生き生きした組織をつくる / 2004年6月(設立4周年記念講演会) 生き生きした組織をつくる 大久保 寛司 氏 みなさま、こんにちは。年に一回、鬼澤さんのご縁でお邪魔させていただいています。今日も水戸の駅に鬼澤さんの素晴らしい奥様のお出迎えをいただきました。私にとってはそれがいちばんの楽しみと言っては失礼ですが、本当に頭の下がる思いです。ただある面で、実は水戸に来るときは大変緊張感が高いです。普通、講演は全く緊張しないのですが・・・。なぜかと言うと、みなさんよくご存知だと思いますが、鬼澤さんの奥様がテープ起こしで講演録を作られるのです。ここ茨城の協議会のホームページのヒット率というか参照率というのは高いわけです。講演録のクオリティの高さというのも、私もネットの世界でいっぱい講演録を載せていますが、「茨城のがダントツに高いですね」という言葉もいただいています。ですからここはいいかげんな話ができないのです。かつ今回5回目、何をしゃべろうかな、やはり毎回違う話じゃないと申し訳ないな、今回、何にしようかなというので、やはり組織風土が大事だなと思いました。それで話の内容を考えた結果、一つの結論に至りました。1回目から4回目の講演録をお読みいただくと良いかな、その中に自分は多分組織風土活性化のヒントを盛り込んでいたなという感じがしています。 さきほど鬼澤さんから伺いましたが、この間、鬼澤さんが立ち上げた社会起業家ビジネススクールのフォーラムに前に三重県の知事をしておられた北川さんが来られたそうです。今、大学の教授ですから「北川さん」とお呼びしていいのか、「先生」と言わなければいけないのかもしれませんが、いまだに私は「さん、さん」と言ってやっています。北川さんが懇親会のずっと最後までお越しいただいてお話をいただいたというのです。なぜああいう人が最後の最後まで・・・。北川さんは結構多忙なのです。知事を辞めてから暇になるかと思ったら全然暇にならないとおっしゃっています。その方が長時間の時間を割かれたかというのは? 理由は極めて簡単です。鬼澤さんの熱意なのです。本当に地域を良くしたい、日本全体を見越して将来のリーダーを育てていきたいというその志の高さに北川さん自身も共鳴されて、それだけ時間を割かれているわけです。私自身も鬼澤さんの思いというか志の高さ、これに共鳴して、私で少しでもお役に立つならということで、しょっちゅうということはできないのですが、年1回ぐらいはお邪魔させていただきますということでお邪魔させていただいています。 これは何を意味するかというと、やはり同じ思いの人が集まるということではないでしょうか。ですから「金儲けだけ」という思いの人には「金儲けだけ」という人がたくさん集まってくるでしょうし、その目標が外れた、儲からなくなった途端に雲散霧消していくのだろうと思います。だからそういう意味では、鬼澤さんの所はこれからもさらに大きな渦を、良い意味での渦を作っていただけるかなと思います。ご承知のように全国の経営品質協議会はたくさんあるわけですが、NPO法人として登録したのは日本初です。そして事務局自身、法人自身のクオリティを高めていきたいという発想、これは他の渋谷の協議会を含め、全ての協議会が学ぶべきとこではないかと思います。まさに鬼澤さんは、革新者であると思います。如何でしょうか? そういう地ですから、それなりの話をしなければならないかなということになるのですが、散々考えた結果結局今までと同じ話になりそうです。ですから聴かれる方もまた同じかと・・・。でもここが大切なことは、質の高い方は同じ話から違った学びができるということなのです。そうじゃない人はそうじゃないのです。ですから同じ話でも同じように笑っていただいて、同じジョークが出たら、ここは笑わなくちゃいけないなと。ちょっと笑いの強制は良いとは思いませんが、これは講師の満足度が高まりますので、是非ワッハッハッー!とやっていただくとありがたいなと思います。 最初に一つの言葉を再確認していただきたいと思います。経営品質でも言っています「組織力」という言葉です。これは非常に大切な言葉です。なぜ大切か。すごく簡単です!組織で仕事をしているからです。個人営業で全く一人なら個人でいいのです。しかし実は大切なのは、組織全体の力を最大限に発揮するようにもっていくということがものすごく大事なわけです。ですから組織全体でのトータルの出力、これを最大化していく。これはある意味ではリーダーの役割になりますが、そういうことのできる企業もしくは組織が、力が強い、質が高いと言えると思います。ですから組織力だということです。 そうすると経営品質の観点から申し上げれば、やはり組織力といったときに、一つは組織のプロセス、手続き、仕組み、これのクオリティというのがあると思います。それからそこに従事する人と、大きく分けてこの二つの要素があるわけです。 そしてもう一つ大事なのは、組織力と言ったときに、そのメンバー一人ひとりのつながりというのがものすごく大事になります。同じ方向を向いているか、夢を共有化しているか、実はこれがいちばん大事なポイントだと思います。 ゴールを共有化していない組織というのはものすごく弱いです。理由は簡単です。目指す方向が違いますから、力を一方向に持っていくことはできません。ということは組織力が充分発揮されていないわけです。組織が強いのは、お互いがいかに組織横断で協力し合えるか、個々人が協力し合えるかということになります。協力するというのは「共通の目標に向かって力を合わせる」と国語辞典に書かれています。ということは共通の目標がなければならないわけです。ですから共通の目標をそれぞれが分かち合って同じ方向を向く。力を合わせるというのは心の向きを合わせるということだろうと思います。これができている企業、組織はものすごく強いということになのだと思います。 もちろん個々人の要素、能力というのもあります。そしてもっと大事なことは、その能力が伸びるか伸びないかというのは、実は目に見えないところの一つのものによって意外に左右される。すなわちそれが今日のテーマに据えた「組織風土」ということなのです。 経営を進めていく上で手法の勉強が好きな方がいらっしゃいます。何々手法を導入したら経営は良くなるのでしょうか?私の考えは、そんなことはあり得ない!そんなものがあれば全部の企業が導入します。私は手法よりも考え方の方がはるかに大事だと思います。一つの手法を導入したら企業は良くなる。そんな万能薬のような、何でも効くような薬なんていうのはあるわけがない。あるとしたら、きっと基本的にその体質を弱まらせるはずです。劇薬かもしれません。ですから「シックスシグマ、どうですか? これ入れたらうまくいくんですか?」返答は簡単です。「そんなのはやりようでしょう。」「ベンチマーキングしたらうまくいくんですか?」「そんなのはやりようでしょう。」「経営品質の8つの基準を導入したら企業は必ず良くなるのですか?」「いいえ、保証しません。」どういう気持ちでどのように活用していくか。これは何かと言ったら手法ではなくて考え方になるわけです。ですから今申し上げたように手法より考え方が大事であると思います。 そして個々人の行動もそうなのですが、最近こういう絵をよく描きます。(「行動」を書き その下に線を引き、線の下に「思い、考え方、価値観」を) 人はいろいろ行動します。行動というのは目に見えます。目に見えないところの、多分これは出力です。それではベースにあるものは何か。これは「思い」です。思いとか、考え方とか、価値観。これが基本にあります。この基本によって行動が関わってくる。そうするとここに近い目に見えないもの、共通の価値観が多分組織の風土かもしれません。新しいことにチャレンジしていこうというのも風土です。「やめておけ、前例があるのか、ないのか」、これも一つの風土かもしれません。多分共通の価値観、これに近いものが多分風土かなと思います。正式な定義なんてないと思います。それは共通に思い、考えていることであり、また判断基準でもあるかもしれません。 通常は行動を良くしたい、改善したいと思うときに、多くのマネージメント、企業は行動に焦点を当てます。それは違います!目に見えるものは目に見えないところの結果にしかすぎないということです。ということは目に見えないところにどれだけ焦点を当てて、そしてそこを良い方向に持っていけるかどうかというのが一人ひとりの能力を高め、組織力を決めていく一つの力になっていくわけです。 このように考えたとき、素晴らしいリーダーというのは何をやっているか?ほとんど思いや価値観に焦点を当てています。素晴らしいリーダーの共通項目、それは何か。意識改革、意識変革に自分の時間と情熱を注いでいるかということです。これをやらないリーダーはリーダーではないと思います。一つずつの行動を管理するということは不可能です。でもこれはあくまでも下線の下の考えたからの出力だから、ですから思いや考え方、価値観をどれだけ高邁なものに、もしくは共通のものに持っていけるかどうかということが多分大事なポイントだろうと思います。 これはちょうど行動というのが一つの木、幹、枝葉であれば、思いや考え方、価値観は根っ子で、まさに見えないところです。実はそこが大事なのだということを、今日は理解していただけたらいいのではないかなと思います。大切なのは基本の考え方なのです。 考え方を共有化する、もしくは基本的にはやはりお客様への価値提供、そういう思いを持っていくにはどうしたらいいか。これはやはり多分「対話」になるのだろうと思います。 意識変革のときに最悪のパターンは「いいか、時代は変わったぞ。意識を変えろ!」こんなことで変わるわけはありません。あるべき姿の結論を一言で言うというのは全然意味のないことです。元気のない人に「元気を出せ!元気を出さなきゃだめだ。」そんなの、本人がいちばん分かっているのです。背中を叩いて「もっと気合を入れろ!」余計元気がなくなります。でも背中を叩いている人はそれが正しいと思っているのです。大いなる勘違いです。 ちょっと話がそれますが、リーダーとか人の関係、上司と部下の関係でもそうなのですが、大切なのはあるべき姿、方向性を指示することではなく、そちらに動けるようにもっていくことが大切なのです。多くの方は正しい指示を部下にしたら正しいと思っている。全く間違っています。 これはどういう観点で見るか。ちょっと話がそれますが、仕事をするというのはそもそもどういうことなのか。こういうふうに見ればいいです。価値創造なのです。価値を創造することだ。そうすると、組織の中においても、いろいろな形で上の方というのは指示を出されます。究極的に価値創造を狙っているはずです。そこから見ていくことなのです。今から解説していきます。価値を創造することから見ていく、別の言葉で言うと「相手の側から見る。」これだけで一気に仕事のクオリティは変わってきます。たったそれだけでです。 例えば今、学校の先生の集まりでの指導、講演依頼というのをたくさんいただいています。先週も指導主事という学校の先生を指導される先生というのがいらっしゃいました。その先生の先生をやってくれというので先生のトリプルになるわけですが、その指導される先生たちにこういう話をさせていただきました。 「みなさんの仕事は指導することではありません。最初はなかなか理解しません。その指導した内容を相手が理解できるようになるのが仕事です。みなさんは指導したらそれで仕事が終わったと勘違いされていませんでしたか?」「自分たちは先生たちを指導したらそれで仕事をしたと思っていました。」「相手がまるで変わらない、理解しない、行動しない、価値創造ゼロのまま。仕事をしたんでしょうか。してませんよね。」指導したらそれで仕事をしたと思っていますから、初めての視点で愕然とされていました。 例えばある小売業で、店舗の指導員という方がいらっしゃいます。店の責任者の方に、ああしてください、こうしてください、こうしなくちゃいけない、ああしなきゃいけない、ここがだめです、あれがだめですということをずっと指導して回っていたのです。その方はおっしゃっていました。「毎週、半年間指導し続けたんですが、お店の方にその指導内容を実行してもらえないんです。私は一所懸命なんですけど・・・。」その時、その彼に私は何と言ったか。「あなたはそれで仕事をしたんですか?」「一所懸命やっています。」「いいえ、していませんよ。だって何も変わっていないんでしょう? 指摘した内容を相手は実行してくれるんですか?」「してくれないんですよ。だから困っているんです。」「ということはあなたは価値創造がゼロですね。何もしないで給料を貰えたんですね。大変幸せでしたね。」その発想はありませんでした。なぜか。仕事というものを自分の立場から見るからです。 私流の、独自の経営品質についての言葉の説明をしていきますと、基本は相手から見ることです。自分のクオリティを高める。自分の立場で見ているときには自分の姿というのは見えないし、そもそも自分がやっている仕事の価値というのは相手への価値創造ですから、相手が価値があったか、なかったかを判断すべきなのです。こちら側で考えてはいけないということです。相手側から見る。究極は「何のために」ということで、価値創造しているかという観点で見ていけばいいわけです。 その店舗の指導の方、「じゃあ、僕はどうすればいいんですか?」「いや、今まで常にこれができていない、あれができていないというリストを毎週出し続けた結果、何もできなかったんでしょう? 半年やってできないんだったら、まずそれはやめられた方がいいですね。」「どうするんですか?」「良いところを一つでも二つでもリストアップして、それを誉めてあげてください。」「良いところ、ないんです。」「何もないんですか?」「分かりました。じゃあ当たり前のところを、当たり前ができていますねと言って誉めてあげてください。」こう言ったところ、全部きれいではないけれど一部がきれいだったので「ここがきれいですね」、それだけを言った。翌週行ったら以前指摘したところが2項目できていた。今度は2項目できているから、「こことここができていますね」と言って帰りました。翌週来ました。5項目できていました。それが仕事をしたということなのです。 「今まで散々指摘をしても相手は動きませんでした。あなたは仕事をしてこなかったんですね。相手に変わってもらえなかったでしょう。価値創造できなかったのですね。仕事をするのはそういうことなんですよ。」これは一つの事例です。 多くの人は部下に対し、指示をします。はっきり申し上げて、適正な指示なんてある程度誰でも出せます。大切なのはその指示を実行させられるかどうかが仕事の分岐点になるわけです。 ですから結論から申し上げれば、正しいことを言っても相手がやらないと全く意味はないということです。やらない理由は簡単です、あなたから言われたくない。その信頼関係で下にいくら正しい指摘をしても全部空回りしてしまうということなのです。これでは全く意味がない。だからいかに相手に変わってもらえるか。 例えばマネージメントの方であれば、「困ったことは早く持って来い。嫌な情報でも持って来い。」私にすれば、そんなことは誰でも言えるのです。大切なのは、困った嫌な情報を持ってきてもらえるかどうかが鍵なのです。そしてそのような風土を作るのがあなたの仕事ですという訳です。 企業でよく見られる事例です。いろいろな不祥事があったとき、「常日頃から、どうしようもない、困ったことは常に言えと言ってきたんだ。」これをどのように解釈したらいいか。すごく簡単です。そういうことをあなたは実現できなかったんですね。「私は力がなかった」と言っているのと同じです。正しいことはある程度誰にも言えるのです。それを実行させることができるかどうかということが鍵なのです。 「オープンドアだ。うちはいつでも言って来ていいんだ。いつでも入って来い。」誰が入って行くかということです。入って行きにくいじゃないですか。そうしたらどうしたらいいか。例えば困ったことをすぐに持って来させられるような、いちばん基本はみなさんお分かりだと思います。信頼関係がないとだめです。双方向の信頼関係がない所では、嫌なことは持っていくわけがありません。「なぜこんな大事なことを早く言って来なかったんだ!」理由は簡単です。怖いから。あなたに怒られたくないから。でもビジネスの世界でそんな言葉は使えません。だから「すいません」と言うのです。 これは前回お話ししたように、これを良い方向に持っていく究極の方法は何か。ただ一つです。改善指摘の「なぜできないんだ?」という指を自分に向けるしかない。こんな大事なことをなぜ自分は彼に報告させられなかったんだと言って自分に指を向ける人だけが状況を変えることができます。 人は相手を変えることはできません。相手が変わることはできます。ここがポイントなのです。自分が変わることはできます。でも相手を変えることはできないのです。相手が変わるのは相手が主語なのです。 じゃあ相手がどうしたら相手が変わるか。すごく簡単で、こっち側が変わった時です。すなわちさっきのお店の指導でも、だめだ、だめだと言っているのが自分、その自分がいけなかったんですねということで自分のやり方を変えた。自分の方です。そうしたら相手が変わったのです。これが究極の策です。多分これ以外ないだろうと思います。もちろんやらないと命を奪うというのがあれば別です。でもそれ以外であれば、そのように変えるときにいかに自分に指を向けられるかということが大変大事であると思います。 学校を卒業していろいろな企業に行きます。5年、10年経つと随分人は変わります。それは所属した企業の特徴というか、組織風土によって人の雰囲気まで変わってきます。やはり目に見えないところの風土というのは多分いちばん大きな力なのかなというふうに思います。ですからいかに今日の本題である組織風土、活性化した、生き生きした組織風土を作れるか、これはものすごく大切になると思います。 組織風土の大切さをどれだけ理解しているだろうかというと、もちろん経営者を集めてお話しさせていただくと「そりゃあ組織風土は大事です」と言います。「じゃあその大事な組織風土の質を高めるためにあまたは何をやっていますか?」と言うとほとんど返答はありません。ましてや「それに時間と情熱をかけていますか?」と言うと、「いや、大事だとは思うんですが・・・」ということで終わってしまう。これは大事じゃないということになるわけです。 まず仕事の中で人を生かすか。風土、土です。農家の方のお話をうかがえばよく分かりますが、作物を作るときいちばん大事なのは種を撒く前、植える前の土壌作りです。土壌を良いものを作ったら、あとはある意味では自然任せになります。でも土壌作りにはものすごい知恵と情熱、汗をかけます。なぜかと言うとそれがベースだから・・・。 人も同じではないですか。どういう組織風土の所で働くか、仕事をするかということが、その人間が芽を出し、素晴らしい実を実らせるのか、それとも実る寸前、その前で腐らせてしまうのか。これは風土というものはものすごく大きいのではないかなと思います。 オートウェーブ、みなさんもよくご存知だと思います。51歳で上場企業を定年退職してカー用品の販売会社を始めた広岡社長。お手元のレジュメに『目先の利益を捨てなさい』ということで書かせていただきました。これは本の題名です。これは是非お読みいただきたいなということでここに書かせていただきました。 この広岡さんのすごいのは、店の基本がまさに明確なのです。判断基準は全てお客様に支持されるかどうかです。お客様の評価。実はお客様第一主義とか、お客様を大切にすると言っている企業はいっぱいあります。広岡さんに言わせれば、自分のできる範囲で大事にすると言っているにすぎません。それを越えてまでお客様の視点で店作り、経営をやろうとしている所がどれだけあるだろうか。決断の物差しはたった一つです。お客様が喜ばれるか、喜ばれないかというわけです。 簡単に言うと、まさに損の経営ということです。カー用品の会社なので駐車場があります。自慢気におっしゃっています。「どんなピーク時でも路上駐車を一台とさせない。そのための広い駐車場を持っています。だから平日はガラガラです。」そしてそこにお出迎えのためにたくさんのパートではなくて社員が立っています。中ではコーヒーサービスとか大きな待合室もある。雨が降ったら社員総出で傘を差してお出迎えに行く。なぜやっているのか。お客様にとってはそれが喜ばれるベストだからです。まさに一見損の経営です。 わずか設立何年かで上場されるわけですが、お店全体で見ていくと、これは二〇〇二年の情報でちょっと以前のものですが、カー用品の店別販売高は日本のベスト3を全部独占しました。面白いです。一見損の経営をやった結果、ベスト3に入っている。もちろん今、ものすごい売り上げ、利益、業績を誇っているわけです。 評判を聞いてたくさんの人が見学に来られた。そして曰く「そんなことをやったら商売にならない」と見学に来た人が誰一人真似ができなかった。だってほとんど駐車場はガラガラ、店内を見ると社員がいっぱい立っている。なぜか。お客様に丁寧な説明をした方がいいから。従来と発想が違うわけです。ですから真似しようにも誰も真似ができない。 在庫がない時、他のカー用品のお店で売っているお店があったらそこを探して紹介する。なぜか。それがお客様にとってベストだから。ここまでやれるかということです。結果として最高の業績を誇るところまでお店をもっていっているわけです。 そしてこの広岡社長がいちばん力を入れたことは何か。どうしたら素晴らしい店を実現できるか。それには社員一人ひとりの意識を変えることだそうです。意識というのも、先ほど書いたのと同じで目に見えないところのものです。人は行動しか見えない。でも実はその意識こそがものすごく大切なものであるということなのです。ですから多分素晴らしいリーダーというのは、意識を変えるということに時間と情熱を相当割いているんじゃないかと思います。 感じの良い店、雰囲気の良い店、生き生きとした店というのがお客様はお好きである。これは全部人だというわけです。じゃあそこに働いている人が生き生きしているか。一所懸命応対するようになるか。例えばサービス業でこういう販売であれば、「良い応対をしなさい」、これは正しい指示です。大切なのはその指示どおりに店員の人一人ひとりが動けるかどうかです。「良い応対をしたらいいですよ。」「明るい声で応対してくださいね。」「明るい表情でやってくださいね。」こんな正しい指示は誰にでもできます。じゃあ店員さん一人ひとりにそういう行動をとってもらえるかどうか。これがリーダーの役割です。 オートウェーブの場合はこれが多分風土に馴染んでいるということだと思います。入ってきた新入社員が自然とそうなってくる。 この間、ある会社でありました。ちょっとみっともないので会社の名前は言えないのですが、新入社員が朝、事務所に出て来ると「おはようございます!」と言う。しかし先輩社員がほとんど挨拶をしない。睨み返す人もいる。そして数年経った時、本人もそのようになっている。そしてそこの会社で挨拶をしようという運動をし始めた。その時、5年、10年の社員が何と言ったか。「わが社で挨拶をしてもいいんですか?」嘘みたいな本当の話です。すなわち挨拶しないが風土。悪い例の典型です。 みなさんの所でもそういうのありますか? そう言ってハイとは手を挙げにくいと思いますが・・・。挨拶をするというのは当たり前なので、当たり前を納得させるという、こんなに難しいことはないのです。朝来たら挨拶しなさい。なぜですか。気持ちが良いでしょう。僕、しなくても気持ちが良いんです。上司と挨拶するとかえって不愉快になります。だからしない方がいいじゃないですか。屁理屈を並べられたら勝てません。 私もそういう経験を持ちました。当たり前を説得するというのはほとんど不可能に近いことです。じゃあどうしたらいいのか。最近すごい人に出会いました。ある一流会社からまた上場企業の大手に転職した方です。とても元気なのです。朝来ると誰も挨拶しないのですが、全く無視して「おはようございます!」と明るく言い続けていたら、とうとう組織が変わってしまいました。全員が明るく挨拶をするようになった。全然無反応でも気にしにしないのです。アハッ、くらいのものです。挨拶をしても無反応ですから、無反応を見ておかしくなってしまうのでしょう。それを数週間やったらその組織は変わってしまったそうです。 みなさんの所がもし挨拶できていない組織だったら、これは一つのヒントです。無反応でもやり続ける。それだけできるかどうかということです。無反応だとなかなか厳しいですけどね。でも睨み返されるよりまだいいんじゃないかと思います。 ちょっと話がそれましたが、そういう風土というのが人を作っていくという感じがします。 一昔前のホンダと日産と言ったとき、多分イメージが違うと思います。一昔前のソニーと松下、今はというのはちょっとコメントは避けます。いろいろなイメージを持ちましたでしょう。やはり一つは自由闊達で、元気で、生き生きした、伸びやかな雰囲気があるなという会社です。片や官僚的だ。どちらがとは言いません。両方そうだという説もありますが・・・。どちらがどちらかは分かりません。それはやはり実際に直接お会いすると、まさにそういうものというのはあるわけです。 社内の中で新しいことを言ったとき、潰す風土というのはどういうのか。「あまり無理しない方がいいぞ。」民間企業のくせして「前例がないぞ」、役所みたいなことを言う。「時期尚早」という言葉。素晴らしいですね。「現実を見ろ」、これが全部否定するパワーを持った言葉なのです。一見説得力があるでしょう。現実を見ろ。周りを見ろ。ついでにお前の将来も考えろ。結論「黙っていろ。」こうなるわけです。 企業でこの風土を持っている所は、この時代、企業全体が間違いなく沈んでいきます。沈んでいく時に共通しているのは、私が沈める要因を作ったという人が誰一人いないというのが共通しています。自分以外の誰か。これが悪者です。おかしくなった企業で「私がいけなかった」と心底言う人はほとんどいないといいます。何と言うか。「私は頑張っていたのに周りがだめだったから。」これは共通しています。すなわち他責の風土ということになるかもしれません。何かあったときにすぐに責任を他人と他部門に持っていく。これも一つの組織風土かもしれません。 みなさんの企業はどうでしょうか。一つの問題が起こった。お客様から問題提起された。「私の部門がもう少ししっかりしていたらよかったのに」と言うのか、営業部隊はすぐ二言目に「製造業部門のクオリティが低いから俺たちが怒られるんだ」と言うか。そういう所の製造部門の人は必ず言います。「普段良い製品を作っているのに、営業部門は全く売る力がない。何なら私たちが売りましょうか。」水と油。お互いに責任をなすり合う。これも一つの風土かもしれません。 これを風土と言うと、ほとんどの組織全部に適用できる可能性があります。ですから自分の所はそうだなと落胆はしないでください。それは普通だとお考えいただくといいのではないかと思います。 オートウェーブから学ぶ点は、これはブロックスの「DO IT」シリーズのビデオもあるので是非ご覧いただきたいし、この本もお読みいただきたいのですが、徹底したお客様中心、お客様の喜び、そしてそれを社員が共有化し、それがお店のパワーになっている。ここが一つ学べるところではないかと思います。 もう一つ、バグジーという美容室があります。これも多分「DO IT」のビデオでご覧になられた方が多いと思います。私もこの間、バグジーの久保社長とご一緒させていただきました。一泊二日、九州の温泉まで行きました。いろいろなお話を聴かせていただきましたが、本当かなという話がいっぱい出てきました。 美容院というのはほとんど指名でお客様は来ますから、ご承知のとおり一人当たりの売上高というのがすぐ出ます。美容業界というのはものすごくきつい世界で、人の流動性が激しい世界だそうです。あの「DO IT」のビデオを見た時、美容業界に勤めている人が何と言ったか。「大久保さん、これは100%やらせです」と言ったのです。なぜか。「こんなにお互いに助け合うなんてあり得ない。」と言うのです。 この間、今年のバグジーの入社式のビデオをブロックスの西川さんに送っていただき、拝見させていただきました。新入社員が入社式に涙するのです。 一人ひとり売上が明確になりますが、久保社長は売上を言わないわけです。何を言っているか。思いやりです、愛です。ですから業績の上がらない店員さんが「社長、私最近今ひとつ売上が上がらないんです。」「そういうとき、久保さんはどうおっしゃるのですか?」「それは大久保さん、ただ一つしかありません。」「愛が足りないよね」と言うのだそうです。私、思わずニコッと笑って「本当ですか?」と言ったら、真顔で「本当ですよ、大久保さん。私たちは愛情の深さ、高さ、強さと売上は全く相関するのです。だから売上を上げろなんて言わないんです。『もっと愛を深くすることだね』、これで十分なのです。」 ご承知のようにあの方は中学を卒業して美容業界に入られています。行け行けどんどんでやって、それでもちっとも業績が伸びない。そのうち10何人になった時に上から3人に、ビデオでは1人と言っているけれど正確には、実は上から3人に辞められてしまうのです。ベストスリーです。せっかく育てた人たちです。その人たちが辞めていってしまう。 久保社長にお会いした時にうかがったのですが、「大久保さん、僕は嘘をつきました。」「どんな嘘ですか?」「辞めていった時に腹が立ったのです。ところがある所である方の講演を聴いた。『辞めていく社員の悪口を言う愚かな経営者がいる。』私のことかと。『残った社員もきっと同じように言われるだろうと思って不愉快になる、そんなことさえ気付かない愚かな経営者が世の中にはいるんです。』全部自分のことのように思えました。」久保社長は一般の参加者なのですよ。そしてどうしたか。久保社長は一大決心をしたそうです。悪口を言うのを辞めた。辞めるどころか残った10人の店員さんたちに「彼らは悪くない。あの素晴らしい彼らを辞めるところまで追い込んだ私が悪いかったんだ」と言ったのです。「でも僕、それ嘘だったんです」と言うわけです。「腹の底は煮えくり返っていました。」育てた奴が恩義も知らずに・・・、犬以下だと思ったそうです。ところがそれを一ヶ月言い続けたら、店員さんたちが「社長、あの人たちのことはもう忘れましょう。私たち、頑張ります。」お陰さまで80何人になりました。今、93人です。 みなさん学ばれたと思いますが、あそこは売上至上主義から軸を何に移したか。思いやりです。ありがとう。すなわち毎日店員さん同士が、またお客様からどれだけ「ありがとう」と言われるかを勝負、基本の軸にしたのです。結果はご承知のとおり業績がずっと上がっているのです。面白いです。 お客様がビデオに出てきています、「ここっていいでしょう?」何がいいか。「店員さん同士がお互いに協力し合いますよね。他の店に行くと協力し合わない。」。そうなんです。この業界というのはお互いに競い合っている、足を引っ張り合う世界だそうです。その中で協力し合うというのはあり得ないそうです。 私も久保さんと一緒にお店を何軒か回らせていただきました。すごいです。社長が突然お店を訪問するわけです。普通、社長が突然店に来たとなるとどうなりますか。何か背筋がピンと伸び、フッと思わず余計な所を切るということはないと思いますが、何かやりそうです。しかしあのお店は久保社長が店に顔を出すと変わるのです。どういうふうに変わると思いますか?明るくなるのです!すごいです。申し訳ないぐらい、みんなこっちを見て明るいのです。そして店を出てくる時なんか、店員さんが出てきて手を振るのです。お客さんの方を見なくていいんですかと不安になるぐらいです。 お店はすごく狭いです。表現は良くないですがとても立て込んでいます。そして四六時中お客さんが入ってきます。周りに美容院がありますが、閑古鳥が鳴いています。みんな楽しいと言うのです。そこに一度行かれた方というのはみんなファンになってしまう。 徹底してお互いに協力し合っています。だから強いのです。さっき冒頭に申し上げたように、協力し合える、共通の目標を持っている。それはお客様に喜んでいただくことです。そして大切なことは、とにかく生き生きしている。 組織によってはこういう例があると思います。外回りの営業の方が夜遅く、事務所に戻ってきた。あ、まだ課長がいる。課長を見た途端、「もう一度外に言って来ます」とか言って出て行く。課長から見る「最近なかなか熱心だな。」違う、あなたと顔を合わせたくないだけです。こういうのはいっぱいあります。 これと好対照です。すなわち社長さんが入って来るだけで明るくなる。なぜそれができるのか。強烈な信頼関係です。別な言葉で表現するとすれば、久保さんの従業員一人ひとりへの思いやりなのです。ですからビデオでもあったでしょう。「誕生日? 大したことはしていません。手紙を書いているぐらいです。」と、筆で長い文章を書いているじゃないですか。あれを大したことないと言うのです。 今まで社内外共にいろいろな方に筆で手紙を出されています。全部控えが取ってあり、これぐらい数センチの厚さです。見せていただきました。「大久保さん、この写し、僕にとって宝なんです。」私も丁重なお手紙をいただきました。筆で貰うと、どう返答していいか分かりません。メールは出せないですし、はがき1枚でも失礼ですし、それで思わず電話で「お手紙、ありがとうございました」としか言いようがないなと。負けずに、そこで別に競う必要はないのですが、私も下手な筆を取り、筆でご返答申し上げましたが、やはり基本は強力な、強烈な思いやりなのです。 そしてあのビデオを見ていると分かるように、もう一つ大切なもの、個々人が成長目標を持っています。これ、大事なキーワードです。すなわち組織全体の目標と、それにつながった形で個々人が目標を持っているかどうかというのが、個人と組織の活性化にものすごく影響します。 目標がない人は自分の命、能力を全開することはできません。その目標がたとえマイナスの方であろうとも、目標がある限りにおいては全開することが可能なのです。この世を破壊しようというのも一つの最悪なケースです。でもそれに基づいてその方向に全開することは可能です。目標がない人間はエネルギーを十分に出すことはできません。 脳みその使っているものというのは大脳生理学上1桁%と言われています。私もみなさんもほとんど使わないまま終わっていくわけです。10%使ったらもう天才になってしまうわけですから、普通数%です。そのわずか数%をうまく使うか、活性化するかの一つは、バグジーから学べるのは一人ひとりが成長目標を持っていることです。 ここで是非理解していただきたいのは、部下をお持ちの方、もしくは経営トップの方は部下に、社員一人ひとりにいかに成長目標を持たせることができるかというのが一つリーダーの役割だということです。なぜかと言ったら、成長目標を持ったらできるのです。 ご存知の方も多いと思いますが、私は子供が7人おります。今はもう下の3人しか一緒に住んでいませんが、子供たちが勉強する所を見ていると、明確に目標を持っていると思います。目標を持たないで勉強しろと言っても絶対しないというのは、これも間違いのないところです。ところが、今度はこういう成績をとろうとか、これをできるようになろうとか、目標を持ったときは強いのです。脳は全開します。 例えばマージャンがお好きな方がいらっしゃると思います。私は全然できません。ルールブックを買ってきて、一所懸命勉強したけれどダメでした。これは多分脳にインプットされているのです。社会人になる時、父親に言われたのです。「マージャンだけはやめておけよ。自分がやりたい時はいいのだけれど、やりたくない時に付き合わなければいけないからな。あれは人生の無駄だからやめろ」と自分の体験から言われたのです。私は父親から一切アドバイスを受けたことがない人間なのですが、たった一つ、社会人になる時に一言、「マージャンはやらなくていい。」と言われたのです。 常日頃叩かれていると感じなくなります。説教ばかり受けていると、どんな説教にも耐え得る能力が身につきます。すなわち無反応というすごい能力をみに付けることができるのです。ところが私は生涯で父親から一度しか言われていない。この強烈なインプットがあるからマージャンのルールが分かるようにならないのです。ところが学業成績がまるでだめだった人が役をあがった途端、何点と言うのです。あの速さ。あの複雑なルールを覚えられる。何なんだと。 例えば免許証を取るとき、いかに多くの項目を覚えなければならないか。あれはカンニングできません。学業成績がまるでだめだった人もいっぱい取っています。 そこから何が分かるか。脳細胞を使っていなかっただけだということが分かります。すなわち興味、目標、もしくは目標達成意欲なのです。どうしても免許証を取りたいとなるからです、今、テストしたらほとんど全員が落ちます。9割無理でしょう。そういうテストに意味があるのかというのはまた別のテーマですが・・・。 ここから分かることは、興味とか目標を持たない限り脳を十分に使うことはできないということです。だから組織においてリーダーは、いかに組織全体の目標を持たせる、明確にする、そして一人ひとりに共有化すると同時に、個々人自身も自分なりの目標を持つのが強いのです。 バグジーのビデオを見ると、一人ひとりが成長目標で「何月何日までにこれができる」と書いてあります。目標というのはそういうもので、日付がないとだめです。そうでないとチェックのしようがなくなります。 そしてビデオの中で幹部、先輩たちが集まって、社長さんと一緒にミーティングをやっています。何をやっていましたか。最近入った若い社員の心的課題をみんなが取り上げている。そのミーティングの場で売上をどうする、店の展開どうするというのはやっていないのです。皆で何をやっているかというと、あの人はこういう点で悩んでいる、この人はこういう点で行き詰まっている可能性がある。じゃあ、どうしようと真剣に話し合っています。 そんな会社、どれだけありますか。幹部が集まって部下のメンタルな面を皆でお互いにケアしている会社がどれだけありますか。うちは人がいちばん大事だと言いながら、集まった所で業績はどうなっているんだとやっていませんか。99%これです。それが本音だからです。人を大事にする。嘘です。数字だけです。それは社員が敏感に感じ取ることができますから、所詮そんなものだろうと。それではそういう人たちがまたお互いに大切にし合うか。それはあり得ないです。 結構若い方ですが、中ではベテランという方がこうおっしゃっています。「私たちの成長は部下の成長でしか測ることはできません。」一流企業の幹部研修をたくさんさせていただきましたが、そんなセリフを言った人に出会ったことがありません。自分の成長は部下の成長でしか測れない。すごいメッセージです。あのビデオにはそのようなメッセージがバンバン出てきます。 あれを1度ご覧になった方、10回以上ご覧になることをお薦めします。20回見ても飽きがきません。私は40回以上見ていますが、いまだに学べます。言葉を拾えていません。そのぐらい深いものです。リッツ・カールトンのビデオしかり、トヨタビスタ高知のビデオしかり、オートウェーブのビデオしかり、全部「DO IT」シリーズですが、あそこに出てくるものは本当に学びが深いです。 最新号では沖縄教育出版という所が出てきています。西川さんという編集長、今度社長になられましたが、その方からうかがいました。教育出版といっても通販の会社です。最初は教材を売っていたらしいのですが、今は通販です。どちらかと言うと健康食品をやっているのですが、ずっと右肩上がりです。すごいなというのは、通常の経営感覚を度外視した発言が社長から出ます。「利益を上げて何になるんですか」という信じられないセリフが出てきます。数年前にガンを患われ、生死の境目を歩かれて、そこからやはり人生観が変わられたようです。 だから沖縄教育出版というのは売上、利益が上がるとどうするか。追加でその分人を雇うのだそうです。普通の企業は全く反対をやっていませんか。そしてそういう人を雇うからまた売上利益が上がってしまうんですという信じられないことです。 もっとも、最近どうもアナリストも気が付き始めたという記事が昨日出ていました。例えばウォルマートが出資しているスーパー。人を減らすと言ったら今まで全部アナリストが「買い」で、常に株価が上がったのに、人を減らすと言った途端また下がった。人を減らしたら評価が上がるなんておかしいわけです。やっと少しは気が付いてきたかなというところです。 だって組織というのは人が資産でしょう。もちろん負債の人もいますよ。やる気のある人の足を引っ張る人は資産ではありません。負債です。しかしその人も資産になれる可能性はあります。もっとも、大きい声ではいえませんが実はなかなか難しいケースもあるのです。ですが基本的には資産になることはできます。 本当に人を大切にしない企業が伸びていくことができるのか。ウェッジという雑誌の最新号にも伊勢丹の話が書いてありました。自社で一切レイオフしないでやって来た。ロイヤリティとスキルの高さで結局断然の利益率を誇るようになった。一朝一夕ではできません。当たり前です。 ですからOBの方に対して年金を下げると言ったとき、自分たちを育ててくれた会社が困っているのだからと誰一人反対がなかった。松下でさえ大騒動になったのです。しかし伊勢丹はクレームがゼロだったのだそうです。頑張れという声援しか来なかった。なぜか。働いている時、自分たちは大切にされたという感覚があるからです。 私から見たら、経営の本当の姿というのはこれではないかと思います。売上利益、なんぼのもんじゃ。その見方の方が本当は正しいのかもしれません。あれは結果にしか過ぎません。でも結果として捉えている所の方がかえってうまくいくという、これまた大変面白いものだと思います。 沖縄教育出版では6時間のパートタイマーに対し、6分の1の1時間、昨日お客様からこういう声が、こういう質問があった、こういうご意見があったという共有化で、それに対してお互いに意見を言い合う場を1時間作ってあります。もちろん報酬は払います。その間も電話は鳴ります。通販の会社ですから、本当は電話を取ったらいいと思いませんか。6時間のうちの1時間、情報共有、お客様の声の共有化に当てているのだそうです。 直接ビデオを撮りに行って、西川社長がびっくりしていました。「でも大久保さん、結果的にはこれが上がっているんですよね。」なぜかお分かりですね。行動というのは思いの出力なのです。応対というのも思いの出力です。行動をどんどん指示するよりも、思いを変えることに時間をかける方がはるかに高い成果を生むということは事実なのです。 でも多くの方はこれをご存知ありません。そしてまず目先の数字を追う。すなわち私から言うとほとんど基盤を作らないで自転車操業をやっている。これで何よりも一人ひとりに達成感があるのだろうかということです。 バグジーも久保さんの所から資料をいただきました。文章を読み上げて涙を流しながら感動する場面がありますが、その社員、従業員一人ひとりが感動するような文章を毎月みんなで読み上げているのです。もちろんその間は髪は切りません。収入はゼロ。おっしゃっていました。「絶対にこれだけはやめられない。」 すなわちいろいろな素晴らしい企業で共通するのは、ここに時間をかけているということなのです。ここの思いを高めることに時間をかけている。上場企業、ほとんどゼロに近いです。何もやっていない企業がほとんどです。価値観を変えるということ、お客さんにもっと素晴らしいサービス、商品を作っていこう、提供していこうという価値観の共有にどれだけ時間をかけていますか。限りなくゼロです。何に時間をかけているか。数字ができないのかということに時間をかけている。 結論から申し上げれば、多分、人生を振り返った時に「数字・数字」ではむなしい人生でしょう。決して楽しいとはいえないと思います。なぜか。本当に自分自身が価値を生んでいると思えないからです。 トヨタビスタ高知の明るさもすごいです。このバグジーの明るさもそう。トヨタビスタ高知もやはり社長の横田さんの思いです。人への思い。そして最終的にはそれが素晴らしい成果を生んでいるわけです。これは是非真似されたらいいと思います。やはりそのような所が結果的に良いものを生んでいるのです。 自慢話みたいになるようでちょっと恐縮なのですが、「DO IT」シリーズのビデオを作っている西川社長から言われたのは、先にお話ししたかもしれませんが、あの方はコンサルタントは嫌いですと言うのです。「私は中小の元気な企業を見ていますが、コンサルタントの方たちの言っていることとやっていること、指導していることとは全く乖離しています。よくあれで報酬が貰えますよね。だから私は好きではありません。基本的に信じておりませんでした。そして大変失礼ですが、私は大久保さんもその端くれだと思っていました。」すなわち信じる対象ではなかったというわけです。「ところが『21世紀 残る経営 消える経営』を読みました。大久保さん、あの中に企業の成功法則が全部書いてあります。」この間もお会いした時、「大久保さん、あの内容をやっている企業が結局成功していますよ。」 私はすごく嬉しかったです。なぜか。私は一介のサラリーマン、ただ単にこうだろうと思って書いていて、何の経験もないところで書いているのです。一つの企業を立ち上げ、成功体験に基づいてこうやったら良いぞというのではなく、単なる推測、思いで書いているだけなのです。だから申し訳ないのですが何の保証もないのです。でもそういうふうに言っていただけだというのはものすごく嬉しかったです。そして言われて「そんなにいいですか? じゃあ自信を持ってよろしいでしょうか?」と言ったら「持っていなかったんですか?」と。その時返答はやめましたが・・・。 私は実体験ゼロですから、やはり推測、憶測でしかないのです。日本IBMで経営層に入っていたわけではありません。一介のCS担当ですから大したことではありません。現場の支店長とCS部門担当の経験しかないわけです。だから経営とは、と語る資格もないし能力もないわけです でも経営品質で8つのカテゴリーを勉強することはできました。これは多分参考になりました。そして幸いにも、日本IBMでもアセスメントというのを全ての部門、人事でも、財務でも、広報でも、研究所でも、工場でも、私だけは全部の組織を見に行く機械に恵まれました。そして組織プロフィールから、8つのカテゴリー、説明を聞いてコメントするというのをやる機会に恵まれた、多分日本IBMでこれだけ多くの部門の詳細を知ることの出来た唯一の人間だと思います。すなわち全ての領域を見ました。これはすごく参考になりました。ただし価値観とかこういうものはゼロです。あくまでもプロセスであり、仕事の中身です。でもいろいろな組織を見ることができたというのは私にとっては非常に強いというか、いい経験になりました。 その中で1つ感じたことは、組織風土といったとき、やはり組織、一つの同じ会社でも部門によって随分風土というか雰囲気が随分違うのです。これはやはり営業部門と開発部門、開発部門と製造部門、全部風土が違います。当然といえば当然です。 組織風土といったとき、強いものの一つというのは、みなさんお分かりいただけると思うのですが、組織の壁が低い、風通しが良いということです。これがすごく大事なことだろうと思います。組織間の壁がない。組織の壁をいかに低くすることができるか、なくすことができるか、組織風土をいかに風通しを良くすることができるかが大事なことなのです。 組織の風通しを良くするのをネライに最近実際にやってみてすごい成果を上げているケースがありますで、これを今から紹介します。こうやると組織の風通しがものすごく良くなる。それは何かと言うと、違う組織の人が集まって話すという、ただそれだけかというとそれだけなのですが・・・。それも組織の縦と横で集まる。クロスです。 例えば先週もある県に4日間お邪魔しました。どういうのをやっているかというと、知事との意見交換会というのをやっています。知事、副知事、出納長、いわゆる三役です。そして部局長さんがいっぱいいらっしゃいます。県の部長というのはご承知のようにものすごく偉い存在で、企業で言えば役員です。その方たちの意見交換会というのをやっているのです。 ご承知のように役所は、お互いに他部門に対して絶対に指摘し合わない、提言し合わない、非難し合わないというのが不文律です。いわゆる横槍を入れない、これが暗黙のルールです。風土としてやっちゃいけないのです。役所の人はいろいろな所を経験するから知恵、知識があるにも関わらず、お互いに提言し合わないというのが風土なのです。私はそれを壊したいと思いました。なぜか。住民の視点、企業で言えばお客様の視点に立っていないで、組織や自分の保身を優先していることになると思うからです。それを壊すことをやっています。部局長7、8人、そして私自身がファシリテーターみたいな役をしています。簡単に言えば司会進行をやっていくわけです。 先週やった時、信じられないぐらい意見が出ました。最初は私が「何々さん、いかがですか?」とやると意見を言うわけです。今回行った時は、今回で何回目かな、だいぶ重ねた成果もありますが、私がしゃべろうとしたら「大久保さん、待ってください。僕に意見を言わせてください」、部長さんたちがそんなふうに言うようになりました。 そしてすごいのは、これは知事の発案で、私は企業でよくやっていたのでそういう事例を紹介したら、課長をオブザーバーで後ろに10数人置いたのです。すなわち知事と部長との意見交換会に課長が入るというのは、国でいえば次官会議で首相がいる所に課長職が後ろに並ぶ、こういう感覚です。 これだけですごく風通しが良くなりました。オブザーブした課長さん達にはとても喜ばれました。「部長の本当の思いが分かった。普段あんな話、聞いたことがありません。」国から課長職で来た人は衝撃を受けていました。まず知事との意見交換会がある、そしてその場に課長職が同席している。それだけでショックです。そしてそれがお互いに意見を言い合っている。霞ヶ関の論理ではあり得ない。そしてさらにこうも言っていました。「今までの私たちの国での仕事の仕方は何だったのでしょうか。恐ろしい間違いをしていました。」顔が緊張していました。その国から来た人はそれぐらい衝撃を受けていたのです。今までの官の常識では考えられないのです。すなわち組織横断、縦横断でやるということはそういうことなのです。 私はいくつかの企業、ちょっと2、3社ぐらいに絞って定期的にお邪魔しています。実は明日もやるのですが、関連会社の社長以下役員全員集まります。そして丁丁発止、1.5日の意見交換会をします。一般の、平社員という表現はよくありませんが、非管理者の人たちをオブザーバーで入れます。どうなると思いますか。私自身いろいろな所でやらせてもらっているのですが、部長のいろいろな研修、意見交換会に課長、もしくは一般職がオブザーブするだけで共通のコメントがあるのです。どういうコメントがあると思いますか。「部長も人間だったんですね」というのが多いのです。大きな組織の中では雲の上なのです。そして違うことを考えていると思っています。「同じ人間だったということに感銘を受けました。」言われた方はびっくりします。「人間じゃないとすると俺は何だったんだ。」「神様?でしょう」としか言いようがないわけです。 いろいろな企業でやっていますが、これと同じコメントが出ます。この間やった企業ではどんなコメントが出たと思いますか。「私は会社の経営理念がお客様を大事にする、こんな会社だという思いでこの会社に入りました。でも現場に配属されたら全然違っていました。今回1.5日、役員の方たちの討議を聴いていて嬉しかったです。役員の方たちは本当にお客様を大切にする思いをお持ちだったのですね。」聞いていて役員が涙する。「うちの上司は違う。」思わず社長が「誰だ、上司は!」ちょっとそれは良くない、やめてくださいというので止めましたが・・・。衝撃でした。 ここから何が学べるかというと、立場の違う人を入れてお互いに話を聴き合わせるとお互いの理解が急激に深まるということです。今度その会社で逆のことをやっています。一般職で1.5日研修をする時、役員を後ろにオブザーバーでかける。最初から最後まで1.5日黙らせておく。ものすごく学びがあります。現場にこう伝わっているのか。現場はこんなことを考えているのか。普段業務で行った時にはそこまで話ができないのです。これは場を変えないとだめです。物理的に場を変えてお互いにフリーで意見を言い合う。 これは『自分が変われば組織も変わる』(かんき出版)の本の1つの章に書かせていただきましたが、意見交換会のとき大事なのは、まずルールを明確にして最初に宣言しておくことです。本音で語りましょう。完結に語りましょう。お互いに聴き合いましょう。立場は全員対等です。先輩、後輩いろいろ社歴はあるでしょう。関係ありません。異なる見解をどんどん出してください。 しかしこれを真に受けて、日本の会社で「今日は対等なのか。先輩、それは違うんじゃないですか」と本音でやった。会議室を出た後、大変なことになるわけです。「お前、何考えているんだ。」ですから「終わったら爽やかに」というのをグランドルールにしているわけです。実はそのルールを宣言するだけで本当に本気で本音でしゃべり出すのです。ルールの宣言というのはばかみたいですが、すごく大切なことです。彼は言います。「今日は本音でいいんですよね?」、ということは普段どうなんだという問題があるのですよ。 そして本音で語らない限りにおいて、組織運営の質を高めることはできません。お互いが全員建前。建前って建前ってご存知ですか。嘘です。建前と本音と言いますが、表現が優しすぎます。嘘と本当と言ったらいいのです。真実と虚偽。虚偽で組織運営ができるのか。あり得ない。だから悪くなるのです。 虚偽の塊の会社が今、マスコミにいっぱい出てきています。だからああなる。しょうがないでしょう。真実が語られなかったからです。多分語った人はいたはずです。でもはじき出されたのでしょう。そして残った人は虚偽の塊ですから、まとまって沈んでいくしかない。しょうがないでしょう。自業自得です。でもそのケースでも自分が悪いと言う人は多分いないと思います。絶対にいないのです。組織が悪い、あいつが悪い。必ずそうです。自分の責任です、自分が悪いんですと言う人ばかりの集団、そこはお互いに助け合いますから落ち込みません。 実はこの間、私の古巣の日本IBMという所に行って来ました。かつての会社の自慢話で恐縮ですが、すごいんです。何に呼ばれたかと思いますか。リーダーシップ研修。会長、社長以下、役員と理事、次の役員候補みたいな方達70人の前で話をしてほしいというのです。 辞めた人間が前の会社に行って、会長、社長・・・、会長はみなさんよくご存知でしょう、最近頻繁にテレビに出ています、同友会の代表幹事、北城さんです。みんなで並んで、こうやってメモを取りながら聴くというのがありますか? 確かに要請する方もする方なら、行く方も行く方なんです。私が世間で知名度が高くて、四六時中マスコミ、テレビでコメンテーターをやり、雑誌に出てものすごい権威になっていれば別です。だったら呼ぼうかというのがあっても違和感はないかもしれない。しかし実際には何もありません。何やってんの? 経営品質だけです。組織を元気にするお手伝いですと。ちょっと失礼になってしまうかもしれませんが、大したことはやっていません。その人間を呼んで全員で聴こうというのです。たくさんのマネージメント、スピーチというのがありまして、テーマが決まっています。全員が15分~20分です。今の社長の大歳さんでさえ30分です。私は、1時間頂戴しました。全役員で辞めた社員の話を聴く。これは組織風土の強さです。日本の企業で、辞めた社員を呼んで会長以下が全員並んで話を聴くというのがありますか。ないでしょうね。これは自由度の表れです。 実は昨年秋、名古屋の経営品質協議会発足の記念フォーラムがあり、北城さんと一緒に並んで講演をさせていただきました。北城さんが先だったので、すぐに帰られるだろうと思っていました。事務局がたてた最初の予定は後だったのです。真打みたいなものですから、私が先だったのですが、いろいろな事情があって先に話したいということで、すぐに東京に帰られるのかなと思ったら、いちばん前の真中に座って休憩時間も残っておられる。私の話しを聴いておられる。 そして今回お邪魔させていただいた時も、同じ話ですから退席されるのかなと思ったら、いちばん前でやっぱりメモをとっておられるのです。あの同友会の代表幹事の方が一所懸命メモを取っておられる。そして終わったら「大久保さん、いつも勉強になってありがたい。」これ、学ぶ力です。同じ話ですよ。でも一所懸命メモを取られています。かつての部下の部下の部下ぐらいのものです。その人間に対して、参考になった、ありがとうと言うわけです。これは風通しの良さの1つではないかなと思います。 『21世紀 残る経営 消える経営』にも書かせていただきましたが、お客様満足度向上委員会というのを月一回やっています。日本IBMではもうすぐ150回になるのだそうです。そしてオブザーバーは現場のマネージャークラスが入ります。私もあれがヒントで、いろいろな所でセミナーをやるときにオブザーバーに必ず参加してもらう。これはものすごく効果があります。みなさんの所でも、部長会に課長とか一般社員をオブザーブさせたらいいです。 この間、こういう話がありました。それはだめだと言うのです。なぜですか。「部長の討議の質が低い。社員が幻滅を感じてもいけない。今は幻影を抱いているからそのままにしておきたい。」これまた変なふうに説得力がありまして、それもそうだなと。 知事がオープンにしてやろう、そして今お邪魔している企業も、社長自身が一般社員に向かって何と言っています。「社長、役員の合宿研修があるから一般社員もどんどん来てオブザーブしてください」とオープンの席で言っています。ここにまた1つ強さがあります。オープンにできるということに強さを感じます。 「いや、秘密事があるから・・・」、大体企画部長とかヒラの取締役はそういうことを言います。「一般社員にオブザーブさせていいんですか?」「私は構いません。社長は何と言っていますか。聞いてみてください。」「全然いいんじゃないの?」結果は素晴らしいコミュニケーションを生みます。 伝言ゲームというのはご承知のとおり何も伝わりません。正確に言うと間違ったことは伝わります。だって5人ずつ並べて目の前でやったって、5人目は全く違うことを言うでしょう。よく酒の席でゲームをやりましたよね。やりましたねと言ってもあれですが、やったことがあると思います。それぐらい伝わりません。ところが直接呼んで話を聴く。こんなに良いものはないのです。 別のケースでは、現場のマネージャークラスが集まって話し合う。そこに本社の役員の人たちが後ろにオブザーバーとして並ぶ。これをやっています。大体私がやっている所というのは後でまた見たいからとカメラが入りますが、信じられないぐらい本音の意見が出ます。そしてそのビデオをまた参加できなかった人に見てもらう。共有化できます。土壌を1つにすることができます。すごい風通しを良くすることができるのです。 ですから上の人が事業部長や部門長を集めて「いいか、横の風通しを良くしろ。」と言うだけでは全く意味がありません。さっき申し上げたとおりです。あるべき論を指示するのは上の人の役割ではない。そのとおりにできるようにするのが仕事だというのをお分かりいただけると思います。部門間の風通しを良くすることが大事なのです。それは今のように違う職位、立場の人が来るということです。 バグジーに戻りますが、あそこに書いてあったように、どこそこの地域にお店を出すということ以外、ほとんどは10のプロジェクトチーム、すなわち店員さん同士のチームが全部意思決定しています。すなわち権限委譲されています。そして協力し合っている。社長はといったら、どこそこに店をいつ頃出す、これは経営の意思決定です。それから誰々を採用するというのも社長の意思決定です。しかしそれ以外のことはほとんど10のプロジェクトチームで考え、実行していると語っています。これも3回、4回、5回見ないと分からないと思いますが・・・。 すごい強いと思いませんか。なぜか。一人ひとりが受身ではない。その組織に自ら完全に参画しているのです。このような組織集団は強いです。反対に受身の集団は弱いです。人は受身になっている時は、押されたらすぐ倒れてしまいます。逃げたら倒れる。前向きになっている時の人間というのは強いわけです。すなわち能動的になっているときです。 全員が能動的になっている。それこそいろいろな方が集まって、ある意味では組織横断で仕事を進めている。どう見たって風通しは良いに決まっています。 髭のノブさんという方がいらっしゃいます。まだ若いのですが、売上トップの方です。2,500万円ぐらだそうです。思いやりが深まった時、業績、売上が上がるようになったと久保社長はおっしゃっています。彼が何と言っているか。「5年後も10年後もこの素晴らしい仲間たちと一緒に仕事がしたいです。」 ある企業でやった時、あの言葉がショックだったと言っていました。「5年後も今と同じだと考えたらやっていけません。人事異動があると思うから耐えられるのです」と言うわけです。それもそうだなと。ところがずっと同じメンバーでやっていたいと言うわけです。なぜか分かりますか。お互いに助け合うから、協力し合えるから、お互いに認め合っているからです。楽しいからです。 8割、9割の人が辞めてしまう美容業界で、過去6年間バグジーを辞めた人はゼロだそうです。これは業界の人にとっては全く驚天動地で信じられないことなのです。でも現実誰一人辞めていないということです。それは組織風土が、簡単に申し上げればお互いに協力し合う、助け合う、認め合うということが実現できているからです。そしてさっき申し上げたように、一人ひとりが成長目標を持っている。それらのことをここから学ぶことができます。 そのルーツは何かというと、バグジーであれば久保社長の思いです。経営に行き詰まった時からくるっと変わられて、業績一辺倒からお客様と従業員への思いやりを軸にしようと変わったのです。ここがスタートです。 「私たちは経営手法もへったくれもありません。こういう会社の社長は毎日が勝負です。一瞬一瞬、一人ひとりをどれだけ見ることができるかです」とおっしゃっています。一瞬一瞬、一人ひとりを見てもらえる。だから見てもらった従業員一人ひとりがお互いを見、かつお客様を見ることができるわけです。すなわちそこから学べることは、そういう風土を作っていったのはやはりリーダーであるということです。 そうするとまたこういうふうに思う方がいます。「やっぱりリーダーか。じゃあうちはだめですね。」ちょっと待て下さい、そのリーダーを変えるようにもっていくこともできますよ。できるのです。やりようによってはできる。だからだめだと思わない方がいいのです。 それからリーダーシップといったとき、部門長、もしくはトップのことだというのは間違いです。リーダーというのは引っ張っていく、リードしていくこと。いろいろな人がいたときに、こっちに行こうぜと全体を持っていく。それが後ろから持っていこうが、横から支えようが、何をしようが、持っていく人がリーダーです。リーダーは役職、職位は関係ないと考えてください。どんな組織でも職位に関係なくリードすることができるのです。どこの企業の中にいると思います。だから私は管理者じゃないから、私はそんなに偉くないから、その発想はちょっと横に置いておいてください。誰でもその気になればリード役になれるのです。なる、ならないは自分の思いが決めることです。 先ほど指導主事の先生の話をさせていただきました。最近は学校関係にも随分とお邪魔させていただいています。経営品質の世界から私自身はいろいろな世界にお邪魔させていただいていますが、全部共通です。医療の猟奇も多いです。昨日は京都府に行っていました、行政も多いです。もちろん企業が6割ぐらいですが、来年は4割か5割ぐらいになりそうだなという雰囲気があります。 そこで何を申し上げているかというと、どこでもいつも全く同じことを申し上げております。 自分で見ないで相手の立場から考えてください。協力し合ってください。成果が上がったかどうか、ちゃんと測定してください。 昨年、校長先生たちを対称にした講演指導依頼をいただきました。校長と教頭と市町村の教育長、450人を3回に分けてお時間をちょうだいしました。そこの県はすごいです。「学校経営品質」、経営品質と言っても分からないのに、上に「学校」がつくのです。集められた校長先生たちが「まるで分からないのですが、出ろという教育長の強制ですから・・・。」それで学校経営品質についての講演会、セミナー。来た人は何も分かりません。「学校経営品質と言ってもまるで分からないでしょう。」と最初に申し上げました。スーッととてつもない安堵感が流れました。そうだ!というわけです。そこで共鳴現象が起きるわけです。当然ですよ。だってあの方たち、分からないというのは恥の世界の職業ですから・・・。「経営品質と言うから分からなくなってしまうのです。実は企業の方も分からないのです。」もっと安堵感です。 「品と質というのもありますが、経営の質とお考えください。組織運営の質とお考えください。すなわち学校運営の質、これならいかがですか。じゃあ、学校運営の質が高いというのは何によって測ることができるでしょうか」と具体的に説明していくと、どんどん腹に落ちていきます。「じゃあ、その方向に目標を持って今まで改善努力をされてきましたか。」いままではただやみくもにやっている。このように考えるといろいろなものが見えてくるわけです。 学校で申し上げたのは、授業のクオリティです。例えばみなさんご存知かもしれませんが、小学校では授業崩壊があちこちで起こっているのです。ウロウロして授業ができない。たくさんあるんですよ、ご存知ですか。教育の世界に行くと、私はいつも申し上げます。「小学校の授業崩壊は瞬時に直せる。」どうしたらいいか。簡単です。父兄をアドバイザーとして後ろに4、5人立っていただいたらたちまち生徒はウロウロしなくなります。どうしても言うことを聞かない場合は体育会系のお兄さんを1人立たせる。「静かにしろ!」これが今、先生は言えません。結果として真摯に学ぼうとしている生徒の機会を奪っているのです。 この間も狂言の世界で有名な方が授業をやっていました。母校を指導するのがNHKでありますよね。子どもがブラブラしている。カーッとやった途端、みんなビシッとなった。その信念を持っていないから授業崩壊になってしまうのです。持っていないのだったら、持っている人を後ろにつければいい。他人に見させればいいのです。 そして授業の質なんていうのは絶対に自分では分かりません。これも経営品質の発想で、相手の評価が大事ですよというところから解き起こしていけばいい。授業の質を上げる方法は簡単です。授業をそのまま他人に見てもらって指摘してもらうことです。アドバイスを受けることです。勿論、先生は嫌がります。でもそれによって必ず授業を良くすることが可能になります。「おたがいに協力してください。先生同士、校長先生、教頭先生、父兄、一緒になって協力して学校運営をしていってください。お互いに提言し合ってください。授業のクオリティを上げるために協力してください。」と、いくつかの基本的なことを申し上げてきました。 教育の世界から学べます。すなわちそれは何かと言うと、NHKで放送された英国のシャロン校長という方をみなさんご存知でしょうか。英国の貧民街の学校の校長になった36歳の女性の方です。300点満点で30点以下の成績だったのを、わずか2年半で270何点にまで持っていくのです。英国最悪の学校から最高の学校に変えていって、女王陛下から勲章を貰われたという方がいらっしゃいます。世界的に有名です。 何をされたか。父兄との対話から始めた。授業のクオリティアップから始めたのです。第三者をつけて、下手な人は上手い人の授業を見させ、上手い人には下手な授業を見させてアドバイスさせた。実は私がずっと申し上げたことをされていました。 最初に赴任した時、毎日暴力沙汰が四六時中起こっている学校でした。それがピタッと静かになり、授業が行えるようになった。わずか2年半です。現実にそういう例があるのです。もちろんこれは世界のベストプラクティスです。 これを日本の学校の先生に見せた時、学校の先生たちはこう言います。「大久保さん、日本は違う。」確かにそうです。そのシャロン先生は1年半で先生を全部取り替えています。外から採用してきているのです。校長先生に全部権限があるのです。文科省みたいなのがあるわけではなく、授業の道具というのも全部クラスの先生が作っていかなければならない。全部自分で作る世界です。非常に厳しい世界です。予算、権限が全部校長に与えられている。採用の権限まで与えられている。「日本はそんな人事権は持っていません。だからできないんですよ。」こう言うわけです。一見説得力があります。その説得力が全く無意味になる事象に遭遇しました。 みなさん、茅ヶ崎の浜之郷小学校の奇跡をご存知ですか。浜之郷小学校というのは700人の生徒がいる普通の公立小学校です。壇上に立った時、静かにしろと言わなくても700人がピタッと静かになる学校です。登校拒否、ゼロ。米国、英国、韓国、中国、台湾、世界中から見学に来ています。同じ状況でベストプラクティスを作っている学校が日本にもあるのです。 これを見た時、私は感動しました。NHKでご覧になった方、あるでしょう。「命の授業」というので、校長先生がガンであと半年で、余命いくばくもないというのに授業をし続ける。放映はずっと長い間を追っていて、最後亡くなられます。その学校改革をしていった時にやり出した最初の先生たちは全部代わっているにも関わらず、今もその授業が維持できている。ものすごく生き生きしているそうです。そして生徒にとっていちばん大事なのは何か。他人の話を聴くことだ。信じられない成功事例が日本にもあるのです。 ここに書いた『学校を変える』小学館、この本を読んで本当に涙が出ました。最近教育の世界にもよくお邪魔するので、いかにすごいこと素晴らしいことかが理解できます。 その事象に遭遇した時、一つすごく簡単なことが分かりました。できない理由を述べる人は、単にできないことを選択したにすぎない。物事はやるか、やらないかしかありません。結局できない理由を述べる人はやりたくないだけです。もちろんやろうとしても、いろいろな阻害要因が出てきてできないケースもあります。でもなぜやり通すことができるか。これはただ一つです。やろうとする思いと阻害要因の深さ、高さ、大きさを比べた時に、その阻害要因に自分の思いが負けていないからです。 いつかプロジェクトXで消防の世界、救命救急をやりました。以前は法律で一切手出しを許されていなかった。家族が横にいて、「手を出してください!何とかしてください!」と言うのです。「私たちは手を出さないように法律で縛られているんです。何もできないのです。やれないのです。」一消防士、救命士が意を決して外に文章を発表します。「目の前でどんどん死んでいくわけです。私たちにも米国と同じように医療行為をさせてください!目の前で死んでいきます!」そうするといちばんトップから呼び出しが来る。そういうことをやってはいけない世界ですから、本人は辞表覚悟です。その時のトップは何と言ったか。「いいことを言ってくれた。君は勇気があるな。これを是非実現しよう。」そして国会議員に働きかけることによって、そして世論に訴えることによって救急車の中で医療行為ができるようになりました。 その医療行為をすると言った時、最初に反対したのが医師会です。「彼らにそんなことができるわけがない。人を殺させるのか。」結果はどうなったか。医療行為ができますから、死亡率が格段に減ったわけです。 誰もが当たり前と思って、当然だと思いながらできなかった。じゃあなぜできたのか。それは何としても命を助けたい。自分の評価がどうなってもそれを実現したいという深い、強い思いがその不可能を実現したのです。今となってはまことに当たり前のことです。コロンブスの卵以上に当たり前のことです。目の前で死んでいく人に手を出さないということ、これをどうしても納得できない。実はみんな納得できなかった。でもそれを行動に移した人は彼だけだったのです。それが法律を改正するところとなり、そしてその後、救急車に乗る方は救命救急のいろいろな医療行為を学習していくわけです。実はちゃんと学習能力はあるわけです。できました。結果として、数字は忘れましたが救急車での搬送中の死亡率が激減したということです。当たり前の話です。でもこんな当たり前のことさえできなかった。なぜ出来なかったかの結論は、やろうとしなかった。強い思い、ということです。 昨日も役所に行って言わせてもらいました。「みなさん自身も何かをやろうとすると、前例がないとか、やれない理由をたくさん述べる部下がいらっしゃるでしょう。やれない理由を部下の方が述べてきたら、その進むべき方向が正しいのならこう言ってください。『君はやりたくないんだね』と言ってください。」 単純です。やりたいとなって、やると決めた時、いろいろな策は出てきます。やらないと決めたら何もしなくていいのです。そしてやらないことを選択している人の何と多いことか。 役所でこう申し上げました。「定年退職の時、『大過なく任務をまっとうし』、この文章だけはやめてください。私は何もしないで過ごしましたと言っているのと同じです。『この時期辞める。大過の渦に巻き込まれた。でも楽しい人生でした』、こういう文章にしてください。」今後退任の文章が難しくなるなと思いながらこう言いました。 地方に行けば行くほど、役所というのは結構質の高い人間が集まっています。その人たちが、前例がない、やれない理由を述べる。「はっきり言いましょう、生きていないのと同じです。せっかく人として生まれたのに、動物でも昆虫でもない、そしてこの日本に生まれたのに、生きていないのと同じですね。それで終わるんですか。まあそれも自由ですけども、情けないですね。自分の命、もっと生かしたらどうでしょうか。」昨日も申し上げました。「命を生かすとはどういうことか。価値を創造することです。みなさんの仕事であれば、住民に喜ばれることです。部課長さんたちであれば、部下を生かすことです、能力を伸ばすことです。それが自分の命を生かすことじゃないですか。」こういうお話を相当させていただきました。 終わってから、「大変衝撃を受けた。今までそんな話は聴いたこともなかった」と相当上の方が3人来られ、びっくりしていました。「自分は今まで何をやってきたのか。あなたの言うように部下を殺し続けた」と言っていました。でも精神的に殺すことにおいて法律では殺人罪は適用できない。でもある意味では殺人罪と同じなのかもしれません。 そこら辺もやはり基本はどう思うかです。そこの浜之郷小学校からいっぱい学べるのです。なぜそうできたと思いますか。まずビジョンを明確にしました。基本方針は何だと思いますか。「人生最高の6年間を提供しよう。」このビジョンが素晴らしいじゃないですか。小学校6年間、人生最高の6年間をここで実現してもらおうというのが基本の狙いなのです。 学校の世界も実は会議と報告書が多いのが実態だそうです。ご存知でしょうか。教育委員会や文科省に対して多いのです。だから授業を受け持っている先生も、授業そのものに専念できるのが5割以下だと言われています。それ以外はレポートです。企業の人に言わせれば、「何だ、企業も教育の世界も同じか」、こうなります。 浜之郷小学校、会議は全廃。校長訓話なし。何とか会なし。月1回の職員定例ミーティングがあるだけ。あとは授業のクオリティアップ、生徒を見ることに専念したのです。 ここからも学べます。何が学べるか。つまらない資料をたくさん作らせる企業、組織は生き生きしますか?しませんよね。理由は簡単です。自分の命を生かしていないから、価値を生んでいないということが分かるからです。嘘の資料をいっぱい作ってやりがいと達成感がある。それはおかしいです。「何とかあの課題もクリアした。ここで何とか自分の身をもつことができました。今日は一杯飲みに行きましょう。何とかごまかせましたね。」美味しい酒ですか? 確かに「いや、これが美酒なんですよ」という方もいらっしゃるかもしれません。でも真心という判断軸で見たらそれは美酒ではないはずです。所詮悪魔に身を売って、魂を売った人間ではないでしょうか。真心で見たときにはそうじゃないじゃはずです。 大切なのは、常識と真心という軸で正しいか間違っているかを判断することなのです。そうすると価値を生んでいるか、生んでいないか、それを簡単に見分けることができるわけです。 浜之郷小学校では年2回、1人の先生が授業をして、それ以外の先生が全部周りついて検証を行います。あそこは毎日オープンで誰が見に行っても良いそうです。私はいつもそれを主張していたのです。父兄が四六時中見に行ったら授業崩壊なんて瞬時に直せますよと。でもやる人はあまりいません。なぜか。授業崩壊を直すよりも自分が恥ずかしい方が先だからです。だからだめなのです。以上のようなことを先生たちに申し上げました。 その先生たち全員が1人の先生に対して、授業のやり方がああだ、こうだ、徹底してみんなで話し合う。場合によっては泣く先生も出てきます。でも授業のクオリティアップを図るということ、それに対してそれだけの知恵と情熱を今まで学校は、先生はかけてこなかった。そしてどうしようもない授業をやりながらも、クローズの世界でそのまま見過ごされてきたからです。だからオープンにしなさい、他人の目を入れなさい、評価してもらいなさいということを言っているわけです。私は知らないままに言っておりましたが、まさに浜之郷小学校は自分の言っていたことと同じことをやっていました。 そして何とこの学校改革でいちばん基本においたのは何か。対話でした。コミュニケーションなのです。いかに対話が大事か。コミュニケーションが大事かということです。その結果、信じられない世界のベストプラクティスを、この制限された、文科省のぐるぐる巻きの教育現場であっても実現できている世界がある。英国は先生たちの自由度が高いですから、あそこよりももっとすごいです。そういう学校が日本にあるのです。 もう一度申し上げます。ここから学べるのは、つまらない仕事をやめる、会議をやめる、資料も作らない。会議というのは資料を作ります。そういうのを全部やめているのです。午前中の授業、小学生で95分×2講座だというのです。もちろん結果的に学力も上がっています。経営品質の8つの基準で見ていくと、ある意味では仕事の進め方のプロセス改善そのものです。授業はこうだという既成概念にとらわれていない。95分2回やってもいいじゃないかということです。 世界中から教授という肩書きの方たちが随分その学校に来られているそうです。最高の成功事例だと言って絶賛して帰っていく。そしてそのことについて私もいろいろな学校で話をするのですが、多くの先生たちが何とその学校のことをほとんどご存知ない。何も学んでいない、知らされていない。こんな全然教育に関係ない人間の私の方がまだ知っている。驚きました。そして自分の狭い世界でよかれというのでやっているのです。これは違うなという感じをものすごく持ちました。 ですから教育の世界からもいろいろなことを学ぶことはできるのだ、ということを1つ申し上げたわけです。もう一度申し上げますが、そこから言えるのは、「やれないのではなく、やらないんだ」ということです。やれないのではなく、やらないことを選択したに過ぎないのだということです。 先日もある幹部職員の集まりに行きました。「大久保さん、意見交換会で課題のリストアップは結構ですが、課題なんていうのはみんな分かってますよ。それができてこなかったんですよ。課題の共有化も認識もへったくれもありません。みんな分かっています。だけどできないんですよ。そこをなぜできないのか、教えてくださいよ」と言う大変情熱のある方に出会いました。「分かっているのにやれないんですよ。なぜですか。」簡単に答えました。「それは自分にとってやらない方がいいからでしょう。究極それです。違いますか?」カーッと言っていた人がうなずいて、一気にメモを取っていました。 「もう1ついいでしょうか。やろうとした。簡単です。やろうとしていろいろな阻害要因を頭に浮かべた時、結局はやらないで自分の身を守るのがベスト、そちらに優先順位を置いただけです。すなわち生徒にとってベストというところに優先順位を置かないからそうなります。簡単なことです。違いますか?」 「うちの企業はだめだね。うちの社風はだめでね。」そういう方に会うと私はこう申し上げます。「それであなたは何をされるのですか。だめなのは分かりました。企業に評論家は不要です。価値創造することが仕事です。足を引っ張る人は要りませんよ。だめだ、だめだ言ったら、いよいよだめになるだけでしょう。」 この間もある経営者にお会いしました。「うちの社員は本当にだめで・・・。」中小の、本当に小さな企業の経営者です。「そんなに社員はだめなんですか。」「だめだ。」そこまで言われたらお返しする言葉はたった1つしかないでしょう。「類は友を呼ぶと言いますよね。」 そしてそこで2つに分かれます。そうだと頷く人と「ふざけるな!」そしてふざけるなと言う人は未来永劫改善することはできない。気づきがゼロ。そうですよね。 この気づきという話だけでも何時間もありますが、何時までやるのかちょっと忘れてしまいました。とりあえずそろそろ休憩にしますか。その後、もうちょっとさせてもらって・・・。今日は事前に考えて何をしゃべろうか思い浮かばないので、30分しゃべったら後はQ&Aをやろうと思ったのですが、演壇に立った途端、聞き手のクオリティが高いものですから・・・。事実聞き手が一所懸命聴いていただけると、ひらめいてどんどん話は出るのです。そういう意味では水戸の人たちのクオリティは高いですね。じゃあ、15分ぐらい休憩にしましょう。 それでは、ここは5時にピタッと全部が閉められるそうですから、5時前に終わらないと明日までここに残っていなければいけないということだそうです。ですから5時少々前までに終わりたいと思います。 まだいくつかお話をさせていただこうと思ったのですが、質問がだいぶ来ましたので、先にちょっとこちらに答えたいと思います。これの途中で終わってしまうかもしれませんが・・・。 まず、「リーダーを変えることもできるとお話をいただきましたが、どのようにすればいいのか。」質問自身は分かり易い質問です。答えるのは難しいかもしれません。でも質問は簡単明瞭です。この人にとってはリーダーというか上司を変えたいのでしょう。だからどうすればいいのか。 一つ。自ら説得してみてください。それがだめな場合、他人の力を使う。後者の方が良いです。普通上司、もしくは経営者を説得するのに部下が行きます。「なんでお前に言われなきゃいけないんだ? そういうことなら辞めるか?」場合によってはこういうことになるわけです。ですから一つの法則は他人の力を使うということです。自分自身が思うような話をしていただける、そういう方の話を聞かせるとか、場合によってはビデオを見ていただくのも一つでしょうし、本を読んでもらうのも一つでしょう。もしくはその人が信頼している人がいたとしたら、そこから攻める。そして「そうだな」となったら、「ではこのことについてうちの社長に持っていっていただけませんか。」すなわちその信頼する人からアプローチしてもらう。 実はそういうような知恵というのはやはり要るのです。基本は真心だと思いますが、真心だけで人と組織を動かすことはできません。知恵が要るのです。 例えば「嫌なことは何でも言って来い」と言うので、嫌なことを言ったら嫌な顔をされた。それはすごく簡単で、相手だってバイオリズムがあるわけです。だから上司に対して難しいことを言うときは、相手のバイオリズム、状況を見た上で言うという知恵ぐらいは要るわけです。これは配慮です。それを「困ったらいつでもすぐ言って来い」と言うからというので、その上司が上からガンとやられたばかりで顔が引きつっている時に「こんな困った問題が起こりました。」ガーンとやられるに決まっているわけです。それを、「いつも言って来い」と言うからと・・・。これは知恵が足らない、配慮が足らない。タイミングを見る必要がありますよということです。 二つ目、「『経営品質』と『業績』はクルマの両輪だと言う会社の幹部がいます。どのようにお考えになりますか。ちなみに決してその人は経営品質の考え方に共鳴していないわけではありませんが、やはり一方で業績を重視してしまうようです。」 業績を重視するのは当たり前と思ってください。これを軽んじる方はいません。どうでもいいんだと言うとほとんど嘘になります。ただし私は業績は結果であると思います。売上はCSの結果であり、利益というのはその工夫の結果ということもできるかもしれません。ですから経営品質というのは経営の仕組み、組織運営の質を高めていくこと、その結果としての業績だということに当然なるわけです。業績はあくまでも結果でしかない。ただしその結果が不十分であるならば、経営の質、組織運営の質、プロセスの質を見直してくださいということを経営品質は要求しています。ですからそこに焦点を当てるということだと思います。 ですからクルマの両輪というよりは、経営の運営の結果が業績であるというふうにお考えいただけるとよいと思います。 あ、行政の方もおられるのですね。「行政にとっての価値創造とはどのようなことを目指すことなのでしょうか。県民により良いサービスを提供することだとは思うのです。」そうです。分かり易いですね。「今の配属はルーチン的な仕事が多く、あまり具体的なことが思い浮かばない。」要はルーチン的な仕事でどうやって価値創造をするかというご質問だと受け取らせていただきます。 この場合一つは、あくまでもルーチン業務というのは組織全体ではやはり必須不可決なのです。だから一つ大事なことは、ルーチン業務自身、自分の役割、与えられた役割をつなげていくと、その組織全体がどちらの価値創造に向かっているかということをまず認識しておくことです。すなわち自分の位置付け、どこに価値がつながっているか。これを認識していないとやはりやる気というのは出てきません。 高邁な仕事とか、大きな仕事とか、すごい仕事といっても、よく考えたらほとんど大したことはしていないのです。例えば営業。売っているだけですとも言えるわけです。ものを作っているだけです。考えているのは設計者だけだとなってしまうかもしれないでしょう。そんなことはないわけです。 そしてもう一つ、ルーチン業務で大切なこと。これは私が経営品質を表現するとこうなります。基本は三つある。思いやり。二つ目、あくなき向上心。三つ目、謙虚さと素直さ。思いやりというのは、上司が部下、部下、部下が上司に、お客様に対して、ビジネスパートナーに対して思いやりという軸で切っていくと全部見えてきます。あくなき向上心というのは、個人にあてた場合には自分自身の成長、発展であり、もう一つはプロセスを向上させる。すなわち仕事の仕方を改善していく、プロセス改善というところにもつながっていく。そしてあくなき向上心ということだからこれで終わりはないということです。 すなわちルーチン業務であったとしても、1時間でやれることを30分でやることはできないだろうか、15分でやることはできないだろうか。5人でやっているけれど2人でできないだろうか。いっそこれをなくすことはできないだろうか。こういう視点で業務を改善するということはできるはずです。そしてその業務改善は他人ではできません。 ですからルーチン業務であっても、その業務自身のクオリティを上げる、そして時間を短くしていくということに焦点を当てて知恵を使えば、実は創造的な仕事はできるのです。ここは思い方一つです。 そして素晴らしい人間というのは、常に与えられた業務の中から知恵を使う方向に自ら持っていきます。どんなに創造的な業務を与えられても、やはり創造できない人もいるのです。ルーチン業務であってもそのように改善するということはできるし、その改善自身がまた組織全体に対して大変貢献することができるということを考えれば、いろいろやりようはあるかもしれません。 ただしここでもう一つ大切なことは、ルーチン業務を担当しているそのセクションのマネージャー、責任者です。それは最初申し上げたように、このルーチン業務の行き着く先、価値創造、全体の価値はここにつながるんだよというのをしっかりと共有化、理解させることが必要になります。会社全体がこうだ。この中でみなさんはこういうお仕事をしていただいている。人はやはり組織全体でのポジションニング、位置付けを要求するのです。どこの位置に自分はいるのか。別の言葉で言うと、自分はどういう価値創造に役立っているのかという認識が欲しいのです。ですからそれを明確にしてあげるというのは上の人の仕事になるというふうに思います。 次の質問はなかなか長いですね。「(1)公正、公平に選出された経営陣ではない (2)上級者の方が価値的に偉いという病理が組織の中にビルトインされている」ビルトインというのは組み込まれているという意味ですね。それから「(3)異端を受け入れる多事争論の気風がない・・・、と多くの問題が経営陣にある。」これは大変な問題ですね。もっともほとんどの企業で共通した問題であるかもしれません。「10名の役員個々を見ても、外部との人脈形成ができない」、日本の役員はほとんどこれです。そして「予見ができない」、これも同じかな。「決断ができない」、極めて平均的な役員かなという感じがします。そして「内向きの人たちばかり、本当に不安です。」これは不安でしょうね。「社長にも直接伝えましたが、役員をかばうだけ。」社長は役員に対する思いやりがある方ですね。役員のことを言ったら役員をかばったというのですから。普通だったらこう言います。「お前も分かったか、俺も悩んでいるんだよ」というのが多いわけですから、そういう意味では役員への思いやりがあると見ることもできます。「リストラで黒字にはなりましたが、このままではもちません。(恥ずかしいことですが)」確かにそうですとしか言いようがありません。「アドバイスをお願します。」 これはいろいろなアドバイスがあります。この質問だけで1時間しゃべりたくなります。そして1時間ぐらいしゃべらないとピンとこない。 ただ、「公正、公平に選出された経営陣ではない」とありますが、公正、公平に選出された役員が世の中にいると思いますか? 能力は加味しますが、最後は好き嫌いで選ばれます。それが当たり前ではないでしょうか。公平、公正なんて世の中にないと思ってください。例えばうちの人事の問題は公平でない。当たり前ですと僕は言います。なぜ。だって上司は好き嫌いで選ぶのだから。でもそれを表に出すとまずいから、何か項目を作って、点数を作って、あっちの方が偉いとか、だからこいつを昇進させようとか言うわけです。ところが細かいレベルをずっとやって、Aさんが50点、Bさんが55点。「でも俺、Aにしたいな」といったら、どうせ「これ、60点にならないか」とまた項目の点数の見直しをやるじゃないですか。そんなものです。すなわち個々人に公平、公正なんてないというふうに割り切っておいた方がいいですよ。 大体顔が違うこと自体、平等じゃないんですから。人間は平等だ。違うでしょう。足の長さ、違いますよ。私と鬼澤さんと比較したらもう比較になりません。だから僕は足の長さでは絶対に負けます。でも子供の数では勝ってます。別にそんなので争ったって意味はないですが・・・。 ただし部下を持った人は、部下には公平、公正に対処してくださいとは申上げます。すなわちどちら側に立つかで思いを変えなければいけないのです。自分がする側になったら公平、公正、平等ということを考えなければなりません。しかし受ける側だったら、そんなもんだという割り切りが必要なのです。だからこれは立場によってどう考えるべきか変わってくると思います。。 それから「上級者の方が価値的に偉いという病理」、これは日本の共通項目です。なぜそうかというと、ちょっと言い難いのですが勘違いしているからです。だって役職というのは役割でしかないのです。ところが役割が偉いと思ってしまう。愚かだからです。なぜ気が付かないのか。愚かだからでしょう。そうとしか言いようがありません。 これだけで1時間ぐらいしゃべりたいですね。4時55分にはやめなければいけないのであまり長くできませんが、去年もお話したかな、役職というのはアドバルーンです。課長だ、部長だ、役員だというと、アドバルーンですから浮かび上がるのです。なんで浮くか、理由は一つです。軽いからです。だって重たかったら浮かびません。 これは前にもお話ししたかもしれません。柔道で300何連勝した山下泰裕さんと何時間かお話しさせていただきました。国民栄誉賞、金メダルでしょう。しかし全然浮いていません。あの方は全部しまってあります。「大久保さん、あれは過去のものです。」これでおしまいです。「大切なのはこれからどう生きるかです。」懇談させていただいて、「大久保さん、今日は勉強させていただきました。ありがとうございました。」全然大きさが違います。私は偉いという感覚ゼロ。もちろん山下さんは物理的に重たいのだけれど、だけど人間のトータルの重さが違うから、国民栄誉賞、金メダルという普通の人が持てないアドバルーンがひっついたって全然浮かないで地べたにぴったりついているわけです。 だから軽いから偉いと思うのです。すなわち自分への認識力が極めて弱いからです。そしてこのアドバルーンは恐ろしいことにある日突然カラスが飛んできて割ってしまいます。浮いている人はどうなるか。浮いているからドーンと落ちます。なぜか。俺も部長だ。その人が定年退職する前、課長になって、係長になって、平社員で辞められるなら軟着陸が可能なのです。ある日突然肩書きがポーンとなくなるでしょう。ここでのた打ち回っている人、見たことありませんか。そこでもアドバルーンを持ち続ける人がいます。辞めた時の役職の名刺を刷り続ける人がいるといいます。そう人はどういう人か。現在という時を過去で生きる人です。ある意味ではドラマとしては格好良いかもしれません。でも虚しいです。 すなわち役職を偉いと思う人はアドバルーン浮力に対して浮かない中身がないからです。その中身のない人に「あなた、おかしい」と言っても分かりません。そんな分かる感性は持っていません。 クロネコヤマトの創業者の小倉さん、ものすごい人生の達人でしょう。今はノーマライゼーションということで、いろいろな障害のある方たちに対して、健常者と同じビジネスの世界で戦って利益を上げるという仕組みを作って、働いてもらって、給料を出せるようにしておられるではないですか。ものすごい達人です。お会いしてお話しするでしょう。全然威張っていません。 山下さんもそうです。元三重県知事の北川さんもそうです。まるで威張っていない。改革派の知事という方たちともお会いする機会がありますが、増田さんも、木村さんも、鳥取の片山さんも、みんな威張っていません。すなわち知事という肩書きというは従来で言えばとてつもないアドバルーンなのです。しかしあの方たちはみんな地についています。本物です。そういう方たちとお話しする機会を幸にも時々いただけますので、ちょっとした小さなアドバルーンで浮いている人を見るとおかしくてしょうがないのです。理由はただ一つ、軽いから浮いているということです。 この間、「お互いに浮いていないな」と言う人がいました。二人とも浮いているよと。分からないのです。これは本当の話です。 ただしそれは本人から見た立場のメッセージであって、下の人が敬うなと言っていることではありません。これは勘違いしないでください。いろいろな企業にお邪魔してお話をさせていただく時に、私から見ると、やはり経営陣の方が反応、感性は鋭い人が多いです。やはり職位が下になればなるほど、はっきり言って感性はいま一つです。やはりそれなりの人が上になっているというのは事実です。だから下の人はそれをばかにしてはいけません。「今日、聴いてきたんだよな。肩書きっていうので浮かぶ奴はばかでさ、うちも浮いているよな。」それではあなたも同類項です。それはそれで、下の人は尊敬の念を持つべきです。でも上に立ったからといって偉いと思ってはいけないということです。ここは勘違いしないでください。だから山下さん、小倉さん、やはり僕はものすごく尊敬しています。 まるで足元に及びません。それを大したことないと思ったら、これまた全く間違いになってしまいます。 「異端を受け入れる多事争論の気風がない。」日本の企業の共通項目がここに全部書いてあります。実はほとんど異端を受け入れない民族特性を持っています。でもグローバルの、この今の時代にはその風土は合っていません。 ところがよく考えると、日本の歴史をずっとさかのぼると、意外と異端を受け入れているのです。だから本来日本人というのはとてつもない、宗教でさえ違うものを受け入れるという世界で稀なる度量の持ち主です。 この間、オーストラリアの学生さんが家に1週間か2週間ちょっとホームステイしたのですが、日本人以上に日本人でびっくりしてしまいました。納豆とか漬物が大好き。気づきのレベルの高さに驚きました。目配りしてテーブルのものを取ろうと思ったら、「お父さん、これですか?」と言うのです。これだけでもお話ししたいことがいっぱいあるのですが、もう気づきのレベルが違う。立派に育てられています。ところが正月に一緒に神社に行きました。これだけはだめです。やはり宗教は違う。明確にだめなのです。日本人なんてすごいです。年末年始の1週間で三つの宗教をやってしまうのですから。クリスマス、数日経ったらゴーンと鐘を叩いて、翌日神社にお参り。三つの宗教を何の違和感もなく1週間で仕上げてしまうというこの度量の大きさ。これは世界で全く理解されません。そうでしょう。だから宗教の世界になると全然違うんだなというのをその子から教わりました。他のことはもう全部受け入れても、それだけはというので仏壇を拝むこともしない。それは宗教だからダメだと。宗教じゃないよと言うのだけれど、だめなのです。 だから何を申し上げたかったかと言うと、日本人というのは本来異端を受け入れないどころか、国それぞれの文化の基本は宗教ですから、その違う宗教でさえ受け入れられるぐらいすごい幅広い民族特性が本来の日本人なのです。どこで違ってしまったのかなということです。そこら辺に関しては文明論の先生にお任せしたいと思います。私の論評する領域じゃないだろう。なぜか。簡単です。実は知恵がありません、僕にはその世界の知識がありません。ただし本来日本人はそうなんだという思いが必要じゃないかと思います。 異端を受け入れないというのはどうしたらいいかと言うと、受け入れればいいのです。ほとんど回答にならないかもしれませんが、強引に受け入れていく、これが大事だと思います。それから異なる見解を受け入れる。これは脳の回路をそのように作っていけば私はできないことはないと思っています。 「10名の役員個々を見ても外部との人脈形成ができない。」日本人の方はほとんど関係の領域のみでしか生きていけない方が多いようです。ですから役職を失った時、何もできなくなってボーッとしてしまうわけです。 なぜ外でできないか。簡単です。その人に魅力がないからです。ちょっときついことを言いました。外へ出て通用する魅力があったらどんどん外の世界というのは広がっていきます。だから井の中の蛙というのはできすぎだと思っています。井の中のボウフラというぐらいです。井の中の蛙といったら大きすぎる。ほとんどの方はビンの中のボウフラ程度の視野視点しか持っていない。でもその人はそれが全てなのです。ボウフラに聞くと、あの世界で見える世界がその人には全てなのです。その人に海の話をすると全く理解できません。だってビンの中のボウフラですから、理解しようがないのです。すなわち理解できない人に理解させようとしてはいけませんという信じられない結論がここから導き出される。私も同じようなものですが。 それでは本当にそうかというと、根底においては理解する力はあると思います。知らないだけです。この間も指導主事の先生たち何百人を対象に話をしてほしいということでお邪魔させていただいて、事前に教育の世界がいかに堅くて怖い世界かということを随分うかがいました。私がお話しさせていただいての結論。素晴らしい方ばかりでした。強烈な熱意を持って聴いていただきました。すなわち外の人の話をあまり聴いたことがなかっただけの話です。視点を変えた話を聴いたことがなかっただけです。すごい純粋な方達ばかりでした。 昨日は京都府という所でどうしても来てほしいということでお邪魔させていただき、上から300人対象にお話をさせていただきました。びっくりしました。最後に冗談を言っても通じなかった。なぜか。300人が食い入るように、すごい真剣だったのです。もちろん知事もいちばん前で聴いておられました。事前にはどういうふうに聞いてきたか。「大久保さん、京都府は手強いですよ。」「なぜですか?」「京都ですから。とてつもない独自の文化とプライドを持っている。」ある方に言われました。「今回だけはあなたも通用しないでしょう。」私は通用するかしないか分かりません。 結論。今まででいちばん県庁の方で熱心に聴いていただけました。「そういう話を聴いたことがなかった。今までの自分のやり方、全部反省させられました。体中傷だらけです。本当に参りました。」上の方が何人かそれを言われるために、わざわざ控え室に足を運ばれました。すごい感性豊かな方たちばかりでした。手強いぞと言った人は??結局その人にとってはまるで相手を動かせなかったと言っているだけです。自分の領域と力だけを一般論にしてはいけないということを学ぶことができました。 先生の世界は純粋な方が多いなと思います。やはり先生になる方で一儲けしようという方はまずいません。行政の方もそうです。行政に入って、将来談合で裏を仕切って一儲けしようという人はいないのです。だから行政マンになる人も基本的には純粋な方が多いのです。そして純粋なところで入るのですが、入った世界がちょっと保守的でよどんでいますから、その濁りがだんだん染み込んできてしまうのです。結果いつのまにか自分もよどんできてしまう。きれいな人もよどむ方に動いてしまうのです。 みなさんご存知でしょう。水の本質というのは常にきれいなのです。汚い水に濁ったとしましょうか。それはゴミが汚いのであて、水そのものはきれいなのです。水そのものはきれいで、ゴミが汚いだけでそれが混ざっているだけです。だから漉すことによってきれいになる。水本体がそのまま汚いものだったら、漉したってきれいにはならないわけでしょう。ちょっと禅問答的ですが、後でゆっくりお考えください。 なぜそんなことを申し上げたか。物事は基本をどう捉えるかがものすごく大事だからです。相手はだめだ、この世界はだめだと決めたとき、脳細胞は動かないのです。活性化できない。だってだめって決めているから。だからそうじゃないんだ、本来こうなんだという思いは必要です。 ですから、確かにこのような問題がこの経営層にあります。でも一人ひとりが変われないことはない。可能性はあるんだ。「大久保さん、本当ですか?」「本当です。しかし変わる保証はしません。でも変われる可能性はあります。」「どうしたらいいんですか?」「一つ、1人でも2人でもいい、まず私の本を読んでもらってください。」ビデオも協議会の方でいっぱいあります。講演録でも構いません。ここの協議会でいろいろな方の講義録をいっぱい出しています。私のもあるし、他の良い方のもいっぱいあるじゃないですか。あれをプリントアウトして読んでもらうのもいいです。 それから今回お手元にお配りしましたが、6月10日にPHPからCD3巻とその内容を本にしたセットが出ます。これは1話3分で60話。この間スタジオにこもって話をしました。本当に良い勉強をさせていただきました。PHPでも書いた人というか、原稿を作った人が自ら吹き込む初めてのケースだということで、PHPとしても相当チャレンジだと言っていました。何がチャレンジなのかなと思いながらやっていました。これは長くありません。1時間半の講演録やビデオというと難しいかもしれませんが、3分です。そこでもし興味を持ったら、「実はこの人の本がありますよ。ビデオがありますよ」と持って言っていただくと、10人いれば1人か2人ぐらい変われる可能性が出てきます。この時大事なのは、10人全員を変えようとしないことです。なぜか。それは不可能だから。全員というのはあり得ない。一部の変われる可能性のあるところからアプローチしていくのです。これはアプローチの方法として大事なポイントではないかなと思います。 もっと本質的なことにお答えします。「リストラで黒字にはなったが、このままでは持たない。」本当に持たないのだとしたら、策は三つあります。一つ、辞める。一つ、持たすようにする。一つ、流れに任せる。この三つがあるわけです。どの道を選択しますかということです。そしてその選択は自由です。 もし持たせるように改善していこうというのなら、役員直接は難しくても、こういう状況で会社は良くないよと隣の人に話をしていって、改善改革の意欲のある人たちをネットワーク作りしていくというのは強い一つの方法です。1人では難しいです。日本人は3人寄ると無茶苦茶強くなるのです。文殊の知恵が出るのです。文殊菩薩の知恵が出るわけです。だから思いを語り合いながら仲間を増やしていくというのが一つ、下からいくアプローチの方法です。そして一つの流れを作っていけば、場合によっては動かせるかもしれない。 でも全くどうしようもないという場合には、これはもう任せるか辞めるしかないでしょうとしか言いようがない。少なくとも、うちはだめだと言って嘆くことは今日以降はやめてください。なぜか。その嘆くことによって良くなることは一つもないからです。絶対にありません。どうするかが大切なのです。そしてどうするか決意したら、考えによっては大変にやりがいのある会社にお勤めですよね。そうするとこう言うでしょう「やりがいといってもその貝が大きすぎて背負えません。」それに対して私は一言、「背負ってみてください。普段背負っているじゃないですか」ということです。背負ってみていただきたいなと思います。 こういう会社が本当にお客さんの方を向いて意見を言い合えるようになる、そんなのができたら素晴らしいじゃないですか。そういう夢に向かって実現のために自分のエネルギーを使うということは楽しいことです。私の感覚は、それが実現できる、できないは時の運があるのかなという感じです。でも少なくともそれを目指して生き続けるというのは、その瞬間瞬間が生きています。結果と言いながら結果じゃないな、やはり生きるというのはプロセスだと思うのです。途中が大事、一瞬一瞬が大事で、そこに生きているかどうかだという軸を持てばやりがいはあります。やりようはあります。だってどうしようもない会社だという所にお邪魔し、それが素晴らしい会社になっているケースは世間に沢山あります。誰が見てもだめだ。それはそんなことはないという人が見なかっただけなのです。誰が見てもだめだというのは、今まで見た人がだめだったと言っているだけなのです。誰が見てもだめだというと、それが正しいように思います。違うわけです。そうじゃない見方、軸があるわけです。そういうのを持っていただけたらいいと思います。 それから次の質問です。「社員数約90名の製造業です。企業内組合があります。組合員数は約60名位です。」ということは90人のうち60人が組合員。「組合といっても労使交渉はもっぱら賃金に関することが大半です。会社の業績が良い時はそれほど問題ではないのですが、その逆の場合はかなり感情的なやりとりになります。問題は私がシコリとなって思考の切り換えができないことです。」ちゃんと分かってますねとしか言いようがない。「本来会社は労使一体となって目標達成のために力を合わせなければならないはずです。」そのとおりですとしか言いようがないですね。「今はまるで敵か味方かで考えるような状況です。これで会社の業績がアップするはずがありません。」実に全部正しいことを言っておられます。「アドバイスをお願いします。」 どうアドバイスしようかな。ご自身でお分かりですね。多分どうしたらいいかもお分かりじゃないですか。だったらそれをされたらどうですかということです。 何年か前、組合の幹部の大会に呼ばれたことがあります。私が組合に呼ばれるのは初めてだったら、「私たちもあなたのような人を呼ぶのは初めてです」と言っていました。そして組合の人たちに何と言ったか。「あなたたちは経営者側と闘ってばかりいますがそれは愚かです。お互いに闘っているうちに乗っている船が沈みます。両方でお客様を見たらいかがですか」という話をしたのです。組合の全国からの幹部の集まりですが、反応がすごかったです。どういう反応だと思いますか。「あいつの言うとおりだ。」闘っていたら闘う土俵さえなくなるな。そうなんです。 それではなぜ闘えるか、分かりますか。すごく簡単です。闘っている土俵がずっとあると勘違いしているからです。本当になくなると思ったらやめます。ずっとあると思っているのです。これは大いなる勘違いです。 これを書かれた方のおっしゃるとおりで、労使共にお客さんの方を見て、自分たちの価値をいかに高めるかということでお互いに意見を交換し合い、切磋琢磨することです。それがその組織の価値を高めます。結果的に賃金が増えるということにもなります。 業績が悪くなっている所で賃金を取ろうとする。不可能です。氷を抱いて暖を取ろうとするのと同じで全く不可能です。ですからそこで闘うということは全く無意味なことにエネルギーを注いでいる。ご理解されているとおりです。だったらそのエネルギーは? はい、簡単です。プラスの価値創造に向けることです。 どこからやるのですか。はい、あなたからやってください。あなたの隣の人に働きかけてください。「こんなことをしてちゃだめだ。もっとお客様への価値創造の方に向けよう」と語っていくことです。 そうすると組合の別の方から「何を言っているんだ。そういう態度が甘いんだ」と言う人は必ず出てきます。愚かなのです。それが土台をなくすのです。だからそこは信念を持って「違う。これをやっていかないと結果が出ないで、賃金どころか全部なくなるぞ。世の中そんな事例がいっぱいあるじゃないか。力を合わせようよ」ということをやっていくことをお勧めします。だから決して楽ではありません。でも60名、全社90名。1人情熱の塊が出てきたら変えることは可能でしょう。 実はどんなに大きな組織でも最初は1人なのです。1人から始まる。最初はどんなことでも1人です。その1人になれよ、なれよとお互いに言っていたのではだめなのです。その1人に自らがなることです。それが大切じゃないかなと思います。それが自主・自立ではないかと思います。 あ、ご質問がちょうどつながりました。「自主・自立とありますが、私は自主・自立・自律」、自律というのは「律する」です。「・・・と考え、自律の方が意味が深く広いと思います。この観点、視野でご説明、ご紹介いただける事例がありましたら、よろしくお願いします。」 お答えします。この観点での事例は持っておりません。ですから説明のしようがありません。 普通、自主・自律というと確かに「律する」なのです。でも私の場合、あえて「自ら立つ」と書いているのはなぜかというと、あまりに他人頼り、国頼り、人頼りが多いから、律するのではなくて自らの足で立ってほしいということであくまでも自ら立つという方向で使っています。普通辞書を引くと律するの方です。これは確かに国語的にはそうだと思いますが、自分の思いは何かというと、まさに自らの足で立っていただきたいなというところからこのような字にしています。 レジュメの「自ら変わる」、これもある意味ではお話をさせていただけたと思います。やはり変えようとしないで自ら変わっていく。これももうちょっとお話ししたかったのですが、時間がないので割愛させていただきます。 そうは言ってもいくつかお話ししたいですね。でもあと5分か10分ぐらいしかないですね。 私は自分が変わるということがいかに難しいかと同時に、やはりそれは自分が認識できないと変われないなと思います。企業でのいろいろな事例を毎日のようにいただいています。 この間も、ある企業幹部のグループディスカッションで、グループリーダーが「あなたは怖い表情をしているからだめだ」と言われました。「いちばん良くないのは怖い表情だ。」すると言われた人が「どこが怖いんだよ!」と怖い声で言うわけです。「その声と表情が怖いんです」と言ったら、「怖くないだろうが!」相手は怖いと言っているのです。横から見ると怖いのです。でも本人は怖くないと言っているのです。私は後ろのオブザーバー席にいましたから「すみません、やっぱり怖いですよ」と言いました。 それを自分がそうだと認識しない限り改善できないわけです。私がアドバイスする所は、必ず部下から上司を評価するという他人評価、多面評価をやっています。それを入れないと上から見ても絶対に真実は分かりません。上から見る景色と下から見る景色は全く違うのです。ですから必ず入れます。 そうするとこういうのがありました。「私、部下からコメントで暗いと書かれたんですよ。私、暗くないと思うんですけど・・・。」その人、表情も声も雰囲気も真っ暗なのです。でも本人は暗くないと言うのです。暗いとは申し上げませんでしたが、「部下の方のコメント、当たっていると思います」と申し上げました。同じことなのですが・・・。「そうですか。明るいつもりなんですけどね。」周りは笑顔です。おかしくて噴き出しそうです。だってそう言うこと自身が真っ暗な雰囲気で言うのですから。 だから変えられないのです。自ら変わるでいちばん大事なことは、今回「生き生きした組織風土を作る」という演題でしたが、会社全体をそういうふうにするのは不可能だと思ってください。でも自分の担当している自分の領域、自分の範囲内だけは自分が変われば可能なんだということがメッセージなのです。自分が変わることによって、自分の担当している組織だけは生き生きとした風土を作ることはできるのです。これはちょっと頭の隅に置いておいていただきたいなと思います。 「言葉の力」ということですが、これはほとんど説明できませんが、『水からの伝言』という江本勝さんの本や写真集が出ています。これを一度本屋でご覧になられたらいいと思います。言葉というのはものすごく力があるそうです。水に言葉を見せて、その水の結晶を撮っている。これはビデオをご覧になるとものすごく分かり易いです。きれいな結晶ができるのもあれば、ぐちゃぐちゃになるのもある。最高にきれいな結晶ができる言葉は何か。「愛」と「感謝」と「ありがとう」だそうです。「死ね」とか「殺す」とか「むかつく」はぐちゃぐちゃになるのです。「しなさい」と言うとぐちゃぐちゃになって、「しようね」と言うときれいな結晶ができるそうです。これはもう写真で見る、もしくはビデオがありますので、ご覧いただいたらいいと思います。 本の方にはこういう実験があります。炊きたてかどうか分かりませんが、温かいご飯を小さな2つのビンに入れる。一つは毎日「ばかやろう」と言う。もう一つには毎日「ありがとう」と言う。こういう実験をしたら、1ヶ月経つと「ばかやろう」と言ったのは真っ黒になってどす黒くなって、毎日「ありがとう」と言われた方は芳醇な香りで黄色になっているのです。 それをある会社のセミナーで使いました。すると当然そんなのは嘘だと言う人が出てきます。そしてその会社の方、3人実験されました。「大久保さん、1週間でなりましたよ。あれ、本当ですね。」嘘だと思う人は過去の常識と自分の知識から理解できないで嘘だと言っているわけです。本当かな、というのが正しいわけです。グループディスカッションで「あれは嘘だよね」と言ったら、「いや、うちの娘がやったら1週間で同じようになったんだよ」、これでおしまいです。本当です。言葉というのはものすごく力があるのです。 斎藤一人さんという個人の納税額連続何年か1位というすごい方がいらっしゃるでしょう。どうしたらいいか、ただ一つ。「私はついている」と叫び続けろと言っています。「何か辺なものが憑いているんですか。」「そんなことはありません。運がついています。」あの方の講演を聴いてびっくりしました。噺家よりも話が上手い。間の取り方が最高。今までいちばん話を聴いた中でいちばんうまい人です。あれは高座に上がっても落語家が驚くぐらいの上手さです。 鼻緒が切れたらどうするか?困っていらっしゃいました。最近鼻緒と言っても若い方はほとんど分からないと言っていました。今日の方はお分かりの年代が多いと思いますが・・・。家を出る時、鼻緒が切れてしまった。嫌だ。これが普通、否定的です。普通の人、年数的に切れる時期に来ていたと物理的に考える。ついていると思う人、今でよかった、出先で切れたら大変だった。ここから違ってくるというのです。この話だったらいっぱいあるのですが、残念ながら戸が閉まってしまいますのでちょっとやめます。 要はそういうふうに言葉の力と表情の力というのが、生き生きした組織風土を作るのに大変重要であるということなのです。全員がついていないと言って真っ暗で嫌だと言っている組織が生き生きしますか? あり得ません。どうしたらいいか。うちは生き生きしている、ついていると。ただ全員で叫ぶと、お客様が入って来られて「何なんだ、この会社は。取引して大丈夫か」と不安はあるかもしれませんが、そういうことなのです。 ですからその言葉の大切さ、これは是非本をご覧になられたら良いと思います。 それから「元気、前向き、自主・自立」。これはこれ以上ご説明できなくなりましたが、元気な事例、前向きな事例をたくさん見ていただいく。やはり自主・自立というのは何かというと、周りが、トップが、世間がだめだからという「が」の上が主語になりますから、そういう生き方をしないでくださいということです。自主というのは自らを主とすることですから、それはやはり変えられない時に、あの人が、この人が、経営者がと言ったら、それはそれがあなたの人生の主人公になります。やはり人生の主人公は自分にすべきだと思うのです。ですから自主・自立、自らの足で立って自分が何かをしていくという発想を是非お持ちいただきたいなということです。 お手元の資料にCDの紹介がありますが、それは実は裏が大事です。結構高額ですから、著者紹介で安くなる紙を今日は配布させていただきました。まだすぐという訳にはいきません。6月10日に完成で11日ぐらいから出荷すると言っていました。是非このCDなんかもご活用いただければと思います。 まだお話ししたいことがありましたが、時間になりましたので終わらせていただきます。どうもありがとうございました。 (2004.6.2 茨城県経営品質協議会特別講演会 茨城県市町村会館にて)
生き生きした組織をつくる / 2004年6月(設立4周年記念講演会) 生き生きした組織をつくる 大久保 寛司 氏 みなさま、こんにちは。年に一回、鬼澤さんのご縁でお邪魔させていただいています。今日も水戸の駅に鬼澤さんの素晴らしい奥様のお出迎えをいただきました。私にとってはそれがいちばんの楽しみと言っては失礼ですが、本当に頭の下がる思いです。ただある面で、実は水戸に来るときは大変緊張感が高いです。普通、講演は全く緊張しないのですが・・・。なぜかと言うと、みなさんよくご存知だと思いますが、鬼澤さんの奥様がテープ起こしで講演録を作られるのです。ここ茨城の協議会のホームページのヒット率というか参照率というのは高いわけです。講演録のクオリティの高さというのも、私もネットの世界でいっぱい講演録を載せていますが、「茨城のがダントツに高いですね」という言葉もいただいています。ですからここはいいかげんな話ができないのです。かつ今回5回目、何をしゃべろうかな、やはり毎回違う話じゃないと申し訳ないな、今回、何にしようかなというので、やはり組織風土が大事だなと思いました。それで話の内容を考えた結果、一つの結論に至りました。1回目から4回目の講演録をお読みいただくと良いかな、その中に自分は多分組織風土活性化のヒントを盛り込んでいたなという感じがしています。 さきほど鬼澤さんから伺いましたが、この間、鬼澤さんが立ち上げた社会起業家ビジネススクールのフォーラムに前に三重県の知事をしておられた北川さんが来られたそうです。今、大学の教授ですから「北川さん」とお呼びしていいのか、「先生」と言わなければいけないのかもしれませんが、いまだに私は「さん、さん」と言ってやっています。北川さんが懇親会のずっと最後までお越しいただいてお話をいただいたというのです。なぜああいう人が最後の最後まで・・・。北川さんは結構多忙なのです。知事を辞めてから暇になるかと思ったら全然暇にならないとおっしゃっています。その方が長時間の時間を割かれたかというのは? 理由は極めて簡単です。鬼澤さんの熱意なのです。本当に地域を良くしたい、日本全体を見越して将来のリーダーを育てていきたいというその志の高さに北川さん自身も共鳴されて、それだけ時間を割かれているわけです。私自身も鬼澤さんの思いというか志の高さ、これに共鳴して、私で少しでもお役に立つならということで、しょっちゅうということはできないのですが、年1回ぐらいはお邪魔させていただきますということでお邪魔させていただいています。 これは何を意味するかというと、やはり同じ思いの人が集まるということではないでしょうか。ですから「金儲けだけ」という思いの人には「金儲けだけ」という人がたくさん集まってくるでしょうし、その目標が外れた、儲からなくなった途端に雲散霧消していくのだろうと思います。だからそういう意味では、鬼澤さんの所はこれからもさらに大きな渦を、良い意味での渦を作っていただけるかなと思います。ご承知のように全国の経営品質協議会はたくさんあるわけですが、NPO法人として登録したのは日本初です。そして事務局自身、法人自身のクオリティを高めていきたいという発想、これは他の渋谷の協議会を含め、全ての協議会が学ぶべきとこではないかと思います。まさに鬼澤さんは、革新者であると思います。如何でしょうか? そういう地ですから、それなりの話をしなければならないかなということになるのですが、散々考えた結果結局今までと同じ話になりそうです。ですから聴かれる方もまた同じかと・・・。でもここが大切なことは、質の高い方は同じ話から違った学びができるということなのです。そうじゃない人はそうじゃないのです。ですから同じ話でも同じように笑っていただいて、同じジョークが出たら、ここは笑わなくちゃいけないなと。ちょっと笑いの強制は良いとは思いませんが、これは講師の満足度が高まりますので、是非ワッハッハッー!とやっていただくとありがたいなと思います。 最初に一つの言葉を再確認していただきたいと思います。経営品質でも言っています「組織力」という言葉です。これは非常に大切な言葉です。なぜ大切か。すごく簡単です!組織で仕事をしているからです。個人営業で全く一人なら個人でいいのです。しかし実は大切なのは、組織全体の力を最大限に発揮するようにもっていくということがものすごく大事なわけです。ですから組織全体でのトータルの出力、これを最大化していく。これはある意味ではリーダーの役割になりますが、そういうことのできる企業もしくは組織が、力が強い、質が高いと言えると思います。ですから組織力だということです。 そうすると経営品質の観点から申し上げれば、やはり組織力といったときに、一つは組織のプロセス、手続き、仕組み、これのクオリティというのがあると思います。それからそこに従事する人と、大きく分けてこの二つの要素があるわけです。 そしてもう一つ大事なのは、組織力と言ったときに、そのメンバー一人ひとりのつながりというのがものすごく大事になります。同じ方向を向いているか、夢を共有化しているか、実はこれがいちばん大事なポイントだと思います。 ゴールを共有化していない組織というのはものすごく弱いです。理由は簡単です。目指す方向が違いますから、力を一方向に持っていくことはできません。ということは組織力が充分発揮されていないわけです。組織が強いのは、お互いがいかに組織横断で協力し合えるか、個々人が協力し合えるかということになります。協力するというのは「共通の目標に向かって力を合わせる」と国語辞典に書かれています。ということは共通の目標がなければならないわけです。ですから共通の目標をそれぞれが分かち合って同じ方向を向く。力を合わせるというのは心の向きを合わせるということだろうと思います。これができている企業、組織はものすごく強いということになのだと思います。 もちろん個々人の要素、能力というのもあります。そしてもっと大事なことは、その能力が伸びるか伸びないかというのは、実は目に見えないところの一つのものによって意外に左右される。すなわちそれが今日のテーマに据えた「組織風土」ということなのです。 経営を進めていく上で手法の勉強が好きな方がいらっしゃいます。何々手法を導入したら経営は良くなるのでしょうか?私の考えは、そんなことはあり得ない!そんなものがあれば全部の企業が導入します。私は手法よりも考え方の方がはるかに大事だと思います。一つの手法を導入したら企業は良くなる。そんな万能薬のような、何でも効くような薬なんていうのはあるわけがない。あるとしたら、きっと基本的にその体質を弱まらせるはずです。劇薬かもしれません。ですから「シックスシグマ、どうですか? これ入れたらうまくいくんですか?」返答は簡単です。「そんなのはやりようでしょう。」「ベンチマーキングしたらうまくいくんですか?」「そんなのはやりようでしょう。」「経営品質の8つの基準を導入したら企業は必ず良くなるのですか?」「いいえ、保証しません。」どういう気持ちでどのように活用していくか。これは何かと言ったら手法ではなくて考え方になるわけです。ですから今申し上げたように手法より考え方が大事であると思います。 そして個々人の行動もそうなのですが、最近こういう絵をよく描きます。(「行動」を書き その下に線を引き、線の下に「思い、考え方、価値観」を) 人はいろいろ行動します。行動というのは目に見えます。目に見えないところの、多分これは出力です。それではベースにあるものは何か。これは「思い」です。思いとか、考え方とか、価値観。これが基本にあります。この基本によって行動が関わってくる。そうするとここに近い目に見えないもの、共通の価値観が多分組織の風土かもしれません。新しいことにチャレンジしていこうというのも風土です。「やめておけ、前例があるのか、ないのか」、これも一つの風土かもしれません。多分共通の価値観、これに近いものが多分風土かなと思います。正式な定義なんてないと思います。それは共通に思い、考えていることであり、また判断基準でもあるかもしれません。 通常は行動を良くしたい、改善したいと思うときに、多くのマネージメント、企業は行動に焦点を当てます。それは違います!目に見えるものは目に見えないところの結果にしかすぎないということです。ということは目に見えないところにどれだけ焦点を当てて、そしてそこを良い方向に持っていけるかどうかというのが一人ひとりの能力を高め、組織力を決めていく一つの力になっていくわけです。 このように考えたとき、素晴らしいリーダーというのは何をやっているか?ほとんど思いや価値観に焦点を当てています。素晴らしいリーダーの共通項目、それは何か。意識改革、意識変革に自分の時間と情熱を注いでいるかということです。これをやらないリーダーはリーダーではないと思います。一つずつの行動を管理するということは不可能です。でもこれはあくまでも下線の下の考えたからの出力だから、ですから思いや考え方、価値観をどれだけ高邁なものに、もしくは共通のものに持っていけるかどうかということが多分大事なポイントだろうと思います。 これはちょうど行動というのが一つの木、幹、枝葉であれば、思いや考え方、価値観は根っ子で、まさに見えないところです。実はそこが大事なのだということを、今日は理解していただけたらいいのではないかなと思います。大切なのは基本の考え方なのです。 考え方を共有化する、もしくは基本的にはやはりお客様への価値提供、そういう思いを持っていくにはどうしたらいいか。これはやはり多分「対話」になるのだろうと思います。 意識変革のときに最悪のパターンは「いいか、時代は変わったぞ。意識を変えろ!」こんなことで変わるわけはありません。あるべき姿の結論を一言で言うというのは全然意味のないことです。元気のない人に「元気を出せ!元気を出さなきゃだめだ。」そんなの、本人がいちばん分かっているのです。背中を叩いて「もっと気合を入れろ!」余計元気がなくなります。でも背中を叩いている人はそれが正しいと思っているのです。大いなる勘違いです。 ちょっと話がそれますが、リーダーとか人の関係、上司と部下の関係でもそうなのですが、大切なのはあるべき姿、方向性を指示することではなく、そちらに動けるようにもっていくことが大切なのです。多くの方は正しい指示を部下にしたら正しいと思っている。全く間違っています。 これはどういう観点で見るか。ちょっと話がそれますが、仕事をするというのはそもそもどういうことなのか。こういうふうに見ればいいです。価値創造なのです。価値を創造することだ。そうすると、組織の中においても、いろいろな形で上の方というのは指示を出されます。究極的に価値創造を狙っているはずです。そこから見ていくことなのです。今から解説していきます。価値を創造することから見ていく、別の言葉で言うと「相手の側から見る。」これだけで一気に仕事のクオリティは変わってきます。たったそれだけでです。 例えば今、学校の先生の集まりでの指導、講演依頼というのをたくさんいただいています。先週も指導主事という学校の先生を指導される先生というのがいらっしゃいました。その先生の先生をやってくれというので先生のトリプルになるわけですが、その指導される先生たちにこういう話をさせていただきました。 「みなさんの仕事は指導することではありません。最初はなかなか理解しません。その指導した内容を相手が理解できるようになるのが仕事です。みなさんは指導したらそれで仕事が終わったと勘違いされていませんでしたか?」「自分たちは先生たちを指導したらそれで仕事をしたと思っていました。」「相手がまるで変わらない、理解しない、行動しない、価値創造ゼロのまま。仕事をしたんでしょうか。してませんよね。」指導したらそれで仕事をしたと思っていますから、初めての視点で愕然とされていました。 例えばある小売業で、店舗の指導員という方がいらっしゃいます。店の責任者の方に、ああしてください、こうしてください、こうしなくちゃいけない、ああしなきゃいけない、ここがだめです、あれがだめですということをずっと指導して回っていたのです。その方はおっしゃっていました。「毎週、半年間指導し続けたんですが、お店の方にその指導内容を実行してもらえないんです。私は一所懸命なんですけど・・・。」その時、その彼に私は何と言ったか。「あなたはそれで仕事をしたんですか?」「一所懸命やっています。」「いいえ、していませんよ。だって何も変わっていないんでしょう? 指摘した内容を相手は実行してくれるんですか?」「してくれないんですよ。だから困っているんです。」「ということはあなたは価値創造がゼロですね。何もしないで給料を貰えたんですね。大変幸せでしたね。」その発想はありませんでした。なぜか。仕事というものを自分の立場から見るからです。 私流の、独自の経営品質についての言葉の説明をしていきますと、基本は相手から見ることです。自分のクオリティを高める。自分の立場で見ているときには自分の姿というのは見えないし、そもそも自分がやっている仕事の価値というのは相手への価値創造ですから、相手が価値があったか、なかったかを判断すべきなのです。こちら側で考えてはいけないということです。相手側から見る。究極は「何のために」ということで、価値創造しているかという観点で見ていけばいいわけです。 その店舗の指導の方、「じゃあ、僕はどうすればいいんですか?」「いや、今まで常にこれができていない、あれができていないというリストを毎週出し続けた結果、何もできなかったんでしょう? 半年やってできないんだったら、まずそれはやめられた方がいいですね。」「どうするんですか?」「良いところを一つでも二つでもリストアップして、それを誉めてあげてください。」「良いところ、ないんです。」「何もないんですか?」「分かりました。じゃあ当たり前のところを、当たり前ができていますねと言って誉めてあげてください。」こう言ったところ、全部きれいではないけれど一部がきれいだったので「ここがきれいですね」、それだけを言った。翌週行ったら以前指摘したところが2項目できていた。今度は2項目できているから、「こことここができていますね」と言って帰りました。翌週来ました。5項目できていました。それが仕事をしたということなのです。 「今まで散々指摘をしても相手は動きませんでした。あなたは仕事をしてこなかったんですね。相手に変わってもらえなかったでしょう。価値創造できなかったのですね。仕事をするのはそういうことなんですよ。」これは一つの事例です。 多くの人は部下に対し、指示をします。はっきり申し上げて、適正な指示なんてある程度誰でも出せます。大切なのはその指示を実行させられるかどうかが仕事の分岐点になるわけです。 ですから結論から申し上げれば、正しいことを言っても相手がやらないと全く意味はないということです。やらない理由は簡単です、あなたから言われたくない。その信頼関係で下にいくら正しい指摘をしても全部空回りしてしまうということなのです。これでは全く意味がない。だからいかに相手に変わってもらえるか。 例えばマネージメントの方であれば、「困ったことは早く持って来い。嫌な情報でも持って来い。」私にすれば、そんなことは誰でも言えるのです。大切なのは、困った嫌な情報を持ってきてもらえるかどうかが鍵なのです。そしてそのような風土を作るのがあなたの仕事ですという訳です。 企業でよく見られる事例です。いろいろな不祥事があったとき、「常日頃から、どうしようもない、困ったことは常に言えと言ってきたんだ。」これをどのように解釈したらいいか。すごく簡単です。そういうことをあなたは実現できなかったんですね。「私は力がなかった」と言っているのと同じです。正しいことはある程度誰にも言えるのです。それを実行させることができるかどうかということが鍵なのです。 「オープンドアだ。うちはいつでも言って来ていいんだ。いつでも入って来い。」誰が入って行くかということです。入って行きにくいじゃないですか。そうしたらどうしたらいいか。例えば困ったことをすぐに持って来させられるような、いちばん基本はみなさんお分かりだと思います。信頼関係がないとだめです。双方向の信頼関係がない所では、嫌なことは持っていくわけがありません。「なぜこんな大事なことを早く言って来なかったんだ!」理由は簡単です。怖いから。あなたに怒られたくないから。でもビジネスの世界でそんな言葉は使えません。だから「すいません」と言うのです。 これは前回お話ししたように、これを良い方向に持っていく究極の方法は何か。ただ一つです。改善指摘の「なぜできないんだ?」という指を自分に向けるしかない。こんな大事なことをなぜ自分は彼に報告させられなかったんだと言って自分に指を向ける人だけが状況を変えることができます。 人は相手を変えることはできません。相手が変わることはできます。ここがポイントなのです。自分が変わることはできます。でも相手を変えることはできないのです。相手が変わるのは相手が主語なのです。 じゃあ相手がどうしたら相手が変わるか。すごく簡単で、こっち側が変わった時です。すなわちさっきのお店の指導でも、だめだ、だめだと言っているのが自分、その自分がいけなかったんですねということで自分のやり方を変えた。自分の方です。そうしたら相手が変わったのです。これが究極の策です。多分これ以外ないだろうと思います。もちろんやらないと命を奪うというのがあれば別です。でもそれ以外であれば、そのように変えるときにいかに自分に指を向けられるかということが大変大事であると思います。 学校を卒業していろいろな企業に行きます。5年、10年経つと随分人は変わります。それは所属した企業の特徴というか、組織風土によって人の雰囲気まで変わってきます。やはり目に見えないところの風土というのは多分いちばん大きな力なのかなというふうに思います。ですからいかに今日の本題である組織風土、活性化した、生き生きした組織風土を作れるか、これはものすごく大切になると思います。 組織風土の大切さをどれだけ理解しているだろうかというと、もちろん経営者を集めてお話しさせていただくと「そりゃあ組織風土は大事です」と言います。「じゃあその大事な組織風土の質を高めるためにあまたは何をやっていますか?」と言うとほとんど返答はありません。ましてや「それに時間と情熱をかけていますか?」と言うと、「いや、大事だとは思うんですが・・・」ということで終わってしまう。これは大事じゃないということになるわけです。 まず仕事の中で人を生かすか。風土、土です。農家の方のお話をうかがえばよく分かりますが、作物を作るときいちばん大事なのは種を撒く前、植える前の土壌作りです。土壌を良いものを作ったら、あとはある意味では自然任せになります。でも土壌作りにはものすごい知恵と情熱、汗をかけます。なぜかと言うとそれがベースだから・・・。 人も同じではないですか。どういう組織風土の所で働くか、仕事をするかということが、その人間が芽を出し、素晴らしい実を実らせるのか、それとも実る寸前、その前で腐らせてしまうのか。これは風土というものはものすごく大きいのではないかなと思います。 オートウェーブ、みなさんもよくご存知だと思います。51歳で上場企業を定年退職してカー用品の販売会社を始めた広岡社長。お手元のレジュメに『目先の利益を捨てなさい』ということで書かせていただきました。これは本の題名です。これは是非お読みいただきたいなということでここに書かせていただきました。 この広岡さんのすごいのは、店の基本がまさに明確なのです。判断基準は全てお客様に支持されるかどうかです。お客様の評価。実はお客様第一主義とか、お客様を大切にすると言っている企業はいっぱいあります。広岡さんに言わせれば、自分のできる範囲で大事にすると言っているにすぎません。それを越えてまでお客様の視点で店作り、経営をやろうとしている所がどれだけあるだろうか。決断の物差しはたった一つです。お客様が喜ばれるか、喜ばれないかというわけです。 簡単に言うと、まさに損の経営ということです。カー用品の会社なので駐車場があります。自慢気におっしゃっています。「どんなピーク時でも路上駐車を一台とさせない。そのための広い駐車場を持っています。だから平日はガラガラです。」そしてそこにお出迎えのためにたくさんのパートではなくて社員が立っています。中ではコーヒーサービスとか大きな待合室もある。雨が降ったら社員総出で傘を差してお出迎えに行く。なぜやっているのか。お客様にとってはそれが喜ばれるベストだからです。まさに一見損の経営です。 わずか設立何年かで上場されるわけですが、お店全体で見ていくと、これは二〇〇二年の情報でちょっと以前のものですが、カー用品の店別販売高は日本のベスト3を全部独占しました。面白いです。一見損の経営をやった結果、ベスト3に入っている。もちろん今、ものすごい売り上げ、利益、業績を誇っているわけです。 評判を聞いてたくさんの人が見学に来られた。そして曰く「そんなことをやったら商売にならない」と見学に来た人が誰一人真似ができなかった。だってほとんど駐車場はガラガラ、店内を見ると社員がいっぱい立っている。なぜか。お客様に丁寧な説明をした方がいいから。従来と発想が違うわけです。ですから真似しようにも誰も真似ができない。 在庫がない時、他のカー用品のお店で売っているお店があったらそこを探して紹介する。なぜか。それがお客様にとってベストだから。ここまでやれるかということです。結果として最高の業績を誇るところまでお店をもっていっているわけです。 そしてこの広岡社長がいちばん力を入れたことは何か。どうしたら素晴らしい店を実現できるか。それには社員一人ひとりの意識を変えることだそうです。意識というのも、先ほど書いたのと同じで目に見えないところのものです。人は行動しか見えない。でも実はその意識こそがものすごく大切なものであるということなのです。ですから多分素晴らしいリーダーというのは、意識を変えるということに時間と情熱を相当割いているんじゃないかと思います。 感じの良い店、雰囲気の良い店、生き生きとした店というのがお客様はお好きである。これは全部人だというわけです。じゃあそこに働いている人が生き生きしているか。一所懸命応対するようになるか。例えばサービス業でこういう販売であれば、「良い応対をしなさい」、これは正しい指示です。大切なのはその指示どおりに店員の人一人ひとりが動けるかどうかです。「良い応対をしたらいいですよ。」「明るい声で応対してくださいね。」「明るい表情でやってくださいね。」こんな正しい指示は誰にでもできます。じゃあ店員さん一人ひとりにそういう行動をとってもらえるかどうか。これがリーダーの役割です。 オートウェーブの場合はこれが多分風土に馴染んでいるということだと思います。入ってきた新入社員が自然とそうなってくる。 この間、ある会社でありました。ちょっとみっともないので会社の名前は言えないのですが、新入社員が朝、事務所に出て来ると「おはようございます!」と言う。しかし先輩社員がほとんど挨拶をしない。睨み返す人もいる。そして数年経った時、本人もそのようになっている。そしてそこの会社で挨拶をしようという運動をし始めた。その時、5年、10年の社員が何と言ったか。「わが社で挨拶をしてもいいんですか?」嘘みたいな本当の話です。すなわち挨拶しないが風土。悪い例の典型です。 みなさんの所でもそういうのありますか? そう言ってハイとは手を挙げにくいと思いますが・・・。挨拶をするというのは当たり前なので、当たり前を納得させるという、こんなに難しいことはないのです。朝来たら挨拶しなさい。なぜですか。気持ちが良いでしょう。僕、しなくても気持ちが良いんです。上司と挨拶するとかえって不愉快になります。だからしない方がいいじゃないですか。屁理屈を並べられたら勝てません。 私もそういう経験を持ちました。当たり前を説得するというのはほとんど不可能に近いことです。じゃあどうしたらいいのか。最近すごい人に出会いました。ある一流会社からまた上場企業の大手に転職した方です。とても元気なのです。朝来ると誰も挨拶しないのですが、全く無視して「おはようございます!」と明るく言い続けていたら、とうとう組織が変わってしまいました。全員が明るく挨拶をするようになった。全然無反応でも気にしにしないのです。アハッ、くらいのものです。挨拶をしても無反応ですから、無反応を見ておかしくなってしまうのでしょう。それを数週間やったらその組織は変わってしまったそうです。 みなさんの所がもし挨拶できていない組織だったら、これは一つのヒントです。無反応でもやり続ける。それだけできるかどうかということです。無反応だとなかなか厳しいですけどね。でも睨み返されるよりまだいいんじゃないかと思います。 ちょっと話がそれましたが、そういう風土というのが人を作っていくという感じがします。 一昔前のホンダと日産と言ったとき、多分イメージが違うと思います。一昔前のソニーと松下、今はというのはちょっとコメントは避けます。いろいろなイメージを持ちましたでしょう。やはり一つは自由闊達で、元気で、生き生きした、伸びやかな雰囲気があるなという会社です。片や官僚的だ。どちらがとは言いません。両方そうだという説もありますが・・・。どちらがどちらかは分かりません。それはやはり実際に直接お会いすると、まさにそういうものというのはあるわけです。 社内の中で新しいことを言ったとき、潰す風土というのはどういうのか。「あまり無理しない方がいいぞ。」民間企業のくせして「前例がないぞ」、役所みたいなことを言う。「時期尚早」という言葉。素晴らしいですね。「現実を見ろ」、これが全部否定するパワーを持った言葉なのです。一見説得力があるでしょう。現実を見ろ。周りを見ろ。ついでにお前の将来も考えろ。結論「黙っていろ。」こうなるわけです。 企業でこの風土を持っている所は、この時代、企業全体が間違いなく沈んでいきます。沈んでいく時に共通しているのは、私が沈める要因を作ったという人が誰一人いないというのが共通しています。自分以外の誰か。これが悪者です。おかしくなった企業で「私がいけなかった」と心底言う人はほとんどいないといいます。何と言うか。「私は頑張っていたのに周りがだめだったから。」これは共通しています。すなわち他責の風土ということになるかもしれません。何かあったときにすぐに責任を他人と他部門に持っていく。これも一つの組織風土かもしれません。 みなさんの企業はどうでしょうか。一つの問題が起こった。お客様から問題提起された。「私の部門がもう少ししっかりしていたらよかったのに」と言うのか、営業部隊はすぐ二言目に「製造業部門のクオリティが低いから俺たちが怒られるんだ」と言うか。そういう所の製造部門の人は必ず言います。「普段良い製品を作っているのに、営業部門は全く売る力がない。何なら私たちが売りましょうか。」水と油。お互いに責任をなすり合う。これも一つの風土かもしれません。 これを風土と言うと、ほとんどの組織全部に適用できる可能性があります。ですから自分の所はそうだなと落胆はしないでください。それは普通だとお考えいただくといいのではないかと思います。 オートウェーブから学ぶ点は、これはブロックスの「DO IT」シリーズのビデオもあるので是非ご覧いただきたいし、この本もお読みいただきたいのですが、徹底したお客様中心、お客様の喜び、そしてそれを社員が共有化し、それがお店のパワーになっている。ここが一つ学べるところではないかと思います。 もう一つ、バグジーという美容室があります。これも多分「DO IT」のビデオでご覧になられた方が多いと思います。私もこの間、バグジーの久保社長とご一緒させていただきました。一泊二日、九州の温泉まで行きました。いろいろなお話を聴かせていただきましたが、本当かなという話がいっぱい出てきました。 美容院というのはほとんど指名でお客様は来ますから、ご承知のとおり一人当たりの売上高というのがすぐ出ます。美容業界というのはものすごくきつい世界で、人の流動性が激しい世界だそうです。あの「DO IT」のビデオを見た時、美容業界に勤めている人が何と言ったか。「大久保さん、これは100%やらせです」と言ったのです。なぜか。「こんなにお互いに助け合うなんてあり得ない。」と言うのです。 この間、今年のバグジーの入社式のビデオをブロックスの西川さんに送っていただき、拝見させていただきました。新入社員が入社式に涙するのです。 一人ひとり売上が明確になりますが、久保社長は売上を言わないわけです。何を言っているか。思いやりです、愛です。ですから業績の上がらない店員さんが「社長、私最近今ひとつ売上が上がらないんです。」「そういうとき、久保さんはどうおっしゃるのですか?」「それは大久保さん、ただ一つしかありません。」「愛が足りないよね」と言うのだそうです。私、思わずニコッと笑って「本当ですか?」と言ったら、真顔で「本当ですよ、大久保さん。私たちは愛情の深さ、高さ、強さと売上は全く相関するのです。だから売上を上げろなんて言わないんです。『もっと愛を深くすることだね』、これで十分なのです。」 ご承知のようにあの方は中学を卒業して美容業界に入られています。行け行けどんどんでやって、それでもちっとも業績が伸びない。そのうち10何人になった時に上から3人に、ビデオでは1人と言っているけれど正確には、実は上から3人に辞められてしまうのです。ベストスリーです。せっかく育てた人たちです。その人たちが辞めていってしまう。 久保社長にお会いした時にうかがったのですが、「大久保さん、僕は嘘をつきました。」「どんな嘘ですか?」「辞めていった時に腹が立ったのです。ところがある所である方の講演を聴いた。『辞めていく社員の悪口を言う愚かな経営者がいる。』私のことかと。『残った社員もきっと同じように言われるだろうと思って不愉快になる、そんなことさえ気付かない愚かな経営者が世の中にはいるんです。』全部自分のことのように思えました。」久保社長は一般の参加者なのですよ。そしてどうしたか。久保社長は一大決心をしたそうです。悪口を言うのを辞めた。辞めるどころか残った10人の店員さんたちに「彼らは悪くない。あの素晴らしい彼らを辞めるところまで追い込んだ私が悪いかったんだ」と言ったのです。「でも僕、それ嘘だったんです」と言うわけです。「腹の底は煮えくり返っていました。」育てた奴が恩義も知らずに・・・、犬以下だと思ったそうです。ところがそれを一ヶ月言い続けたら、店員さんたちが「社長、あの人たちのことはもう忘れましょう。私たち、頑張ります。」お陰さまで80何人になりました。今、93人です。 みなさん学ばれたと思いますが、あそこは売上至上主義から軸を何に移したか。思いやりです。ありがとう。すなわち毎日店員さん同士が、またお客様からどれだけ「ありがとう」と言われるかを勝負、基本の軸にしたのです。結果はご承知のとおり業績がずっと上がっているのです。面白いです。 お客様がビデオに出てきています、「ここっていいでしょう?」何がいいか。「店員さん同士がお互いに協力し合いますよね。他の店に行くと協力し合わない。」。そうなんです。この業界というのはお互いに競い合っている、足を引っ張り合う世界だそうです。その中で協力し合うというのはあり得ないそうです。 私も久保さんと一緒にお店を何軒か回らせていただきました。すごいです。社長が突然お店を訪問するわけです。普通、社長が突然店に来たとなるとどうなりますか。何か背筋がピンと伸び、フッと思わず余計な所を切るということはないと思いますが、何かやりそうです。しかしあのお店は久保社長が店に顔を出すと変わるのです。どういうふうに変わると思いますか?明るくなるのです!すごいです。申し訳ないぐらい、みんなこっちを見て明るいのです。そして店を出てくる時なんか、店員さんが出てきて手を振るのです。お客さんの方を見なくていいんですかと不安になるぐらいです。 お店はすごく狭いです。表現は良くないですがとても立て込んでいます。そして四六時中お客さんが入ってきます。周りに美容院がありますが、閑古鳥が鳴いています。みんな楽しいと言うのです。そこに一度行かれた方というのはみんなファンになってしまう。 徹底してお互いに協力し合っています。だから強いのです。さっき冒頭に申し上げたように、協力し合える、共通の目標を持っている。それはお客様に喜んでいただくことです。そして大切なことは、とにかく生き生きしている。 組織によってはこういう例があると思います。外回りの営業の方が夜遅く、事務所に戻ってきた。あ、まだ課長がいる。課長を見た途端、「もう一度外に言って来ます」とか言って出て行く。課長から見る「最近なかなか熱心だな。」違う、あなたと顔を合わせたくないだけです。こういうのはいっぱいあります。 これと好対照です。すなわち社長さんが入って来るだけで明るくなる。なぜそれができるのか。強烈な信頼関係です。別な言葉で表現するとすれば、久保さんの従業員一人ひとりへの思いやりなのです。ですからビデオでもあったでしょう。「誕生日? 大したことはしていません。手紙を書いているぐらいです。」と、筆で長い文章を書いているじゃないですか。あれを大したことないと言うのです。 今まで社内外共にいろいろな方に筆で手紙を出されています。全部控えが取ってあり、これぐらい数センチの厚さです。見せていただきました。「大久保さん、この写し、僕にとって宝なんです。」私も丁重なお手紙をいただきました。筆で貰うと、どう返答していいか分かりません。メールは出せないですし、はがき1枚でも失礼ですし、それで思わず電話で「お手紙、ありがとうございました」としか言いようがないなと。負けずに、そこで別に競う必要はないのですが、私も下手な筆を取り、筆でご返答申し上げましたが、やはり基本は強力な、強烈な思いやりなのです。 そしてあのビデオを見ていると分かるように、もう一つ大切なもの、個々人が成長目標を持っています。これ、大事なキーワードです。すなわち組織全体の目標と、それにつながった形で個々人が目標を持っているかどうかというのが、個人と組織の活性化にものすごく影響します。 目標がない人は自分の命、能力を全開することはできません。その目標がたとえマイナスの方であろうとも、目標がある限りにおいては全開することが可能なのです。この世を破壊しようというのも一つの最悪なケースです。でもそれに基づいてその方向に全開することは可能です。目標がない人間はエネルギーを十分に出すことはできません。 脳みその使っているものというのは大脳生理学上1桁%と言われています。私もみなさんもほとんど使わないまま終わっていくわけです。10%使ったらもう天才になってしまうわけですから、普通数%です。そのわずか数%をうまく使うか、活性化するかの一つは、バグジーから学べるのは一人ひとりが成長目標を持っていることです。 ここで是非理解していただきたいのは、部下をお持ちの方、もしくは経営トップの方は部下に、社員一人ひとりにいかに成長目標を持たせることができるかというのが一つリーダーの役割だということです。なぜかと言ったら、成長目標を持ったらできるのです。 ご存知の方も多いと思いますが、私は子供が7人おります。今はもう下の3人しか一緒に住んでいませんが、子供たちが勉強する所を見ていると、明確に目標を持っていると思います。目標を持たないで勉強しろと言っても絶対しないというのは、これも間違いのないところです。ところが、今度はこういう成績をとろうとか、これをできるようになろうとか、目標を持ったときは強いのです。脳は全開します。 例えばマージャンがお好きな方がいらっしゃると思います。私は全然できません。ルールブックを買ってきて、一所懸命勉強したけれどダメでした。これは多分脳にインプットされているのです。社会人になる時、父親に言われたのです。「マージャンだけはやめておけよ。自分がやりたい時はいいのだけれど、やりたくない時に付き合わなければいけないからな。あれは人生の無駄だからやめろ」と自分の体験から言われたのです。私は父親から一切アドバイスを受けたことがない人間なのですが、たった一つ、社会人になる時に一言、「マージャンはやらなくていい。」と言われたのです。 常日頃叩かれていると感じなくなります。説教ばかり受けていると、どんな説教にも耐え得る能力が身につきます。すなわち無反応というすごい能力をみに付けることができるのです。ところが私は生涯で父親から一度しか言われていない。この強烈なインプットがあるからマージャンのルールが分かるようにならないのです。ところが学業成績がまるでだめだった人が役をあがった途端、何点と言うのです。あの速さ。あの複雑なルールを覚えられる。何なんだと。 例えば免許証を取るとき、いかに多くの項目を覚えなければならないか。あれはカンニングできません。学業成績がまるでだめだった人もいっぱい取っています。 そこから何が分かるか。脳細胞を使っていなかっただけだということが分かります。すなわち興味、目標、もしくは目標達成意欲なのです。どうしても免許証を取りたいとなるからです、今、テストしたらほとんど全員が落ちます。9割無理でしょう。そういうテストに意味があるのかというのはまた別のテーマですが・・・。 ここから分かることは、興味とか目標を持たない限り脳を十分に使うことはできないということです。だから組織においてリーダーは、いかに組織全体の目標を持たせる、明確にする、そして一人ひとりに共有化すると同時に、個々人自身も自分なりの目標を持つのが強いのです。 バグジーのビデオを見ると、一人ひとりが成長目標で「何月何日までにこれができる」と書いてあります。目標というのはそういうもので、日付がないとだめです。そうでないとチェックのしようがなくなります。 そしてビデオの中で幹部、先輩たちが集まって、社長さんと一緒にミーティングをやっています。何をやっていましたか。最近入った若い社員の心的課題をみんなが取り上げている。そのミーティングの場で売上をどうする、店の展開どうするというのはやっていないのです。皆で何をやっているかというと、あの人はこういう点で悩んでいる、この人はこういう点で行き詰まっている可能性がある。じゃあ、どうしようと真剣に話し合っています。 そんな会社、どれだけありますか。幹部が集まって部下のメンタルな面を皆でお互いにケアしている会社がどれだけありますか。うちは人がいちばん大事だと言いながら、集まった所で業績はどうなっているんだとやっていませんか。99%これです。それが本音だからです。人を大事にする。嘘です。数字だけです。それは社員が敏感に感じ取ることができますから、所詮そんなものだろうと。それではそういう人たちがまたお互いに大切にし合うか。それはあり得ないです。 結構若い方ですが、中ではベテランという方がこうおっしゃっています。「私たちの成長は部下の成長でしか測ることはできません。」一流企業の幹部研修をたくさんさせていただきましたが、そんなセリフを言った人に出会ったことがありません。自分の成長は部下の成長でしか測れない。すごいメッセージです。あのビデオにはそのようなメッセージがバンバン出てきます。 あれを1度ご覧になった方、10回以上ご覧になることをお薦めします。20回見ても飽きがきません。私は40回以上見ていますが、いまだに学べます。言葉を拾えていません。そのぐらい深いものです。リッツ・カールトンのビデオしかり、トヨタビスタ高知のビデオしかり、オートウェーブのビデオしかり、全部「DO IT」シリーズですが、あそこに出てくるものは本当に学びが深いです。 最新号では沖縄教育出版という所が出てきています。西川さんという編集長、今度社長になられましたが、その方からうかがいました。教育出版といっても通販の会社です。最初は教材を売っていたらしいのですが、今は通販です。どちらかと言うと健康食品をやっているのですが、ずっと右肩上がりです。すごいなというのは、通常の経営感覚を度外視した発言が社長から出ます。「利益を上げて何になるんですか」という信じられないセリフが出てきます。数年前にガンを患われ、生死の境目を歩かれて、そこからやはり人生観が変わられたようです。 だから沖縄教育出版というのは売上、利益が上がるとどうするか。追加でその分人を雇うのだそうです。普通の企業は全く反対をやっていませんか。そしてそういう人を雇うからまた売上利益が上がってしまうんですという信じられないことです。 もっとも、最近どうもアナリストも気が付き始めたという記事が昨日出ていました。例えばウォルマートが出資しているスーパー。人を減らすと言ったら今まで全部アナリストが「買い」で、常に株価が上がったのに、人を減らすと言った途端また下がった。人を減らしたら評価が上がるなんておかしいわけです。やっと少しは気が付いてきたかなというところです。 だって組織というのは人が資産でしょう。もちろん負債の人もいますよ。やる気のある人の足を引っ張る人は資産ではありません。負債です。しかしその人も資産になれる可能性はあります。もっとも、大きい声ではいえませんが実はなかなか難しいケースもあるのです。ですが基本的には資産になることはできます。 本当に人を大切にしない企業が伸びていくことができるのか。ウェッジという雑誌の最新号にも伊勢丹の話が書いてありました。自社で一切レイオフしないでやって来た。ロイヤリティとスキルの高さで結局断然の利益率を誇るようになった。一朝一夕ではできません。当たり前です。 ですからOBの方に対して年金を下げると言ったとき、自分たちを育ててくれた会社が困っているのだからと誰一人反対がなかった。松下でさえ大騒動になったのです。しかし伊勢丹はクレームがゼロだったのだそうです。頑張れという声援しか来なかった。なぜか。働いている時、自分たちは大切にされたという感覚があるからです。 私から見たら、経営の本当の姿というのはこれではないかと思います。売上利益、なんぼのもんじゃ。その見方の方が本当は正しいのかもしれません。あれは結果にしか過ぎません。でも結果として捉えている所の方がかえってうまくいくという、これまた大変面白いものだと思います。 沖縄教育出版では6時間のパートタイマーに対し、6分の1の1時間、昨日お客様からこういう声が、こういう質問があった、こういうご意見があったという共有化で、それに対してお互いに意見を言い合う場を1時間作ってあります。もちろん報酬は払います。その間も電話は鳴ります。通販の会社ですから、本当は電話を取ったらいいと思いませんか。6時間のうちの1時間、情報共有、お客様の声の共有化に当てているのだそうです。 直接ビデオを撮りに行って、西川社長がびっくりしていました。「でも大久保さん、結果的にはこれが上がっているんですよね。」なぜかお分かりですね。行動というのは思いの出力なのです。応対というのも思いの出力です。行動をどんどん指示するよりも、思いを変えることに時間をかける方がはるかに高い成果を生むということは事実なのです。 でも多くの方はこれをご存知ありません。そしてまず目先の数字を追う。すなわち私から言うとほとんど基盤を作らないで自転車操業をやっている。これで何よりも一人ひとりに達成感があるのだろうかということです。 バグジーも久保さんの所から資料をいただきました。文章を読み上げて涙を流しながら感動する場面がありますが、その社員、従業員一人ひとりが感動するような文章を毎月みんなで読み上げているのです。もちろんその間は髪は切りません。収入はゼロ。おっしゃっていました。「絶対にこれだけはやめられない。」 すなわちいろいろな素晴らしい企業で共通するのは、ここに時間をかけているということなのです。ここの思いを高めることに時間をかけている。上場企業、ほとんどゼロに近いです。何もやっていない企業がほとんどです。価値観を変えるということ、お客さんにもっと素晴らしいサービス、商品を作っていこう、提供していこうという価値観の共有にどれだけ時間をかけていますか。限りなくゼロです。何に時間をかけているか。数字ができないのかということに時間をかけている。 結論から申し上げれば、多分、人生を振り返った時に「数字・数字」ではむなしい人生でしょう。決して楽しいとはいえないと思います。なぜか。本当に自分自身が価値を生んでいると思えないからです。 トヨタビスタ高知の明るさもすごいです。このバグジーの明るさもそう。トヨタビスタ高知もやはり社長の横田さんの思いです。人への思い。そして最終的にはそれが素晴らしい成果を生んでいるわけです。これは是非真似されたらいいと思います。やはりそのような所が結果的に良いものを生んでいるのです。 自慢話みたいになるようでちょっと恐縮なのですが、「DO IT」シリーズのビデオを作っている西川社長から言われたのは、先にお話ししたかもしれませんが、あの方はコンサルタントは嫌いですと言うのです。「私は中小の元気な企業を見ていますが、コンサルタントの方たちの言っていることとやっていること、指導していることとは全く乖離しています。よくあれで報酬が貰えますよね。だから私は好きではありません。基本的に信じておりませんでした。そして大変失礼ですが、私は大久保さんもその端くれだと思っていました。」すなわち信じる対象ではなかったというわけです。「ところが『21世紀 残る経営 消える経営』を読みました。大久保さん、あの中に企業の成功法則が全部書いてあります。」この間もお会いした時、「大久保さん、あの内容をやっている企業が結局成功していますよ。」 私はすごく嬉しかったです。なぜか。私は一介のサラリーマン、ただ単にこうだろうと思って書いていて、何の経験もないところで書いているのです。一つの企業を立ち上げ、成功体験に基づいてこうやったら良いぞというのではなく、単なる推測、思いで書いているだけなのです。だから申し訳ないのですが何の保証もないのです。でもそういうふうに言っていただけだというのはものすごく嬉しかったです。そして言われて「そんなにいいですか? じゃあ自信を持ってよろしいでしょうか?」と言ったら「持っていなかったんですか?」と。その時返答はやめましたが・・・。 私は実体験ゼロですから、やはり推測、憶測でしかないのです。日本IBMで経営層に入っていたわけではありません。一介のCS担当ですから大したことではありません。現場の支店長とCS部門担当の経験しかないわけです。だから経営とは、と語る資格もないし能力もないわけです でも経営品質で8つのカテゴリーを勉強することはできました。これは多分参考になりました。そして幸いにも、日本IBMでもアセスメントというのを全ての部門、人事でも、財務でも、広報でも、研究所でも、工場でも、私だけは全部の組織を見に行く機械に恵まれました。そして組織プロフィールから、8つのカテゴリー、説明を聞いてコメントするというのをやる機会に恵まれた、多分日本IBMでこれだけ多くの部門の詳細を知ることの出来た唯一の人間だと思います。すなわち全ての領域を見ました。これはすごく参考になりました。ただし価値観とかこういうものはゼロです。あくまでもプロセスであり、仕事の中身です。でもいろいろな組織を見ることができたというのは私にとっては非常に強いというか、いい経験になりました。 その中で1つ感じたことは、組織風土といったとき、やはり組織、一つの同じ会社でも部門によって随分風土というか雰囲気が随分違うのです。これはやはり営業部門と開発部門、開発部門と製造部門、全部風土が違います。当然といえば当然です。 組織風土といったとき、強いものの一つというのは、みなさんお分かりいただけると思うのですが、組織の壁が低い、風通しが良いということです。これがすごく大事なことだろうと思います。組織間の壁がない。組織の壁をいかに低くすることができるか、なくすことができるか、組織風土をいかに風通しを良くすることができるかが大事なことなのです。 組織の風通しを良くするのをネライに最近実際にやってみてすごい成果を上げているケースがありますで、これを今から紹介します。こうやると組織の風通しがものすごく良くなる。それは何かと言うと、違う組織の人が集まって話すという、ただそれだけかというとそれだけなのですが・・・。それも組織の縦と横で集まる。クロスです。 例えば先週もある県に4日間お邪魔しました。どういうのをやっているかというと、知事との意見交換会というのをやっています。知事、副知事、出納長、いわゆる三役です。そして部局長さんがいっぱいいらっしゃいます。県の部長というのはご承知のようにものすごく偉い存在で、企業で言えば役員です。その方たちの意見交換会というのをやっているのです。 ご承知のように役所は、お互いに他部門に対して絶対に指摘し合わない、提言し合わない、非難し合わないというのが不文律です。いわゆる横槍を入れない、これが暗黙のルールです。風土としてやっちゃいけないのです。役所の人はいろいろな所を経験するから知恵、知識があるにも関わらず、お互いに提言し合わないというのが風土なのです。私はそれを壊したいと思いました。なぜか。住民の視点、企業で言えばお客様の視点に立っていないで、組織や自分の保身を優先していることになると思うからです。それを壊すことをやっています。部局長7、8人、そして私自身がファシリテーターみたいな役をしています。簡単に言えば司会進行をやっていくわけです。 先週やった時、信じられないぐらい意見が出ました。最初は私が「何々さん、いかがですか?」とやると意見を言うわけです。今回行った時は、今回で何回目かな、だいぶ重ねた成果もありますが、私がしゃべろうとしたら「大久保さん、待ってください。僕に意見を言わせてください」、部長さんたちがそんなふうに言うようになりました。 そしてすごいのは、これは知事の発案で、私は企業でよくやっていたのでそういう事例を紹介したら、課長をオブザーバーで後ろに10数人置いたのです。すなわち知事と部長との意見交換会に課長が入るというのは、国でいえば次官会議で首相がいる所に課長職が後ろに並ぶ、こういう感覚です。 これだけですごく風通しが良くなりました。オブザーブした課長さん達にはとても喜ばれました。「部長の本当の思いが分かった。普段あんな話、聞いたことがありません。」国から課長職で来た人は衝撃を受けていました。まず知事との意見交換会がある、そしてその場に課長職が同席している。それだけでショックです。そしてそれがお互いに意見を言い合っている。霞ヶ関の論理ではあり得ない。そしてさらにこうも言っていました。「今までの私たちの国での仕事の仕方は何だったのでしょうか。恐ろしい間違いをしていました。」顔が緊張していました。その国から来た人はそれぐらい衝撃を受けていたのです。今までの官の常識では考えられないのです。すなわち組織横断、縦横断でやるということはそういうことなのです。 私はいくつかの企業、ちょっと2、3社ぐらいに絞って定期的にお邪魔しています。実は明日もやるのですが、関連会社の社長以下役員全員集まります。そして丁丁発止、1.5日の意見交換会をします。一般の、平社員という表現はよくありませんが、非管理者の人たちをオブザーバーで入れます。どうなると思いますか。私自身いろいろな所でやらせてもらっているのですが、部長のいろいろな研修、意見交換会に課長、もしくは一般職がオブザーブするだけで共通のコメントがあるのです。どういうコメントがあると思いますか。「部長も人間だったんですね」というのが多いのです。大きな組織の中では雲の上なのです。そして違うことを考えていると思っています。「同じ人間だったということに感銘を受けました。」言われた方はびっくりします。「人間じゃないとすると俺は何だったんだ。」「神様?でしょう」としか言いようがないわけです。 いろいろな企業でやっていますが、これと同じコメントが出ます。この間やった企業ではどんなコメントが出たと思いますか。「私は会社の経営理念がお客様を大事にする、こんな会社だという思いでこの会社に入りました。でも現場に配属されたら全然違っていました。今回1.5日、役員の方たちの討議を聴いていて嬉しかったです。役員の方たちは本当にお客様を大切にする思いをお持ちだったのですね。」聞いていて役員が涙する。「うちの上司は違う。」思わず社長が「誰だ、上司は!」ちょっとそれは良くない、やめてくださいというので止めましたが・・・。衝撃でした。 ここから何が学べるかというと、立場の違う人を入れてお互いに話を聴き合わせるとお互いの理解が急激に深まるということです。今度その会社で逆のことをやっています。一般職で1.5日研修をする時、役員を後ろにオブザーバーでかける。最初から最後まで1.5日黙らせておく。ものすごく学びがあります。現場にこう伝わっているのか。現場はこんなことを考えているのか。普段業務で行った時にはそこまで話ができないのです。これは場を変えないとだめです。物理的に場を変えてお互いにフリーで意見を言い合う。 これは『自分が変われば組織も変わる』(かんき出版)の本の1つの章に書かせていただきましたが、意見交換会のとき大事なのは、まずルールを明確にして最初に宣言しておくことです。本音で語りましょう。完結に語りましょう。お互いに聴き合いましょう。立場は全員対等です。先輩、後輩いろいろ社歴はあるでしょう。関係ありません。異なる見解をどんどん出してください。 しかしこれを真に受けて、日本の会社で「今日は対等なのか。先輩、それは違うんじゃないですか」と本音でやった。会議室を出た後、大変なことになるわけです。「お前、何考えているんだ。」ですから「終わったら爽やかに」というのをグランドルールにしているわけです。実はそのルールを宣言するだけで本当に本気で本音でしゃべり出すのです。ルールの宣言というのはばかみたいですが、すごく大切なことです。彼は言います。「今日は本音でいいんですよね?」、ということは普段どうなんだという問題があるのですよ。 そして本音で語らない限りにおいて、組織運営の質を高めることはできません。お互いが全員建前。建前って建前ってご存知ですか。嘘です。建前と本音と言いますが、表現が優しすぎます。嘘と本当と言ったらいいのです。真実と虚偽。虚偽で組織運営ができるのか。あり得ない。だから悪くなるのです。 虚偽の塊の会社が今、マスコミにいっぱい出てきています。だからああなる。しょうがないでしょう。真実が語られなかったからです。多分語った人はいたはずです。でもはじき出されたのでしょう。そして残った人は虚偽の塊ですから、まとまって沈んでいくしかない。しょうがないでしょう。自業自得です。でもそのケースでも自分が悪いと言う人は多分いないと思います。絶対にいないのです。組織が悪い、あいつが悪い。必ずそうです。自分の責任です、自分が悪いんですと言う人ばかりの集団、そこはお互いに助け合いますから落ち込みません。 実はこの間、私の古巣の日本IBMという所に行って来ました。かつての会社の自慢話で恐縮ですが、すごいんです。何に呼ばれたかと思いますか。リーダーシップ研修。会長、社長以下、役員と理事、次の役員候補みたいな方達70人の前で話をしてほしいというのです。 辞めた人間が前の会社に行って、会長、社長・・・、会長はみなさんよくご存知でしょう、最近頻繁にテレビに出ています、同友会の代表幹事、北城さんです。みんなで並んで、こうやってメモを取りながら聴くというのがありますか? 確かに要請する方もする方なら、行く方も行く方なんです。私が世間で知名度が高くて、四六時中マスコミ、テレビでコメンテーターをやり、雑誌に出てものすごい権威になっていれば別です。だったら呼ぼうかというのがあっても違和感はないかもしれない。しかし実際には何もありません。何やってんの? 経営品質だけです。組織を元気にするお手伝いですと。ちょっと失礼になってしまうかもしれませんが、大したことはやっていません。その人間を呼んで全員で聴こうというのです。たくさんのマネージメント、スピーチというのがありまして、テーマが決まっています。全員が15分~20分です。今の社長の大歳さんでさえ30分です。私は、1時間頂戴しました。全役員で辞めた社員の話を聴く。これは組織風土の強さです。日本の企業で、辞めた社員を呼んで会長以下が全員並んで話を聴くというのがありますか。ないでしょうね。これは自由度の表れです。 実は昨年秋、名古屋の経営品質協議会発足の記念フォーラムがあり、北城さんと一緒に並んで講演をさせていただきました。北城さんが先だったので、すぐに帰られるだろうと思っていました。事務局がたてた最初の予定は後だったのです。真打みたいなものですから、私が先だったのですが、いろいろな事情があって先に話したいということで、すぐに東京に帰られるのかなと思ったら、いちばん前の真中に座って休憩時間も残っておられる。私の話しを聴いておられる。 そして今回お邪魔させていただいた時も、同じ話ですから退席されるのかなと思ったら、いちばん前でやっぱりメモをとっておられるのです。あの同友会の代表幹事の方が一所懸命メモを取っておられる。そして終わったら「大久保さん、いつも勉強になってありがたい。」これ、学ぶ力です。同じ話ですよ。でも一所懸命メモを取られています。かつての部下の部下の部下ぐらいのものです。その人間に対して、参考になった、ありがとうと言うわけです。これは風通しの良さの1つではないかなと思います。 『21世紀 残る経営 消える経営』にも書かせていただきましたが、お客様満足度向上委員会というのを月一回やっています。日本IBMではもうすぐ150回になるのだそうです。そしてオブザーバーは現場のマネージャークラスが入ります。私もあれがヒントで、いろいろな所でセミナーをやるときにオブザーバーに必ず参加してもらう。これはものすごく効果があります。みなさんの所でも、部長会に課長とか一般社員をオブザーブさせたらいいです。 この間、こういう話がありました。それはだめだと言うのです。なぜですか。「部長の討議の質が低い。社員が幻滅を感じてもいけない。今は幻影を抱いているからそのままにしておきたい。」これまた変なふうに説得力がありまして、それもそうだなと。 知事がオープンにしてやろう、そして今お邪魔している企業も、社長自身が一般社員に向かって何と言っています。「社長、役員の合宿研修があるから一般社員もどんどん来てオブザーブしてください」とオープンの席で言っています。ここにまた1つ強さがあります。オープンにできるということに強さを感じます。 「いや、秘密事があるから・・・」、大体企画部長とかヒラの取締役はそういうことを言います。「一般社員にオブザーブさせていいんですか?」「私は構いません。社長は何と言っていますか。聞いてみてください。」「全然いいんじゃないの?」結果は素晴らしいコミュニケーションを生みます。 伝言ゲームというのはご承知のとおり何も伝わりません。正確に言うと間違ったことは伝わります。だって5人ずつ並べて目の前でやったって、5人目は全く違うことを言うでしょう。よく酒の席でゲームをやりましたよね。やりましたねと言ってもあれですが、やったことがあると思います。それぐらい伝わりません。ところが直接呼んで話を聴く。こんなに良いものはないのです。 別のケースでは、現場のマネージャークラスが集まって話し合う。そこに本社の役員の人たちが後ろにオブザーバーとして並ぶ。これをやっています。大体私がやっている所というのは後でまた見たいからとカメラが入りますが、信じられないぐらい本音の意見が出ます。そしてそのビデオをまた参加できなかった人に見てもらう。共有化できます。土壌を1つにすることができます。すごい風通しを良くすることができるのです。 ですから上の人が事業部長や部門長を集めて「いいか、横の風通しを良くしろ。」と言うだけでは全く意味がありません。さっき申し上げたとおりです。あるべき論を指示するのは上の人の役割ではない。そのとおりにできるようにするのが仕事だというのをお分かりいただけると思います。部門間の風通しを良くすることが大事なのです。それは今のように違う職位、立場の人が来るということです。 バグジーに戻りますが、あそこに書いてあったように、どこそこの地域にお店を出すということ以外、ほとんどは10のプロジェクトチーム、すなわち店員さん同士のチームが全部意思決定しています。すなわち権限委譲されています。そして協力し合っている。社長はといったら、どこそこに店をいつ頃出す、これは経営の意思決定です。それから誰々を採用するというのも社長の意思決定です。しかしそれ以外のことはほとんど10のプロジェクトチームで考え、実行していると語っています。これも3回、4回、5回見ないと分からないと思いますが・・・。 すごい強いと思いませんか。なぜか。一人ひとりが受身ではない。その組織に自ら完全に参画しているのです。このような組織集団は強いです。反対に受身の集団は弱いです。人は受身になっている時は、押されたらすぐ倒れてしまいます。逃げたら倒れる。前向きになっている時の人間というのは強いわけです。すなわち能動的になっているときです。 全員が能動的になっている。それこそいろいろな方が集まって、ある意味では組織横断で仕事を進めている。どう見たって風通しは良いに決まっています。 髭のノブさんという方がいらっしゃいます。まだ若いのですが、売上トップの方です。2,500万円ぐらだそうです。思いやりが深まった時、業績、売上が上がるようになったと久保社長はおっしゃっています。彼が何と言っているか。「5年後も10年後もこの素晴らしい仲間たちと一緒に仕事がしたいです。」 ある企業でやった時、あの言葉がショックだったと言っていました。「5年後も今と同じだと考えたらやっていけません。人事異動があると思うから耐えられるのです」と言うわけです。それもそうだなと。ところがずっと同じメンバーでやっていたいと言うわけです。なぜか分かりますか。お互いに助け合うから、協力し合えるから、お互いに認め合っているからです。楽しいからです。 8割、9割の人が辞めてしまう美容業界で、過去6年間バグジーを辞めた人はゼロだそうです。これは業界の人にとっては全く驚天動地で信じられないことなのです。でも現実誰一人辞めていないということです。それは組織風土が、簡単に申し上げればお互いに協力し合う、助け合う、認め合うということが実現できているからです。そしてさっき申し上げたように、一人ひとりが成長目標を持っている。それらのことをここから学ぶことができます。 そのルーツは何かというと、バグジーであれば久保社長の思いです。経営に行き詰まった時からくるっと変わられて、業績一辺倒からお客様と従業員への思いやりを軸にしようと変わったのです。ここがスタートです。 「私たちは経営手法もへったくれもありません。こういう会社の社長は毎日が勝負です。一瞬一瞬、一人ひとりをどれだけ見ることができるかです」とおっしゃっています。一瞬一瞬、一人ひとりを見てもらえる。だから見てもらった従業員一人ひとりがお互いを見、かつお客様を見ることができるわけです。すなわちそこから学べることは、そういう風土を作っていったのはやはりリーダーであるということです。 そうするとまたこういうふうに思う方がいます。「やっぱりリーダーか。じゃあうちはだめですね。」ちょっと待て下さい、そのリーダーを変えるようにもっていくこともできますよ。できるのです。やりようによってはできる。だからだめだと思わない方がいいのです。 それからリーダーシップといったとき、部門長、もしくはトップのことだというのは間違いです。リーダーというのは引っ張っていく、リードしていくこと。いろいろな人がいたときに、こっちに行こうぜと全体を持っていく。それが後ろから持っていこうが、横から支えようが、何をしようが、持っていく人がリーダーです。リーダーは役職、職位は関係ないと考えてください。どんな組織でも職位に関係なくリードすることができるのです。どこの企業の中にいると思います。だから私は管理者じゃないから、私はそんなに偉くないから、その発想はちょっと横に置いておいてください。誰でもその気になればリード役になれるのです。なる、ならないは自分の思いが決めることです。 先ほど指導主事の先生の話をさせていただきました。最近は学校関係にも随分とお邪魔させていただいています。経営品質の世界から私自身はいろいろな世界にお邪魔させていただいていますが、全部共通です。医療の猟奇も多いです。昨日は京都府に行っていました、行政も多いです。もちろん企業が6割ぐらいですが、来年は4割か5割ぐらいになりそうだなという雰囲気があります。 そこで何を申し上げているかというと、どこでもいつも全く同じことを申し上げております。 自分で見ないで相手の立場から考えてください。協力し合ってください。成果が上がったかどうか、ちゃんと測定してください。 昨年、校長先生たちを対称にした講演指導依頼をいただきました。校長と教頭と市町村の教育長、450人を3回に分けてお時間をちょうだいしました。そこの県はすごいです。「学校経営品質」、経営品質と言っても分からないのに、上に「学校」がつくのです。集められた校長先生たちが「まるで分からないのですが、出ろという教育長の強制ですから・・・。」それで学校経営品質についての講演会、セミナー。来た人は何も分かりません。「学校経営品質と言ってもまるで分からないでしょう。」と最初に申し上げました。スーッととてつもない安堵感が流れました。そうだ!というわけです。そこで共鳴現象が起きるわけです。当然ですよ。だってあの方たち、分からないというのは恥の世界の職業ですから・・・。「経営品質と言うから分からなくなってしまうのです。実は企業の方も分からないのです。」もっと安堵感です。 「品と質というのもありますが、経営の質とお考えください。組織運営の質とお考えください。すなわち学校運営の質、これならいかがですか。じゃあ、学校運営の質が高いというのは何によって測ることができるでしょうか」と具体的に説明していくと、どんどん腹に落ちていきます。「じゃあ、その方向に目標を持って今まで改善努力をされてきましたか。」いままではただやみくもにやっている。このように考えるといろいろなものが見えてくるわけです。 学校で申し上げたのは、授業のクオリティです。例えばみなさんご存知かもしれませんが、小学校では授業崩壊があちこちで起こっているのです。ウロウロして授業ができない。たくさんあるんですよ、ご存知ですか。教育の世界に行くと、私はいつも申し上げます。「小学校の授業崩壊は瞬時に直せる。」どうしたらいいか。簡単です。父兄をアドバイザーとして後ろに4、5人立っていただいたらたちまち生徒はウロウロしなくなります。どうしても言うことを聞かない場合は体育会系のお兄さんを1人立たせる。「静かにしろ!」これが今、先生は言えません。結果として真摯に学ぼうとしている生徒の機会を奪っているのです。 この間も狂言の世界で有名な方が授業をやっていました。母校を指導するのがNHKでありますよね。子どもがブラブラしている。カーッとやった途端、みんなビシッとなった。その信念を持っていないから授業崩壊になってしまうのです。持っていないのだったら、持っている人を後ろにつければいい。他人に見させればいいのです。 そして授業の質なんていうのは絶対に自分では分かりません。これも経営品質の発想で、相手の評価が大事ですよというところから解き起こしていけばいい。授業の質を上げる方法は簡単です。授業をそのまま他人に見てもらって指摘してもらうことです。アドバイスを受けることです。勿論、先生は嫌がります。でもそれによって必ず授業を良くすることが可能になります。「おたがいに協力してください。先生同士、校長先生、教頭先生、父兄、一緒になって協力して学校運営をしていってください。お互いに提言し合ってください。授業のクオリティを上げるために協力してください。」と、いくつかの基本的なことを申し上げてきました。 教育の世界から学べます。すなわちそれは何かと言うと、NHKで放送された英国のシャロン校長という方をみなさんご存知でしょうか。英国の貧民街の学校の校長になった36歳の女性の方です。300点満点で30点以下の成績だったのを、わずか2年半で270何点にまで持っていくのです。英国最悪の学校から最高の学校に変えていって、女王陛下から勲章を貰われたという方がいらっしゃいます。世界的に有名です。 何をされたか。父兄との対話から始めた。授業のクオリティアップから始めたのです。第三者をつけて、下手な人は上手い人の授業を見させ、上手い人には下手な授業を見させてアドバイスさせた。実は私がずっと申し上げたことをされていました。 最初に赴任した時、毎日暴力沙汰が四六時中起こっている学校でした。それがピタッと静かになり、授業が行えるようになった。わずか2年半です。現実にそういう例があるのです。もちろんこれは世界のベストプラクティスです。 これを日本の学校の先生に見せた時、学校の先生たちはこう言います。「大久保さん、日本は違う。」確かにそうです。そのシャロン先生は1年半で先生を全部取り替えています。外から採用してきているのです。校長先生に全部権限があるのです。文科省みたいなのがあるわけではなく、授業の道具というのも全部クラスの先生が作っていかなければならない。全部自分で作る世界です。非常に厳しい世界です。予算、権限が全部校長に与えられている。採用の権限まで与えられている。「日本はそんな人事権は持っていません。だからできないんですよ。」こう言うわけです。一見説得力があります。その説得力が全く無意味になる事象に遭遇しました。 みなさん、茅ヶ崎の浜之郷小学校の奇跡をご存知ですか。浜之郷小学校というのは700人の生徒がいる普通の公立小学校です。壇上に立った時、静かにしろと言わなくても700人がピタッと静かになる学校です。登校拒否、ゼロ。米国、英国、韓国、中国、台湾、世界中から見学に来ています。同じ状況でベストプラクティスを作っている学校が日本にもあるのです。 これを見た時、私は感動しました。NHKでご覧になった方、あるでしょう。「命の授業」というので、校長先生がガンであと半年で、余命いくばくもないというのに授業をし続ける。放映はずっと長い間を追っていて、最後亡くなられます。その学校改革をしていった時にやり出した最初の先生たちは全部代わっているにも関わらず、今もその授業が維持できている。ものすごく生き生きしているそうです。そして生徒にとっていちばん大事なのは何か。他人の話を聴くことだ。信じられない成功事例が日本にもあるのです。 ここに書いた『学校を変える』小学館、この本を読んで本当に涙が出ました。最近教育の世界にもよくお邪魔するので、いかにすごいこと素晴らしいことかが理解できます。 その事象に遭遇した時、一つすごく簡単なことが分かりました。できない理由を述べる人は、単にできないことを選択したにすぎない。物事はやるか、やらないかしかありません。結局できない理由を述べる人はやりたくないだけです。もちろんやろうとしても、いろいろな阻害要因が出てきてできないケースもあります。でもなぜやり通すことができるか。これはただ一つです。やろうとする思いと阻害要因の深さ、高さ、大きさを比べた時に、その阻害要因に自分の思いが負けていないからです。 いつかプロジェクトXで消防の世界、救命救急をやりました。以前は法律で一切手出しを許されていなかった。家族が横にいて、「手を出してください!何とかしてください!」と言うのです。「私たちは手を出さないように法律で縛られているんです。何もできないのです。やれないのです。」一消防士、救命士が意を決して外に文章を発表します。「目の前でどんどん死んでいくわけです。私たちにも米国と同じように医療行為をさせてください!目の前で死んでいきます!」そうするといちばんトップから呼び出しが来る。そういうことをやってはいけない世界ですから、本人は辞表覚悟です。その時のトップは何と言ったか。「いいことを言ってくれた。君は勇気があるな。これを是非実現しよう。」そして国会議員に働きかけることによって、そして世論に訴えることによって救急車の中で医療行為ができるようになりました。 その医療行為をすると言った時、最初に反対したのが医師会です。「彼らにそんなことができるわけがない。人を殺させるのか。」結果はどうなったか。医療行為ができますから、死亡率が格段に減ったわけです。 誰もが当たり前と思って、当然だと思いながらできなかった。じゃあなぜできたのか。それは何としても命を助けたい。自分の評価がどうなってもそれを実現したいという深い、強い思いがその不可能を実現したのです。今となってはまことに当たり前のことです。コロンブスの卵以上に当たり前のことです。目の前で死んでいく人に手を出さないということ、これをどうしても納得できない。実はみんな納得できなかった。でもそれを行動に移した人は彼だけだったのです。それが法律を改正するところとなり、そしてその後、救急車に乗る方は救命救急のいろいろな医療行為を学習していくわけです。実はちゃんと学習能力はあるわけです。できました。結果として、数字は忘れましたが救急車での搬送中の死亡率が激減したということです。当たり前の話です。でもこんな当たり前のことさえできなかった。なぜ出来なかったかの結論は、やろうとしなかった。強い思い、ということです。 昨日も役所に行って言わせてもらいました。「みなさん自身も何かをやろうとすると、前例がないとか、やれない理由をたくさん述べる部下がいらっしゃるでしょう。やれない理由を部下の方が述べてきたら、その進むべき方向が正しいのならこう言ってください。『君はやりたくないんだね』と言ってください。」 単純です。やりたいとなって、やると決めた時、いろいろな策は出てきます。やらないと決めたら何もしなくていいのです。そしてやらないことを選択している人の何と多いことか。 役所でこう申し上げました。「定年退職の時、『大過なく任務をまっとうし』、この文章だけはやめてください。私は何もしないで過ごしましたと言っているのと同じです。『この時期辞める。大過の渦に巻き込まれた。でも楽しい人生でした』、こういう文章にしてください。」今後退任の文章が難しくなるなと思いながらこう言いました。 地方に行けば行くほど、役所というのは結構質の高い人間が集まっています。その人たちが、前例がない、やれない理由を述べる。「はっきり言いましょう、生きていないのと同じです。せっかく人として生まれたのに、動物でも昆虫でもない、そしてこの日本に生まれたのに、生きていないのと同じですね。それで終わるんですか。まあそれも自由ですけども、情けないですね。自分の命、もっと生かしたらどうでしょうか。」昨日も申し上げました。「命を生かすとはどういうことか。価値を創造することです。みなさんの仕事であれば、住民に喜ばれることです。部課長さんたちであれば、部下を生かすことです、能力を伸ばすことです。それが自分の命を生かすことじゃないですか。」こういうお話を相当させていただきました。 終わってから、「大変衝撃を受けた。今までそんな話は聴いたこともなかった」と相当上の方が3人来られ、びっくりしていました。「自分は今まで何をやってきたのか。あなたの言うように部下を殺し続けた」と言っていました。でも精神的に殺すことにおいて法律では殺人罪は適用できない。でもある意味では殺人罪と同じなのかもしれません。 そこら辺もやはり基本はどう思うかです。そこの浜之郷小学校からいっぱい学べるのです。なぜそうできたと思いますか。まずビジョンを明確にしました。基本方針は何だと思いますか。「人生最高の6年間を提供しよう。」このビジョンが素晴らしいじゃないですか。小学校6年間、人生最高の6年間をここで実現してもらおうというのが基本の狙いなのです。 学校の世界も実は会議と報告書が多いのが実態だそうです。ご存知でしょうか。教育委員会や文科省に対して多いのです。だから授業を受け持っている先生も、授業そのものに専念できるのが5割以下だと言われています。それ以外はレポートです。企業の人に言わせれば、「何だ、企業も教育の世界も同じか」、こうなります。 浜之郷小学校、会議は全廃。校長訓話なし。何とか会なし。月1回の職員定例ミーティングがあるだけ。あとは授業のクオリティアップ、生徒を見ることに専念したのです。 ここからも学べます。何が学べるか。つまらない資料をたくさん作らせる企業、組織は生き生きしますか?しませんよね。理由は簡単です。自分の命を生かしていないから、価値を生んでいないということが分かるからです。嘘の資料をいっぱい作ってやりがいと達成感がある。それはおかしいです。「何とかあの課題もクリアした。ここで何とか自分の身をもつことができました。今日は一杯飲みに行きましょう。何とかごまかせましたね。」美味しい酒ですか? 確かに「いや、これが美酒なんですよ」という方もいらっしゃるかもしれません。でも真心という判断軸で見たらそれは美酒ではないはずです。所詮悪魔に身を売って、魂を売った人間ではないでしょうか。真心で見たときにはそうじゃないじゃはずです。 大切なのは、常識と真心という軸で正しいか間違っているかを判断することなのです。そうすると価値を生んでいるか、生んでいないか、それを簡単に見分けることができるわけです。 浜之郷小学校では年2回、1人の先生が授業をして、それ以外の先生が全部周りついて検証を行います。あそこは毎日オープンで誰が見に行っても良いそうです。私はいつもそれを主張していたのです。父兄が四六時中見に行ったら授業崩壊なんて瞬時に直せますよと。でもやる人はあまりいません。なぜか。授業崩壊を直すよりも自分が恥ずかしい方が先だからです。だからだめなのです。以上のようなことを先生たちに申し上げました。 その先生たち全員が1人の先生に対して、授業のやり方がああだ、こうだ、徹底してみんなで話し合う。場合によっては泣く先生も出てきます。でも授業のクオリティアップを図るということ、それに対してそれだけの知恵と情熱を今まで学校は、先生はかけてこなかった。そしてどうしようもない授業をやりながらも、クローズの世界でそのまま見過ごされてきたからです。だからオープンにしなさい、他人の目を入れなさい、評価してもらいなさいということを言っているわけです。私は知らないままに言っておりましたが、まさに浜之郷小学校は自分の言っていたことと同じことをやっていました。 そして何とこの学校改革でいちばん基本においたのは何か。対話でした。コミュニケーションなのです。いかに対話が大事か。コミュニケーションが大事かということです。その結果、信じられない世界のベストプラクティスを、この制限された、文科省のぐるぐる巻きの教育現場であっても実現できている世界がある。英国は先生たちの自由度が高いですから、あそこよりももっとすごいです。そういう学校が日本にあるのです。 もう一度申し上げます。ここから学べるのは、つまらない仕事をやめる、会議をやめる、資料も作らない。会議というのは資料を作ります。そういうのを全部やめているのです。午前中の授業、小学生で95分×2講座だというのです。もちろん結果的に学力も上がっています。経営品質の8つの基準で見ていくと、ある意味では仕事の進め方のプロセス改善そのものです。授業はこうだという既成概念にとらわれていない。95分2回やってもいいじゃないかということです。 世界中から教授という肩書きの方たちが随分その学校に来られているそうです。最高の成功事例だと言って絶賛して帰っていく。そしてそのことについて私もいろいろな学校で話をするのですが、多くの先生たちが何とその学校のことをほとんどご存知ない。何も学んでいない、知らされていない。こんな全然教育に関係ない人間の私の方がまだ知っている。驚きました。そして自分の狭い世界でよかれというのでやっているのです。これは違うなという感じをものすごく持ちました。 ですから教育の世界からもいろいろなことを学ぶことはできるのだ、ということを1つ申し上げたわけです。もう一度申し上げますが、そこから言えるのは、「やれないのではなく、やらないんだ」ということです。やれないのではなく、やらないことを選択したに過ぎないのだということです。 先日もある幹部職員の集まりに行きました。「大久保さん、意見交換会で課題のリストアップは結構ですが、課題なんていうのはみんな分かってますよ。それができてこなかったんですよ。課題の共有化も認識もへったくれもありません。みんな分かっています。だけどできないんですよ。そこをなぜできないのか、教えてくださいよ」と言う大変情熱のある方に出会いました。「分かっているのにやれないんですよ。なぜですか。」簡単に答えました。「それは自分にとってやらない方がいいからでしょう。究極それです。違いますか?」カーッと言っていた人がうなずいて、一気にメモを取っていました。 「もう1ついいでしょうか。やろうとした。簡単です。やろうとしていろいろな阻害要因を頭に浮かべた時、結局はやらないで自分の身を守るのがベスト、そちらに優先順位を置いただけです。すなわち生徒にとってベストというところに優先順位を置かないからそうなります。簡単なことです。違いますか?」 「うちの企業はだめだね。うちの社風はだめでね。」そういう方に会うと私はこう申し上げます。「それであなたは何をされるのですか。だめなのは分かりました。企業に評論家は不要です。価値創造することが仕事です。足を引っ張る人は要りませんよ。だめだ、だめだ言ったら、いよいよだめになるだけでしょう。」 この間もある経営者にお会いしました。「うちの社員は本当にだめで・・・。」中小の、本当に小さな企業の経営者です。「そんなに社員はだめなんですか。」「だめだ。」そこまで言われたらお返しする言葉はたった1つしかないでしょう。「類は友を呼ぶと言いますよね。」 そしてそこで2つに分かれます。そうだと頷く人と「ふざけるな!」そしてふざけるなと言う人は未来永劫改善することはできない。気づきがゼロ。そうですよね。 この気づきという話だけでも何時間もありますが、何時までやるのかちょっと忘れてしまいました。とりあえずそろそろ休憩にしますか。その後、もうちょっとさせてもらって・・・。今日は事前に考えて何をしゃべろうか思い浮かばないので、30分しゃべったら後はQ&Aをやろうと思ったのですが、演壇に立った途端、聞き手のクオリティが高いものですから・・・。事実聞き手が一所懸命聴いていただけると、ひらめいてどんどん話は出るのです。そういう意味では水戸の人たちのクオリティは高いですね。じゃあ、15分ぐらい休憩にしましょう。 それでは、ここは5時にピタッと全部が閉められるそうですから、5時前に終わらないと明日までここに残っていなければいけないということだそうです。ですから5時少々前までに終わりたいと思います。 まだいくつかお話をさせていただこうと思ったのですが、質問がだいぶ来ましたので、先にちょっとこちらに答えたいと思います。これの途中で終わってしまうかもしれませんが・・・。 まず、「リーダーを変えることもできるとお話をいただきましたが、どのようにすればいいのか。」質問自身は分かり易い質問です。答えるのは難しいかもしれません。でも質問は簡単明瞭です。この人にとってはリーダーというか上司を変えたいのでしょう。だからどうすればいいのか。 一つ。自ら説得してみてください。それがだめな場合、他人の力を使う。後者の方が良いです。普通上司、もしくは経営者を説得するのに部下が行きます。「なんでお前に言われなきゃいけないんだ? そういうことなら辞めるか?」場合によってはこういうことになるわけです。ですから一つの法則は他人の力を使うということです。自分自身が思うような話をしていただける、そういう方の話を聞かせるとか、場合によってはビデオを見ていただくのも一つでしょうし、本を読んでもらうのも一つでしょう。もしくはその人が信頼している人がいたとしたら、そこから攻める。そして「そうだな」となったら、「ではこのことについてうちの社長に持っていっていただけませんか。」すなわちその信頼する人からアプローチしてもらう。 実はそういうような知恵というのはやはり要るのです。基本は真心だと思いますが、真心だけで人と組織を動かすことはできません。知恵が要るのです。 例えば「嫌なことは何でも言って来い」と言うので、嫌なことを言ったら嫌な顔をされた。それはすごく簡単で、相手だってバイオリズムがあるわけです。だから上司に対して難しいことを言うときは、相手のバイオリズム、状況を見た上で言うという知恵ぐらいは要るわけです。これは配慮です。それを「困ったらいつでもすぐ言って来い」と言うからというので、その上司が上からガンとやられたばかりで顔が引きつっている時に「こんな困った問題が起こりました。」ガーンとやられるに決まっているわけです。それを、「いつも言って来い」と言うからと・・・。これは知恵が足らない、配慮が足らない。タイミングを見る必要がありますよということです。 二つ目、「『経営品質』と『業績』はクルマの両輪だと言う会社の幹部がいます。どのようにお考えになりますか。ちなみに決してその人は経営品質の考え方に共鳴していないわけではありませんが、やはり一方で業績を重視してしまうようです。」 業績を重視するのは当たり前と思ってください。これを軽んじる方はいません。どうでもいいんだと言うとほとんど嘘になります。ただし私は業績は結果であると思います。売上はCSの結果であり、利益というのはその工夫の結果ということもできるかもしれません。ですから経営品質というのは経営の仕組み、組織運営の質を高めていくこと、その結果としての業績だということに当然なるわけです。業績はあくまでも結果でしかない。ただしその結果が不十分であるならば、経営の質、組織運営の質、プロセスの質を見直してくださいということを経営品質は要求しています。ですからそこに焦点を当てるということだと思います。 ですからクルマの両輪というよりは、経営の運営の結果が業績であるというふうにお考えいただけるとよいと思います。 あ、行政の方もおられるのですね。「行政にとっての価値創造とはどのようなことを目指すことなのでしょうか。県民により良いサービスを提供することだとは思うのです。」そうです。分かり易いですね。「今の配属はルーチン的な仕事が多く、あまり具体的なことが思い浮かばない。」要はルーチン的な仕事でどうやって価値創造をするかというご質問だと受け取らせていただきます。 この場合一つは、あくまでもルーチン業務というのは組織全体ではやはり必須不可決なのです。だから一つ大事なことは、ルーチン業務自身、自分の役割、与えられた役割をつなげていくと、その組織全体がどちらの価値創造に向かっているかということをまず認識しておくことです。すなわち自分の位置付け、どこに価値がつながっているか。これを認識していないとやはりやる気というのは出てきません。 高邁な仕事とか、大きな仕事とか、すごい仕事といっても、よく考えたらほとんど大したことはしていないのです。例えば営業。売っているだけですとも言えるわけです。ものを作っているだけです。考えているのは設計者だけだとなってしまうかもしれないでしょう。そんなことはないわけです。 そしてもう一つ、ルーチン業務で大切なこと。これは私が経営品質を表現するとこうなります。基本は三つある。思いやり。二つ目、あくなき向上心。三つ目、謙虚さと素直さ。思いやりというのは、上司が部下、部下、部下が上司に、お客様に対して、ビジネスパートナーに対して思いやりという軸で切っていくと全部見えてきます。あくなき向上心というのは、個人にあてた場合には自分自身の成長、発展であり、もう一つはプロセスを向上させる。すなわち仕事の仕方を改善していく、プロセス改善というところにもつながっていく。そしてあくなき向上心ということだからこれで終わりはないということです。 すなわちルーチン業務であったとしても、1時間でやれることを30分でやることはできないだろうか、15分でやることはできないだろうか。5人でやっているけれど2人でできないだろうか。いっそこれをなくすことはできないだろうか。こういう視点で業務を改善するということはできるはずです。そしてその業務改善は他人ではできません。 ですからルーチン業務であっても、その業務自身のクオリティを上げる、そして時間を短くしていくということに焦点を当てて知恵を使えば、実は創造的な仕事はできるのです。ここは思い方一つです。 そして素晴らしい人間というのは、常に与えられた業務の中から知恵を使う方向に自ら持っていきます。どんなに創造的な業務を与えられても、やはり創造できない人もいるのです。ルーチン業務であってもそのように改善するということはできるし、その改善自身がまた組織全体に対して大変貢献することができるということを考えれば、いろいろやりようはあるかもしれません。 ただしここでもう一つ大切なことは、ルーチン業務を担当しているそのセクションのマネージャー、責任者です。それは最初申し上げたように、このルーチン業務の行き着く先、価値創造、全体の価値はここにつながるんだよというのをしっかりと共有化、理解させることが必要になります。会社全体がこうだ。この中でみなさんはこういうお仕事をしていただいている。人はやはり組織全体でのポジションニング、位置付けを要求するのです。どこの位置に自分はいるのか。別の言葉で言うと、自分はどういう価値創造に役立っているのかという認識が欲しいのです。ですからそれを明確にしてあげるというのは上の人の仕事になるというふうに思います。 次の質問はなかなか長いですね。「(1)公正、公平に選出された経営陣ではない (2)上級者の方が価値的に偉いという病理が組織の中にビルトインされている」ビルトインというのは組み込まれているという意味ですね。それから「(3)異端を受け入れる多事争論の気風がない・・・、と多くの問題が経営陣にある。」これは大変な問題ですね。もっともほとんどの企業で共通した問題であるかもしれません。「10名の役員個々を見ても、外部との人脈形成ができない」、日本の役員はほとんどこれです。そして「予見ができない」、これも同じかな。「決断ができない」、極めて平均的な役員かなという感じがします。そして「内向きの人たちばかり、本当に不安です。」これは不安でしょうね。「社長にも直接伝えましたが、役員をかばうだけ。」社長は役員に対する思いやりがある方ですね。役員のことを言ったら役員をかばったというのですから。普通だったらこう言います。「お前も分かったか、俺も悩んでいるんだよ」というのが多いわけですから、そういう意味では役員への思いやりがあると見ることもできます。「リストラで黒字にはなりましたが、このままではもちません。(恥ずかしいことですが)」確かにそうですとしか言いようがありません。「アドバイスをお願します。」 これはいろいろなアドバイスがあります。この質問だけで1時間しゃべりたくなります。そして1時間ぐらいしゃべらないとピンとこない。 ただ、「公正、公平に選出された経営陣ではない」とありますが、公正、公平に選出された役員が世の中にいると思いますか? 能力は加味しますが、最後は好き嫌いで選ばれます。それが当たり前ではないでしょうか。公平、公正なんて世の中にないと思ってください。例えばうちの人事の問題は公平でない。当たり前ですと僕は言います。なぜ。だって上司は好き嫌いで選ぶのだから。でもそれを表に出すとまずいから、何か項目を作って、点数を作って、あっちの方が偉いとか、だからこいつを昇進させようとか言うわけです。ところが細かいレベルをずっとやって、Aさんが50点、Bさんが55点。「でも俺、Aにしたいな」といったら、どうせ「これ、60点にならないか」とまた項目の点数の見直しをやるじゃないですか。そんなものです。すなわち個々人に公平、公正なんてないというふうに割り切っておいた方がいいですよ。 大体顔が違うこと自体、平等じゃないんですから。人間は平等だ。違うでしょう。足の長さ、違いますよ。私と鬼澤さんと比較したらもう比較になりません。だから僕は足の長さでは絶対に負けます。でも子供の数では勝ってます。別にそんなので争ったって意味はないですが・・・。 ただし部下を持った人は、部下には公平、公正に対処してくださいとは申上げます。すなわちどちら側に立つかで思いを変えなければいけないのです。自分がする側になったら公平、公正、平等ということを考えなければなりません。しかし受ける側だったら、そんなもんだという割り切りが必要なのです。だからこれは立場によってどう考えるべきか変わってくると思います。。 それから「上級者の方が価値的に偉いという病理」、これは日本の共通項目です。なぜそうかというと、ちょっと言い難いのですが勘違いしているからです。だって役職というのは役割でしかないのです。ところが役割が偉いと思ってしまう。愚かだからです。なぜ気が付かないのか。愚かだからでしょう。そうとしか言いようがありません。 これだけで1時間ぐらいしゃべりたいですね。4時55分にはやめなければいけないのであまり長くできませんが、去年もお話したかな、役職というのはアドバルーンです。課長だ、部長だ、役員だというと、アドバルーンですから浮かび上がるのです。なんで浮くか、理由は一つです。軽いからです。だって重たかったら浮かびません。 これは前にもお話ししたかもしれません。柔道で300何連勝した山下泰裕さんと何時間かお話しさせていただきました。国民栄誉賞、金メダルでしょう。しかし全然浮いていません。あの方は全部しまってあります。「大久保さん、あれは過去のものです。」これでおしまいです。「大切なのはこれからどう生きるかです。」懇談させていただいて、「大久保さん、今日は勉強させていただきました。ありがとうございました。」全然大きさが違います。私は偉いという感覚ゼロ。もちろん山下さんは物理的に重たいのだけれど、だけど人間のトータルの重さが違うから、国民栄誉賞、金メダルという普通の人が持てないアドバルーンがひっついたって全然浮かないで地べたにぴったりついているわけです。 だから軽いから偉いと思うのです。すなわち自分への認識力が極めて弱いからです。そしてこのアドバルーンは恐ろしいことにある日突然カラスが飛んできて割ってしまいます。浮いている人はどうなるか。浮いているからドーンと落ちます。なぜか。俺も部長だ。その人が定年退職する前、課長になって、係長になって、平社員で辞められるなら軟着陸が可能なのです。ある日突然肩書きがポーンとなくなるでしょう。ここでのた打ち回っている人、見たことありませんか。そこでもアドバルーンを持ち続ける人がいます。辞めた時の役職の名刺を刷り続ける人がいるといいます。そう人はどういう人か。現在という時を過去で生きる人です。ある意味ではドラマとしては格好良いかもしれません。でも虚しいです。 すなわち役職を偉いと思う人はアドバルーン浮力に対して浮かない中身がないからです。その中身のない人に「あなた、おかしい」と言っても分かりません。そんな分かる感性は持っていません。 クロネコヤマトの創業者の小倉さん、ものすごい人生の達人でしょう。今はノーマライゼーションということで、いろいろな障害のある方たちに対して、健常者と同じビジネスの世界で戦って利益を上げるという仕組みを作って、働いてもらって、給料を出せるようにしておられるではないですか。ものすごい達人です。お会いしてお話しするでしょう。全然威張っていません。 山下さんもそうです。元三重県知事の北川さんもそうです。まるで威張っていない。改革派の知事という方たちともお会いする機会がありますが、増田さんも、木村さんも、鳥取の片山さんも、みんな威張っていません。すなわち知事という肩書きというは従来で言えばとてつもないアドバルーンなのです。しかしあの方たちはみんな地についています。本物です。そういう方たちとお話しする機会を幸にも時々いただけますので、ちょっとした小さなアドバルーンで浮いている人を見るとおかしくてしょうがないのです。理由はただ一つ、軽いから浮いているということです。 この間、「お互いに浮いていないな」と言う人がいました。二人とも浮いているよと。分からないのです。これは本当の話です。 ただしそれは本人から見た立場のメッセージであって、下の人が敬うなと言っていることではありません。これは勘違いしないでください。いろいろな企業にお邪魔してお話をさせていただく時に、私から見ると、やはり経営陣の方が反応、感性は鋭い人が多いです。やはり職位が下になればなるほど、はっきり言って感性はいま一つです。やはりそれなりの人が上になっているというのは事実です。だから下の人はそれをばかにしてはいけません。「今日、聴いてきたんだよな。肩書きっていうので浮かぶ奴はばかでさ、うちも浮いているよな。」それではあなたも同類項です。それはそれで、下の人は尊敬の念を持つべきです。でも上に立ったからといって偉いと思ってはいけないということです。ここは勘違いしないでください。だから山下さん、小倉さん、やはり僕はものすごく尊敬しています。 まるで足元に及びません。それを大したことないと思ったら、これまた全く間違いになってしまいます。 「異端を受け入れる多事争論の気風がない。」日本の企業の共通項目がここに全部書いてあります。実はほとんど異端を受け入れない民族特性を持っています。でもグローバルの、この今の時代にはその風土は合っていません。 ところがよく考えると、日本の歴史をずっとさかのぼると、意外と異端を受け入れているのです。だから本来日本人というのはとてつもない、宗教でさえ違うものを受け入れるという世界で稀なる度量の持ち主です。 この間、オーストラリアの学生さんが家に1週間か2週間ちょっとホームステイしたのですが、日本人以上に日本人でびっくりしてしまいました。納豆とか漬物が大好き。気づきのレベルの高さに驚きました。目配りしてテーブルのものを取ろうと思ったら、「お父さん、これですか?」と言うのです。これだけでもお話ししたいことがいっぱいあるのですが、もう気づきのレベルが違う。立派に育てられています。ところが正月に一緒に神社に行きました。これだけはだめです。やはり宗教は違う。明確にだめなのです。日本人なんてすごいです。年末年始の1週間で三つの宗教をやってしまうのですから。クリスマス、数日経ったらゴーンと鐘を叩いて、翌日神社にお参り。三つの宗教を何の違和感もなく1週間で仕上げてしまうというこの度量の大きさ。これは世界で全く理解されません。そうでしょう。だから宗教の世界になると全然違うんだなというのをその子から教わりました。他のことはもう全部受け入れても、それだけはというので仏壇を拝むこともしない。それは宗教だからダメだと。宗教じゃないよと言うのだけれど、だめなのです。 だから何を申し上げたかったかと言うと、日本人というのは本来異端を受け入れないどころか、国それぞれの文化の基本は宗教ですから、その違う宗教でさえ受け入れられるぐらいすごい幅広い民族特性が本来の日本人なのです。どこで違ってしまったのかなということです。そこら辺に関しては文明論の先生にお任せしたいと思います。私の論評する領域じゃないだろう。なぜか。簡単です。実は知恵がありません、僕にはその世界の知識がありません。ただし本来日本人はそうなんだという思いが必要じゃないかと思います。 異端を受け入れないというのはどうしたらいいかと言うと、受け入れればいいのです。ほとんど回答にならないかもしれませんが、強引に受け入れていく、これが大事だと思います。それから異なる見解を受け入れる。これは脳の回路をそのように作っていけば私はできないことはないと思っています。 「10名の役員個々を見ても外部との人脈形成ができない。」日本人の方はほとんど関係の領域のみでしか生きていけない方が多いようです。ですから役職を失った時、何もできなくなってボーッとしてしまうわけです。 なぜ外でできないか。簡単です。その人に魅力がないからです。ちょっときついことを言いました。外へ出て通用する魅力があったらどんどん外の世界というのは広がっていきます。だから井の中の蛙というのはできすぎだと思っています。井の中のボウフラというぐらいです。井の中の蛙といったら大きすぎる。ほとんどの方はビンの中のボウフラ程度の視野視点しか持っていない。でもその人はそれが全てなのです。ボウフラに聞くと、あの世界で見える世界がその人には全てなのです。その人に海の話をすると全く理解できません。だってビンの中のボウフラですから、理解しようがないのです。すなわち理解できない人に理解させようとしてはいけませんという信じられない結論がここから導き出される。私も同じようなものですが。 それでは本当にそうかというと、根底においては理解する力はあると思います。知らないだけです。この間も指導主事の先生たち何百人を対象に話をしてほしいということでお邪魔させていただいて、事前に教育の世界がいかに堅くて怖い世界かということを随分うかがいました。私がお話しさせていただいての結論。素晴らしい方ばかりでした。強烈な熱意を持って聴いていただきました。すなわち外の人の話をあまり聴いたことがなかっただけの話です。視点を変えた話を聴いたことがなかっただけです。すごい純粋な方達ばかりでした。 昨日は京都府という所でどうしても来てほしいということでお邪魔させていただき、上から300人対象にお話をさせていただきました。びっくりしました。最後に冗談を言っても通じなかった。なぜか。300人が食い入るように、すごい真剣だったのです。もちろん知事もいちばん前で聴いておられました。事前にはどういうふうに聞いてきたか。「大久保さん、京都府は手強いですよ。」「なぜですか?」「京都ですから。とてつもない独自の文化とプライドを持っている。」ある方に言われました。「今回だけはあなたも通用しないでしょう。」私は通用するかしないか分かりません。 結論。今まででいちばん県庁の方で熱心に聴いていただけました。「そういう話を聴いたことがなかった。今までの自分のやり方、全部反省させられました。体中傷だらけです。本当に参りました。」上の方が何人かそれを言われるために、わざわざ控え室に足を運ばれました。すごい感性豊かな方たちばかりでした。手強いぞと言った人は??結局その人にとってはまるで相手を動かせなかったと言っているだけです。自分の領域と力だけを一般論にしてはいけないということを学ぶことができました。 先生の世界は純粋な方が多いなと思います。やはり先生になる方で一儲けしようという方はまずいません。行政の方もそうです。行政に入って、将来談合で裏を仕切って一儲けしようという人はいないのです。だから行政マンになる人も基本的には純粋な方が多いのです。そして純粋なところで入るのですが、入った世界がちょっと保守的でよどんでいますから、その濁りがだんだん染み込んできてしまうのです。結果いつのまにか自分もよどんできてしまう。きれいな人もよどむ方に動いてしまうのです。 みなさんご存知でしょう。水の本質というのは常にきれいなのです。汚い水に濁ったとしましょうか。それはゴミが汚いのであて、水そのものはきれいなのです。水そのものはきれいで、ゴミが汚いだけでそれが混ざっているだけです。だから漉すことによってきれいになる。水本体がそのまま汚いものだったら、漉したってきれいにはならないわけでしょう。ちょっと禅問答的ですが、後でゆっくりお考えください。 なぜそんなことを申し上げたか。物事は基本をどう捉えるかがものすごく大事だからです。相手はだめだ、この世界はだめだと決めたとき、脳細胞は動かないのです。活性化できない。だってだめって決めているから。だからそうじゃないんだ、本来こうなんだという思いは必要です。 ですから、確かにこのような問題がこの経営層にあります。でも一人ひとりが変われないことはない。可能性はあるんだ。「大久保さん、本当ですか?」「本当です。しかし変わる保証はしません。でも変われる可能性はあります。」「どうしたらいいんですか?」「一つ、1人でも2人でもいい、まず私の本を読んでもらってください。」ビデオも協議会の方でいっぱいあります。講演録でも構いません。ここの協議会でいろいろな方の講義録をいっぱい出しています。私のもあるし、他の良い方のもいっぱいあるじゃないですか。あれをプリントアウトして読んでもらうのもいいです。 それから今回お手元にお配りしましたが、6月10日にPHPからCD3巻とその内容を本にしたセットが出ます。これは1話3分で60話。この間スタジオにこもって話をしました。本当に良い勉強をさせていただきました。PHPでも書いた人というか、原稿を作った人が自ら吹き込む初めてのケースだということで、PHPとしても相当チャレンジだと言っていました。何がチャレンジなのかなと思いながらやっていました。これは長くありません。1時間半の講演録やビデオというと難しいかもしれませんが、3分です。そこでもし興味を持ったら、「実はこの人の本がありますよ。ビデオがありますよ」と持って言っていただくと、10人いれば1人か2人ぐらい変われる可能性が出てきます。この時大事なのは、10人全員を変えようとしないことです。なぜか。それは不可能だから。全員というのはあり得ない。一部の変われる可能性のあるところからアプローチしていくのです。これはアプローチの方法として大事なポイントではないかなと思います。 もっと本質的なことにお答えします。「リストラで黒字にはなったが、このままでは持たない。」本当に持たないのだとしたら、策は三つあります。一つ、辞める。一つ、持たすようにする。一つ、流れに任せる。この三つがあるわけです。どの道を選択しますかということです。そしてその選択は自由です。 もし持たせるように改善していこうというのなら、役員直接は難しくても、こういう状況で会社は良くないよと隣の人に話をしていって、改善改革の意欲のある人たちをネットワーク作りしていくというのは強い一つの方法です。1人では難しいです。日本人は3人寄ると無茶苦茶強くなるのです。文殊の知恵が出るのです。文殊菩薩の知恵が出るわけです。だから思いを語り合いながら仲間を増やしていくというのが一つ、下からいくアプローチの方法です。そして一つの流れを作っていけば、場合によっては動かせるかもしれない。 でも全くどうしようもないという場合には、これはもう任せるか辞めるしかないでしょうとしか言いようがない。少なくとも、うちはだめだと言って嘆くことは今日以降はやめてください。なぜか。その嘆くことによって良くなることは一つもないからです。絶対にありません。どうするかが大切なのです。そしてどうするか決意したら、考えによっては大変にやりがいのある会社にお勤めですよね。そうするとこう言うでしょう「やりがいといってもその貝が大きすぎて背負えません。」それに対して私は一言、「背負ってみてください。普段背負っているじゃないですか」ということです。背負ってみていただきたいなと思います。 こういう会社が本当にお客さんの方を向いて意見を言い合えるようになる、そんなのができたら素晴らしいじゃないですか。そういう夢に向かって実現のために自分のエネルギーを使うということは楽しいことです。私の感覚は、それが実現できる、できないは時の運があるのかなという感じです。でも少なくともそれを目指して生き続けるというのは、その瞬間瞬間が生きています。結果と言いながら結果じゃないな、やはり生きるというのはプロセスだと思うのです。途中が大事、一瞬一瞬が大事で、そこに生きているかどうかだという軸を持てばやりがいはあります。やりようはあります。だってどうしようもない会社だという所にお邪魔し、それが素晴らしい会社になっているケースは世間に沢山あります。誰が見てもだめだ。それはそんなことはないという人が見なかっただけなのです。誰が見てもだめだというのは、今まで見た人がだめだったと言っているだけなのです。誰が見てもだめだというと、それが正しいように思います。違うわけです。そうじゃない見方、軸があるわけです。そういうのを持っていただけたらいいと思います。 それから次の質問です。「社員数約90名の製造業です。企業内組合があります。組合員数は約60名位です。」ということは90人のうち60人が組合員。「組合といっても労使交渉はもっぱら賃金に関することが大半です。会社の業績が良い時はそれほど問題ではないのですが、その逆の場合はかなり感情的なやりとりになります。問題は私がシコリとなって思考の切り換えができないことです。」ちゃんと分かってますねとしか言いようがない。「本来会社は労使一体となって目標達成のために力を合わせなければならないはずです。」そのとおりですとしか言いようがないですね。「今はまるで敵か味方かで考えるような状況です。これで会社の業績がアップするはずがありません。」実に全部正しいことを言っておられます。「アドバイスをお願いします。」 どうアドバイスしようかな。ご自身でお分かりですね。多分どうしたらいいかもお分かりじゃないですか。だったらそれをされたらどうですかということです。 何年か前、組合の幹部の大会に呼ばれたことがあります。私が組合に呼ばれるのは初めてだったら、「私たちもあなたのような人を呼ぶのは初めてです」と言っていました。そして組合の人たちに何と言ったか。「あなたたちは経営者側と闘ってばかりいますがそれは愚かです。お互いに闘っているうちに乗っている船が沈みます。両方でお客様を見たらいかがですか」という話をしたのです。組合の全国からの幹部の集まりですが、反応がすごかったです。どういう反応だと思いますか。「あいつの言うとおりだ。」闘っていたら闘う土俵さえなくなるな。そうなんです。 それではなぜ闘えるか、分かりますか。すごく簡単です。闘っている土俵がずっとあると勘違いしているからです。本当になくなると思ったらやめます。ずっとあると思っているのです。これは大いなる勘違いです。 これを書かれた方のおっしゃるとおりで、労使共にお客さんの方を見て、自分たちの価値をいかに高めるかということでお互いに意見を交換し合い、切磋琢磨することです。それがその組織の価値を高めます。結果的に賃金が増えるということにもなります。 業績が悪くなっている所で賃金を取ろうとする。不可能です。氷を抱いて暖を取ろうとするのと同じで全く不可能です。ですからそこで闘うということは全く無意味なことにエネルギーを注いでいる。ご理解されているとおりです。だったらそのエネルギーは? はい、簡単です。プラスの価値創造に向けることです。 どこからやるのですか。はい、あなたからやってください。あなたの隣の人に働きかけてください。「こんなことをしてちゃだめだ。もっとお客様への価値創造の方に向けよう」と語っていくことです。 そうすると組合の別の方から「何を言っているんだ。そういう態度が甘いんだ」と言う人は必ず出てきます。愚かなのです。それが土台をなくすのです。だからそこは信念を持って「違う。これをやっていかないと結果が出ないで、賃金どころか全部なくなるぞ。世の中そんな事例がいっぱいあるじゃないか。力を合わせようよ」ということをやっていくことをお勧めします。だから決して楽ではありません。でも60名、全社90名。1人情熱の塊が出てきたら変えることは可能でしょう。 実はどんなに大きな組織でも最初は1人なのです。1人から始まる。最初はどんなことでも1人です。その1人になれよ、なれよとお互いに言っていたのではだめなのです。その1人に自らがなることです。それが大切じゃないかなと思います。それが自主・自立ではないかと思います。 あ、ご質問がちょうどつながりました。「自主・自立とありますが、私は自主・自立・自律」、自律というのは「律する」です。「・・・と考え、自律の方が意味が深く広いと思います。この観点、視野でご説明、ご紹介いただける事例がありましたら、よろしくお願いします。」 お答えします。この観点での事例は持っておりません。ですから説明のしようがありません。 普通、自主・自律というと確かに「律する」なのです。でも私の場合、あえて「自ら立つ」と書いているのはなぜかというと、あまりに他人頼り、国頼り、人頼りが多いから、律するのではなくて自らの足で立ってほしいということであくまでも自ら立つという方向で使っています。普通辞書を引くと律するの方です。これは確かに国語的にはそうだと思いますが、自分の思いは何かというと、まさに自らの足で立っていただきたいなというところからこのような字にしています。 レジュメの「自ら変わる」、これもある意味ではお話をさせていただけたと思います。やはり変えようとしないで自ら変わっていく。これももうちょっとお話ししたかったのですが、時間がないので割愛させていただきます。 そうは言ってもいくつかお話ししたいですね。でもあと5分か10分ぐらいしかないですね。 私は自分が変わるということがいかに難しいかと同時に、やはりそれは自分が認識できないと変われないなと思います。企業でのいろいろな事例を毎日のようにいただいています。 この間も、ある企業幹部のグループディスカッションで、グループリーダーが「あなたは怖い表情をしているからだめだ」と言われました。「いちばん良くないのは怖い表情だ。」すると言われた人が「どこが怖いんだよ!」と怖い声で言うわけです。「その声と表情が怖いんです」と言ったら、「怖くないだろうが!」相手は怖いと言っているのです。横から見ると怖いのです。でも本人は怖くないと言っているのです。私は後ろのオブザーバー席にいましたから「すみません、やっぱり怖いですよ」と言いました。 それを自分がそうだと認識しない限り改善できないわけです。私がアドバイスする所は、必ず部下から上司を評価するという他人評価、多面評価をやっています。それを入れないと上から見ても絶対に真実は分かりません。上から見る景色と下から見る景色は全く違うのです。ですから必ず入れます。 そうするとこういうのがありました。「私、部下からコメントで暗いと書かれたんですよ。私、暗くないと思うんですけど・・・。」その人、表情も声も雰囲気も真っ暗なのです。でも本人は暗くないと言うのです。暗いとは申し上げませんでしたが、「部下の方のコメント、当たっていると思います」と申し上げました。同じことなのですが・・・。「そうですか。明るいつもりなんですけどね。」周りは笑顔です。おかしくて噴き出しそうです。だってそう言うこと自身が真っ暗な雰囲気で言うのですから。 だから変えられないのです。自ら変わるでいちばん大事なことは、今回「生き生きした組織風土を作る」という演題でしたが、会社全体をそういうふうにするのは不可能だと思ってください。でも自分の担当している自分の領域、自分の範囲内だけは自分が変われば可能なんだということがメッセージなのです。自分が変わることによって、自分の担当している組織だけは生き生きとした風土を作ることはできるのです。これはちょっと頭の隅に置いておいていただきたいなと思います。 「言葉の力」ということですが、これはほとんど説明できませんが、『水からの伝言』という江本勝さんの本や写真集が出ています。これを一度本屋でご覧になられたらいいと思います。言葉というのはものすごく力があるそうです。水に言葉を見せて、その水の結晶を撮っている。これはビデオをご覧になるとものすごく分かり易いです。きれいな結晶ができるのもあれば、ぐちゃぐちゃになるのもある。最高にきれいな結晶ができる言葉は何か。「愛」と「感謝」と「ありがとう」だそうです。「死ね」とか「殺す」とか「むかつく」はぐちゃぐちゃになるのです。「しなさい」と言うとぐちゃぐちゃになって、「しようね」と言うときれいな結晶ができるそうです。これはもう写真で見る、もしくはビデオがありますので、ご覧いただいたらいいと思います。 本の方にはこういう実験があります。炊きたてかどうか分かりませんが、温かいご飯を小さな2つのビンに入れる。一つは毎日「ばかやろう」と言う。もう一つには毎日「ありがとう」と言う。こういう実験をしたら、1ヶ月経つと「ばかやろう」と言ったのは真っ黒になってどす黒くなって、毎日「ありがとう」と言われた方は芳醇な香りで黄色になっているのです。 それをある会社のセミナーで使いました。すると当然そんなのは嘘だと言う人が出てきます。そしてその会社の方、3人実験されました。「大久保さん、1週間でなりましたよ。あれ、本当ですね。」嘘だと思う人は過去の常識と自分の知識から理解できないで嘘だと言っているわけです。本当かな、というのが正しいわけです。グループディスカッションで「あれは嘘だよね」と言ったら、「いや、うちの娘がやったら1週間で同じようになったんだよ」、これでおしまいです。本当です。言葉というのはものすごく力があるのです。 斎藤一人さんという個人の納税額連続何年か1位というすごい方がいらっしゃるでしょう。どうしたらいいか、ただ一つ。「私はついている」と叫び続けろと言っています。「何か辺なものが憑いているんですか。」「そんなことはありません。運がついています。」あの方の講演を聴いてびっくりしました。噺家よりも話が上手い。間の取り方が最高。今までいちばん話を聴いた中でいちばんうまい人です。あれは高座に上がっても落語家が驚くぐらいの上手さです。 鼻緒が切れたらどうするか?困っていらっしゃいました。最近鼻緒と言っても若い方はほとんど分からないと言っていました。今日の方はお分かりの年代が多いと思いますが・・・。家を出る時、鼻緒が切れてしまった。嫌だ。これが普通、否定的です。普通の人、年数的に切れる時期に来ていたと物理的に考える。ついていると思う人、今でよかった、出先で切れたら大変だった。ここから違ってくるというのです。この話だったらいっぱいあるのですが、残念ながら戸が閉まってしまいますのでちょっとやめます。 要はそういうふうに言葉の力と表情の力というのが、生き生きした組織風土を作るのに大変重要であるということなのです。全員がついていないと言って真っ暗で嫌だと言っている組織が生き生きしますか? あり得ません。どうしたらいいか。うちは生き生きしている、ついていると。ただ全員で叫ぶと、お客様が入って来られて「何なんだ、この会社は。取引して大丈夫か」と不安はあるかもしれませんが、そういうことなのです。 ですからその言葉の大切さ、これは是非本をご覧になられたら良いと思います。 それから「元気、前向き、自主・自立」。これはこれ以上ご説明できなくなりましたが、元気な事例、前向きな事例をたくさん見ていただいく。やはり自主・自立というのは何かというと、周りが、トップが、世間がだめだからという「が」の上が主語になりますから、そういう生き方をしないでくださいということです。自主というのは自らを主とすることですから、それはやはり変えられない時に、あの人が、この人が、経営者がと言ったら、それはそれがあなたの人生の主人公になります。やはり人生の主人公は自分にすべきだと思うのです。ですから自主・自立、自らの足で立って自分が何かをしていくという発想を是非お持ちいただきたいなということです。 お手元の資料にCDの紹介がありますが、それは実は裏が大事です。結構高額ですから、著者紹介で安くなる紙を今日は配布させていただきました。まだすぐという訳にはいきません。6月10日に完成で11日ぐらいから出荷すると言っていました。是非このCDなんかもご活用いただければと思います。 まだお話ししたいことがありましたが、時間になりましたので終わらせていただきます。どうもありがとうございました。 (2004.6.2 茨城県経営品質協議会特別講演会 茨城県市町村会館にて)