパーインフレになる恐れがあるのです。インフレになった瞬間にハイパーインフレが始まってしまう恐れがあるのです。その話はおいおいしたいと思います。 インフレの頂点が一九八九年から一九九〇年、そしてデフレの底が二〇〇二年の一月から三月だと思います。ここで大体これが終わるのだと思います。ここがすぐに上がるかどうかというのはいろいろ議論がありますが、私は結構早く次にインフレがきてしまうと思うのです。 デフレの谷があまり深いと、ここで大体事件が起きるのです。つまり飛行機が下に行くときに、あまりスピードが速くて足を出していないと、滑走路に這うのです。要するにこの時に事件が起きるわけです。どうも事件が起きるような気がしてしょうがないのです。 今週号の週刊ダイヤモンドをご覧になりましたか? 例の倒産三十社リストが出ているのです。びっくりしました。よく言われている、危ない会社三十社です。A、B、C、D と書いてあるのですが、主要銀行や株価が書いてあるので、名前は誰が見ても一目で分かるのです。 ああいうのが出ると、大丈夫だと思っていた人も危ないと思うわけです。実際にああいうのを見て取引を控える人がいれば、まともにいっているのもまともにいかなくなるのです。 債権総額が二兆五千億円ぐらいあります。UFJ を筆頭にしまして、各主力銀行グループ、みんなすごい不良債権を抱えることになります。 一方で金融庁は特別検査をやると言っています。ペイオフ前に不良債権をもう一回よく調べてみると。そして株価はずっと下がったまま、不動産も下がったまま、アメリカの株も下がったまま。ドルはちょっと安くなっている。 さあ、何か潰したくてやっているみたいです。テロのようです。今回アメリカのビルに飛行機が突っ込みましたが、今の金融の様子を見ていると、わざと墜落させたくて誰かが操縦しているような気すらします。別に外国人がやっているというわけではなくて、日本人が自分たちの総意でやっているのです。不思議なことが起こるものです。みんなで突っ込んでいく、一億特攻みたいになってしまって、これはすごい事件だなと思うのです。 今回のワールドトレードセンタービルの事件を見ていると、どんな事件なのか、何となく想像がつくと思います。一一〇階建てのビル、四〇〇メートルのワールドトレードセンタービルに飛行機が突っ込みました。最初は倒れず、中で燃えていたのです。しかし一時間ぐらい燃えたところで、鉄がついに溶けてしまったのです。インシュレーションが剥がれて燃えてしまって、鉄が溶けたのです。鉄が溶けると上の階が下にドンと落ちます。その時の衝撃でその下の鉄がまた折れる、そしてまたドンと落ちます。そしてその衝撃で下がドンと落ちる。こういう形で一つひとつ順番にダダダダと崩れてしまったのです。あれは一瞬でした。ちょっとトイレに行って戻ってみたらビルがない、そういう世界でした。 私はあれは本当に象徴していると思うのです。私が一九九三年にソロモンを辞めた話はみなさんご存知だと思いますが、何が怖かったかって、こういうことが起きるのではないかというのがすごく怖かったのです。あまりにも変なデリバティブズを、デリバティブズの構造をよく分からない人たちにとにかく売りまくるのです。これはもたない。一旦おかしなことが起きたら、誰も始末をつける人がいない。 アメリカの金融機関という所は、景気が良くて、相場が上がっていって儲かる時は、金が稼げるのでみんなやって来るのです。しかし相場が反転したらみんな辞めてしまうのです。仕事ができる人から先に辞めていきます。 相場が反転して下がりだしたら何が起きると思いますか? いちばん物事が分かっている人はもういないのです。はっきり言ってあとの人たちは烏合の衆なのです。どうしていいか分からない。そして、ますます「俺も辞めよう。長居は無用だ」と思うわけです。残念ながらそういう世界がウォール街なのです。 そうするとこの最後に起きる事件というのは、一気にデリバティブズが瓦解することではないかと思うのです。大体今デリバティブズの残高が想定元本で八千兆円あると言われています。実際にはそれ以上に届けの定義に入っていないデリバティブズというのがあるので、ものすごく量は多いのだと思うのです。 私が一九九二年にソロモンにいた時に、ソロモンの幹部が言っていたのはどういうことか。ソロモンのバランスシートの資産の部が七千億円あったのです。これはバランスシートを見れば分かります。ところがこの下に、デリバティブズが百兆円あったのです。一九九二年の段階です。これは簿外資産で出てきません。 そしてニューヨークから来る幹部が酒を飲みながら自慢気に言うのです。「俺たちの会社はいくら資産があると思う? 一兆ドルだ。」最初はすごいと思いました。日本の一年間の一般会計予算が八十兆円ですから、それを上回る金額、百兆円あるわけです。 しかもこの百兆円というのは現物で持っているわけではなく、この百兆円の資産と負債をコンピュータで全部管理しているのです。毎日の株価や金利や為替レートを全部入れて、計算式を使って全部時価を出し、両方ポジションを調整して、百兆の資産と百兆の負債の差額、ほんのわずかな何億、何十億、せいぜいいって何百億ぐらいを稼ぐためにものすごく緻密なトレーディングを毎日、簡単に言えば二十四時間繰り返しているわけです。東京、ロンドン、ニューヨークと時差が回る中で、二十四時間ブックを回しながら、コンピュータで管理しながら、この百兆と百兆のほんのわずかな部分をプラスにするようにオペレーションをやっているのです。これは一九九二年の話です。 ですから、はっきり言ってこの世界というのは、上がりそうだから買って持っているというのとはまったく違うのです。よく個人投資家の方がなさるように、これから株が上がりそうだから、何かの株を買って持っている。そして上がって儲かったというのとは全く違う世界なのです。簡単に言えば、金融資産というのはコンピュータの上に乗っている一本の計算式なのです。計算式そのものが金融資産なのです。 もちろん契約書というのもあるのですが、契約書というのはたいしたことは書いていなくて、いちばんのポイントは計算式、一本の式なのです。いろいろなパラメーターに係数を入れると、値段がいくらとポンと出てくるのです。 これが全てなのです。これを操っているわけです。ですから手作りで何か物を作っている世界と、完全オートメーションでやっている世界との違いぐらいのものがあるのです。 しかし考えたらすごいことなのです。今言った計算式というものは関数になっているのです。ちょっと難しい話になってしまいますが、この関数式の中にいわゆる微分が出てくるのです。微分というのは、ほんのわずかに動いたときにどれぐらい動くかという計算式のことなのです。実は微分が入っているということに大変な意味があります。値段の動きとかボラティリティー、変化率が常に連続して動いていなければならないのです。連続というのはジャンプしてはいけない、あるいは発散していはいけないということです。突然値段が大きく動いたり、あるいは値段が極端な上下を繰り返したりすることがあっては計算ができないのです。そういうことがないという前提で微分は行われるのです。 工学の方もいらっしゃると思いますが、構造物でも何でも微分を使って式を使って物を作りますが、実際には連続でないことも起きます。例えば風の流れ方などで連続でないことがあります。その場合には安全係数といって、想定外のことが起きた場合にも多少はもつように、安全ののりしろみたいなものを少し余分にとっておくのです。 ところがこの金融の世界というのはみんな欲が深いのです。だから安全ののりしろをほとんどとらないのです。 飛行機だって安全だと言うけれど、安全を守っている最大の理由は、ものすごい暴風には突っ込まないことです。これ以上ひどい風のときには墜落する、空中分解するということが分かっているので、そこに突っ込まないということがいちばん安全な秘訣なのです。突っ込んでしまったら、どんな飛行機だって空中分解してしまうのです。 ところが金融の世界というのはそういうことをやる人があまりいないのです。どういう状況になったらこのオプションは破綻するとかいうことを研究している人はいないことはないのですが、実際にそういうものを使ってデリバティブズの安全運行を心がけているトレーダーなんて一人として見たことがありません。これはすごいものがあります。おそらく工学、飛行機、船などの運行の現場に携わっている人が見られたら、何をやっているのかと腰を抜かすと思います。瀬戸大橋だって、風があまり強くなったら通行止めになります。ああいうことをしないのです。この世界、むしろ風が吹くと、これは稼げる、チャンスだと思って出てくる人の方が多いのです。ちょうど操行のないゼロ戦みたいなもので突っ込んでいくのです。そしてボーンと破裂するわけです。 ですから過去デリバティブズが破綻して大騒ぎになるのは、たいてい値段に極端な上下動、あるいは不連続が生まれた時なのです。一九八七年のブラックマンデーがいちばん初めです。あの時も起きたのです。それから一九九三年のメキシコの危機の後、一九九五年のオレンジ郡、一九九八年のロシア危機の時のLTCM、みんな値段が極端な上下動、あるいは不連続を起こした時に起きたのです。 今回はちょっとやばいと思うのです。デリバティブズ金融というのはとにかくコンピュータの上で動いているのです。コンピュータの数式が全てなのです。私が昔勤めていたソロモンはビルが全部崩壊しました。なくなったのです。ワールドトレードセンターの七号館というビルで、テロから八時間後に倒壊しました。さあ、あれで何本の計算式がなくなったのだろうなと思うのです。 今、金融の裏側では何をやっているかというと、計算式が分からなくなってしまったり、あるいはいくら預金があっていくら借金があるか分からない人が結構出ていると見えて、やはり決済できない所があるのです。すると、FRB、中央銀行がそういう所に無制限にお金を貸してあげているのです。払いができないと、さっと中央銀行が出てきて金を立替払いしているのです。これを日本でもアメリカでもずっとやっているのです。 日銀へ貸し出す過剰な供給量が、日本の場合はテロ以降二倍、アメリカは約二十倍と言われています。これはどういうことかというと、資金繰りに詰まっている所があるのです。 つまり金に困っている所がかなり出ているのです。これはいろいろな理由が重なっていると思うのですが、金融は今かなりストレスがかかった状態です。 しかしこういう一時的な立替払いというものも決算期までの勝負です。決算期はやはりまたぐことはできません。仮払い、借受はちゃんと計上しなければいけません。さあ、そのときにどんな決算が出るかです。 一発目、CS ファーストボストンが出ました。しかし今出せるということはまだ被害が少ないからだと思うのです。 実は今から数年前に一度潰れたスイスのUBS は、SBC と合併する前にデリバティブズで巨大な損失が出て、結局決算をやらないまま合併したのです。決算ができなかったのです。 SBC がスイスバンクコーポレーションと合併したのは五年ぐらい前だと思いますが。この時に実はUBS はデリバティブズで巨額な損失を計上してしまったのです。あまりの損失の大きさに決算できなかったのです。そして決算する前にSBC に吸収合併してしまったのです。そういうことがあったのです。 ですから今回も、舞台裏では多分いろいろなことが起きていると思います。彼らの決済は三ヶ月毎です。前は九月で今度は十二月です。ですから十二月までに金融界には非常に大きな動きが起こると思います。 実はもちろんそういう損失を飛ばすこともできるのです。またデリバティブズを使って飛ばすことができるのです。飛ばそうと思えば飛んでしまいます。しかしこれは政府の関与が必要です。政府の関与、すなわちFRB とか様々な金融当局が認めない限りこれはできません。彼らが認めてやれと、一九九〇年代の日本の金融当局のように、損失を表に出すな、健全を装えと言い出せば話は別ですが、そうなる可能性も半分はあると思うのです。 しかし飛ばした損失はまたいずれ出てくるので、これは相当大きな事件になると思います。そのときにいちばん怖いのは、デリバティブズが六千兆円とか八千兆円とか言われていて、これも資産と負債のツインタワーになっているわけです。まさにツインタワーなのです。資産、負債、二本の巨大なタワーになっているのです。資産の部でも負債の部でも、どこか一ヶ所破綻が起きると、すなわち資産の部で言ったら、当てにしていた金が入ってこない、負債の部で言ったら、この負債が払えないというようなことが一ヶ所でも起きると、連鎖的に破綻をして次々資金繰りが困って、全部決済不能という事態になるかもしれないのです。 日本だったら、いわゆる先物市場に解け合いというのがあります。決済不能に追い込まれると最後のギリギリに解け合いというのがあり、行司みたいのが出てきて「もう取引やめい」と。そして最後裁いて終わりにしてしまうのです。そういう解け合いができれば別ですが、かなり厳しいことになるなと思います。 問題は八千兆のツインタワーの差額の決済は、これを現金でやっている所が大変なのです。これは子供銀行券とか、未来の手形とか未来の株券でやっている分には問題ありません。「お遊びでした」で終わってしまうのですからで済むのですが、この差額の決済を現金でやるのです。ですからここで現物経済ともろにつながっているのです。現物の資金繰りと実際の銀行経営とここでもろにつながっているのです。だからこれはなかなか大変です。 解け合いだって、日本の先物市場みたいに日本人だけで小さくやっているからできるのです、株式市場ではもうできません。これはもう完全にインターナショナルなわけですから、おそらく解け合いはなかなか難しい。 さあ、何が起きるのだろうか。私はずっと見ています。アメリカでそういうことが起きれば、はっきり言ってニューヨーク発の世界恐慌です。再びニューヨーク発なのです。二度目の世界恐慌もおおいに可能性はあるのです。 そうなってきた場合、日本にもヨーロッパにも非常に急速に波及すると思うのです。ですからそういう事件をきっかけに、日本も最後の金融の大掃除がこれから始まるのではないかという感じがしているのです。 そういうことがあれば、この十二年の停滞はやっと終わりを迎えます。銀行の問題に最終的にけりがつく、これで峠を越えれば、日本的には半分は終わりができたことになります。 そして銀行を整理すれば当然財政がもたなくなります。すなわち銀行に国債を買ってもらって政府は動いているので、銀行を整理したら国債を買ってくれる人はいなくなるので、政府も機能不全に陥ります。政府が機能不全に陥れば、今度国がやっている様々な事業が全部機能不全に陥ります。そうすると国の整理、官の整理になります。官が整理されたら、官に頼っている民間はやっていけません。官に頼っている民間も整理になります。 ですから銀行が片がつけば、次は官なのです。そして官が片付けば最後民なのです。ここまでいくと、一応デフレの大底なのです。そこがデフレのいちばんの大底なのです。 本来は今言った終わりということを、ここで一気にやるのではなく、この十年間で自分たちの手でやっていくべきだったのです。市場がぶっ壊しにくるのを待って見ているのではなくて、自分たちの手でやっていけばよかったのです。しかしそれをやらなかったのです。自分でやらないから天が代わりにやってしまうわけです。自然がやってしまうわけです。 でもやってしまえば、終わりは終わりなのです。そうするといよいよ次のインフレです。 ただ今度インフレというときによく気を付けてください。さっきも言ったように、インフレは構造変化、質的変化をやった人からやってきます。インフレで儲かる、インフレで利益が出るのは、構造変化が終わった人だけです。つまり次の成長にいくには、パスポートに一つハンコが要るのです。このハンコがないと次の時代が来ても上には上がっていけないのです。 このインフレの入り口に検問所みたいな所があるのです。そして一人ひとり、あるいは企業ごとにパスポートみたいに見せろと言われるのです。あるハンコが押してあるか、押していないか。押してある企業、押してある人、押してある不動産、押してある株は上がっていきます。押していない人は押してもらうまで、そのハンコをついてもらうまで、もう少し戻って努力してくださいと言われるのです。努力して、構造変化が終わった、新しい時代に対応できるシステムになった、新しい時代にふさわしい知識や実力を得たというところまで自分で努力していただいて、ハンコをもらってもう一回来てくださいということになります。 ですからその変化が遅くなればなるほど、時代はどんどん前に行ってしまうのです。しかしここから先、一歩も進めないのです。これがインフレの本当の姿です。 今までは、特に昭和の時代はいろいろな事情があり、遅れている人もかまわず前に押し出してしまったのです。良い意味でも悪い意味でも、国家総抱え、家族みたいにやっていたのです。しかし未来永劫そういうことになるとはあまり思いませんが、今目の前に来ているインフレは、今までのインフレとは違います。みんな一緒には上がれません。 一九九〇年代、我々が意図せずしてやっていた変化があるのです。意図してやる変化はあまりないのですが、意図せずしてやってしまった変化があるのです。なぜかと言うと、俺さえ良ければいいというやり方なのです。別の言い方をすれば個人責任、自己責任です。 自分の力で未来を切り開くのだ。この常識が一九九〇年代、意図する、意図せざるに変わりなく日本の中にもすごく浸透したのです。 だからここで一人ひとりパスポートを見せなければいけないのです。あなたはハンコがありますか? これが必要になってくるのです。こういうことを一回ぐらいやると、これはあまり大変なことだから、もう少しやり方を変えようということで次はまた別のやり方があるのではないかと思うのですが、残念ながら今回だけはそうです。 一九九〇年代に我々がやった結果として見たときに、ちょっと変な形での個人主義を入れてしまったのです。リーダーシップのない個人主義なのです。チームワークのない個人主義を入れてしまったのです。だから単にバラバラに壊しただけだったのです。だからこれが要るのです。 企業でいったら、インフレ率と同じぐらい利益が出る会社だけがインフレで良い時代だと言います。個人であれば、インフレ率と同じかそれ以上のスピードで賃金が上がる会社、自分の働く賃金が上がっていく人だけが良い時代だと思えるのかもしれません。不動産であれば、インフレ率と同じかそれ以上のスピードで賃料を上げられる不動産が良い不動産、つまりこのインフレで追い風を受ける不動産。株であれば、その会社がインフレ率と同じか、それ以上のスピードで利益を伸ばしている会社、そういう会社が発行している株だけが上がってくるのだろうと思うのです。 今回は日本まとめてではないのです。一人ひとり、企業ごとに、構造変化済みというハンコがついているかどうかが試されてしまうのです。ですからここは本当に頑張らなければだめなのです。 この十二年間に、とりあえずそういうことをやってきた人だけがこれに入ってきます。 だから今そういうことがない人がだめだというわけでは全くないのです。そういうことはないのです。やっていけば、インフレというのはどうやればうまくいくのかという姿が見えてくるのです。 今年増収増益の会社ということで手を挙げていただきました。しかしどういう会社なの かは今お聞きすることもありませんし、どういう会社で増収、増益になっているか、これが正当なやり方だということを我々はまだ知りません。まだ日本全体で意見はまとまっていません。しかしこういうのが長く続いていけば、これが成功のやり方なのだというのが必ず出てきます。その時代にふさわしい成功企業というのが目に見えて、こういうものだと分かります。 そうすると、まだパスポートにハンコをついてもらっていない人も、非常に早いスピードで、とりあえずハンコをつくところまではできるようになります。すなわちもう迷う必要がないからなのです。いろいろ模索する必要がないのです。これをやれば成功するのだと分かれば、それ一点に絞って変化をやって勉強していけば、一応パスポートにハンコはもらえるのです。 ですから最後までみんなが取り残されるということはありません。そういうのが出てくれば、どんな人でもここから上がっていきます。 しかし大事なことは、その時に、最初に階段を上がっていった人はもうこの辺にいるということです。みんなが分かって、これが成功の仕方なのだと全員がその一つのやり方を真似したとき、先頭にいる人はもう大体その次に降りているのです。そういうものなのです。 今でも本当に不思議に思うのですが、シアトルのワシントン大学で初めてリーダーシップ研修をやった一九九九年秋、帰ってきてから私は大学に問い合わせをしました。今、アメリカでも日本でもIT が流行っている。だからIT に詳しい先生の授業を聞きたいけれどどうか、という質問を一九九九年の九月か十月に出したのです。どういう答えが返ってきたと思いますか? 一九九九年だからまだ株が暴騰する直前です。何という答えが返ってきたか。 実はドット・コム・カンパニーは一社も残らないかもしれない。だから今いる先生たちが話をしたのでは間に合わないかもしれないから、外部から先生を連れてこなければいけないかもしれない。こういう答えが返ってきたのです。 シアトルはまさにインターネットの世界の最先端の一つです。マイクロソフトもあるし、アマゾン・ドット・コムもあります。そこの大学の人がそう言っていたのです。株が暴騰する前なのです。つまりもうドット・コムは終わりだとはっきりと言っていたのです。 みんなIT の周りでうろうろしているのです。しかし先端を行っていた人たちはもう降りようとしていたのです。どうやって降りようか、もう考えていたのでしょう。降りてしまったら話を聞けないから困ったなと。 だから非常に親切で、証券会社の営業みたいなことはしなかったのわけです。非常に親切にしてくれて感謝をしているのですが、そういうものなのです。先頭と最後はすごく違うのです。 先頭の人は未来永劫先頭かというと、それは保証はできません。また下がっていったときに、先頭にいた人でも、ここで構造転換をやらなければまたビリになります。 後でやりますが、今回のリーダーシップ研修でありました。構造変化が苦手な会社の多くは、過去に成功体験のある会社だという分析があったのです。 新しく会社を創る人のことを考えてみてください。お客さんの注文には全部フレキシブルに答えようとします、そうでないと注文を貰えません。どうしてお客さんの注文を断るのか、どうして世の中が変化しても俺は関係ないと言い出すのか。それは自分に成功体験があるからなのです。企業の人たちが成功体験を持っているから、今までのやり方で成功したから、もう変化する必要はないと言い出すのです。 ですからここで先頭を駆け上がっている人でも、今度時代のやり方が変わってきたときに、この成功体験が邪魔をしてビリになる可能性はいくらでもあるのです。ですから一刻たりとも油断はならないのです。生きている限り、一刻たりとも油断はならなくて、常に勉強していかない限り時代の先端というのは踏むことはできません。ですからここで先頭を上がる人が未来永劫先頭であるということは全くないと思います。 しかしとにかく時代はそんな感じですから、なるべく早くこの階段を上がってしまうことです。なるべく早くこのハンコをもらうことです。それがいちばん肝要だと思うのです。 具体的に何をすればそのハンコをもらえるか。そのハンコというのは、世の中の本を見れば収益還元法が分かって、時価会計法が分かって、例えばIT が分かって、バイオが分かって、いろいろとあります。しかしその中でもあまり役に立たないものもあると思うのです。あるいはその一つがなかったので、他は全部勉強したのだけれど、何も身にならなかったということもあると思います。 私はここを上がるときにいちばん大事なのがリーダーシップ理論だろうと思うのです。 ハンコはついて上がれるのかもしれませんが、成功したと思えるのかもしれませんが、新しい時代のリーダーシップ、この一点を逃すと、あとどんな主要末節をやっていても決して時代についていけないと思うのです。何かそういう秘密のタネみたいなものがあるという感じがするのです。 それは少し長い目で見てみれば当然なのです。この前の時代はみんなバラバラになっていた時代なのです。だから次の時代の成長は、バラバラにした人を集めるところから始めるに決まっているのです。だから集め方が分かっている人が成功するに決まっているのです。少し長い目で見てみれば、簡単な理屈なのです。バラバラになってしまった人を集めてくる力を持っている人。これが少なくともこの時代の先頭を創る人だろうと思うのです。 そういう技術が分かれば、その技術は常に応用していくことができる技術です。 戦争など、世の中いろいろ変な事件が多いです。しかし直接それに関わっている人を別にすれば、今大事なのことはここです。ここでよくいちばん大事なことを勉強するということが何にもまして大切です。 いちばん意味がなさそうなのは、明日銀行が終わるか、あさって銀行が終わるか、これだけ考えてブルブルしている。これがいちばんよくありません。過去十二年間の日本と全く同じです。潰れる、いや、まだ大丈夫。潰れる、まだ大丈夫。これを十二年間やってきたわけです。もうこれから先、そんなことをやっている時間は多分ないと思います。 「テロ報復戦争の状況」 さあ、それで少し目の前の話に戻します。いよいよテロの報復戦争の話です。これは非常に深刻な話です。昨日ある会があって行きましたら、一人ひとり話をしていて、自分の親族が自衛隊に入っているという人がいきなり泣き出してしまったのです。「悔しい。どうしてこんなことのために行かなくてはならないのか。」自衛隊は今そんな感じなのです。 この間赤坂オープンランチをやっている時も、ある一人の初老の男性がいらっしゃったのです。「会員ではないのですが、行ってもいいですか?」という電話がかかってきて、「どうぞ、おいでください」ということでおいでになられたのです。座ってずっと聞いておられました。 最後、「感想、ご意見ごさいますか?」とおうかがいしたら、やっと口を開かれました。 「今は別の会社にいるのですが、私はついこの間まで、自衛隊の情報学校で副校長をやっていたのです。」すごい人が来たなと、自衛隊の情報学校の副校長さんが一体何のご用でいらっしゃったのかなと思いました。いろいろ聞いてみると、悔しくてしょうがないらしいのです。「何の国益で俺たちは行くのだ? 国益も何もないではないか。何しに俺たちは追いやられるのだ?」とおっしゃるのです。 中曽根さんの時以来、空軍と海軍、空事と海事はアメリカの言いなりになってしまっている。毎年毎年ハワイでアメリカの国防会議みたいなのがあり、日本側に買い物リストが陸・海・空と三本来る。中曽根さん以来、海と空はそのリストそのまま買い物をすることになっていて、陸だけは言うことを聞かないで、自分たちでやることだけやっているのだけれど、海と空はそんな調子だと。今回もその海と空は行くわけです。 「今の小泉さんに何点つけますか?」と聞くと「三十点」とおっしゃいました。要するに国益も分からず、軍事も全く分からず、人を動かすということは何事ぞと。あれは相当怒っておられるような感じでした。こういう所に来て自分の出身を明かすぐらいですから、相当怒っているということです。 今週、来週でこの法案がどうなるかが決まるのです。大変なことになると思います。おそらく行くという話になると思います。行くという決断をした理由はただ一つしかないと思います。私も友達が役所や永田町にいるので分かるのです。理由はただ一つです。それはアメリカとヨーロッパが作った世界の序列の中で、日本の地位を上げたいのです。それだけなのです。世界秩序の中で日本の地位を上げる、序列を挙げるということが最大の目標なのです。 これが日本の未来を創るのだと真剣に信じている人もたまにはいるのです。しかしそれは分からないけれど、とにかくアメリカについていくのがいいことだとそれだけ信じている人もいます。その方が多いかもしれません。そんな感じなのです。 実は日本にとっても戦後最大の危機なのです。場合によっては自衛隊は大変なことになります。どこに銃口向くか分かりません。いよいよとなったら、どこに銃口が向くのか分からないことになります。 「オサマ・ビンラディンの開戦演説」 お手元の資料の(2)にオサマ・ビンラディンの開戦演説が出ています。オサマ・ビンラディンの開戦演説はCNN に出ました。もう片一方でブッシュ大統領の開戦演説もあるのですが、ここには載せていません。なぜならば、ブッシュ大統領の開戦演説は非常にひどい開戦演説だったのです。何のために戦争をやるのかということが文章の中で何回か変わるのです。また、戦争の目的が極めて曖昧に書いてあるのです。非常にひどい開戦演説でした。ですから開戦演説を見る限り、どう考えてもオサマ・ビンラディンの方がこの戦争をしっかりとやっているはずです。 どうしてそんなことになったのかという話は後でちらっとしたいと思いますが、驚いてはいけません、ビンラディンの演説に日本が出てくるのです。日本を攻めると書いてあるのではないのです。どう書いてあるか。上からざっと見ていきます。 「神様の教えに従って」という話から始まるのです。ブッシュ大統領もそうです。「神様 の教えに従って」と。 そうそう、自衛隊の副校長はこう言っていました。今回テロの後、戦争をやることになって、「ブッシュ大統領は神のご加護あれ」と言っていた。確かアイゼンハワーも昔そう言っていた。大体ああいうことを言うのは、心の中でやましいことをやると思っているから言うのだと言っていました。お互い自分の所の神様に必勝祈願をしているのです。さあ、みなさんにうかがいます。 ブッシュの拝んでいる神様は誰ですか? それからビンラディンの拝んでいる神様は誰ですか? 実は同じ神様なのです。キリスト教とユダヤ教とイスラム教というのは同じ神様なのです。預言者が違うのです。これは実に珍妙なる戦争なのです。一人の神様に、「俺を勝たせてくれ」と言ってお互い必勝祈願しているのです。こういう戦争というのは面白いなと思います。どうしてこういうことになっているのかなと思います。 とにかくアメリカをやっつけろと書いてあるのです。上から三つ目のパラグラフです。 「アメリカはテロでやられて苦しんでいる。この様子はイスラム教徒の人たちが何十年にもわたって受けてきた苦労のほんの一部なのです。我々は過去八十年間、こういう苦悩を味わっている。」 さあ、みなさんにうかがいます。八十年前というのは何があった時ですか? 一九二〇年です。つまり第一次大戦の後のいろいろな仕組みができた時なのです。イスラエルの建国ということが認められ、つまり第一次世界大戦後の世界分割なのです。あの時以来と言っているのです。ですから相当根の深い話をしているのです。 あとずっと下にいきます。「今、イラクでは毎日罪のない市民や子供たちが殺されている。こういう状況なのに、自分たちのイスラム教の聖職者から宗教上の命令が全く出ない」と書いてあるのです。すなわち無実の同朋が殺されている。これを救えとか、これをやっつけろというような宗教的命令をどうして出さないのだと非難の刃をイスラム教の聖職者に向けているのです。 アメリカが攻撃しているのをまず真っ先に非難しています。そして同じように、どうしてアメリカに対して戦うと言わないのかとイスラム教の聖職者にも矛先が向いているのです。 それではみなさんにうかがいます。どうして言わないのですか? 一番の理由は、イスラム教自身も欧米の世界秩序の中で平和に暮らしたいからです。日本と同じなのです。「日本は、日本は」と世界に誇示して自分一人でやるよりは、世界の秩序の中で平和に暮らしたいのです。イスラム教の人たちも大半はそうなのです。今さら戦争などをやって全部お膳をひっくり返して、「俺たち、俺たち」とやるよりも、今の秩序で平和があるなら、この秩序の中で平和に暮らしたいと思っているのです。 これはある人たちから見れば大変な堕落なのです。堕落であり、未来を潰すことであり、いつも虐げられている境遇を自分で選択することになるのです。 そういうことを言っているのです。聖職者にも向けられています。 そして中で下から四つ目のパラグラフです。「実は日本でも何百人、何千人も殺された。しかしこれは犯罪ではない」と書いてあります。これは太平洋戦争の時の原爆の話をしているのです。「原爆で殺されたのに、アメリカは罰せられていない。」どういうことですかと日本人に言われているのです。日本人に、「あんたたち、いいの?」という話なのです。 「どうしてアメリカに犯罪だと言わないのですか? いいのですか?」という話をしているのです。 そして同じようにイラクに関しても言っているのです。「同じようにイラクでも人が殺されている。イラクの人たちはアメリカはけしからんと言っていますが、他の国の人たちはイランはけしからんと言っている。」 これはすごい開戦演説だと思うのです。リーダーシップ理論の中で最大のものは、異なる考え方、発想を持った人たちを集める重要なポイントは、何のために集まるのかという目標なのです。ミッション、バリュー、ビジョンとよく言いますが、どうしてこうやってお互いに違いを超えて集まるのか、違いを超えて一つの目標のために共同して働くのか。なぜチームワークを組むのか、その目標、目的、これが非常に重要なのです。 頭で分かっているだけでは中途半端なのです。みんながなぜこういうことを一緒にやるのかということを腹と心で分かった時に、ものすごいチームワークがわいてくるのです。 ですからミッション、バリュー、ビジョンにしろ、あるいはこの開戦演説にしろ、人の気持ちと腹に響いたものが勝ちなのです。ものすごい力がわいてくるのです。 これはすごいことを言っているのです。すなわちこういう話をされたら、まずアメリカはたじたじです。日本の話をされているのです。原爆を落としたのはアイゼンハワーです。彼は生前、お前だけは天国に行けないとずっと言われ続けました。半分ジョークで半分本気なのですが・・・。なぜならお前は人類最大の罪を犯したからだとずっと言われ続けたのです。アメリカはそのことを言われているのです。 これは反論できません。彼らは「戦争を終わらせるためだ」といつも言うのです。しかし戦争を終わらせるために何をやってもいいのかとなると、今は違います。核爆弾はだめだし、生物兵器もだめだし、核兵器もだめだし、いろいろ禁じ手があります。そのことを言われたらアメリカは反撃のしようがないのです。アメリカ人もこれを直接言われたら困ってしまいます。この話は「いやー」としか言いようがありません。 ここまで言われれば、今度はイラクの側もイスラムの側もよく分かるわけです。敵はアメリカだけではない、確かに無実の民も殺されているなと。どうしてうちの宗教の指導者は悪いと言わないのだろうか。これは非常に簡単な表現で、自然にそう思えるでしょう。 こういう演説は頭と心と腹に響くのです。こういう話になると非常に大変なのです。 いちばん最後の所、もっとすごいことが書いてあるのです。「今、アラビア半島に向けて変化の風が起こったところだ」と書いてあります。 みなさん、これ見てちょっと奇妙だと思いませんか? 戦争はどこでやっていますか? アフガニスタンでしょう。あれはアラビア半島ですか? 違うのです。アラビア半島ではありません。風はアラビア半島に向かって吹いていると書いてあるのです。アラビア半島というのは何がある所ですか? サウジアラビアがある所です。サウジアラビアの中にメッカがあります。つまりイスラムの一番の聖地がある所です。サウジアラビアと言っているのです。 つまりここの最大のポイントは、イスラムの中でいちばん堕落しているのがサウジアラビアなのです。サウジアラビアの王家がいちばん堕落して、アメリカとつるんで石油の利権を売り渡し、自分たちは金をしこたま貯め込んでいるのです。だから今非常に見苦しい姿になっているのです。そこを非難しているのです。 要するに全イスラム言ったときに、ビンラディンは非常に気をつけた表現をしているのです。イスラム教の今いる聖職者、政府のトップまで含めて一緒にやろうという話をしているのではないのです。彼が言っているのは、アメリカにしろ、イスラムにしろ、今のトップにいる連中はけしからん。だからイスラムの下にいる連中で一緒にやろうという話をしているのです。 こういうのを聞けばサウジアラビア政府だって、インドネシア政府だって、中国政府だって、ロシア政府だって、イスラム教徒が国内にいるのですからびびり上がります。いよいよイスラム過激派は横の連帯で攻めに来たということです。そういう話なのです。 しかし彼はこの戦争演説で、どうやったら戦争が終わるかもちゃんと書いているのです。 戦争というのは始まりがあれば必ず終わりもあるのです。この終わりが大事なのです。どうやって終わるかが非常に大事になります。 それが最後のフレーズです。この我々の土地というのは、戦争を呼びかけている人たちが住んでいる場所ということでしょう。「我々の土地、それからパレスチナで平和がくるまで」と言っているのです。 ということは、ここからアメリカが出て行くまでということなのです。つまりアメリカが出て行って、ヨーロッパが出て行って、自分たちで支配し、自分たちの政治、社会ができるまでという意味なのです。 この最後のフレーズは、ここには出していませんが、タリバンの総帥のオマルという人の開戦演説ではもっとはっきり書いてあります。あの人の開戦演説を見ると「アメリカがイスラムの地から出て行くまで」と書いてあります。 だから戦争の終わり方をちゃんと言っているのです。どうやったら矛を収めるか、どうやったら刀を引くという話を彼はちゃんとしているのです。 これはすごい開戦演説だと思いました。極めて短いのです。しかも極めて簡単な英語で、ちょっとブロークンな部分もある英語を使っているのですが、ものすごい開戦演説です。 こんなのを相手に戦ったら、はっきり言って勝てません。 少しでも物事を分かった人なら、こんなのが出てきたら即和睦です。第三者を中に入れるのです。みなさんだったらこの中で誰を第三者に入れますか? 今世界で誰を入れますか? この開戦演説の中で唯一第三国に入っているのが日本なのです。日本しかないのです。 つまり日本が「アメリカも許すし、お前も許す。退け」と。こういう可能性はあります。 スイスという話もしていないのです。ビンラディンは唯一日本と言っているのです。ここは非常にポイントなのです。 ですから今回の戦争というのは非常に大変な戦争なのです。決して他人事ではないのです。恐ろしいことです。 「『文明の衝突』と近代の終焉」 それでは次の(3)を見てください。こういう話になってくると、いつも出てくるのが文明の衝突という話です。そこに書いてあります。 ポスト冷戦の世界では、イデオロギー対立に代わり文明の対立が紛争の主要因になるとする仮説があります。ハンチントンという教授が一九九三年に発表したのです。これはものすごい批判を浴びました。世界の八つの文明があります。そして最終的に西欧型社会と非西欧型社会の激突が起こるだろうと書いてあるのです。 今回も西側諸国はアメリカを盟主として、基本的には集団的自衛権を行使しています。つまりアメリカに対するテロは自分たちに対するテロと同じだとみなし、各国政府が手段的に戦おうとしています。 しかしこれがイスラムに起きたら何が起きると思いますか? 今、アフガニスタンは叩かれています。フィリピンやインドネシアも叩くと言われています。あれは本拠地を移すからなのです。アフガニスタンがどんどん叩かれるでしょう。そうすると彼らは本拠地を移すわけです。その移した先を爆撃するぞと言っているのです。 そうすると、イスラムの世界も集団的自衛権という考え方があるのです。これがジハード(聖戦)なのです。ジハードにもいろいろなジハードがあるのですが、ジハードの中の一つは集団的自衛権なのです。これは暴力団や暴走族が、仲間がやられたらみんなでやり返しに行くのと全く同じ発想なのです。 彼らがこれを発動し、イスラムの聖職者が集団的自衛権を言い出したら、もう地獄です。まさに正真正銘の文明の衝突です。まさに第三次世界大戦です。これは大変なことになります。 この数日間、そんな話になりつつあるのです。サウジアラビアがイギリスのブレア首相の訪問を断って追い返したのです。エジプトにも行ったのですが、アメリカの特使は釘を刺されているのです。要するにイスラム教に対する攻撃ではないかという声が多い。それでアメリカは「これはイスラムの対する攻撃ではない」と必死に言っているのです。パキスタンでも話が出ています。パキスタンではついに同朋を助けに行くという義勇兵が出てきました。 さあ、大変です。実際にはイスラムの側も集団的自衛権ということになってきているのです。そうすると集団的自衛権と集団的自衛権の激突という話になりつつあるのです。これは大変です。 そうしたら日本だって、ここから先分かりません。内堀通りから中にはしばらく入らないほうがいいと思います。 貿易センタービルのテロは、無実の一般市民がと言われますが、私はそうは思いません。 私は軍人がやられたのだと思います。あの貿易センタービルで働いていたのは軍人です。私がアメリカの金融界に勤めていて感じた実感で言えば、彼らにとってみれば鉄砲弾とお金は同じものなのです。同じものの裏と表なのです。金を入れる。そしてその国を支配する。彼らが昔からやっていることです。 イギリスがエジプトに金を貸し、金を返せないという状況に追い込んで保護国にしてしまう。日本だってそうでしょう。金を貸して金を返せない。リップルウッドなんかにとられてしまったでしょう。韓国だってそうでしょう。 金と鉄砲弾というのは同じなのです。金は平和な場所に突っ込めるのです。そして鉄砲弾は紛争が起きている場所に突っ込めるのです。平和か平和でないかによって突っ込む弾が裏か表か違うだけで、あれは同じものなのです。 今時ウォール街のあんな所で働いているということは、もうアメリカの国益の鉄砲弾として働いているようなものです。よくあんなことをやっていると思います。どうしてもっと早く逃げなかったのか、どうしてもっと早くやっていることの意味が分かって辞めなかったのか、その方が不思議だと思います。 今回国防総省と貿易センタービルの両方に突っ込みました。あれはアメリカが世界に伸ばす腕なのです。同じ腕なのです。同じ人なのです。ある時は鉄砲弾、ある時はお金、両方ともアメリカが世界に伸ばす腕なのです。ここをやられたのです。 日本だったらどこをやられると思いますか? この腕ですか? 自衛隊? しかし自衛隊は行きたくないわけです。一般の市民を殺しますか? この開戦演説を見る限り殺せません。そんなことをやったら自分も同じ犯罪者です。やるとしたらここです。腕の部分です。腕を決めた頭の部分です。非常に危険なのです。だから近寄らない方がいいと思います。 私は昔イギリスで爆弾テロに遭ったことがあります。三〇〇メートル前にドーンときたことがあります。爆弾というのはすごいのです。もう血の海になります。 それから昔、わが社に勤めていたアルバイトの人が地下鉄サリンに遭ってしまったことがあるのです。乗っていた電車にサリンを撒かれてしまい、来た時は何ともなかったのですが、帰ってから視野が狭くなり大変なことになってしまったのです。 テロというのは遭ったらおしまいなのです。銃の乱射なら、一発銃声を聞いた時に伏せるとか逃げるとか、まだ余裕があるのです。爆弾や化学兵器というのは瞬間に答えが出てしまうのです。ああいう所は危険ですから、戦争が終わるまで寄らない方がいいのではないかと思うのです。 「武器の売買はマネーロンダリングにならないのか」 資料の(4)です。「Opium Income Still Founds Taliban」と書いてあります。このタリバンはアフガニスタンにいますが、資金源の一つが大麻の栽培、麻薬なのです。麻薬というのは非常に危険なもので、世界中で大体どこでも禁止されています。麻薬を売った資金を動かせばマネーロンダリングなのです。 しかしこのタリバンのところをイギリスに換えたら、このopium は何に変わると思いますか? 「○○ Income Still Founds UK and US」となったら、同じような文脈でopiumの所に何が入ると思いますか? これは武器なのです。 タリバンは依然として麻薬を売って金を儲けている。まだこんなことをやっている。西洋人は決して言いませんが、アメリカやイギリスやヨーロッパは依然として武器を売って儲けているのです。 武器の売買はマネーロンダリングにならないのです。テロリストが武器を買えば、テロリストはマネーロンダリングになるのです。しかし武器商人そのものはマネーロンダリングの対象者には入らないのです。ものすごいダブルスタンダードなのです。 刀狩ではありませんが、武器をなくせば戦はやむのです。そう考えてやる刀狩というのがあります。刀狩をやろうとしないのです。たまにチラッとやることがあるのです。ほんのお気持ちばかり・・・。しかし刀狩はやるのですが、こちらでどんどん刀、武器を売っているのです。だから古い武器を捨てさせて、新しい武器を買わせるわけです。これは完全なダブルスタンダードなのです。 よくこういうふうに記事を書くなと思うのですが、タリバンの側、つまり今のテロリスト、アンダーグラウンドの連中、アウトローの連中はまず一つ麻薬なのです。こういうダーティーな部分があります。そして支配者の人たち、アメリカやヨーロッパですが、彼らの中には武器の売買というのが非常に大きな資金源として入っているのです。この欧米の世界の書いた構図というのはすごいものです。 私はスイスの銀行と付き合いがありますが、あの銀行は女王陛下のお手元金の御用をやっている銀行なのです。いろいろ話を聞くと、彼らのやっていることというのはやはりすごいです。何と言うか、完全なダブルスタンダードです。 「今回の事件の黒幕はイギリスか」 それから(5)を見てください。そこに一つ地図が出ているのですが、これは実は九月十四日のフィナンシャルタイムズの記事なのです。テロ後に出た地図です。これからアメリカが攻撃しそうな場所を書いた地図なのです。これは非常に面白いのです。パキスタンが対象に入っているのです。 すなわちこれはイギリスの新聞が出したものです。あのテロがあったときに、誰がいちばん最初にこれはテロリストの仕業だと言ったかご存知ですか? イギリスなのです。イギリスのどこかの通信社が、そういう情報を未確認の情報として流したのです。 どうしてアメリカが情報を流さなかったかというと、びっくりたまげていたのです。アメリカ政府は、テロが起きた直後はとにかくびっくりたまげて大混乱状態だったのです。 イギリスが最初にさっと流したのです。 私は今回の事件はイギリスが黒幕だと思います。アメリカとヨーロッパ、ユーラシアと二股をかけて、連中が描いた絵だと私は思うのです。 非常に面白いのは、パキスタンをアメリカが叩くとイギリスの新聞に書いてあるのです。そしてパキスタン政府は最後、必死に寝技を使ってアメリカに寝返ったのです。しかしパキスタンの国民は、あまりの急激なことにそこまで頭が追いつかない。だから依然としてタリバンを支持しているのです。これはすごいことです。パキスタンがいちばん危険な場所なのです。 でもこういうのを見ると非常に奇妙です。始めからちゃんとどこを攻めるか絵が描いてあったような感じがするのです。注意深くちゃんとターゲットが選んであって、その中にパキスタンが入っている。だからもしパキスタンがアメリカ側に寝返らなければ、インド洋にイギリスの島があるのですが、ここからまずパキスタンを叩きに行ったのではないでしょうか? パキスタンを確保しないとその先アフガニスタンには行けませんから、まずアフガニスタンへの交通路を確保するために、パキスタンを叩きに行ったのでしょう。そこがあっさりアメリカに寝返ったので、とりあえずパキスタンは兵を進めたわけです。ところが今はパキスタンの中で義勇兵が出る騒ぎになってしまって、怪しくなっているわけです。 これは非常に貴重な地図です。つまりまだ開戦する前に、イギリスはパキスタンを攻めると言っているのです。このあたり、今回のこの戦争がどうなるのか、よく分かるような気がします。 「戦争がグローバル化した経済に及ぼす影響」 さて、戦争の話はそれぐらいにして、何せ戦争経済なので経済は本当に大変です。次の資料(6)です。大体今の時代の経済、戦争で景気が良くなるという時代では全くないのです。朝鮮戦争や冷戦の時代であれば、戦争によって経済が持ち上がる、特需があるという話もあったかもしれません。しかし今や武器は世界中に余っているのです。 それと同時に、平和であるからできるビジネスも非常に多いのです。例えば国際分業という言葉がよく言われます。世界中で分業して一つの会社が仕事をしていきましょうということです。ある部品はオランダで作る。ある部品は中国で作る。ある部品はインドネシアで作る。そして最終的にインドで組み立てる。そしてそれをアメリカとヨーロッパで売るというようなことを世界中の人々はやっているのです。すなわち、安全というものがあるからこれができるのです。 しかし戦争であの国は危ないとか、あるいは飛行機が危ないというようなことになると、こういう分業というのが成り立たなくなります。今こういう時、とにかく昔と同じようにどんどん飛行機に乗って世界中に行けとは言えません。飛行機がいつ落ちるか分からない。テロがあるかもしれない。今日なんか、聞きましたか? 二、三日以内に重大なテロがあるかもしれないなんてアメリカ政府が言っているのです。みなさん社長だったらどうしますか? 今日これからニューヨーク出張があるという人に、「行け」と言えますか? お前の責任だといっても業務命令ですから、悩んでしまいます。 こういうことになると、やろうとしていた仕事がどんどんキャンセルになるし、経済はどんどん落ち込んでいってしまうのです。アメリカでは五日間飛行機が止まりました。五日間飛行機が止まったために、アメリカ国内でも製造ラインが止まってしまった所が結構多かったのです。 アメリカも今や、製造業ではトヨタのカンバン方式をみんな取り入れているので、工場の中に在庫がほとんどないのです。つまり必要な時に必要な部品がさっと届くような配送体制を組んでいるのです。ですからこんな感じでアメリカ全体の飛行機の輸送が五日間も止まってしまうと、部品がなくなってしまうのです。一つでも部品がなくないと、例えばホイールがないと車は出荷できません。ホイールは後から送りますというのでは出荷にならないでしょう。そうするとやはりラインが止まってしまうのです。製造業などでもこういうことが五日間の間に起き、大変なことになってしまったのです。 今や国際分業が進み、非常に効率的な交通に頼った製造業になっていると、戦争の時代に栄えていくということはなかなか難しいものがあります。ですから一刻も早く戦争が終わってもらうしかないのです。 今さら昔の冷戦時代のように戻るわけにはいきません。世界の人たちは世界を知ってしまいましたから、今さら下に戻ることはできません。あの冷戦というのはその前の時代、人々が世界を知らないからできたのです。壁の向こう側、西側の人たちはとにかくみんな失業してしまってひどい生活をしている。社会主義こそこの世の楽園だと言われて信じていたのは向こう側を知らなかったからです。今さらここまで世界中のことをみんな知ってしまったところで、あいつらはおかしいとか言って壁を設けようといったってそれは通用しません。 やはり早く戦争を終わらせる以外、世界に道はないと思います。しかしアメリカ政府はずっとやると言っています。終わりを言わないのです。正義が実現するまでやると言うのです。こんな曖昧な戦争は聞いたことはありません。「正義が実現するまで」なんてどういうことでしょうか? 冷戦だって、悪の帝国はソ連だと言っていたのです。だからソ連が終わった時に終わりになったのです。正義が実現するまでなんて、それは自分の精進という意味です。自分の国が精進していくというような意味ですから、これは終わりがない。こんな戦争を本気でアメリカの政府がやるなんて信じがたい話だと思うのです。 「出口が完全にふさがれた日米経済」 (6)、日経平均株価が出ています。ひどいものです。世界がこんなザマですから、ここまで来ますと何も森さんや小泉さんだけの責任とも言えないのです。日経平均はそんな感じで、一時一万円を割れました。二万円から一万円割れまで一年半です。速いです。一年半で半分です。 それからヨーロッパやアメリカも似たような感じなのです。ヨーロッパやアメリカもこの一年で四割から五割落ちているのです。アジアもそうです。全世界がこの一年ぐらいで株価が大暴落しているのです。さあ、これははっきり言って世界同時株安なのです。一日一日で見れば、多少上がったり下がったりはあるのです。しかし一年ぐらいのスパンで見たら、この一年間で世界中株価が半分になってしまっているのです。 少なくともこの十年、二十年の間に、こんなことはついぞなかったと思います。例えばブラックマンデーというのがありましたが、あれはすぐ戻りました。こうやって一年か一年半かけて、ズルズルと半分ぐらいまで世界同時に下がってしまったというのは初めてです。 これはすごいことです。世界中どこへ投資しても損をするのです。昔は金融の世界はよく分散投資と言って、日本とアメリカとヨーロッパ、三つに置いておけばどこかは大体プラスになると言われていました。不景気な国があっても他の国は景気が良いから、三つのうちどこかに置いておけば大体大損はしないというような投資の原則が一九八〇年代まではあったと思います。ところが一九九〇年代に世界経済が全部横につながってしまってしまったために、景気が良くなるのも一緒、悪くなるのも世界一緒なのです。だから今や株なんかでは逃げ場がないのです。何を買っても下がってしまう。 もちろん個別銘柄で上がる所はあります。しかし数は限られているので、巨額な世界中の金融資産の運用はとてもできないわけです。 世界同時不況です。株が下がっているのでデフレです。いちばん下、底をついたときに何か起きます。ドーンと何か起きて、システムにも何か大きな問題が起きて、そこから先いろいろあるのではないでしょうか。 毎日毎日の動きではなく、この一年か一年半で、世界中株価が半値になっているのです。これはすごいことです。今、同時不況、株安です。今度はいよいよ恐慌です。恐慌の時というのは、決して新聞で「恐慌」とは書きません。週刊誌は書くかもしれませんが、政府は大変だとは言っても、恐慌だとは言いません。しかも大変だとは言っても、「投機筋が拡大しているからだ」と言うのです。「実態経済に合わない」と必ず言うのです。非常に急激に良くない方向に動いたときに、政府は必ずそう言います。必然的だとは絶対に言わないのです。「これは市場が間違っている」、「投機筋のいたずらだ」、「悪い奴がこんなことをやっているのだ」と必ず責任を転嫁させるのがこういう時の政府なのです。ですから、事件が起きている真っ最中というのは、そんなにすごいことだと思わない人が多いのです。しばらくたってみて、後から「あれは実は・・・」という話になるわけです。 ですから世界恐慌、世界恐慌と言葉が一人歩きしていますが、「新聞でもテレビでも政府も言わないじゃないか。だから恐慌ではない」と言う人がいます。しかしそんなことはないのです。恐慌という言葉は全部一件落着してから、歴史家や経済学者が「あれは恐慌だった」と言うのです。 ちょうど地震の名前が地震の後につくのと全く同じなのです。地震の最中はそれどころではありません。名前なんて言っている場合ではないのです。そういうものなのです。これはただ事ではありません。 それから(7)です。「Fed supports banks’ moves on liquidity」と書いてあります。これはさっき申し上げたところです。FRB が流動性を供給しています。流動性というのは決済に必要な現金という意味です。決済に必要な資金をどんどん供給していますということです。 すなわち決済ができない所が多いのです。銀行自身がそうかもしれない、あるいは銀行が付き合っている巨大な会社、銀行が取引している先が、普通の会社が資金繰りに困っているかもしれない。 ですからそういう所に、銀行を通じてFRB がどんどん金を流してやっているのです。資金決済が滞らないように、どんどん金を流しているのです。今アメリカはそれを一生懸命やっているところです。 ですから今回のテロは、言ってみればテロリストの思いどおりになったのです。大変なゴタゴタになってしまったのです。そしてまだ最後の決着はついていないのです。ですから今みんな仮受け、仮払いで処理しているはずなのです。これを借入金に入れてしまったり、償却ということになると、決算書にすごいダメージが出てくるわけです。それをまだ株式市場は十分に織り込んでいないのです。そこがいちばん怖いところです。 それからその下(8)です。今、エコノミストたちは世界同時不況、世界同時景気後退は避けられないものだと見始めているということです。 これに関してはみなさんあまりご異論はないと思うのですが、とにかく本当にどこまでいくか分からない。今全体が不況です。 しかしいちばん最初に申し上げたように、不況だからといってみんな悪いわけではないのです。今年増収、増益の会社は、今お手を挙げていただいたようにありますから・・・。ここがポイントなのです。さっきお手を挙げていただいただけで五人ぐらいいらっしゃいました。この中で五社は今年増収、増益なのです。ですからもう既にこういうリセッションから抜けられる何かが終わっている会社です。パスポートにハンコをついている会社がちゃんとあるのです。そういうふうに物事を考えないとまずいです。 「デフレからインフレに」 さあ、そして次のページ、(9)です。ついに日銀総裁がハイパーインフレを言い出しました。画期的な発言だったと思います。「大量な流動性供給、いずれ何かを景気にインフレ起こりうる」と言っています。 「速水日銀総裁は、これだけ大量の流動性供給をしていると、いずれ何かを契機にして、インフレに火が点くことも起こりうる、と述べた。」参議院で質問に答えたもの。「物価下落について、『物価は世の中にある財・サービスと流動性の交換比率で決まる。流動性を増やし続ければ、必ず流動性過多になりインフレになる時期が来ることは間違いない。』」流動性というのはお金のことです。いいですか? もう一度読みます。流動性をお金に言い換えると、「お金を増やし続ければ、必ずお金が多くなり過ぎてインフレになる時期が来ることは間違いない。」日銀総裁はこう断言しております。 「だが、いつ来るかはこの時点でみることは難しい。」これは本当にそのとおりなのです。いつ来るかは分からないのです。すなわちガスが充満すれば、このガスはやはり燃えるのです。インフレは来るのです。いつ火が点くかは何とも分からないのです。 なぜ何とも分からないかというと、火が点く要因のほとんどは経済外的要因なのです。普段の経済指標の連続的な変化ではないことが多いのです。 例えば今回アメリカでは、テロの後一時的にガソリンの値段が三倍から四倍に上がったのです。ガソリンはちゃんとあったのです。飛行機は止まったけれど、タンカーはちゃんと動いていたのです。国内のタンクローリーの輸送もちゃんとあったのです。ところがガソリンの値段が跳ね上がったのです。 要するにパニックなのです。パニックがいちばん怖いのです。パニックとか政治の要因とか軍事の要因とか、何かそんなものがひどいインフレに火を点ける、あるいは金融の大破綻、日本で言ったら昭和時代の敗戦とか、ああいうことがきっかけになることが多いのです。 ですからいつインフレになるのか、いつ着火するのか、いつ点火するのかというのはなかなか分からないのです。統計指標だけ見ていてもなかなか分からない。随分充満してきた、ガスの濃度が濃くなってきたということまでは分かるのです。 「そのうえで、速水総裁は、『私の戦中、戦後の経験からみても、これだけの大量の流動性供給を続けていると、いずれ何かを契機にしインフレに火が点いて、スピード早く燃え広がることも起こりうる』とし、『このような懸念も十分頭においておくのが、中央銀行の責任である』と語った。」 だったら早く金を出すのを減らせよ、と思うのですが・・・。分かっていたら早く金を回収してインフレを止めろ、と思うのですが、今そういうことはできないのです。もっと金を出せ、もっと金を出せと、昔の陸軍みたいな感じに、政治も官僚も全部一体になって言っています。どんどん金を出し、どんどん金が充満し、速水さんとしては切羽詰って、「だから大変だと言ったでしょう」と後から言うつもりなのでしょう。そういうことをここでひとつ述べているのでしょう。そんな感じです。 今度くるインフレは、ここまでマネーが出てしまって、しかも金融の破綻や政治の瓦解ということを睨んでいるので、インフレもただのインフレではないのです。いわゆるハイパーインフレです。何パーセントになるかはまだ分かりません。昭和二十年から二十五年までが約一万パーセントなのです。百倍です。それから一九七三年、第一次石油危機の直後が卸売物価で一年間で約三〇パーセント。それから第一次大戦後のロシアが一兆二千億倍。ですから百兆パーセントです。いろいろなケースがあるので何とも分からないのですが、とにかくインフレですから物の値段が上がるわけです。これに追いついていくという のは生易しいことではないのです。 もう一つインフレの時に気を付けなければならないのは、インフレになったら良い物はないのです。これはよく覚えておかなければなりません。インフレになったら良い物は売ってくれなくなります。物がなくなってしまうのです。 前から申し上げているように、激しいインフレが来ると、良い友達と良いネットワークを持っておかないと食うにも事欠いてしまいます。 一九九三年か一九九四年に米不足がありました。あの時はスーパーなどで米の袋が全部消えてしまいました。しかし米はちゃんと米屋にあったのです。普段から付き合いのある所だけにはちゃんと米を売っていたのです。だから普段付き合いのない人は米を買えなかったのです。米がなくてもパンがありますから飢え死にすることはないのですが、米は買えなかったのです。 激しいインフレになればなるほど、生活必需品から最初に物は消えると思います。ですから今いちばん大事なことはやはりネットワークなのです。ネットワークというのは別にネットワーク活動という意味ではなくて、いろいろな人を知っているということなのです。友達です。とにかく友達を増やしておかないと、このハイパーインフレは容易には超えられないと思います。 友達というときに、気の合った人、それから本当の狭い意味での友達なら、みなさんいらっしゃると思います。しかし年配の方がいちばん大変なのです。年配の方で一人暮らし、自分の財産だけで暮らしているというのがいちばん大変です。現金だけ持っていて、お年寄りが一人が暮らしているというのは大変です。なかなか物が買えません。若い人が走り回るので、お年寄りなんか吹き飛ばされてしまいます。それは本当に大変です。だからお年寄りこそ本当に良いネットワークと友達を持っていないと、このインフレの時代は大変です。 この友達も、実は狭い意味での友達から、今まであまり会ったこともないのだけれど、やっていることも違う、違う場所に住んでいるのだけれど、友達になろうというやり方が、簡単に言えばチームワークとリーダーシップなのです。会社というのも、簡単に言えば理論に従って動いているうちはまだ入り口なのです。本当にあの理論が効いてきて、全く考え方の違った者同士が一つの目的に向かって本当に一致結束してくると、友達みたいになっていくのです。ですから簡単に言えば、ああいうリーダーシップやチームワークというのは人工的に友達を作る型の第一歩なのです。 このネットワークをとにかく作っておくことが、ハイパーインフレをくぐり抜ける最大のポイントだと思います。 ネットワークというのは必ずしも打算だけでもないのです。つまり役割分担のきちんと決められたものというわけでもなく、やはり何か引き合うものがあるのです。価値観みたいなものが大体共通してくると思うのです。おそらく同じ価値観を持っている人同士の中で役割分担をしていくという姿になるのだろうと思うのです。価値観そっちのけで能力によって役割分担ができるのは、おそらく友達というものではないと思います。これはなかなか難しいと思います。最高の能力を持った人を集めてきて、ネットワークだというのは一応形、あるいは会社は整いますが、非常にもろいと思います。 やはり価値観が合った人同士で集まって役割分担をするというのが最後まで強いのではないかと思うのです。ですからさっきパスポートにハンコをつくという話をしました。パスポートにハンコをつかれた人同士が友達になりながら、あるいはまだパスポートにハンコをついていない人を入れながら、みんなでネットワーク、友達を作っていく。これは潜り抜けることができます。そんな感じがします。 ハイパーインフレになったら、物も情報も人脈からしか流れません。株式投資もそうだと思うのです。私もソロモンにいて、公開マーケットの様子はあまり 美しいものに思えないのです。これから良い会社であればあるほど、その会社の株式というのは公開のマーケット、上場市場には流れないと思います。関係者の中だけにしか流れない。全部相対できます。だから良い会社に投資しようと思ったら、公開市場なんて見ていても一つもないと思います。 やはり株主はリスクを負う義務があるのです。だから会社がおかしくなったら助ける義務を負うのです。そういう助ける義務を負うということをちゃんと得心している人以外からは、良い会社はおそらく金を借りないでしょう。集めないでしょう。金の金額さえ集めれば速くできますが、速くやるということさえ諦めれば、そういう難しい金を集めなくて済むのです。ゆっくりやっていく分には金はあまり要らないのです。 ですからゆっくりやりながら、本当にリスクを負ってくれる人を気長に探していて、それで会社を少しずつ大きくしていくというのがおそらく成功のやり方だと思うのです。ですからそういう会社でないと、これからなかなか伸びないと思うのです。 だから成功している会社に投資をするというのは、何が良いかを探すといってもなかなか難しいと思うのです。東証一部千何百社あって、世界に何百社、何千社と上場会社があります。ハイパーインフレの時代というのは、あれを見ていても、成功している会社というのはすぐ失敗してしまって浮き沈みが激しいと思うのです。良いという話があると、他に良いものがないからみんな一斉に来てしまうのです。だから突如株価が十倍になる。しかし過剰期待ですぐ下がる。ハイパーインフレの時には、ITバブルの比ではない、ものすごいことが個別株ベースで起こるのではないかと思うのです。 こういうのが本当に好きな人がいて、金を持ってやって来る。だから百花繚乱の状態になります。だから良い会社を見つけるとか、良い会社に投資するというのはなおさら難しくなるのと思うのです。 最終的には、そういう意味でも、非常に友達が重視される時だろうと思います。みなさん、ここを外さないようにこれから仕事をなさることが大切だと思います。 「『あり得ないこと』を想像する」 (11)です。これはアメリカですが、アメリカでも失業の新規申請が九年ぶりの高さになったということです。 日本でもやはり失業の問題が出てきます。国があまり失業に対して積極的救援をしないので、地方自治体が痺れを切らし、地方自治体独自の失業対策をやるという記事が新聞に出ていました。 日本国憲法には基本的人権ということがちゃんと書いてあります。何人も健康で文化的な生活を営める権利を持っているのです。どうしてみんなあれをよく読まないのでしょうか? 今朝もJR 常磐線で飛び込み事故がありました。八時半に事故が起き、十一時過ぎまで電車が止まっていたのです。どうしてあんなことになっているのかよく知りませんが、東京におりますととにかく人身事故の多いこと、多いこと・・・。どうしてお金を借りているのに死ななければならないのでしょうか? 本当にみなさん憲法をよく読めばいいのです。多重債務者で借金を返せない人にも、ちゃんと健康で文化的な生活を営む権利があるのです。死ぬ必要なんか全くないのです。あんなに憲法にはっきり書いてあるのに、なぜそれが分からないのか。本当に不思議です。 そういう場合は、実は金を貸した方が悪いのです。金を貸す方に全て責任はあるのです。そういう人に金を貸してはいけないのです。金を貸すからそういう境遇に陥るのです。すなわち人に金を貸すというのは簡単にできることではないのです。めったやたらに金を貸してはいけないのです。それが最後の答えなのです。めったやたらに金を貸してはいけないのです。 万が一、金を返せなくても死ぬ必要はないのです。返せないと手を挙げればいいのです。そこで法律によってそういう請求はできなくなります。死ぬ必要はないのです。 失業もそうです。どの会社からも就職を断られる。でも死ぬ必要なんか全くないのです。誰か助けにいかなくてはならないのです。これは簡単に言えば日本人の義務なのです。それは憲法に書いてあるのです。 そういういちばん基本的なところをみんな忘れていて、イギリス法の悪いところをみなさんよく真似しています。イギリスのお金の文化のいちばん悪いところです。お金と命、鉄砲弾とお金は同じものなのだという、イギリスの悪い文化をみんなよく覚えています。 そんなことはないのです。この国はそんなことにはなっていません。ですから人が死ぬことだけは早く止めてほしいなと思うのです。だから金を貸す方が悪いのです。その原則をどうしてみんな気がつかないのかと思います。 失業の問題、借金を返さない。答えは一つなのです。どんなに採算が悪くても、健康で文化的な生活水準をやる必要があるのです。この金は社会で何とか調達する必要があるのです。 そこさえ押さえておけば、あとは時間をかければ何とかなるのです。時代もまた上向いてきます。ハイパーインフレでも何でも進んでくれば何かチャンスは生まれてきます。だからそこだけ、これ以上は下に落ちないようなものだけ作っておけばいいのです。そういうものだと思うのです。 そこからどうやって浮かび上がるかは自助努力というか、自分で勉強したり、自分でチャンスをつかむとか、自分で努力をすればいいのです。少なくとも死んでしまうことぐらい止めないと、到底文化的な国とは言えません。 よくイスラム教の人たちは大変だと。若い人、子供、赤ちゃんが死んでかわいそうだと言います。日本なんかもっとかわいそうです。いい大人が家族を残して死んでしまうのですから・・・。自分で死んでしまうのですからすごいものがあります。何か事情があると言っても、ただ金の事情なのです。金が払えないから死んでしまうわけです。どちらが悲惨かと私は思います。 それは本当に単なる誤解なのです。見栄を捨てて、ちゃんと憲法に従ってやっていけばこんなことにはならないのです。非常に不思議なことが起きています。 (10)です。小泉さんもここまで来ると、「国債の発行はフレキシブルにやる」とついに言い出しました。国債の発行については、大胆かつ柔軟にやると言いました。しかしこの言葉、昔ワールドレポートにも書いたと思います。小泉さんは今初めて、国債の発行について大胆かつ柔軟にやるといったのですが、実は五月にこの人はある所でこういうことを言っているのです。そうです。同じ言葉を五月に、ブッシュ大統領に向かって言っているのです。そのことがちゃんと日本の新聞にも報道されているのです。愚かな話です。アメリカから、そんなことをやって経済がもつのかと言われて、「いや、大胆かつ柔軟にやります」と答えているのです。そしてそのとおりになっているのです。二枚舌と言いますか、どういうことなのかと思います。 それはともかく、「柔軟に」というのは、もっともっと金を出すということです。特に日本の銀行などはこのままでは格好がつきませんから、どんどん整理、統合させて公的資金を入れるしかないのです。もう国有銀行にするしかないのです。他に道はありません。国有銀行にして百の銀行を一つにする。地域に六つも七つもあったのを全部潰して一つにする。全部解雇してしまい、あとは基本的人権で守るだけにして、とにかく銀行のシステムそのもの、人も完全に減らす。そして潰れない銀行にして、資金決済が何億円でも何百億円でも安全にできる環境を作る。そこまでやらない限り、この国はどうにもなりません。 そのためには何十兆円の金が要るのです。百兆円以上の金が要ります。同じことを生保にもやらなければいけません。生保だって破綻ということになればカットになります。しかし突っ込まなければならない金がまだ要るのです。 ですから生保も銀行も、いくらか知りませんが金を突っ込んで、整理を全部やって、とにかくここなら絶対に潰れない、何百億円の資金決済でも安全にできる、あるいは自動車事故が起きたときにも保険金が必ず払えるという所をちゃんと作る。そこまで国はやらないとどうにもなりません。 それにものすごい大金をドンと出して、これで終わりです。そこまで来たら、一応金融の整理は全部完結します。おそらく半年ぐらいの間にそれをやらないと間に合いません。 来年四月からペイオフです。もうペイオフ待ったなんてできません。テレビを見てください。ペイオフが始まったらどうなるということをついにワイドショーが始めたでしょう。ワイドショーが始めたら、奥さんが分かるのです。 最近ワールドレポートの読者の中に主婦の方が多いのです。あの本をお読みになった方も主婦の方が多いのではないかと思うのです。主婦がこういう話をし出したらもう止められません。いつもそうです。主婦が動いたら我が国の経済は動くのです。ペイオフは止まりません。 ということはペイオフを前提にもう泳ぎ切るしかないのです。私はやった方がいいと思うのです。今朝のラジオでもちょっと言ったのです。銀行の頭取を一人ずつ呼ぶのです。そして「四月以降、取り付けを起こさないで経営する自信がありますか?」とはっきりと目を見据えて聞くのです。自信があると言ったら、どうぞとやってもらうのです。自信がないと言ったら、俺に任せろと全部合併統合です。 みなさんも企業を経営されているからお分かりだと思います。社長自身が自信がなかったら、だめだと思ったら会社はだめです。銀行だって全く同じなのです。来年四月からすさまじい自由化が始まるのです。社長自身が大丈夫だと思わない限り、絶対に乗り切れません。周りで監査役とか税理士、弁護士が大丈夫だ、大丈夫だといくら言っていたって、社長が「これはだめかもな」と思っていたのでは会社はだめです。 そのいちばん肝心なところが分かっていない。金融庁も特別検査をするとか言って、国会でも良いとか悪いとか、格付機関がいろいろな話をする。社長自身はどうなんだ? こんな話は一つも出てこない。社長がだめだと思ったらだめです。合併でも国有化でも何でもするしかない。一人ひとり頭取を呼んで、単調直入に聞けばいいのです。「お前、自身があるのか?」と。自信があると言ったら、次は助けてやればいいのです。我々ができることをやってあげたらいい。 こういう時に自信があるのですから、あっぱれなものです。このすさまじい、泥の海みたいになった金融の状況で、来年の四月から自由化をやっていく自信があるというのだから、これはあっぱれなものです。これはいくらだって助けてやったらいいと思います。それだったら国民も納得するでしょう。しかし嘘をついている自信はだめです。 そういうところ、いちばん肝心要のポイントが政治家も分からないのです。しかしもう半年。もうもたない。半年の間に何とかしないともうもちません。 そして国債がどんどん出る。金融の整理がつけば、国債の大量はできなくなる。そうすると来年の予算は急激な収縮をせざるを得ません。国債の発行が予定どおりできなくて、場合によっては来年度の予算執行にも支障が出るかもしれません。そうすると国債の金利が急騰してしまうのです。国債の売れ残りが出てしまうのです。入札でやってもみんな応札しないのです。すると困るので金利を上げてしまうのです。金利を上げて有利だから買ってくださいという話をするようになります。そうすれば多少みんな買うわけです。しかしそれをやっていくとどんどん金利が上がって、ますます不景気になってしまうのです。財政の中で、毎年払う利払い費がどんどん上がってしまうわけです。そして財政はいよいよ格好がつかなくなります。 これは国と同時に地方もきます。ですから銀行の整理の次は国の整理です。国の整理が行われれば、国に依存している企業の整理になります。ここでそこまで見込んで自分独自の道を開いていくしかないのです。自分の力で何ができるだろうか。自分一人では無理かも知れないけれど、いろいろ仲間を募って、今言った真っ先に倒れそうな所、銀行、役所、あるいは役所に連なっている直属の会社、この三つが崩壊したときに巻き添えを食わないようなポジションに自分たちの仲間と一緒に早く移動することです。そこでとにかくこれ以上悪くはならないという最適な体制をしっかりと固めることです。 とにかくもうそういう所であれば、三年ぐらいサバイバルに徹するしかありません。サバイバルに徹し、ひっくり返る時に巻き添えを食わないように、死なないように最低限のサバイバルを固めて、その中でチャンスを探すというところでしょう。そんな感じだと思います。 こういうことは世の中にそう何度もないのです。今日の資料の中にはないのですが、最近フィナンシャルタイムズを見ていたら面白いことが出ていました。ハーバード大学で最近の若い人たちが生まれて初めて遭遇する危機だと。危機を知らないやわな世代と言われた人たちが、生まれて初めて危機に遭遇して、俺たちも何かしなければいけないと思っているという記事が出ていました。 そうなのです。過去五十年ぐらい日本は何もありませんでした。いよいよ本格的な危機なのです。こういう時に何をするかで未来が決まるわけです。 <新しい時代のリーダーシップ> 「未来を創るリーダーシップ」 次の(12)です。「未来を創るリーダーシップ」と見出しが出ています。 「一番理想的な形を考えるならば、リーダーシップとは現代の組織を成功させ、効率的に運営するための燃料を与える何かである…」 「最も効率的なリーダーとは、人の持つ才能や潜在能力に手を触れ、みんなで一つの目標を追いかけているのだと思える企業文化を作り出す人である… 」 さあ、これを全部反対語で言ってみましょう。これだけ言うときれいごとに聞こえてしまいますから、この反対を考えてみましょう。そうするとどういうのがいけないのかということがよく分かります。 最も効果的ではないリーダーとは、つまりいてもいなくても同じリーダー、あるいはいるとかえって物事を悪くするリーダーとは、人の持っている才能や潜在能力に手を触れることなく、目の前の能力、表に出ている能力だけを見て、あるいは能力を全く見ないで、みんなバラバラの目標を追いかけさせる、そういう企業を創っている人です。そして文化にほとんど気を使ってない人です。 ちょっと雑な表現になりましたが、これがその反対語です。この全部反対を言ってみれば、才能や潜在能力ではなく、まず才能を見ない。今、目の前に見える、その人のやっていること、技術だけを見ている。そしてみんな別々の目標を追いかけさせてしまう。一つに目標を合わせることをしない。それから企業文化を創らない。これがいてもいなくても同じリーダー、あるいはいるとかえっておかしくなるリーダーです。 あえて反対語を言えばこういう形になります。するとどういうふうにすればいいかというのが大体分かってきます。 「彼らは一生懸命に『達成文化』を創っていく。」すなわち何かを達成しようというものに向けてみんなを頑張らせる、引っ張っていくということです。 今日はあまり詳しくやりませんが、達成文化というのは目の前の数字を達成するというような簡単なものではないのです。例えば世の中に平和をもたらすとか、ブッシュ大統領が言っているような、正義が実現するまでやろうというのも、ある意味で言ったらこの達成文化なのです。今すぐ手を出しても届かないもの、そこに向かって行こうというのです。 なぜ手を出して成功できるものに対するものは達成文化と言わないか、分かりますか? 手を出してつかめるものだったらみんながすぐにつかんでしまえるので、別に潜在能力も何も要らないのです。パッと手を出せばつかめるのです。チームワークにならないのです。 自分で手を出せるものをみんな手でつかむだけなのです。会社はバラバラのままなのです。みんなそれぞれ手を伸ばせば届くところに数字の目標を与えます。みんなその目標を達成するだけなのです。だから会社はバラバラなのです。数字の目標を作った人は一つにするつもりで作っているのです。全部整合的に作るのです。しかし手を伸ばす目標は今の自分の能力だけでやるわけですから、あとは他に何も必要ないので、社員そのものは実はみんなバラバラなのです。 だから達成文化の「達成」というのは、目の前ですぐ手を出せば届く目標ではないのです。みんなで何とかしないと分からない目標なのです。 例えばヒューレット・パッカードの話があります。ヒューレット・パッカードという会社は一九七〇年代の末にヒューレットさんとパッカードさんという創業者一族が退いて、外部からはじめて経営者が来たのです。その時に、これから十年ヒューレット・パッカードを率いていくための目標が必要になったのです。新しい達成すべき目標がないと会社がバラバラだと。当時ヒューレット・パッカードはあまり業績が良くなかったのです。要するに低迷していたのです。みんなの目標がないとみんなが一致結束して働かない、会社がバラバラになる、業績も伸びない。 そして新しいミスターヤングという経営者が、お客さんや従業員に聞きまわってある一つの目標を考えたのです。それは、客先に据え付けた後の機械の補修費用を十年で十分の一にしようというものでした。 この目標の決め方そのものはいろいろありますが、いちばん面白いと思うのは、社長さんが十年で十分に一に補修費用を下げようと目標を作ったのはいいのです。その時にみんなが言ったのです。「それはすごい。それではどうやってやるの?」そうしたらミスターヤングは言ったのです。「俺は知らない。それは我が社の優秀な社員が考えることなのだ。」 この言葉にこそ、達成文化の本当の姿が入っています。 つまり社長自身は手が伸ばせるところ、やればできるというところがあって、これをやるためにどういうふうにやらせるかと言ったら、これは潜在能力でも何でもないのです。 いちばん肝心要の社長自身の潜在能力が発揮されていないのです。社長自身は自分の目標管理をするだけなのです。部下はそれに向かってやっていくでしょう。しかし社長さん自身は、今ある所から先がないのです。 本当にすごいリーダーというのは、やはりリーダーの背中が人を引っ張っていくわけです。リーダー自身が頑張っている姿を見て、俺もやらなくちゃと思うわけです。しかし社長自身が手に入れられる目標を設定すると、社長にはそういう姿はないのです。どこまでできたかと上から見ているわけです。 ミスターヤングのすごいところは、「俺も分からない。だから俺もみんなと一緒にやらなければここに行けないんだ」という話を、ヒューレット・パッカードみたいな大きな会社で堂々とできたところです。これはすごいと思います。それが達成文化というものなのです。 みんなで潜在能力を出してぎりぎりまでやってみないと、それから場合によっては必要な才能はよそから持って来ないと、育てないと達成でない。こういうものを考えてやるということが本当の達成文化なのです。だから求心力というのができるのです。 「そこではメンバーは物事を上手にこなし、挑戦的な目標を達成することに焦点をあて、組織が持つ義務を達成するために、適切なリスクを進んで取ろうとする。」 「同時に最も効果的なリーダーは、人としての成長、プロフェッショナルとしての成長、個人としての向上、組織としての向上、さらには常に学び続けることを強調することによって、組織の未来を創る人である。」 「リーダーシップは常に成功しつづけるために欠くことができない要素である」 右側にいきます。「リーダーシップは常に成功しつづけるために欠くことができない要素 である」 「リーダーシップとは、人々に心の底からわき出してくるような目的意識を与え、その目的を達成するために個人の持つ能力を自ら進んで提供しようと思わせ、またみんなで共同して仕事をしようという努力を自ら進んで行おうと思わせるようなエネルギーを、人々に与える過程のことである」 この中で私がいちばん大事だと思うことは、自分がいないとこの組織も世の中も成功しないのだということを、みんなにちゃんと納得させるというところだと思います。これがこの話の中で一番の要諦だと思います。 つまり俺がいなくてもこれはうまくいくとみんなが思っている限り、決して人は自ら進んで努力しようとしないと思うのです。お分かりになりますか? 別に俺でなくても、誰か他の人がやれば成功するのだろうと思っている限り、その人は自分から進んで何か挑戦的なことをやろう、自分の潜在能力をここで発揮させようと努力することはないと思うのです。 いちばんすごいリーダーというのは、社員全員にそれを思わせることができるリーダーだと思うのです。どんな人にでも、「俺がいなくては成功しないのだ。成功するということはすごいことなのだ。俺が何かするとすごい成功ができるのだ」ということを社員全員に思わせることができる。これが理想的な最高のリーダーでしょう。 それはある意味で言うと、誤解を恐れずに言えば、これが本当の愛というものだと思うのです。つまり要らないという話がないのです。全員が要るのです。これを設計図を描いて要ると言っているのではなくて、本人が心の底から思う。そう思わせることができる。押し付けではなく、心の底から思わせるような環境と状況をつくってやる。これがいわゆる愛というものだと思うのです。これをリーダーが創っていくというところが一番のポイントだと思うのです。 お分かりいただけますでしょうか? これを全員が感じると、放っておいたってその人は頑張ります。つまり自分のためというよりも、何かもっとすごいもののためにある。そして自分がいないとだめなのだとみんな思うわけなのです。自分があるから組織があるのだ、みんな成功できているのだということを、良い意味でみんながそう思える。そうなってきたら、こんなに強いものはありません。百人力になります。 それはある意味で言うと愛情なのです。どうやったら活かすことができるのか。それをよく考えて戦略的に配置する。そしてその配置するときに、今の持っている能力で配置してはだめなのです。 つまりちょうど植物の種を蒔くときと同じで、根が出て大きくなると思えば、大きくなるときに備えて置いておくわけです。それからいくつも作物が欲しかったら、一つの作物だけ全部蒔いてはだめで、いろいろな作物の種を蒔かなければならないのです。種を蒔いておけば今はただ一面の畑だけですが、時間が経てばそれが伸びてくるわけです。伸びてきたときの様子を考えて種を植えるわけです。伸びてくればくるほど、「俺も必要だったのだ。なるほど」と思わせるようなものを創るわけです。これはすごいです。 ですからこのいちばんすごいリーダーの理想形を言うならば、それを全ての社員に感じさせることができるリーダーだというわけです。ここまでくるとほとんど神様の世界ではないかというような話だろうと思うのです。 「リーダーシップは組織の上から下までどの部署においても感じることができる。リーダーシップがあることによって仕事に一定の速度とエネルギーが生まれ、人々に働く能力と元気が与えられる。」 ちょっとここで描きますと、今まで昭和の時代というのは会社で働いている人、世の中の人が一つの方向性、一つの価値観をみんな持っていたと思うのです。こういう日本になりたい、貧しいところから豊かになっていきたい、あるいは日本はもっと成長していくべきだというような、一つの方向性、価値観を大体みなさん持っていたと思うのです。あるいはこういう一つの価値観があるから、必ずその正反対があったのです。 実はこれは同じエネルギーなのです。向こうに向かうというエネルギーがあるから、これを止めようというエネルギーが出てくるわけで、これは作用と反作用です。右翼と左翼は同じエネルギーなのです。あるいは成長重視と反成長というのは全く同じエネルギーなのです。成長しようという力があるから、全部そこからきているのです。ですから、人に対して何か同じ力が働いていたのです。 それから昔の社会主義国に行きますと、みんな同じように言っていました。やがて形だけになりますが、社会主義をやっていけば成功するのだと素朴に信じていた時代がありました。まだ一九八〇年代の早い頃です。しかしやがてみんなそれを疑い出すのですが・・・。 こういうのを見ていると、この時代はある意味で言うとエネルギーの風が吹いていたのです。もともと人というのは別々のことを考えているのですが、風が吹いていると一人ひとり多少バラバラな人がいても、大体において同じ方向を向くのです。多少ずれるぐらいで大体同じ方向を向くのです。 しかし平成に入ってこの風は止まったのです。社会全体に吹いてくる風がパタッと止まったのです。ですから社会は非常に自然な状態に戻ったのです。ですから今日本で成功している会社というのは、こういう状況の中でこういう人たちを一つに集めることに成功している会社なのです。みんなバラバラになっていく中で、それでも一つに集めることに成功する会社、これが今、そしてこれから成功していく会社なわけです。 これがリーダーシップ理論のポイントなのです。みんなをただ集めるだけではだめなのです。集めて考え方を一つに動かせるのです。このいろいろなテクニック、やり方、心の持ち方というのがリーダーシップ理論なのです。 しかし、これがさっき言った十二年の停滞が終わったら次にどうなるかというと、今度ここにまた風が吹き出すということなのです。今度こういうふうにしよう、ああいうふうにしようという風が吹き出すのです。まだ凪なのです。しかしこの風は新しく成功した会社が作るのです。社会が壊れる時に、こうやれば成功するという風が吹いてくるのです。 そうするとみんな何となくそっちの方向に向いてくるのです。そうしたら新しいこういうリーダーシップを作るのはもっともっと簡単になってきます。 初めから結構揃っているわけですから、風が吹いてきて大体同じ方向を向いているので、今度集めるのは昔ほど苦労しなくてもどんどん集まるようになってきます。勢いが増してきます。これが成功すればもっと強い風が吹きます。そうすると疾風のごとく風が吹いて、みんな同じ方向に向かってダーッといきます。大体インフレの後半になってくると、ワーッと一生懸命走るのです。 だから今がいちばん大変なのです。風が吹いていないところで何とかみんなで前に進もうとしますから、今がいちばんもがきどころなのです。でもここの部分が本当の実力の部分なのです。追い風が吹いていくのは、後になればなるほど簡単なのです。だからあまり難しいことを考えなくても前に前に進んでしまうのです。今がいちばん難しいのです。社会全体に吹く風がないのです。こうやればいい、こうやれば成功するのだ、こうあるべきだという風は今ないのです。みんなただバラバラになっているだけだから、ここで合わせるのがこの世界の一番のプロです。 だからここが本当の努力のし場所だと思うのです。これは大変なはずです。風が吹いていない所にヨットを走らそうというわけですから、風が吹いていないのに風鈴を鳴らしてみようというわけですから、これはなかなか大変です。 ですからここで、「リーダーシップは組織の上から下までどの部署においても感じることができる」というのは、結果的にみんなが同じ方向を向いているのだ、自分も合わせているのだということがみんなお互いに顔を見合わせながら分かるわけです。こういうことです。つまり誰か一人、俺は知らない、くっついているのだというのではなく、みんなでリーダーシップが分かるということは、みんなで同じ方向を向いているのだとお互いに横を見ながら分かるということです。そういうふうにならなければだめなのです。 つまりこのリーダーシップの力というのは、今何ができるかではなく、それも必要なのですが、未来が見えるということなのです。未来の何か達成できるものを見て、同じ達成できるものに向かっている。それがお互いに横を見てわかる。どの部署でも分かる。このようになっていなければだめなのです。ある一部分だけ、企画部だけそれを持っていたって、周りは動かない。 「リーダーは非常に広範囲にわたって分散した役割と責任に焦点をあて、調整し、統合する。そして相乗効果を創りだし、みんなで責任を共有しているのだという思いを作り出す…」 「…そしてリーダーシップがあることによって組織の誰もが、自分も組織の成功に貢献できたのだ、自分がいたからその分組織の成功の度合いが高まったのだ、と思えるようになるべきなのである。」 これがさっき申し上げたことです。一人として無駄な人はいない。一つとして無駄な命はない。ですから何か役割があるのだ。すごいものの役割のために自分はいるのだとみんなを思わせたら、こんなすごい会社はありません。ですからそれが一番の理想のリーダーということになります。 「その結果、そういう組織では組織横断的な統合が行われ、組織に独創力が生まれ、また組織のあらゆるレベルで変化を考え出し、それを管理していくことができるようになる。」 「人が違いを作る」 次の(14)にいきます。「人が違いを作る」です。実際にはそういう会社をどうやったら創ることができるかといったときに、真っ先に出てくるのがこの「教育型リーダーシップ」というものです。これは実はアドバンスコースで使った資料です。 教育型というのは、まさに潜在能力を開花させるための努力をいつもやっているということなのです。今できることで、今できる能力で、今持っている資源をどう配置すればいちばんうまくいくかという考え方がこれと正反対の考え方なのです。教育型というのは、今あるのではなく、潜在能力、育っていった場合にどんな枝ぶりになるのかを考えて配置して育てていくというのが教育型のリーダーシップです。 つまりそれは何のことはない、本人に成長のチャンスを与えて、そして成長すればするほど、なるほど、自分もその一人だ、みんなと同じ方向を向いていると思わせるということなのです。 これをやるとやる気があって責任感を持てる従業員が出てきます。そうすると、その結果としてロイヤリティーが高くて満足した顧客がもたらされます。そうすると持続的で利益の出る成長ができるのです。 つまりお客さんのロイヤリティーを上げるためには、やはり従業員自身がやる気がなければだめなのです。責任感がなければだめです。よくこれを、こんなことをしてはいけない、あんなことはしていけないと「べからず集」で教えるのです。これは今の能力、今の状況にフォーカスしているということなのです。 それはやれば確かに形どおりできるのですが、形どおりまでなのです。もっと良いところまでなかなか覚えないのです。ここまでやれば怒られないと、怒られない最低水準ができてしまうのです。そうすると大阪のリッツ・カールトンホテルのような、業界最高のビジネスはできないのです。本当にすごいビジネスはできないのです。真似はすることはできても、最先端を走ることは決してできません。 最先端を走るというのは何も、ノーベル賞を集めてくればいいというものではないのです。ノーベル賞を集めてくるとかえって大破綻を起こすということは一九九〇年代によく分かりました。ああいうのを入れたって始まらないのです。いてだめだというのではないのです。ノーベル賞だけいてもだめなのです。一人ではないのです。要するにみんなの力を合わせるということなのです。これがポイントなのです。ここで頑張れば自分も成長するし、自分が成長する中で何か自分の成長とみんなの成長がマッチしているのだ、俺は何かすごいことができているのだとみんなに思わせるということが最大のポイントなのです。 「昭和時代のリーダーと新しい時代のリーダー」 (15)です。ここでもう一回あらためてリーダーシップモデルの絵が出てきています。この絵の中でいちばん左側の所に、「個人の資質と才能」と書いてあります。 ・誠実で何事も首尾一貫していること ・人を尊敬し、大事にすること と以下ずっとあります。 残念ながら今の日本のリーダーシップ理論のほとんどは、この「個人の資質と才能」に終始しているのです。この理由というのを私は最近感じるのです。どうしてこれだけで今までリーダーシップが務まってきたのか。今日本で売っているリーダーシップ理論の本のほとんどはほとんどこれだけです。資質が良いとか、あるとかないとか、この資質が大事だとか大事でないとか、そんなことばかり書いてあるのです。どうしてこれだけでリーダーシップ理論を完結してきたか。 あまり難しい理由はないと思います。こういうことだと思うのです。今まで日本は昭和の時代、風が吹いていたのです。非常に強い風が吹いていたので、人々はみんなと同じ方向を向いているわけです。そして同じ価値観でほぼ同じ能力を持った人を大量に揃えるということが学校教育の一番のポイントだったのです。特別な天才を育てない。何か変わった考え方をする人も育てない。結果として同じ考え方で、大体同じような能力を育てることに一生懸命だったわけです。ちょうど田植えの時期に農協から来る苗みたいなもので、同じ品種で同じ長さでズラッと並んでいます。簡単に言えば、あの田植えの時に来る苗を作るみたいなものが日本の学校教育だったのです。 同じ品種で同じ長さの苗がズラッと来る。企業はそれを一本一本田植えをしていくわけです。はい、あなたはここ、あなたはここというように・・・。基本的にはどこへ植えても同じわけです。文科系の方ならよく分かるでしょう。どこへ行っても同じわけです。理科系の方はちょっと違いますが、営業だろうが企画だろうが、サラリーマンというのはこういうものでという話で、大学でやっていたことと全然関係なくて、とにかく入ればいい、田植えみたいな感じで、どこに植えられるのか分からないということです。 入ると、企業というのは煙突になっているのです。一旦下から入ると上からしか出られない仕組みになっているのです。毎年毎年一つづつ上に上がっていくのです。今年作ったもの、去年の苗、その前というように、一つずつ下から上に上がっていくのです。そして嫌だと言っても、下から押されていくわけです。先輩、先輩といって毎年毎年、下から押し上げられていきます。そして六十歳や六十五歳になるまでずっといるわけです。ここまで来ると定年退職で外に出ていくわけです。 これは何も企業だけの話ではありません。地域社会だってそうです。地域に認められた人としてある。そうすると基本的にずっと地域にいるわけです。 あるいは日本という国もそうです。日本人たるものはとか言って日本の中でずっと暮らして、二十三歳で就職して、二十八歳で結婚し、三十歳で係長、三十五歳で家を持って、四十歳で課長になって・・・というライフスタイルというか煙突みたいなものがあって、四十五歳ぐらいになったら、証券会社で少し株ぐらい買わないとだめよとか変な話になり、ずっといくわけです。 そういうのが日本全体にもあったわけです。いろいろな意味でトンネルになっていたのです。 でもたまに横を向いている人がいるのです。草取りとかいって出されてしまうのです。あいつはだめだとかいってのけ者になってしまう。 しかしこれだけだと社会にあまり活力が生まれないので、ここに大ピラミッドを作るのです。つまりピラミッドは上に行くほど狭くなるのです。同期でいつも競争させるのです。 同期の競争、同じ歳の人同士の競争なのです。誰がピラミッドの中に残り、誰が外に出るかという競争がずっと続いていくのです。 ピラミッドの外に出て行っても死にはしないのです。ちゃんと生活はできるのです。しかし考える部分から少し離れていくということなのです。物を決める人と、決めたとおりやる人という違いが、このピラミッドの中と外という違いなのです。決められたことをやる人、何をやるかを決める人、ものを決めるという部分に近い、遠いがピラミッドの中と外のいちばん大きな違いなのです。 もちろん生活水準というのもあるかもしれませんが、別にピラミッドの外に行ったからといって死ぬわけではないのです。つまり関係会社とか、地域の少し小さい会社とか、何か生活する場所はあるのです。外に出してしまうということはないのです。そしてこれでずっといくのです。 この中でリーダーというのはピラミッドのいちばん上に座っている人のことなのです。これがこの時代のリーダーです。この人というのは実はある意味で毎年代わる人です。下から順番に来ます。もちろん毎年代わるかどうか分かりませんが、何年かに一回代わるわけです。 この人のいちばん大事な仕事は、ピラミッドの中と外の人の出入りを調整すること、つまり人事です。人事権を握っていて、誰が中に残って誰が外に出るか、この最終決定を行うのが大事な仕事なのです。 煙突同士の競争というのもあります。これが一つの企業、一つの町。他の企業、他の町、他にも煙突があります。煙突同士の競争というのは当然あるはずなのですが、実際には煙突同士の競争は談合や規制によって、基本的には非常に小さな競争だったのです。ですから取って食う、食われる、騎馬戦みたいなことは基本的にやっていないのです。あんたはここ、俺はここ、大体縄張りが決まっていて、自滅したりするとき以外は、大体その縄張りの中で適当にやっていれば済むのです。煙突同士の競争というのはあまりないのです。 ですから目はどんどん中にいくのです。中にいてやることといえば調整です。しかもこのリーダーがいなくてもこの煙突はあるのです。これは別にこのリーダーが作った煙突ではないのです。リーダーは競争に最後まで残った人なのです。リーダーが作った煙突ではないのです。ですから煙突は未来永劫続くのです。昔からずっとあるのです。私は今たまたまやっています。二年毎に代わる税務署長みたいなもので、俺が作った税務署ではない。 未来の時代を担うわけでもない。たまたま俺はそこにいる。そういうリーダーなのです。 こういうリーダーに必要なのがこの資質だと思います。馬鹿にされないこと。彼が決めることなら文句を言えない。彼が決める人事なら文句を言えない。これがまさにこういう時のリーダーがいちばん問われる資質だと思うのです。彼の決める人事であればみんな納得するということです。 だから資質論ばかりだったのではないかと思うのです。つまり攻めがないのです。この煙突を維持する力強さが全くない。というか要らないのです。かえって邪魔になるのです。 そんなことをやっていると、自分の好き嫌い、勝った負けたで人を選ぶようになります。 大きなピラミッドになればなるほど、これはかえって見苦しいものがあるのです。ですから資質と才能だけで何百回も何百回も同じようなことを繰り返すわけです。 ですから昭和時代のリーダーシップ理論なんて、はっきり言って今はほとんど役に立たないと思います。何が変わったかというと風が止まったのです。風が止まって、みんなバラバラな時代になってしまったのです。 今の時代のリーダーというのはまず第一に、人を集めてこなければなりません。設計図を描くのです。会社の設計図を描かなければいけません。どういう能力を持った人が何人、どういう能力を持った人が何人、潜在能力も含めて設計図を描くのです。そして、こういうことをやろうよ、ああいうことをやろうよとみんな集めてくるのです。 集めてきたら、集めて座らせるだけではまだだめなのです。会社は動きません。IT やバブルの時代によくあったではないですか。大手の商社でIT のすごい子会社を創る、事業部を立ち上げると各部署から精鋭を集めてきた。我が社の未来を担う子会社ができましたとかいって華々しくやっていました。 確かに各部署から精鋭はやって来るのです。よそから精鋭を呼んでくるのです。しかし精鋭というのは大体みんな違う価値観を持っているのです。興味を持つところが大体違うのです。精鋭と言われれば言われる人であればあるほど、自分独自の価値観を持っているのです。それを並べればうまくいくと思ったのです。期待することは儲かること、というわけです。やってもらうとみんなバラバラです。一年も経たないうちに内輪でケンカが始まって、会社は開店休業。そのうちみんな辞めてしまったということがよくありました。 ですからリーダーシップの最大のポイントは、みんなのやる気を一つに集めることです。これがリーダーシップです。 さあ、みなさん見てください。この平成型のリーダーシップ。というかこれが自然な姿なのです。この煙突の世界というのは極めて特殊な時代です。こんな時代は歴史上極めて特殊な時代だったと思います。普通はこんな時代はありはしません。普通はこういう時代です。これがごく普通の状態です。ごく自然な状態におけるリーダーシップにおいて、リーダーというのはどこにいると思われますか? この絵ではリーダーはここにいました。ここではリーダーシップはどこにいると思われますか? この絵で、ここにいるリーダーシップのことをよくカリスマと言います。カリスマというのは自分の魅力で人を集める人のことです。ここに立っているリーダーをカリスマと言います。 ではカリスマでないリーダーはどこにいると思われますか? どこにいてもいいのです。ここにいてもいいし、ここにいてもいいし、ここにいてもいいのです。外にいてもいい。つまりリーダー自身が問題ではないのです。リーダーが作り出すリーダーシップが問題なのです。この一本一本の線がリーダーシップなのです。この一本一本の線を誰が作るかが問題ではないのです。その人がどういうポジションかは問題ではないのです。このリーダーシップの一本一本の線があることが大切なのです。 だからいちばん良い形を言うのであれば、みんながリーダーシップになっていくことなのです。自分自身でみんなを、周りを巻き込みながらこういう一本の筋を作れる。例えば大きな会社であれば、上は取締役から、下は社員がパート、アルバイトを使って仕事をしています。いちばん序列の下にいる社員がパート、アルバイトを使って仕事をする場合であれば、この人のリーダーシップがお客さんに対する満足度を決めるのです。パート、アルバイトもお客さんに接するわけでしょう。すると彼らを束ねる序列のいちばん下にいる社員のリーダーシップが会社の業績、会社の評判、会社のロイヤリティーを決めてしまうのです。だからいちばんリーダーシップ能力の高い人をいちばん下に配置しておかないと大変なことになります。 よくそれをやっていない会社があります。上のリーダーシップは強いと言うのだけれど、末端に行くほどリーダーシップのない人がいるので、彼らが使うアルバイト、パートは最悪で、お客さんがカンカンに怒るということはよくあります。そういうことをよく考えないといけません。 ですからこの(15)の絵を見ると、リーダーシップの技術、リーダーシップのプロセスという部分書いてあります。資質と才能以外に、技術とプロセスが書いてあります。この部分というのが、実はリーダーシップの一本一本の線を作るやり方、テクノロジー、サイエンスなのです。 まずこのサイエンス、形から入っていって、何とかこれを作りましょうということで、今みんな頑張っているわけです。 どうしてこんなのをアメリカに学びに行くのかという話になると、昭和時代はこういう自然な姿ではなかったから、昭和時代のリーダーシップではこの部分がないのです。みんなを集めてくるという部分がないのです。昔から煙突があり、ちょんと乗っかっていればいいだけの話なので全然通用しないのです。だから悔しいけれど学びに行くしかないわけです。連中の姿は自然です。ワイルドです。大自然です。そして学びに行くと、このやり方というのは日本人が聞いても決して不自然でないやり方が多いのです。 テクノロジーはやはり入り口なのです。といろいろやっていくと、技術、プロセスとあって、「一に信頼、二に信頼」と書いてあるでしょう。簡単に言えばだんだん話が神がかってくるのです。こんなことを言うと怒られてしまいますが、だんだん神がかってきて、愛とか友情とか、そういう話にくるのです。 そこまできたらこの昔のリーダーシップの姿とあまり変わらないのです。本当に素晴らしいリーダーというのは、昔も今も多分変わらないのでしょう。そう言うことができるのだと思います。しかしそういう人はあまりに数が少ないのです。松下幸之助や本田宗一郎とか、すごく数が少ないのです。そんなほんのわずかな人たちだけに頼ってやるにしては、我々は数が多すぎるのです。企業の数があまりに多すぎるのです。 ですから我々普通の人間が、そういう神様までとはいかなくても、神様のちょっと次ぐらいまではいかないと、もう風が止まってしまっているわけですから社会が変わらないわけです。次の風が吹くのを待っていたって、誰かが風を起こさないと風なんか吹くわけがないのです。よそから変な風が吹いていたって、それは一時的な突風です。特需だとか何とか言いながらただの突風なので、そんなことをやっていたらどんどん混乱するだけなのです。 一つ成功事例を作って、風を少しずつ作っていかなければならない。だからどうしてもここで何か良いリーダーシップの姿を作らないと、風も起きないし何も始まらないのです。神様みたいな人であれば一発でできてしまう話なのですが、我々普通の人がやるわけですから、最初はテクノロジーから入って、型から入って、これができるようになって、それでやっていくと、神様というかそういうすごい人たちの世界が何となく見えてきて、それに向かって精進しようと、こういう話なのです。それがこのリーダーシップ理論のポイントなのです。 「具体的に成功とは何かを自分で定義しなければならない」 それとこの(15)の図でもう一つ強調したいのが、「成功を達成すること」といちばん右側に書いてあります。英語ではMeasured Success と書いてあるのです。Measured というのは測られたという意味です。測られた成功という意味です。 これはどういう意味かというと、具体的に成功とは何かを自分で定義しなさいという意味なのです。これはすごいことを言っているのです。成功するとよく言います。会社が成功する。人生が成功する。具体的に成功とは何かを自分で定義しなさいという考え方がここに入っているのです。 自分で定義するから、どこまで成功したかが分かるのです。ただ漠然と成功したいと言ったときに、実際には何をやっていいかほとんど分からないのです。 話好きな営業マンであれば、注文がとれなくてもお客さんと長く話をしていることで成功と思うかもしれない。お金を稼がなければと思っている営業マンであったら、話をすることではなく、どれだけ注文がとれたかが成功と思うかもしれない。人は成功と言うことに関して、放っておけばいろいろな価値観を持っているのです。悪いことではありません。 しかし組織、会社としてやるのであれば、何をもって成功となすか、何をもって成功と我が社では定義するか、これを決めなければいけないのです。 これは一つである必要はないのです。いくつもあってもいいのです。これを決めないとリーダーシップがなかなかうまくいかないのです。 つまり今成功しているのか、失敗しているのかが分からないのです。成功に近づいているのか、失敗に近づいているのかも分からないのです。何かいつもものさしを決めておいて、成功に近づいているか、成功から離れているかを見ているから、どういうふうに修正したらいいかが分かるのです。どんどん状況が変わっていったときに、これがないとどうしていいか分からないのです。このままやっていけばいいのか、変えなければいけないのか。測っているからどちらにいけばいいのか分かるのです。ですから最初から何をもって成功とするかを定義しておきなさいという話です。 組織が動いていけばいくほど、これがないと結局見失ってしまうのです。目の前の適当な所、居心地の良い所だけ選んでいってしまうのです。ですからいつのまにか思っていたことと違うことが会社の中でどんどん実現してきてしまうのです。何をもって成功とするのか。それを定義しなさいということです。 「変化を拒む会社とは・・・“非適応的”な文化の源泉」 それから次の(16)「“非適応的”な文化の源泉」です。さっき申し上げましたように、変化を拒む会社というのがあるのです。 新しく会社を創ったときに変化を拒むということはまずありません。会社を創って最初の注文をとるときというのはなかなか大変です。ですから最初の注文がとれそうになったら、お客さんの言うことは何でも聞こうと頑張るわけです。極めて適応的なのです。 ところが最初の注文をとる。また注文をとる。どんどん注文がとれる。どんどん利益が出る。すると今までやってきたことと違うことを言ってくるお客さんには、「いいです。お帰りください」と言うようになってしまうのです。これが度が過ぎると、人の話を全く聞かなくなるのです。「俺たちはいつもすごいのだ」と信じるようになってしまうのです。そうすると変化に完全に遅れて、突然危機が襲ってくるのです。 ですからこの表で言いたいのは、そうやって時代に乗り遅れて、時代の変化を受け入れることがなくて失敗していく会社の多くは、かつて成功を体験した会社だということが言いたいのです。 さっきMeasured Success と言いました。成功します。次が大変なのです。成功すると、かなり支配的な地位を市場で確立しています。そして組織は成長と利益という観点で多大な成功を経験しています。そのために、いちばん右、マネジャーは自分たちが最高であり、彼ら特有の伝統が非常に優れたものであると信じ始めます。彼らはより傲慢になり、トップマネージメントもこの傾向を止めることがない。世の中で金融機関でもメーカーでも、この会社はすごいとはやされる会社があります。社長自身はそう思っていなくても、中にいるマネジャーは社員はそう思ってしまうのです。 「俺はすごい会社に勤めているんだぞ」という感じで、社員の方がそう思ってしまうのです。管理職までそう思うようになり出したら、会社はいよいよ大変です。 トップはやばい、大変だと危機感を持っている。ところが社員は昔の成功を知っているので、特に部課長クラスが「俺たちは成功したんだ」と思ってしまったら大変です。非常に傲慢になります。 ところが社長もそれを頭ごなしに言うことができないのです。かつて成功した実績があるわけですから、実態をよく分かっているわけですから「うん、そうだな」しか言えない。ですから彼らの傲慢は直すことはできない。「お前たち、それは違うんだぞ」と言うのはものすごく大変なわけです。 でも答を最初に言うならば、それができなければこの文化から決して脱することができないのです。そこをクリアしない限り、この悪循環から決して脱することはできないのです。 「プレッシャーは主に組織の中から来る。官僚機構を作り、人員を配置することで成長に対応することがいちばん大きな課題である。トップマネージメントは人々に外部の利害関係者の大切さを思い起こさせることがほとんどない。」 ですから内部の調整に明け暮れてしまうわけです。今の日本政府みたいなものです。アフガンに行けばいいのか悪いのかという問題ではなく、今の日本の法律の中で何ができるかできないか、内部の話だけで一生懸命になってしまうのです。 そしていちばん左、「組織はリーダーではなくてマネジャーを必要とし、雇用し、昇進させる。」 リーダーとマネジャーと書いてありますが、マネジャーというのは言われたことを正しくやる人、リーダーというのは何をやることが正しいかを示す人とよく言われます。 ここでリーダーではなくマネジャーを必要とするというのは、何が正しいかという議論がなくなるという意味なのです。そんなことは議論する必要はない。とにかく今やっていることの延長線でどれぐらい利益がでるのか、もっと早く仕事ができるのか。これだけを考える人をどんどん昇進させていくということなのです。 言っては悪いけれど、今の銀行がそうです。銀行の未来なんて考えている人はいないのです。どれだけ早く定期が売れるか。例えば本部が貸し出しを減らせと指示すれば、どれだけ早く減らすことができるか。こういう能力のうまい人がどんどん支店長になり、部長になり、出世していくのです。 そうなってくると、銀行はどうなるだろうかと考えている人は、恐ろしいことに誰もいなくなってしまうのです。周りはみんな、「銀行さん、大丈夫なの?」と思っているのです。しかし中の人はこういうことを考えている人は一人もいないのです。考えている人は全然昇進されないのです。考えれば考えるほど自分が嫌になってしまうから、辞めて去っていってしまうのです。こういう形でどんどん内部へ内部へ目が向いていってしまうのです。 そしていちばん下、「強力で傲慢な文化が創られていく」のです。これではどうにもなりません。 これを直すためにはまず、大体何か危機を利用するのです。何か危機だということを使って大胆な発想の転換を迫るのです。つまりそれは自ら作るというよりも、例えば何かやっていけば必ず一つのやり方が失敗を迎えることがあるのです。一つのやり方が必ず限界を迎える時があるのです。 すなわち毎朝毎朝、十キロ走っている人も、あるところまで歳がくれば疲れたとか、どこか痛いとか変化がきます。そういう時を利用するのです。 つまり一つのやり方が限界を迎える時に、何か兆候が出てくるのです。だから素晴らしいリーダーはこの兆候を見逃さないのです。こういうのを使って「やばい、変えよう」という議論を起こさせるのです。 これをやるためには、いわゆる達成文化というのがないとだめなのです。それがないと、今を満足させるもっと目の前の数字をクリアすることだけになってしまうのです。そして最悪の場合、消極依存文化というのですが、問題を避ける、問題を口にしないという文化になってしまうのです。こういう問題が起きているということ自身、みんなが気にしなくなってしまうのです。誰も議論しなくなってしまうのです。 すると山一や長銀ではないですが、ある日プッツリ歴史が終わってしまうのです。突然倒産してしまうのです。怖いのです。 成功する会社というのは初めのうちは良い文化を持っているのです。だから成功するのです。これを最後まで維持しなければだめなのです。ということは、上がっているときにもっと上に上がろうという目標ではなく、次の成長を考えていなければだめなのです。達成文化というのは手の届かないところの文化なのです。ですからもっともっと上に上げようと、今の延長線上ではないのです。次を考えなければだめなのです。次をどうしようか。 こういうのを考えていれば、ここに来たときにみんな「はい、こっちに行こう」と言い出すわけです。だからドット・コムだって、「こんなのはいい。次を」と言い出すわけです。だから株が暴騰する前にみんな辞めて、次に行こうと言い出すわけです。好きな奴に株を売ってしまえと次に行き出すのです。 だからもう次の山、また次の山、もっと先を考えていないと、どうやっても死のサイクルに入っていってしまうのです。ですから常に未来、未来、未来志向で、人が成長し、企業が成長するということをいつも考えていないとうまくいかないのです。 「なぜ国鉄改革は成功したのか」 (17)にいきます。次、次と見ていくときに、今日はイタリア料理、明日は中華料理というように、全くメニューを変えて次をやるということもあるかもしれません。しかしそんなことをやっていると、実際に強みがあまりないことが多いのです。いろいろなことを挑戦していくときに、強みを生かすということはすごく大切だと思います。 特にこのデフレの時、下に落ちていく時に、強みというものを残さないでかまわず会社を切っていってしまったら、良いところも何も全部ばらけてしまいます。 この(17)の話は以前にもやったかもしれませんが、旧国鉄が解体になった時に、JR 東日本の最初の社長になった人のことを書いた本の一説です。 後半の部分です。「国鉄改革を推進し、JR 東日本の初代社長を務めた住田正二氏は、その著書『鉄路に夢をのせて』の中で、「国鉄はいろいろな土台が腐っていたが、一番大事な支柱は腐っていなかった。この一番大事な支柱というのは、大きな赤字を出している時も、正確なダイヤを維持してきたことだ。ダイヤが維持できていなかったら、果たして民営分割はうまくいったかどうか疑問だといえる」と述べている。さらに住田氏は、正確なダイヤを維持してゆこうとすることは、日本の鉄道の原点であり、それが守られてきたことが、民営分割を可能ならしめた基盤の一つである。」 なぜ銀行改革は国鉄みたいにうまくいかないのか。ここがポイントだと思うのです。正確なダイヤみたいなものがないのです。柱がないのです。自分たちが守っているものがないのです。お客様も捨ててしまったでしょう。お金の精密な勘定というのも捨ててしまったでしょう。全部捨ててしまったのです。烏合の衆でしかないのです。こうなると下に入っていった時に全部空中分解してしまうのです。 柱が残っていれば、他は全部切る。債務も切る。見栄も切る。面子も切る。正確なダイヤだけある。それを使ってJR 東日本は一応立ち直っています。 だからその柱というものがないと、下がっていく時が見えなくなってしまうのです。柱を折ってしまうと、あとは空中分解、バラバラで雲散霧消になってしまうのです。 なぜ国鉄改革は成功して、なぜ同じようなことを銀行でやっても成功しないのか。そこだと思うのです。柱がないのです。いちばん大事な、いちばんコアの部分がないのです。コアの部分をなくしてしまってはだめなのです。コアはいつも守らなければならない。ということは、コアが何かということを分かっていなければだめなのです。会社全体がいつも分かっている。それを守っていなければだめなのです。だからいざという時にそれを守れるのです。 だから会社というのは常にコアは何なのか、自分たちの一番の中心は何なのかを忘れていては、特にこのデフレになった時に、雲散霧消して次はないのです。そういうことになっているという感じです。 「態度や価値観で採用するときに聞く質問事項」 (18)をご覧になってください。今日は是非みなさんにお土産としてお持ち帰りいただきたいのがこの(18)なのです。 実は今みたいに風が吹いていない時代というのは、ものすごく人の価値観がまちまちです。この時に、やはり会社によっては教育や価値観を合わせるということに時間を割けないケースがあります。 例えばリッツ・カールトンホテルやスターバックスコーヒーなどは、人を採用するときに能力ではなく価値観の部分にすごく重点をおいているのです。スターバックスコーヒーの人は、「能力は教育できるけれど、価値観は教育できない」とはっきり言っていました。 そんなこともあり、自分の会社の持っている価値観に合う人をどうやって採るかということが非常に大切なのです。これはすごいなと思うのですが、この例を見てください。 1. 顧客のニーズにこたえるためにあなたはどんなときにルールを破りましたか? 「あなたはどんなときにルールを破りますか?」という質問ではないのです。過去の経験を振り返って、あなたが何をやったか言ってくださいというのです。 2. たとえそれを認められることなく、あるいはそれでお金がもらえたわけでもなくても、どんなときに仕事だからという以上のものであなたは同僚を助けましたか? 以下九つ並んでいます。例えば 8.あなたはどのように極端に難しい同僚といっしょに仕事をしましたか? あなたはそれをどのように扱いましたか? 「扱いますか?」ではないのです。過去形で聞いているのです。これはシビアです。藤原学校のある方が「こんなのを聞いたら、応募者は全部逃げてしまう」と言っていました。シビアです。今アメリカの会社はこういうことをやっているのです。べき論は聞かないのです。べき論はみんな大体アンチョコを覚えてきてしまうわけです。優秀な模範解答があるわけです。そんなのを聞いても始まらないのです。過去の話を聞き、一つひとつ検証していくのです。これが価値観による採用のときの一つのやり方なのです。 ものすごいものがあります。 これは自分自身に対する質問と書いてありますが、さっきあったリーダーとしての資質の中で、首尾一貫していることと書いてありました。顧客重視とか、助け合えとか社長が言ったときに、これを自分でやってみるのです。例えば顧客重視といったときに、今までお客さんのことを全然考えたことがない、お客さんのことを考えるのは社員の仕事で俺の仕事ではないと思っていると、社長の心の鏡を見てもお客さん重視ということが出てこないのです。そういうことがあるのです。だから自分でやってみないといけないというわけで、自分自身に対する質問となっているのです。 「業績の高いチーム」 次に(19)「業績の高いチームワーク」です。これはその部署で最低六ヶ月から八ヶ月ぐらい間をおいて、自分自身で五段階評価でセルフアセスメントをしてみると面白いと先生が言っていました。 チームへの高い期待に対する共通の合意が自分の職場にあるかどうか。あれば五、全くないと思えば一。五段階評価をやってみるのです。 別にそれで最終的に評価するというのではなく、それをまじまじと自分で見て、お互いにそれを見せ合うわけです。そして「さて、どうしようか」ということなのです。これはチームワークワークとかやる気とかがあるかどうかを、お互いに自分たちで確かめ合うための質問、アンケートなのです。最低六ヶ月から八ヶ月おいてやってみると効果があると先生が言っていました。もしよければ使ってみてください。 「多様性を認める学校と、価値観を絞る企業との新しい関係」 そして次の(20)から(22)の所です。さっき教育型という話をしましたが、その教育のポイントがここに書いてあります。英語なのですが、(20)から順番に読んでいきます。 今、知識経済と言われます。お金があっても知識がなければ会社は成功しない。知識があればお金がなくても会社は成功する。なぜかと言えば、知識にお金は集まってくるから。よくこう言われます。つまり自分に資本金がなくても、知識さえあればお金を持っている人が資本家としてやってきてくれるから会社が創れる。金がいくらあっても知識がないと何も営業できないし、何の仕事もできないからお金だけあっても会社はできない。最近よくそういうことが言われます。 ・情報化時代は、教育やトレーニングの需要をどんどん増大させます。 ・二十一世紀に働く人たちに必要とされる技能は何なのかをここで再評価する必要があります。何を知っていれば成功するのか、何ができれば成功するのか、これを改めて再検討する必要があります。 ・その結果によってカリキュラムを変えていかなければなりません。 ・その結果として産業界、そして教育界、政府も仕事のやり方を変えていかなければなりません。 ・全ての人たちに教育の機会を提供していかなければなりません。 このように書いてあります。 その下、「現在の教育の危機」です。今世界中で起こっていることは、教育システムが社会から切り離されてきているということだというのです。社会の動き、経済の動き、技術の動き、そして文化の変化はものすごく大きなものです。しかもものすごくスピードが速いのです。そのため教育のシステムが追いつかないのです。ですから現在の教育のシステムというのは、もはや存在しない社会のために作られたシステムなのだということが書いてあるのです。 いいですか? 現在の教育システムというのは、今の社会のために作られたものではない。だから今の教育システムで勉強しても、今の社会では全然成功しないということが書いてあるのです。 なぜそんなことになってしまったのか。あまりにも変化が激しかったから、教育のシステムの変化が追いつかなかったからということなのです。 これは私自身、大学で教えていたときにいつも感じることです。大学に真面目に来て、いつも前の方に座って、試験でいつも良い点をとる。彼らが成功するという保証は全くないのです。 どうやって学生を動機付けさせるか。一つしかありません。面白いと思わせることなのです。直接的に教えていることがそのまま役に立つ、自動車教習所みたいな話はもうできないのです。これを知っていればああいうときに役立つという話は、学生だってそれは嘘だと直感で分かっているので、面白いと思わせるのが関の山なのです。これは大学ではなくてエンターテイメントです。テレビと一緒です。 「Paradigm shifts」はちょっと抜かします。 「Learning in the 21st Century」です。人の絵が描いてあります。猿から始まって、人間はだんだん二足歩行するようになりました。ところが最近人間はまた腰がまがってきているのです。人間もいろいろな進化を遂げています。直立歩行が人間だというのは古いパラダイムなのです。最近賢い人ほど、知識のある人ほど直立に立っている時間が少ないのです。知識がある人ほど猿みたいに背中を丸めているというわけです。 右上です。勉強のパラダイムシートです。昔は勉強があって、トレーニングがあって、仕事があって、リタイヤメントがありました。全部直列でつながっていました。 しかしこれからは全部並列にならなければいけません。教育とトレーニング、見習の期間、実際にプロとして仕事をするとき、それからリタイヤメント、これが並列になっていて、上から下に行ったり来たりするわけです。 何か仕事をやってみて、何か疲れたら完全に辞めてしまう。あるいはまた学校に戻る。そしてトレーニングをする。仕事をする。この並列に並んだところを自由に行き来できる人でないとうまくいかない。 こういう時代になってきたときに結局何がいちばん大事かというと、いちばん右下です。 “Learning”Society と書いてあります。つまりこういう時代でいちばん成功する社会というのは、何ができるかではなく、何を知っているかではなく、学ぶことができる社会、学ぶことができる人なのです。 これができる、何か一つ手に覚えた職があれば成功できるという仕事は非常に限られてきてしまっているのです。○○を知っているというのも非常に難しいのです。 みなさん驚くかもしれませんが、私はサン・マイクロシステムズのサーバーのシステム管理者の資格を持っています。ただし、今は全く役に立ちません。なぜならば私が取ったのは一九九〇年、十一年前なのです。十一年前のサーバーのシステム管理者の知識は何の役にも立ちません。今のサーバーははっきり言って言葉も分かりません。 ですから今何を知っているかという問題は、今はいいかもしれませんが、さっき言ったように潜在能力といったときにはあまり関係ないのです。あえて言えば、もう一回同じようなマニュアルを勉強して、同じような知識を身に付けていく気力があるかどうかが、システム管理者としては大事なわけです。また難しいことを書いてあるマニュアルを、また一から読んで、また資格を取る元気があるかどうか。これが学ぶことができる能力、意欲というものです。 こういうものを常に持っているということが、今何を知っているかということよりももっと大切なことなのです。これが次の時代のいちばん大事なことなのだということがここに書いてあります。 これからの時代は、企業と学校の関係というものが非常に面白くなると思うのです。元々人というのはこういうふうに自由にものを考えています。いろいろな価値観を持っています。それに対して組織というものは、あるいはネットワークというものは一つの方向に全部集まっているのです。集まる程度にもよりますが、組織やネットワークというのは、それが有機的に働けば働くほど価値観は一つに集まってくるのです。 これを簡単に企業と考えます。企業だけではなく、ネットワークもそうです。それから非営利団体もそうです。役所もそうです。地域もそうかもしれません。しかしそれを代表して企業と考えれば、企業と学校というのはこれからの時代、相互に補完関係にあるのです。企業というのは合わせないと始まらないのです。しかし学校というのは合わせてはいけない場所なのです。学校というのは一人ひとり持っているものを伸ばしてやる場所なのです。そして絞るのが企業なのです。 ですからいろいろな企業ができてくるのです。こっちに合わせる会社ができます。あるいは人を集めてこっちに価値観に合わせる企業、団体、ネットワークも出てくるでしょう。 つまりどこに合わせるか、いろいろな合わせ方があるのです。まさに社会にはいろいろな組織ができるのです。 教育の段階は合わせてはいけないのです。教育の段階はみんなが持っているものを自由に伸ばさせてあげればいいのです。そして教育というのは、時間をかけてこのベクトルを変えるチャンスを与えてやる場所でもあるのです。一つの価値観だった人が別の価値観に移動する。そのチャンスを与えるのが学校でもあるのです。学校というのは合わせてはいけない場所なのです。 ですから学校と企業というのは本当に補完関係にあるのです。学校は自由にやらせて価値観を伸ばす場所、企業は揃える場所なのです。この補完関係が上手にいったときに、いよいよ二十一世紀型の企業と学校の学ぶこと教育と社会は、上手に歯車がかみ合うようになるのです。 今はここがまだ全然そうなっていないのです。企業は混沌、学校は田植えの苗みたいなことをいまだにやっているのです。だから全然合わない。しかし目指すはここです。大体もう姿は見えているのです。あとはどうやってやるかだけなのです。 「巨大な変化に直面したときの三つのフェーズ」 最後のページにいきます。悩む人が出ております。悩んで、悩んで、悩んで、最後今日みなさんお帰りになる時に、答えは何だったのか。いや、悩むことだということになってしまうのですが、その左側に一つ図が出ています。 こういう巨大な変化に直面したときに、人は心理的にどんな変化を感じるのかということが書いてあります。ちょっと長々書いてあるので、要約して申し上げます。 人が巨大な変化に直面したときに、三つのフェーズがあるのです。まず最初に終わりを感じる段階というのがあります。終わりを感じる段階というのは、今までのやり方がうまくいかなくなるということが随所に見え始めてくる段階なのです。勘が狂ってしまう段階です。勘のとおりにいかないのです。今までやっていたやり方でうまくいかないことがポツポツと出てくるのです。これが終わりの段階なのです。 それと同時に、この終わりの段階というのは次の予感も感じる時なのです。例えば次はIT 革命だという声もチラッと聞こえてくる。うまくいかないと同時に次の声もチラッと聞こえる。そしてIT 革命を試してみる。パソコンを買ってインターネットをやってみる。見えた。早合点をするのもこの終わりの時期なのです。自分は何も変化しなくても、新しい技術や新しいやり方もちょっとやってみたらうまくいった。俺はやらなくても大丈夫だと早合点をしやすいのもこの時期なのです。 しかしやがてここでも大事件が起きるのです。もう元に戻れないという時が来るのです。そうするといよいよ暗中模索の段階に入ってきます。この大事件というのは結果的に来てしまうこともあるのですが、人によっては自分で作り出すこともあります。すなわちもう戻れないのだということを自分に納得させるために、大リストラを断行するとか、会社の給与システムを全部変えてしまうとか、元には戻れないということを大事件として示すのです。 これがないといつまで経っても人はいつでも戻れると思ってしまうのです。今の銀行みたいなものです。「昔に戻れるさ」とまだ思ってしまうのです。前に戻れると思っているうちは、どんなに暗中模索でも出口はこっちに来るのです。先に行かないのです。 そこで大事件を持ってきて、戻れませんよということをやるのです。これは何かお葬式みたいなものです。もう前には戻らないのだとみんながはっきりと分かるための儀式が必要になります。 暗中模索をやっているとやがて光が見えてきて、新しい始まりが見えてくるのです。この新しい始まりというのは、多くの人は新しい技術の到来、新しいやり方の到来だと言うのですが、実際には違うのです。 新しい始まりというのを正確に言えば、終わりの時代と暗中模索のこの苦労がものすごくひどくて、苦労した中でものすごく新鮮に見えた瞬間、これが新しい始まりという意味なのです。新しい技術が来たからといって、新しい始まりになるということは全くないのです。 これが次の時代なのだと言われても、普通の人は「そう?」と言うだけなのです。これが二十一世紀だよと言われても「へー」と言うだけなのです。新しい時代というのは、自分がそうだと思って一歩も二歩も足が出て初めて新しい時代だと言えるのです。これが新しい時代だと、自分で本当に納得できて人にも説得できて、社員について来いと言うものが来て初めて、新しい時代がその人に来たことになるのです。全く目新しいものが来ても「へー」と思っている限り、その人、その会社には新しい時代は来ていないのです。 この新しい始まりというのは、この終わりの時期、暗中模索の時期を真面目に苦労して初めて来るのです。私なども戦後世代なので、戦中の苦しい時を知りません。だから昔からよく言われました。「食い物はいくらでもある。残したって平気だ。昔は食い物がなかったんだぞ」とよく怒られたものです。そういう苦しい時期を知っていれば、新しい時代を新しいと思えるわけです。しかし私にしてみれば近代文明の終わりのイメージなわけです。 なんかこんなことをしていていいいのだろうかと思えてしまうわけです。ですから自分の体験、あるいは自分がどう思うかによって全然違うのです。 新しい時代というのは何かが起こればすぐ新しい時代になる、棚ボタ式に来ると思ったら大間違いなのです。そこが一番のポイントなのです。自分で戻れないという時期を経験して、暗中模索を経験して初めて出てくるのです。 ですから今真面目に悩まないとだめなのです。今真面目に悩まないから、いくら何が来たって新しいと思えないわけです。他人事みたいに思ってしまう。だからいろいろなものを試してみるのです。これが良いというまで、あれが良いというまで、どんどんショッピングアラウンドして、一つとして自分に身につくものがない、一つとしてリーダーシップの種にならないのです。だから実もできないのです。ですから真面目に悩むことが大切なのです。 この中で、暗中模索の賢い過ごし方、この時期に道に迷わない賢いやり方という話が出ています。それが(23)のいちばん上のところです。 「定期的に反省する場所と時間を用意しなさい」と書いてあります。これは私で言ったら週一回書いているあのレポートがそうなのです。あのレポートはもう八年やっていますが、あれは私にとってまさにこれです。 ある意味で、もう八年前から私は暗中模索です。ソロモンにいて、これはもうだめだ、もう戻らないとソロモンを辞めた時期が大事件です。このままでいったら日本も世界もおかしい。しかし次はまだ見えない。八年間どうやって過ごしてきたかというと、ああやって毎週レポートを書いて過ごしてきたのです。これを見たときハッとしました。ああ、自分にとってあれがそうだったのか。八年間何とか来られたのは毎週レポートを書いていたからだ。 要するに自分の思いをそのまま書き、自分で読むのです。だから自分の意識、あるべき姿と自分の考えていることを一致させるのです。こう考えなければいけないというものと本心が離れれば離れるほど、暗中模索の時代というのはおかしなことになっていってしまうのです。こう考えなければいけない、こうあるべきだと思っていると、本心がずれればずれるほど、この暗中模索は危険な時代に入ってくるのです。ものすごく恐ろしくなってしまうのです。 それを合わせていけばいいのです。合わせていけば人間はあまり苦悩はないのです。そしてやがて見えてきます。 例えばみなさんだったら、週に一回でも社長のメールマガジンを書かれたらどうでしょうか? 社長発メールマガジンを週に一回でも書いて、社員の方や取引先に送ってみたらどうでしょうか?企画部に書かせてはだめです。自分で書かないとだめなのです。そういう試みというのはやってみて初めて分かります。なるほど、というものがあります。 ですからそういう意味では、今まさに暗中模索、人によっては新しい始まりを感じられているかたもいらっしゃると思います。そういう意味で、この暗中模索の時期を迷わずに進んでいけば、自然と新しい始まりは誰にでも来るものです。そこのところが一番のポイントだなと思います。 みんな悩むのを嫌がっていますが、真面目に悩んだ人が勝ちだということです。これは人間の真実みたいなものをついているかなという感じがします。 「新しい時代が始まります」 そんなことで、世の中いろいろ大変ではあるのですが、もう既に今年増収増益という方もいらっしゃるのです。成功のやり方を何となく実感されている方も既にいらっしゃいます。時代はもう既に先に進んでいます。十二年間の停滞がいよいよこれで終わります。次の成長、新しい時代が始まりますので、是非それに向かって頑張ってやっていただきたいなと思います。 成功している方でも安住は厳禁です。安住すると、さっき言った非常に恐ろしい次の文化に入ってしまいます。その次を考えてやっていくということです。生きていくのは大変なことだなという気がするのですが、そういう時代かなと思います。 長時間お疲れさまでした。どうもありがとうございました。